魔王城で暮らす者の衣装は、地位や職種ごとに異なっている。
人間がそうであるように、魔族も身に着けている衣服や装飾品で階級が分かる。
ルミターニャも例外ではない。人間であろうと魔族社会で生きている以上、ルールに従って生活しなければならない。
馬頭鬼族の当主であるオロバスに仕える性奉仕婦。それが魔王城に住むルミターニャの地位だ。
性奉仕婦に相応しい格好と振る舞いを求められる。
性奉仕婦は着ている衣服が一目瞭然だ。まず公然の場であったとしても恥部を隠してはならない。
生殖器と肛門、乳房を晒す。
ルミターニャであれば、股割れ穴ありのベビードールが普段着であった。胸部はオープンバストで乳房を露出させている。
乳首にはニップルピアスを装着し、金鈴や宝石を垂らしていることもある。
ピアスの役割は母乳止めだ。ルミターニャは改造によって乳汁を過剰分泌する体質となってしまった。乳首を刺し貫くピアスは、謂わば母乳瓶の栓であった。
「よかったじゃありませんか。私も戦争が終わることは今朝の新聞で知りましたよ」
魔王がルミターニャの出産を視察した翌日、人類との停戦協定が正式発表された。魔王軍の大幹部だけでなく、一般の者達にも終戦の事実が公となった。
「魔王様の判断です。私如き、意見など言えません。戦争が始まってからは不景気でした。今後、魔王国の景気が好転すればと思いますよ」
「それはそうですね。やっぱり戦争はないほうがいいです」
魔王城で4年間暮らせば、自然と知り合いができる。
ルミターニャの話し相手は、首無しのデュラハンであった。頭部がないが、どこからともなく年老いた女性の声が聞こえてくる。
「もうちょっと削いでおきますか。ルミターニャさんの蹄は伸びるがの早い。若いから代謝が良いのでしょうね。私の干からびたアンデッドからすると、生き生きした身体は羨ましいです」
デュラハンは鎌型蹄刀でルミターニャの蹄を削っていく。
家畜の馬や牛がそうであるように、有蹄属の魔族は定期的に蹄鉄のメンテナンスを行う。
馬頭鬼族は首無しデュラハンの装蹄師と契約を結び、蹄の爪切りと蹄鉄の交換を任せていた。
(靴を履かなくてもいいけれど、1カ月で蹄鉄の手入れをしないといけないのがちょっと大変ですね。牧場で馬を育てていたから知識はあったけれど、まさか私が家畜と同じような蹄鉄を付けることになるなんて⋯⋯)
今でこそ馴れた。だが、最初は拷問をされている気分だった。刃物で足の先端を削り取られ、真っ赤に燃える熱々の蹄鉄を足裏に押し付けられる。
蹄のツメは分厚く、神経が通っていないので火傷はしない。分かっていれば笑い飛ばせる。だが、知らなければ焼け焦げと立ち上る煙で、恐怖で顔が引きつる。
なぜ炉で熱した蹄鉄を押し付けるのかと問われれば、理由は簡単だ。密着性を高めるために焼き付けをしている。
故郷で牧場の娘だったルミターニャは馬や牛を飼っていたので装蹄の知識があった。
「ルミターニャさんは肝が据わっています。さすがは勇者の血を引く方ですね」
「故郷で牧場を営んでいたんです。家畜に蹄鉄を付ける光景は見慣れていました」
「そうでしたか。オロバス様は今でも焼き付けの際、顔を背けていますよ。もっと幼かったときは泣き出していたくらいです」
「この仕事を長くされているのですね」
「ええ。かれこれ853年です。デュラハンは長命ですが、私は長生きしているほうでしょうね」
魔族は長命だ。種族にもよるが一般的に人間の10倍は生きる。そして成長が遅い。成年が100歳となっているのもそのせいだ。
「感慨深いものです。ほんの少し前に、お生まれになったオロバス様の当主就任をこの目で見るとは⋯⋯。あっ! デュラハンに目はないのですけどね?」
デュラハン族ではお決まりのジョークらしい。ルミターニャも笑みを返しておく。愛想笑いではなく、親しい友人や知人に向けるのと同じ感情を抱いていた。
「オロバス様は立派に当主の仕事をされている。戦死されたアスバシール様や亡き奥方様もお喜びでしょう」
「以前から気になっていたのですが、貴方は勇者エニスクの母である私を憎いとは思わないのですか?」
「私は獣魔です。貴き魔族に仕えるのが良き獣魔であります。同胞を殺し回った勇者の生母であろうと、今のルミターニャさんはオロバス様に仕えている。ならば、我々は同胞です。その膨れた胎こそ証。昨日、魔王様の前でご出産されたのでしょう?」
「⋯⋯はい」
「ルミターニャさんはオロバス様のお子様を産んだ性奉仕婦。同じく高貴な魔族に仕える者同士、敵意を向けたりはしません」
「それがこちらの考え方らしいですね」
「不可思議でしょうか? その膨らんだ孕み腹は奉仕の結晶では? オロバス様のお子様を身籠もり、幾度もご出産された。種と畑が良かったのでしょうね。ルミターニャ様の獣魔が勇者に深い手傷を負わせたと聞き及んでいます。素晴らしい成果であり、誇るべき功績でありましょう」
「⋯⋯母親としての内心は複雑です。父親が違うとはいえ、どちらも私が産んだ子どもです。殺し合ってほしくはありません」
「そういうものですか⋯⋯。人間の尺度は、なかなかに奇怪ですな。さて、装蹄は終わりましたよ。歩いてみたり、飛び跳ねてみたりしてください。違和感があれば調整いたしましょう」
両足の装蹄を終わらせたルミターニャは、歩いたり軽くジャンプしたりして調子を確認する。
飛び跳ねると乳房とお腹がブルンっと揺れた。蹄に打ち込まれた蹄鉄で床を踏みしめる。かつて牧場で飼育していた馬たちも、こんな感じで地面を蹴っていたのを思い出す。
「問題なさそうです。ありがとうございました」
「いえいえ。ところで停戦協定が結ばれた後、まさかルミターニャ様はお帰りになるのですか?」
「捕虜交換で、故郷に帰らせていただけると聞いています。ですが、この姿では支障があるので、また身体を弄らないといけないのですけどね⋯⋯」
「支障⋯⋯? どこか身体の調子が悪いのですか? 大変ですね。人類は野蛮だから、ろくな医療技術がないのでしょう」
「あはははは」
デュラハンの装蹄師は勘違いをしている。改造された肉体は健康面でいえば、文句なしだ。しかし、今の変わり果てた姿を故郷の人々に見せるわけにはいかない。
「いっそオロバス様や魔王様にお願いして、こちらに残られた方がよろしいのでは?」
「⋯⋯あちらに残してきた友人も多くいます。⋯⋯夫のお墓参りもしたいです」
きっと故郷の村には殺された夫の墓がある。妻として弔いには行くべきだ。果たして今の自分に妻の資格あるのかは疑問だ。夫のことを想うと、罪悪感で心がキリキリと痛む。
「帰りたいとは思っているつもりです」
弱々しい口調であった。ルミターニャの表情は曇っていた。
それを聞いたデュラハンの反応は分からない。頭がないので、どんな表情をしているのかは不明だ。顔が分からないデュラハンの装蹄師は、ルミターニャにとって本音を明かせる最良の相談相手だった。
「ルミターニャさんの蹄鉄を付け替えるのは、再来月あたりが最後かもしれませんね。担当の装蹄師としては少し寂しい想いを抱きます。ルミターニャさんの蹄はとても美しい。名誉ある仕事をさせていただきました」
「ありがとうございました。2カ月くらいしたらまた来ますね。次もよろしくお願いします」
価値観や生き方は違う。しかし、魔族にも人間と近しい感情がある。課せられた役目に誇りを抱いていることだ。だからこそ、性奴隷たるルミターニャに対しても敬意を向けてくれる。
4年も魔王城で暮らし、ルミターニャはオロバスの子を産んだ。童貞だったオロバスにセックスの味を教えたのもルミターニャだ。
もはや人間だからという理由で、ルミターニャを侮蔑する者はいない。それなりに居心地のよい環境となっていた。
◇ ◇ ◇
真新しい蹄鉄を装着したルミターニャは大理石の床を進む。
心地好い音が響く。
馬の足は骨格からして人間と違う。筋肉もそうだ。靴を履いていたころの歩き方は忘れてしまった。爪にあたる分厚い蹄が靴となっている。
「こんにちは。ルミターニャさん」
馬頭鬼族の大屋敷に帰ろうと、魔王城の大廊下を歩いている矢先、親しくしている知り合いが声をかけてきた。
「お久しぶりです。リックナさん。今日はお一人なのですか? 普段はご主人様とご一緒なのに珍しいですね」
「ええ。まあ。事情がありまして」
リックナは女郎蜘蛛族の君主に仕える性奉仕夫であった。
性奉仕をするのは、ルミターニャのような雌だけに限らない。族長が雌の未成年者なら、宛がわれる性奉仕者は雄となる。
女郎蜘蛛族は雌だけで構成される種族だ。そのため性奴隷となる雄は、他の種族から選出される。性奉仕夫のリックナは人狼族の出身だった。
「実はご主人様に当ててしまったんです⋯⋯」
性奉仕者の言う「当てる」とは懐妊の隠語だ。性奉仕者を単なる性処理道具を考え、妊娠を忌避する魔族もいた。
一方で、馬頭鬼族においては避妊がまったく行われない。全ては魔族の考え方次第であった。
「それは⋯⋯。その⋯⋯。おめでとうと言うべきでしょうか?」
「出産経験は豊富なほうが良いと思います。しかし、ご主人様はボディラインの崩れを気にしておられるのです⋯⋯。ルミターニャさんもそうですが、妊娠されるとお腹が大きく膨れるでしょう?」
「ええ、普通は妊娠するとお腹が大きくなりますね。赤ちゃんが子宮で育ちますから」
「それを見られたくないと言っているんです。卵でお腹が太ってしまうので嫌だと⋯⋯。だから、大幹部会の会議にも参加しようとせず、臣下の者達は困り果てております」
「あらまあ⋯⋯。体型の変化は、恥ずかしいことではありません。お腹に健康な赤ちゃんがすくすく宿っている証拠です。それに、私はずっと膨らませたお腹を見せ回っていますよ?」
「オロバス様は子作りに熱心ですよね。ルミターニャさんも沢山のお子様を産めて誇らしいでしょう? 実をいうと私も内心はご主人様の懐妊を喜んでいます」
「ご主人様を愛されているのですね」
「はい。自分の存在価値です。お腹といえば、ルミターニャさんのお腹は普段より大きくなっていますが、出産のご予定はいつ頃で?」
「昨日、産んだばかりです。出産を終えているから子宮は空っぽです」
ルミターニャが女性器を晒しているように、リックナも男性器を丸出しの格好だった。だが、全身に体毛が生えている人狼族なので、ルミターニャほど不埒には見えない。
「戦争が終わってしまうそうです。ルミターニャさんが産んだ子ども達は残念ですね。活躍の機会が無くなってしまった」
「私は嬉しいです。戦争が終わったなら、子ども達は安全ですから」
「はぁ⋯⋯? そう思われますか⋯⋯? せっかく偉大な戦士の子を産まれたのに? 勿体無い」
「私には不思議に感じます。魔族の方々は家族への深い愛があります。実際、オロバス様は父君であるアスバシール様を敬愛し、今でも懐かしんでいます。ところが、獣魔に対しては、慈愛を向けようとなさらない⋯⋯」
「それは当然です。獣魔とはそういうものです」
「そういうものなのですか⋯⋯」
「獣魔は高貴な魔族に仕え、生涯を捧げる。とても誇らしく名誉なことですよ?」
奴隷と獣魔は似ているが決定的に異なる。奴隷は虐げられている場合がある。だが、獣魔は従っているだけで、虐待は受けていない。
主人である魔族と従者たる獣魔は、互いの役割を受け入れ、協調しているのだ。働き蟻や働き蜂が、労働に疑問を持たないのと変わらない。ルミターニャはそう感じた。
◇ ◇ ◇
馬頭鬼族の大屋敷に戻ったルミターニャは、オロバスのいる部屋へと向かう。朝昼晩の食事で母乳を捧げるのもルミターニャの仕事だった。
「あらあら? ルミターニャじゃないの」
今日はよく話しかけられる日だった。馬頭鬼の邸内で、性奉仕婦のルミターニャを雑談相手として選ぶ者は少ない。
「なぜ屋敷の外に出ていたの? どうしてかしら?」
馬頭鬼のテアリラがルミターニャの前に立ちはだかった。彼女は魔族であり、オロバスに仕える戦士長だ。即ち階級が上位の魔族。屋敷の女中とは別格の地位にいる。
多くの獣魔を部下として従え、戦士団を統率する馬頭鬼族の懐刀である。
「蹄鉄の手入れをする必要がありました。外出許可はいただいております」
「そう。とても立派な自慢の蹄だものね。整形の作り物とはいえ、美しさを保つ努力をしているわけ?」
ルミターニャの蹄は美しいと褒められ、それと同時に整形だと罵られる。人間には分からない美的価値観だが、馬頭鬼の社会における美女の基準は蹄の美しさだった。
「オロバス様から手入れを欠かしてはいけないと命じられています」
「あっそう。まあ、別にどうでもいいけど。性奉仕婦の仕事をちゃんとしてくれればね」
武家の娘であるテアリラは、オロバスの正妻候補であった。馬頭鬼族の君主は未成年。今のところオロバスと肉体関係を持つ女は性奉仕婦のルミターニャだけだ。しかし、成年になれば正妻の選定が始まる。
「昨日は魔王様の前でオロバス様の子を何匹産んだの?」
近付いてきたテアリラは、ルミターニャの女陰に指を突き刺した。
「はぅ♡ テアリラ様⋯⋯っ! やめっ⋯⋯そこは⋯⋯!!」
「答えなさいよ。赤ちゃんの数。この胎で何匹を産んだのかしら?」
「7匹です⋯⋯。んぁ♡ はぁん⋯⋯♡」
ルミターニャが着ているベビードールは陰部を隠していない。くちゃくちゃと指先で膣穴を弄くり回される。
「誇らしいでしょうね。オロバス様のオチンポが挿入できるように、オマンコを拡張した苦労が報われたじゃない。私はルミターニャの胎を高く評価しているのよ? アンタが産んだ獣魔は私が教育してる。後ろにいる部下もアンタの息子たちよ」
手マンをされるルミターニャは、直立不動の姿勢で立つ獣魔兵達に視線を移す。大刀を背負った5匹の屈強な馬頭鬼。筋骨隆々で、精悍な顔つきをしている。
「ヴァリエンテ家の血、あるいは人間の血が入っているからかしら。アンタが産んだ子どもは成長速度が著しいのよ。たった3年で育ってしまった。もう成体と変わらないわ。いい胎を持っていてよかったわね」
「はぁ♡ んぅ♡ あぎぃ! んぎぃぃぃいっ!?」
テアリラは握り拳をルミターニャの膣穴に突っ込む。普段からオロバスの巨根をぶち込まれているので、難なく腕が膣内へと侵入した。
「戦争が終わるって聞いた? とっても残念よね。アンタが産んだ子どもで編成した獣魔戦士隊。たくさん訓練させたのよ? でも、活躍の場が消えてしまった。アンタが産んだ糞っ垂れの勇者エニスクを殺す機会も失われたわ」
「テアリラ様⋯⋯♡ 手をオマンコから抜いてください♡ お願いしま⋯⋯んぎぃあぁ⋯⋯♡」
「ちょっとしたスキンシップでしょ? そんな顔をしないでほしいわね。勘違いしないでね。私はアンタを気に入っている。だから、アンタも私の味方であってほしいのよ。性悪なビアンキみたいな奴に靡かないでちょうだい」
懇願されたテアリラは拳を引き抜いた。愛液塗れとなった右腕をハンカチで拭う。
「はぁはぁ⋯⋯んぅ♡」
「良い締まり具合ね。オロバス様だってアンタのオマンコをきっと気に入っている。アンタの息子達だって私の部下。最高の戦士に仕立ててみせるわ。きっとアンタの息子達は、馬頭鬼族で名誉と尊敬を集める。戦士長の私が請け負ってあげる。だから、正妻選びのときは助力を期待してるわよ?」
「あ。その⋯⋯私⋯⋯帰る予定です」
「へ?」
「戦争が終わったら、捕虜交換が行われます。3カ月後に停戦協定が結ばれたとき、私はここを去ります。正妻選びの際、テアリラ様をお助けすることは難しそうです」
「は? 帰んの? マジで言ってる? アンタ?」
ルミターニャはどう言い返すべきか迷う。帰郷の想いは抱いていた。だが、もっとも強く願っていたのは囚われてからの1年目。今は魔王城での暮らしに馴染んでいる。
「その身体で? 最悪、人間に殺されると思うけど⋯⋯?」
戦士であるテアリラは最前線で人間と戦っていた経験がある。ルミターニャの故郷を襲った際、アスバシールと共に戦った女戦士。オロバスに父親の戦死を伝え、奪い取った戦果であるルミターニャを引き渡したのも彼女だ。
「身体は元通りに戻してもらう予定です⋯⋯」
「いやいや、冷静に考えてみ? その身体が元に戻る? 無理でしょ? どう考えても」
「ですよね⋯⋯。私もそんな気がしてます」
テアリラは人間社会の知識がある。魔族の姿が人間からどう思われているかを知っていた。今のルミターニャが人類領に戻れば迫害されるのは明白だった。
「テアリラ様がオロバス様をお慕いしているのは、よく分かっています。ですが、おそらく私などよりもオロバス様ご本人が知っているはずです。私などの力を借りる必要は無いかと思います⋯⋯」
「正妻選びはそう単純なものじゃないの。それに私は私欲で動いてるわけじゃないわ。オロバス様の母君は難産で亡くなられてしまった。丈夫な身体の私なら出産で死ぬようなこともないでしょ」
魔族の社会でも再婚は許される。しかし、妻の死に責任を感じたアスバシールは新たな正妻を探そうとせず、一人息子のオロバスを一人前に育てようとした。
「オロバス様の元に行かなければなりません。急ぎますので、失礼いたします」
「ねえ。帰るのなら、もうオロバス様のために獣魔は産まないの?」
「それは分かりません⋯⋯。ですが、昨晩は珍しく避妊いただきました」
「人間領にオロバス様以上の雄はいないわよ。名誉ある性奉仕婦の地位を得て、優秀な戦士を産んでいるのに。今の立場を捨てるのが、惜しいとは思わないの? アンタだって雌でしょ?」
「魔王様のご命令ですから」
「そう。なら仕方ないわね」
ルミターニャは頭を下げ、廊下の先へと進もうとする。テアリラが従えている黒毛の馬頭鬼達は道を空けてくれた。血が繋がっているせいであろうか、ルミターニャは我が子を正確に判別できる。
(私と同じ深い黒の毛並み⋯⋯)
オロバスは赤毛だが、ルミターニャは黒毛の子どもばかり産んだ。父親と同じ赤毛の容姿で生まれてきたのは、両手で数える程度しかいない。
「⋯⋯こんなに大きな傷? どうしたのですか?」
足早に立ち去るつもりだった。だが、生々しい深傷が胸元に刻まれているのが目に留まる、ルミターニャは我が子に問いかけた。
「母上。名誉の負傷であります。勇者エニスクとの戦闘で負った傷です」
「……そう、そうだったのですね。貴方がエニスクと戦った私の息子⋯⋯。どうして兄弟で殺し合うのです? 勇者エニスクは貴方の兄なのですよ?」
「母上。たとえ同じ胎から生まれた兄弟でも父親が違います。我が父は偉大なる馬頭鬼族の君主オロバス様であります。我々が勇者エニスクを殺せば、母上を孕ませた雄として、オロバス様が優れていたと証明できるのです。子が優れているのは、親の血が優れているからであります」
「そんな⋯⋯!」
「我らは戦士です。死や痛みを恐れたりはしません。恐れるのは不名誉のみであります。しかし、戦争が終わるとなれば、勇者エニスクと戦う機会はなくなる。無念です。他の兄弟も同じ考えでありました」
ルミターニャは大きな傷跡が残る我が子の胸板に手を当てる。刃物で切り裂かれた痛々しい痕跡。あと半歩、剣を振るった者が踏み込んでいれば、この息子は殺されていたに違いない。
(この子と戦ったエニスクも重傷を負った。きっと同じくらいの深手をおったに違いない⋯⋯。私はどうすればよかったのでしょうか⋯⋯)
唇を噛む。兄と弟の殺し合い。母親であるルミターニャはそれを止められなかった。しかし、そもそもオロバスに産まされた子ども達は、エニスクと殺し合うために作った命だ。
「で? もうすぐ昼食の時間だけど? 急がなくていいのかしら? アンタのご立派な息子も困ってるわよ」
テアリラに急かされて、ルミターニャは息子達に別れを告げる。
「母上。我々のことはお気になさらず。オロバス様のお側へ」
ルミターニャの産んだ獣魔は、3歳程度でありながら知能も高い。肉体的な成長速度だけでなく、精神の成熟度も驚異的な速さであった。
ノクターンノベルズ連載
https://novel18.syosetu.com/n2383hu//