メガラニカ帝国の魔狩人は、北部地域を中心に活動している。
死恐帝の災禍が長期化した結果、旧帝都ヴィシュテル近郊の北部に戦力を集結させる必要があった。
現在、魔狩人の狩猟本館はケーデンバウアー侯爵領の租借地にある。
新帝ベルゼフリートの即位後、魔物の出現と被害は激減している。先般の大妖女レヴェチェリナが起こした帝都襲撃は、数十年ぶりの大規模戦闘であった。
帝国側の被害に比べ、魔狩人の死傷者は少なかった。危険視されていた上位種の魔物は、アレキサンダー公爵家の姉妹によって討伐。大陸全土から集められた魔物も冒険者と魔狩人が駆逐していった。
昏睡状態に陥った皇帝ベルゼフリートは快復し、元気を有り余らせている。しかし、一つだけ大きな厄介事が残された。
神喰いの羅刹姫ピュセル=プリステスの置き土産である。
大妖女レヴェチェリナが目論んだ破壊帝の復活は打ち砕かれた。しかし、栄大帝の時代から生き延びた羅刹姫ピュセルは、別の思惑で動いていた。
帝国元帥レオンハルトによって、神族すらも喰い殺した悪鬼は滅ぼされた。だが、己の敗死すら彼女は計画に組み込んでいた。
「――やめろ。下がれ。ブライアローズ」
完全武装のシャーゼロットは語気を荒げて威嚇する。鉄檻の前に立ちはだかった。しかし、激昂したブライアローズは長姉に本気の敵意を向けていた。
姉妹喧嘩、そんな生易しい表現では収まらない。
惰眠を貪る普段のブライアローズとはかけ離れている形相である。
寝不足で両目は真っ赤に充血していた。万全のコンディションではない。すぐにでも眠ってしまいたかったが、ブライアローズは心拍数を無理やり上げて、意識を覚醒させた。
「ふざけるな⋯⋯。なぜその魔物を殺していない!」
ブライアローズの怒声は建物を揺らした。天井からパラパラと土埃が降り注ぐ。
「ほう。偉くなったものだ。この私に説教か?」
普段とは真逆だ。いつもは寝てばかりで働かない六女を長女が叱りつけている。シャーゼロットは后宮の廊下で寝転んでいたブライアローズを蹴り飛ばしたこともある。しかし、今、この瞬間だけは違った。
「退いてよ⋯⋯! お姉ちゃん!!」
ブライアローズは額に青筋を立て、立ちふさがるシャーゼロットを睨みつけた。
「下がれと私は命じた。従え」
「⋯⋯私はお姉ちゃんの部下じゃない」
「馬鹿者⋯⋯! なぜ貴様のような怠け者が女仙になれたと思っている。帝国元帥の側女だからであろう? 宮中の側女にも上限関係はある。命令に従え。反逆と見做すぞ。愚妹め」
「反逆? 危険な魔物を生かしていることこそ、皇帝陛下に対する反逆でしょ!」
怒りが頂点に達し、周囲の空間が歪む。ブライアローズが次元操作の異能を発動した。しかし、同格同質の異能者が眼前に立ちはだかる。
「やめろ」
歪曲した空間が引き伸ばされた。数秒の押し合いが続く。
「ちぃッ!」
ブライアローズは口汚く舌打ちした。寝不足の脳でなければシャーゼロットにも勝てる。しかし、最悪の体調で叩き起こされたばかりだ。
「姉に向かって『お前』とは何だ? そんな口の聞き方が許されると思っているのか?」
「もういい! レオンハルトお姉ちゃんに言いつけてやる⋯⋯!」
「帝国元帥に? 私と同じ血が流れているとは思いたくないねえ。愚かさが極まっているな。公爵家の面汚しめ。元帥閣下の命令で貴様を連れてきた。そこの鉄檻に囚えている女の正体を確認するためにだ」
「説明するまでもない。そいつは魔物! 私は帝都でその魔物と戦った! 国民議会議事堂を襲撃した牛頭鬼のモンスター! 帝国宰相ウィルヘルミナ閣下を襲った個体! 報告書にも書いた!」
「⋯⋯⋯」
「その魔物は人間に擬態しているの! 私には分かる⋯⋯! そこにいる貴方達! 魔狩人なんでしょ! なぜ捕まえたのに始末していないの⋯⋯!! どういうつもり!?」
ブライアローズの怒気は魔狩人に向けられた。
「――ひぃっ!」
威迫に動揺した若い魔狩人が武器を抜こうとする。しかし、戦歴豊富な初老の魔狩人が若人の血気を諌めた。
「ブライアローズ殿、うちの若いもんを脅さんでくれよ。貴方ほどの猛者に脅されれば恐怖するのは当然。それと、そこの女性は我ら魔狩人が保護したのじゃよ」
「保護? 保護ですって!? 貴方は正気なの?」
「うむ。幸いにも正気を保っておるぞ。老いぼれておるが、まだ現役の魔狩人じゃ。納得いかぬのだろう? しかし、その妊婦は人間じゃよ。徹底的に調べ尽くしたが、魔物の擬態ではない。細胞や魂魄に魔素が宿っておらん。確かな事実じゃ」
「は? 擬態を見破れていないだけじゃないの」
「そうかもしれぬな。だから、その檻に囚えて監視しておる。なにせ、その妊婦は自分が〈牛頭鬼のキュレイ〉と名乗った。上位種の魔物でも数百年、我らの手を煩わせてきた大物じゃ」
「正体が分かってるなら、はやく殺しなさいよ」
「我らは人間を殺さぬ。魔狩人の誓いは絶対だ。〈牛頭鬼のキュレイ〉と特徴が一致し、本人の証言と照らし合わせた結果から考えても、その妊婦が魔物であった事実を裏付けている。アレキサンダー公爵家の貴殿が熱弁されているのだ。ほぼ間違いないだろう。しかし、人間は殺せぬ。今の状態では魔物と見做せん」
「魔狩人の誓いとやらのせいで?」
「そうじゃ」
老練な魔狩人は動じない。ブライアローズの威迫と挑発は躱された。
「よろしいわ。だったら私が殺す。それで全ての問題は解決ですね。はい。話は終わり。――だからさ、お姉ちゃん! 邪魔だから退いてくれる!」
「態度を改めろ、ブライアローズ。その状態で貴様に勝てると思うか?」
シャーゼロットはブライアローズの肩を掴む。眠り姫の二つ名を与えられた六女は臆しない。長女を睨めつける。
単なる姉妹喧嘩や折檻であれば眠ってやり過ごす。だが、今回ばかりは譲れなかった。
「お姉ちゃんに勝つ必要なんかない。そいつを殺せばいい。本気なった私から守りきれると思うの?」
そもそも原因は帝都襲撃時にキュレイを取り逃がした自分にある。ブライアローズは責任を感じていた。
「お姉ちゃん⋯⋯。間違いなくその女は魔物の擬態。私が証言する。実際に戦ったから分かる。人間に化けているの。大斧を使う牛頭鬼の魔物は赤い目だった。魂魄を見通す赤瞳⋯⋯。匂いも同じ」
「だから? 私は大神殿の司法神官ではない」
「お姉ちゃん! 絶対に私は間違ってない! 殺したほうがいい! お願い! 殺させてよ⋯⋯!」
「魔狩人との取り決めがある。これは国家の決定だ。手を出すな」
「その魔物は皇帝陛下に危害を加えた。帝国の脅威を生かす理由なんかない!」
「二度も三度を言わせるな。国家の決定だ」
「どうして!? アレキサンダー公爵家の私達が優先すべきは皇帝陛下の安全でしょ? お祖父様とお祖母様の遺志に従う義務がある。違うの? いつもお姉ちゃんが私に言ってたことじゃない! 普段言ってることと、今やってることは全然違う⋯⋯!」
「やれやれ⋯⋯。普段もそれくらい真面目になってくれるとありがたいねえ。私も思うところはあるよ。しかし、命令は絶対だ。メガラニカ帝国と魔狩人で協約を結んだ。人間の妊婦は殺せない」
「だから! 擬態してるだけ! 魔物が人間になるわけがない!」
「神喰いの羅刹姫ピュセル=プリステスが儀式を執り行った。皇帝陛下が昏睡中に⋯⋯。つまり、魔帝が目覚めている間に何かをしたのだろうね。私は儀式の部屋をこの目で見たし、魔帝の残骸もこの手で処分した。破壊者の荒魂は不可能を可能にする。絶対とされる理法を壊せる。首席宮廷魔術師ヘルガ・ケーデンバウアー妃殿下の見解でもある」
「私をここに連れてきたのは確認だけってこと⋯⋯?」
「そうだ。実際にキュレイと交戦した貴様の確認が必要だった。仕事は終わりだ。天空城アースガルズに帰還する。その妊婦は魔狩人に預ける」
「胎児は?」
「今のところ、普通の赤子だ。魔狩人だけでなく、帝国軍や大神殿でも調査した。困ったことに母胎と胎児から微弱ながら瘴気が検出された」
「瘴気⋯⋯? なんで?」
ブライアローズは懐疑的な目で妊婦を凝視する。それまで黙っていたキュレイは初めて言葉を発した。
「私の肉体は女仙の瘴気を宿したらしい。お前らが垂れ流してる穢れだ⋯⋯。おぞましい」
「黙れ。魔物め⋯⋯! 皇帝陛下の魂を盗もうとした罪、万死に値する⋯⋯!」
「私の胎にいる赤子もお前らと同じ女仙だ。臍帯で繋がっているから分かってしまう。はぁ⋯⋯。胎にいるのは魔帝とピュセルの子供だ⋯⋯。魔素を抜かれて人間に改造されたとき、胎内にピュセルの赤子を移植された。何が産まれてくるかは出てきてのお愉しみだ」
「へえ⋯⋯そう⋯⋯。ところで私を覚えているわよね?」
「ああ。覚えているぞ。帝都の議事堂で戦った女だな。⋯⋯今思えば、あそこでお前に殺されておけばよかった。深手を負ったせいで、私は生贄にされたんだ。最悪だ」
「今からでも遅くないわ。殺されてくれない? 私とお前の利害は一致してる。ほら、やっぱり殺すべきでしょ。こいつ。魔物だったときの記憶が完璧に残ってるわ」
ブライアローズの主張は無視された。シャーゼロットは初老の魔狩人に警告を言い放つ。
「帝国軍の視察は受け入れてもらう。メガラニカ帝国は魔狩人を信頼している。しかし、万が一、キュレイを国外に運び出そうとしたり、脱出を許した場合、ブライアローズが追手となる。どれだけの被害を出してでも殺せと命じる。魔狩人の誓約に対する最大限の譲歩と思っていただこう」
「ありがとうございます、シャーゼロット殿。魔狩人が責任をもって保護と監視をいたしましょう。メガラニカ帝国の寛大なご処置に感謝申し上げる」
「だが、いずれは引き渡してもらう。キュレイと胎児が女仙化しているのなら、いつかは持て余すことになる。瘴気を放つ女仙は一処に留まれば厄災を呼ぶ」
「そこの女は血酒を賜った者ではございませぬ。本物の女仙となっているかは分かりませんぞ。⋯⋯参考となる前例がありましてな。ベルゼフリート陛下の母君も瘴気を発していたはずじゃ。しかし、ナイトレイ公爵家で保護ができておりました」
初老の魔狩人はベルゼフリートの過去を匂わせる。
「貴様⋯⋯! ナイトレイ公爵領を縄張りにしていた魔狩人か?」
「ええ。かつてはシーラッハ男爵領にもおりましたぞ。関所で起きた災禍により、魔狩人の同胞が犠牲になり、人手が足りなくなりましてのう」
幼帝の実母はつい最近まで生きていた。生きた屍となって、自分の息子に犯され続け、何人もの子供を産み落とした。
「我ら魔狩人も無知ではございませぬ。皇帝陛下の特殊性もよく存じております。だからこそ、安易にその母子を殺さぬほうがよろしい」
「知ったふうな口を⋯⋯。帰るよ。ブライアローズ。これで仕事は終わりさね」
「最悪⋯⋯。部屋に引きこもってればよかった」
引きずられていくブライアローズは愚痴をこぼす。
「最悪なのは私も同じだ。貴様のお守りで皇帝陛下の護衛任務から外された⋯⋯」