リュカテオコル族は複数の氏族で構成されている。
各々の氏族ごとに集落を作り、密林の奥地で原始的な生活を送っていた。新大陸の蛮族文明は製鉄技術を持たず、鉄器が存在しない。金や銀、銅などは装飾品として用いられていたが、実用的な道具は石器が主流だ。
少年コヨトルはどの氏族にも加わっていない。
父親が大罪を犯したせいで、追放刑を受けているからだ。父親が処刑されて大罪は子に受け継がれる。氏族に参加するには、父親の大罪を贖うだけの功績が必要だった。
幼少のコヨトルに手を差し伸べてくれた人物がいる。
クー氏族の戦士クロソテカである。コヨトルの父親は腕利きの薬師であり、大勢の患者を救ったアポセカリーだった。クロソテカは若い頃、毒蛇に咬まれて死にかけたところをコヨトルの父親に救われた。
クロソテカは大恩人の息子であるコヨトルを放っておけなかった。氏族頭の許しをもらって、さまざまな便宜を図ってくれた。クー氏族の里に住むことはできなかったが、立ち入りの許可をもらい、里での商売ができるようになった。
「クロソテカおじさん!! おぉーい! おじさーん!! 俺だー! コヨトルだー! 槍を下げてくれ!!」
封魔寺院から生還したコヨトルはクー氏族の里に向かった。氏族の境界を示すトーテムポールが立てられた場所で、コヨトルはクロソテカで出会った。
「コヨトル! おぉっ! お前ぇえっ! この野郎! 生きてたのか! 本当に良かった!! 精霊に感謝だ!! ずっと姿を見なかったから心配したんだぞ!」
笑顔で大喜びするクロソテカを見てると、コヨトルも嬉しくなった。追放者の自分を息子のように可愛がってくれている。クロソテカがいなければ、今の自分はいなかった。
「――で、その異人女はどうした? どうしてそんな奴を連れている?」
クロソテカは不貞腐れた態度の女冒険者に槍先を向けた。薄気味悪い白肌は異人の特徴だ。杖代わりにしている大斧には見覚えがあった。
「大丈夫。この異人女はもう戦えない」
「足を怪我してるのか。だが、油断できないぞ。この大斧の異人女は⋯⋯。あの戦いで見た。やっぱりだ。間違いない⋯⋯! カマソ戦士長に重傷を負わせた怪力女だな」
首元に刃先を突き付けられ、それまで静観していたセドナも大斧を構えた。
「待った、待った! クロソテカおじさん、この赤い刺青を見てくれよ! この異人女は俺の奴隷になったんだ!」
「はぁ? なに!? 異人女を奴隷にした?」
「ほら! これ見て。 おい! 奴隷! クロソテカおじさんにちゃんと身体を見せろ! 斧も下ろせ。 主人の命令だぞ!!」
コヨトルはセドナの巨尻をバチンっと平手で叩いた。思いっきり引っ叩かれた臀部はブルンブルンと振動した。セドナは息を飲み込み、悔しさの滲んだ声で言った。
「⋯⋯っ! 見せるわ。見せます⋯⋯!」
反抗的な目つきを向けながらも、奴隷巫女は主人の命令を順守する。包帯で隠していた爆乳を露出させ、腰巻も脱ぎ捨てて女陰を丸出しに曝け出した。
(オッパイも⋯⋯オマンコも⋯⋯見られちゃう⋯⋯!)
初対面の中年男に裸体を見せつける恥辱。口惜しさで下唇を嚙まずにはいられなかった。だが、セドナの裸体を見たクロソテカの感想は辛辣だった。
「血抜きした牝牛みたいな身体だな⋯⋯。なんて真っ白な肌だ。これが血の通ってる人間か⋯⋯?」
リュカテオコル族は黒曜石の漆黒肌、それに比べてクロヴィス帝国は白肌の人間が多い。貴族の祖先がいるセドナの肌色は純白だった。クロソテカは魔除けの仕草をして精霊に祈った。
「おじさん⋯⋯。身体の刺青! これを見てくれよ!」
「しっかり見てる。確かに奴隷紋様の刺青だ⋯⋯。屈服させたのか。こいつは驚いた。どうやった? コヨトルがこの異人女を生け捕りにして、刺青を彫ったのか?」
「話すと長くなる。⋯⋯あの異人達は封魔寺院を荒らすのが目的だったんだ。奴らに捕まった俺は、地下祭殿まで連れていかれた」
「封魔寺院に行った⋯⋯!? マジか? くそ! なんてこった! コヨトル! お前⋯⋯よく⋯⋯戻ってこれたな。地下祭殿ってことは⋯⋯。アレを見たのか?」
「呪狼の封印が解けた。他の異人は全員、殺されたよ。生き残ったのは俺とその異人女だけ⋯⋯。ただ⋯⋯その⋯⋯。地下祭殿でおかしなことが起きた。里に戻って酋長のクサハザ様を呼んできてほしい。報告もあるし、知恵も授けてもらいたい。クー族の酋長ならきっと口伝を知ってる」
「何を悠長な。里に行くぞ。俺と一緒に来ればいいだろ。日暮れまで時間がある。いや、今は緊急時だ。許してくれるさ」
「クロソテカおじさんに迷惑をかけたくない。⋯⋯俺は封魔寺院から帰ってきたんだ。許しを得ずクー氏族の里に入るのは不味い気がする。クサハザ様の判断を仰ぎたい」
「⋯⋯そうか。分かった。その通りだな。しかし、まいったな」
「ん? どうしたの?」
「クー氏族はコヨトルの助けが必要なんだ。診てもらいたい怪我人が大勢いる。侵入してきた異人どものせいで戦士が三人死んだ。負傷した七人は死にかけてる」
「里には作り置きの薬があるはずだ」
「それは使い切ってしまった」
「えっと、それじゃあ、俺の家に在庫がある!」
「悪い。コヨトル。⋯⋯お前の家から使えそうな薬を拝借した。すまん。俺らはコヨトルが死んだと思ってたんだ。言い訳になっちまうが、十日も姿を現さなきゃ、そう考えるだろ?」
「十日だって!? え? そんなに⋯⋯? 三日も経ってないと思ってた」
「他の氏族に助けを求めたが、どこも自分のところを優先してる。それにだ⋯⋯。クー氏族はアポセカリー達に嫌われてる」
「⋯⋯そっか。ごめん。俺がちんたらしてたせいで」
「ともかくクサハザ様を呼んでくる。ここで待っていてくれ。それと薬を作ってほしい。俺はここで薬草を探してたんだ。コヨトルはこの辺りで傷薬の薬草を採取してたろ。俺じゃ雑草と薬草の区別がつかん」
クロソテカは薬草採取用の編みカゴをコヨトルに手渡した。
「分かった。それは準備しておくよ」
「ありがたい⋯⋯! 大怪我で死にかけてるのはカマソ戦士長だ。恩を売れば里で暮らせるように協力してくれるかもしれないぞ!」
クロソテカは里がある方向に走っていった。
戦いに備えて用意していた傷薬を全て使い切ったのだから、怪我人の傷は重いのだろう。クー氏族の戦士は壊滅状態にある。調査団は次々に襲い掛かってきたリュカテオコル族の戦士達を薙ぎ倒し、密林地帯を突破した。勇猛果敢なクー氏族の戦士は特に大きな被害を受けた。
セドナが大斧でカマソ戦士長を斬り伏せなければ、全滅するまで戦っていたかもしれない。最強の戦士長が異人女に敗北したのは、相当な衝撃であったらしい。
カマソ戦士長が戦闘不能になると、クー氏族は逃げ出した。
「ちょっ⋯⋯! 毒芹が何本も混じってるじゃん。こっちは薬草もどきのシダ苔だ⋯⋯。クロソテカおじさん⋯⋯! いくらなんでも大雑把過ぎない!?」
残されたコヨトルは編みカゴで山積み状態の草を選別し始める。呆れ顔で毒草を選り分けた。
「リュカテオコル族が封魔寺院と呼んでいた古代遺跡はダンジョンになっていたわ。ダンジョンの内部は時間の流れが異なる。次元の歪みがあるから」
「いきなり何だよ。意味わかんないけど、俺らが知らない間に十日が経ってた。それの答え合わせ?」
「ええ。そうよ。冒険者の間ではよく知られている現象。知らないみたいだから教えてあげたわ」
「俺に恩を着せようたって無駄だぞ」
「⋯⋯坊やはクー氏族に属しているのね。大勢殺しちゃって悪かったわ」
絶対服従の誓約は心身を支配する。セドナの命はコヨトルが握っていた。生き残るためには、媚びへつらってでも足掻き続けなければならない。
「俺はクー氏族と取引してるだけだ。どこの氏族にも属してない。だから、クー氏族にお前を引き渡す義務もない」
「殺されずに済みそうで安心したわ。⋯⋯考えてみれば当然だった。坊やは私を奴隷としてこき使うんだものね?」
「家に戻ったら、お前には薬草畑の雑草抜きをやってもらうからな。足が治ったら薪割りや水汲みもだ。覚悟しろ」
「長閑な暮らしをしてるのね。想像以上に牧歌的な奴隷生活だわ」
「は? ぼっか⋯⋯てき⋯⋯?」
「穏やかで素朴ってこと。雑草抜き、薪割りね。いいわよ。それくらいはしてもいいわ。だけど、私は故郷に帰りたい。待っている家族がいるのよ」
「家族⋯⋯。夫と息子がいるんだっけ?」
「ええ。そうよ。坊やにだって家族はいるでしょう」
「いないよ。父さんは死んだ。顔も覚えちゃいない。母さんはいない⋯⋯。俺はずっと一人だ」
「さっきの戦士は? 親しくしてたじゃない。あのおじさんは親戚じゃないの?」
「クロソテカおじさんは父さんの知り合い。父さんは腕利きのアポセカリーだったから助けた人が大勢いる。その一人だよ」
「なぜ父親は死んだの?」
「そんなのを聞いてどうする」
「気になるからよ。しばらくは奴隷生活。部族の内情を知っておいて損はないでしょ?」
「前代の部族王を助けられなかった。父さんはわざと助けなかった⋯⋯。王様に成り代わろうとして毒を盛った。そう言われてる。そのせいで処刑さ。大罪人の息子になった俺は追放刑ってわけだ。満足したか?」
「クー氏族はアポセカリーに嫌われているのよね。先ほどの会話で耳にしましたわ。坊やの父親が処刑されたのと関係が?」
「父さんが処刑された後、関与を疑われて他にも殺された。罰せられた人間が沢山いる。クー氏族は潔白を証明するために、クー氏族の先代酋長は若いアポセカリーを見せしめで殺した。⋯⋯でも、先走った処刑だった。アポセカリーは横の繋がりが強い」
「それでクー氏族にはアポセカリーがいない?」
「全員、出て行った。他の氏族に身を寄せたんだ。俺の師匠になった語り部の婆さんも里を捨てた一人。⋯⋯今のクサハザ酋長になってから、クー氏族も変わった。だけど、氏族を抜けたアポセカリーは戻ってきてない。そのおかげで追放者の俺も里の出入りを認めてもらえてる」
コヨトルの説明は概ね正しい。しかし、あえて語っていない真実もあった。
アポセカリー達が毛嫌いする理由は、先代部族王の死を発端に起きた大粛清で、クー氏族の戦士達が処刑人を務めたからだ。無実の人間が王殺しに関与したと決めつけられ、殺されていった。
その汚れ仕事をクー氏族は一手に担った。
◆ ◆ ◆
クー氏族の酋長クサハザは、羽根冠を被った老女だった。大樹の年輪を連想させる皺の濃さ。鷹のように鋭い眼力の長老である。
封魔寺院で起きた出来事を包み隠さず話した。人狼に変身したコヨトルがセドナと交わったこともクサハザに打ち明けた。
「こいつは不味いことなったねえ⋯⋯。コヨトルは呪狼に憑かれちまったわけだ。そんで、そちらの異人女は奴隷巫女の役割を負った」
地べたに敷いた茣蓙で胡坐を組んだクサハザは、コヨトルとセドナを交互に見る。
「真昼間は安定しとるようだ。どうなるかは月夜が出てからだね」
クサハザの命令で人払いがなされていた。
クー氏族の戦士達は遠ざけられている。何人かはセドナに激しい憎悪を向けている。
「クサハザ様⋯⋯! 俺の身体はどうなってるんですか!? 地下祭殿で俺は呪狼に内蔵を掻っ捌かれた。⋯⋯頭から喰われた痛みも覚えてる。でも、今は傷一つないんだ」
「呪狼の憑代⋯⋯。コヨトル。お前さんは人狼になったんだ。語り部の婆から聞いてないかい?」
「ある。婆さんは精霊憑きって呼んでた」
「まあ、精霊憑きの一種には違いない。だがね、森の善良な精霊とは大きく異なる。封魔寺院で眠っていたのは邪悪な神霊だ。部族王にすら御せぬ凶獣さ。⋯⋯受肉しちまったのは仕方ない。幽体のままで祟りを起こされるよりは良かった。不幸中の幸いだ」
「じゃあ、俺の身体は大丈夫なのか?」
「欲求を発散している間は平気さね。人狼の力は月夜で強まると言われている。欲求の高まりを抑えたかったら、そこの女奴隷を抱きな」
「え!? だ⋯⋯だく⋯⋯?」
「呪狼は人間を甚振り殺し、美しく強い女を犯す。そういう邪神なんだよ。巫女は花嫁みたいなもんだ。そこの異人女は呪狼に惚れ込まれちまった。だから、奴隷紋様を魂に刻み込んだ」
それまで黙って聞いていたセドナは思わず口を挟んでしまう。
「ちょっと待ってほしいわ。つまり、私は夜になったら、人狼に犯されなきゃいけないわけ?」
「おぉ、異人にしては理解が速い。そうなるの。ほぉ? 嫌そうな顔だな。他の女奴隷を用意すれば別だろうが、呪狼の好みは分からん。お前さんのように白肌の異人が好きなのやもしれん」
「封魔寺院に呪狼は封印されていたわ。もう一度、封印できないの?」
「さてな。邪神を封じた知識をクー氏族の酋長は持ち合わせん。⋯⋯ウェドー氏族の酋長ならば知っていたかもしれん」
「ああ、そう。だったら、ウェドー氏族の酋長に聞けばいいのね?」
「生憎だがウェドー氏族は滅びたのだよ。口伝も絶えた。誰にも聞けやしない」
「ちょっ! そんなっ⋯⋯! もっといい方法が⋯⋯なにかあるはずだわ⋯⋯!」
セドナは慌てふためいている。同じ女性であれば分かってくれるはずだと、クー族の酋長に情で訴えかけるが、返ってきた反応は冷淡なものだった。
「セドナという名であったな。お前さんは戦士達を殺し過ぎた」
「それは⋯⋯。ええ、そうよ。だけど、先に襲ってきたのは貴方達よ。私は人間狩りをしてたわけじゃない。逃げた敵は追わなかったわ」
「どんな理由であれ、リュカテオコル族の土地を侵犯した。本来なら〈血の復讐〉をすべきところだが、人狼の奴隷巫女に手出しはしない」
「私を罰しないでいてくれるってことかしら?」
「お前さんが死ねば代わりを用意しなければならなくなる。奴隷巫女がいなくなれば、飢えた人狼は人間を喰い殺す。お互いのためにも、大人しく身を捧げてくれることを願おう」
「クサハザ様、俺はこんな異人女を抱くつもりはないよ。地下祭殿では正気を失ってたんだ。今はもう平気だ。自我を取り戻した。そもそも⋯⋯こんな真っ白肌の太っちょ女なんか好きになれない!」
「あら。随分と言ってくれるじゃないの。私だって願い下げよ。私には故郷に夫もいるし、息子だっているわ。蛮族のクソガキに何度も身体を許したりしない!」
お互いが意地になって反目し合う。
そんな二人を年長者のクサハザは物静かに眺めていた。
「夜になってみれば分かることさね。コヨトルには傷薬を作ってもらうが、しばらく里の出入りは禁じるよ。そこのセドナもじゃ。戦士達はお前さんを憎み、恐れておるのだ」
「カマソ戦士長の容態が悪いって、クロソテカおじさんに聞いた。傷薬は急ぎで必要なんじゃ?」
「材料がまだ足りんのだろう。傷薬の調合が終わったら、狼煙を上げて教えておくれ。昼間に使いを出す。コヨトルの家に置いてあった薬を無断で使っちまったからね。埋め合わせの食料もそんときに届けるよ。必要なもんは遠慮なく言いな」
クー氏族の酋長クサハザは、根本的な解決手段を示してくれなかった。呪狼という邪悪な神霊が、どんな存在であるかを教わった。氏族の酋長にだけ代々受け継がれる口伝の秘密に、呪狼に憑かれた人間が人狼になる逸話があった。
その逸話通りであれば、人狼は奴隷巫女と交尾しなければ、月夜の飢餓を満たせない。
封魔寺院に呪狼を封じたのは数百年も前に君臨した部族王である。ウェドー氏族出身だったその部族王は、黒曜石の祭壇に呪狼を封じ込め、深い眠りにつかせた。呪狼を深い眠りに導く方法は、ウェドー氏族の滅亡で失伝している。
「仕方ない⋯⋯。急いで薬を調合しなきゃ⋯⋯。忙しくなる。家に帰るぞ。ついてこい。奴隷」
「坊や、私にはセドナって名前がある。名前で呼んでくれない?」
「奴隷は奴隷だろ。それとな、俺を『坊や』って呼ぶんじゃない。これからは『御主人様』と呼べ。これは命令だぞ」
「分かりました。御主人様」
奴隷巫女になってしまった女冒険者は、狼憑きの少年に歯向かうことができない。絶対服従を象徴する朱色の刺青は仄暗く光っていた。
(最悪だわっ! この私が未開部族のクソガキに従わなきゃいけないなんて! 身体に刻まれた奴隷の呪縛⋯⋯! 絶対にこの呪いを解いてやるわ⋯⋯!!)
抑えきれない怒気で頬をピクピクとひくつかせる。新大陸調査団でたった一人の生き残りとなったセドナは、呪狼の支配を断ち切り、愛する家族が待つ祖国に帰ると誓う。
