翌日の早朝、ジェルジオ伯爵とリンロッタ夫人はアルヴァンダートから魔女逮捕の報告を受けていた。
シオンの捕まえ方に問題があったせいで、面倒事が起こるかもしれないとアルヴァンダートは語った。
事件の顛末に関して、ジェルジオ伯爵は苦笑いし、リンロッタ夫人は「赤ちゃんが生まれたら伯爵家で引き取っても良いのではないかしら? シャーロットがいなくなってお城は寂しくなっていますもの。賑やかになりますわ」と脳天気な反応だった。
近くに控えたメイドのケイティは、アルヴァンダートの話を聞き、複雑な胸中だった。主君の伯爵夫妻はロザリーがシオンを逆レイプしたことを大した問題だと捉えていない。
シオンの乱れた素行はいつものこと。しかし、今回ばかりはある種の事故。シオンが薬瓶を割る不注意が原因とはいえ、意図的な性行為ではなかった。それにも関わらず、ルフォンに折檻された。珍しく同情的なケイティは、シオンを責める気にはなれなかった。
(シオンはそういう星の下に生まれた子なのでしょうか。それにしても伯爵様と奥方も⋯⋯子供が産まれたら引き取る気だなんて⋯⋯。前の時もそうでしたが、なぜ伯爵夫妻はそこまでなさるのでしょう?)
ジェルジオ伯爵とリンロッタ夫人は優しい貴族であった。しかし、それを差し置いても、夫妻はシオンを格別に甘やかしている。一人娘のシャーロットよりも可愛がっている雰囲気すらあった。
(何か事情があるような⋯⋯)
シオンは孤児とされているが、先代当主の隠し子だとか、帝室の落とし胤ではないか、との噂も囁かれていた。
(ジェルジオ伯爵家の人間ではないはず。もし近親者ならシャーロットお嬢様との関係を止めさせて、遠ざけていることでしょう)
シャーロットとシオンの肉体関係が黙認されていることから、ジェルジオ伯爵家の血縁ではないだろうとケイティは推測する。
(まさか⋯⋯あの噂は⋯⋯。本当に先帝の落胤⋯⋯?)
もう一方の噂、帝室関係者はあり得る話だった。ジェルジオ伯爵家はシュトラル帝国の名門貴族であり、帝室からの信頼は非常に厚い。先帝には男子の後継者がおらず、崩御後に宮廷内で権力闘争が発生した。
様々な混乱、血で血を洗う争い、宮廷貴族の暗躍。けして公にはできない経緯を経て、帝冠は第一皇女の手に渡った。
かくして歴史上初の女帝がシュトラル帝国に誕生した。しかし、先帝に男子が産まれていれば歴史は大きく変わった。
この噂をシオンは馬鹿らしいと笑い飛ばしている。シュトラル帝国の皇族は魔法の能力に秀でている。皇帝は貴族のなかの貴族。魔法の才能が微塵も備わっていない無能力者が、皇族の血筋から産まれるとは思えなかった。
当人は否定する。しかし、先帝と深い交流があった伯爵夫婦に、出自不明の男児が引き取られ、大切にされている。そんな話を耳すれば「もしや?」と疑う者も出てくる。
実際、女帝が即位する前年、宮廷貴族や閣僚の使者がジェルジオ伯爵城を何度も訪れて、噂の真偽を確かめにきていた。
(考えても仕方がない話です。シオンの出自がどうであれ、あの子を叱れるのはシャーロットお嬢様とルフォン先生くらいです。シャーロットお嬢様の耳にこの件が入ったら、どうなることやら⋯⋯)
お目付役のシャーロットが帝都に旅立った影響は大きい。
シオンの女性関係を整理するために、手切れ金を配っていたことをケイティは知っている。シオンと関係のあった女性達は、物分かりの良い大人な女性が多かった。念書に署名し、潔く身を引くと了承した。手切れ金の額で不満を述べる者は一人もいなかった。
猶予期間が終われば、シオンとの性的関係は清算される。シャーロットの根回しと手際は完璧なものだった。しかし、把握しきれていない隠された女性がいた。
(知られていないのなら秘密のままにしたい⋯⋯)
都合の悪いことに手切れ金や念書では、断ち切れない深い関係がこの世にはある。
(お嬢様が気にしている恋敵はエルフの美女。私よりも身長の高い女性に会ったのは初めてでした。エルフの背丈はあれくらい高いのが普通? シオンと肉体関係はないと強く否定したそうですが⋯⋯)
城内の一室で男女が同棲。いつも一緒のベッドで寝ている。これで清い関係などありえるだろうか。白々しい言い訳だとシャーロットが腹を立てるのも納得だ。
レヴィアはシャーロットが押し付けてきた念書に署名をしていない。手切れ金を受け取ってる素振りもなかった。「あの子を近くで見守りたい。私の願いはそれだけです」と、まるで母親のような言い振りを繰り返した。
(ん? まさか? レヴィア殿が母親? エルフ族は不老と聞きます。ありえなくはない⋯⋯? アルヴァンダート様が引き取った捨て子の孤児。母親が捨てた我が子を探して⋯⋯。いや、それはきっと違う。シオンにエルフ族の特徴はありません)
ケイティは否定する。シオンは一般的なヒュマ族。耳は尖っていないし、エルフ族のように飛び抜けて美形でもなかった。シオンがレヴィアの子供ならもっと遺伝的な特徴が現われているはずだ。
(子供は親に似るものです。血統は恐ろしい。中身までは似なければいいのですが⋯⋯)
ケイティは実体験で知っていた。血の繋がりは強い。乳離れできていない嬰児の容姿を思い出す。父母の遺伝子を受け継いだ子供は、成長するにつれて親とそっくりになる。
(子供⋯⋯。そう子供といえば、アイリスも何を考えているのでしょうか。最初は冗談だと思っていましたが⋯⋯。最近の振る舞いを見ていると⋯⋯。本当にシオンの子供を産むつもりみたいですね)
酒場で働くアイリスとは長年の友人だ。頼りがいのある大人の女性だったが、息子が独り立ちしてからは、シオンを愛人にするなど、残念な部分が見え始めた。
ケイティは悶々と内心で考えを巡らせる。
その間も伯爵夫妻とアルヴァンダートの会話は続いている。領内で悪事を働いていた魔女ロザリーの捕縛は、大事件の入口でしかなかった。
「シオンが引き起こした面倒事はどうとでも対処できましょうぞ。ロザリー・クロスが所持していたデータクリスタルに比べればちっぽけな問題じゃ」
アルヴァンダートは石英結晶を伯爵夫妻に見せる。
「帝国の国家機密がそのガラス片に? 驚きだ。いや、驚愕すべきか⋯⋯? ふむ。考え方によっては、我が領内で回収できたのは幸運だったな」
「不思議ですわ。見た目ではガラクタとしか見えませんわね。それに国家の機密が詰まっているなんて。本当なのですか? アルヴァンダート?」
「はい。魔法で暗号化されているため、普通は気付けないでしょうな。レヴィア殿に解読してもらい、その内容をレイナードが確認したところ、本物の可能性が高い。我々はそう結論付けましたぞ」
「なんだってそんなものが、ジェルジオ伯爵領に持ち込まれた? 持ち主の意図が読めないな」
ジェルジオ伯爵領は帝都から離れた辺境の地。国家の機密情報が持ち込まれるような軍事的要衝でもなかった。
「帝国軍の編成など、重要機密を何者かが盗み出し、他国に流出させるつもりだったようじゃ」
「他国に? シオンが捕まえた魔女は諜報員だったと?」
「本人の話を聞く限り、何の事情も知らぬ運び人かと。構成員の末端ではあるものの、ロザリー・クロスは石英結晶がデータクリスタルだと認識していなかった。シャンキスタ王国の商人に売り渡す予定の品物。そのように当人は言い張っておる。嘘ではなかろう」
「シャンキスタ王国だと⋯⋯? うーむ。我がシュトラル帝国とは敵対関係にある国家だ。もしそのデータクリスタルが、我が国の機密情報が敵国の手に渡ったらどうなる?」
「目を覆いたくなる被害じゃ。どの時点で国家機密を盗まれたかは分かりませぬが、盗まれたこと自体が既に大問題ですからな」
「むぅ⋯⋯。不様なことだ」
「諜報部の上層部が首を吊らねばならぬほどの大失態じゃ」
「盗んだのは神秘結社ドラゴノイドという組織か。爺やはその組織を調べていたな」
「闇魔法使いの集まりが盗み出せる代物ではありませぬ。帝国の中枢に裏切り者がおりますぞ。情報を盗った実行犯は、宮廷や軍部に潜む内通者でしょうな。それもかなり高い地位についている者じゃ」
データクリスタルに刻まれた情報は、末端の兵士や官吏が知り得るものではなかった。情報を流出させた裏切り者は帝国軍の中枢を掌握している。そうでなければ、これほどの機密情報をまとめて盗み出すのは不可能だ。
「それともう一つ。データクリスタルには帝都カリスラで決行予定の作戦概要書が保存されておりました」
「作戦概要書? どんな内容だ?」
「神秘結社ドラゴノイドは敵対国のシャンキスタ王国と通じて、国家体制の転覆を目論んでいるようじゃ。一つのデータクリスタルにまとめ上げられていたことから、盗まれた国家機密は外患誘致の手土産でしょうな」
ジェルジオ伯爵は両目を見開き、リンロッタ夫人は両手で口元を隠した。冷静を装うケイティも表情が険しくなった。
「国家転覆⋯⋯。外患誘致⋯⋯。大事になってきたな」
魔導具の密売程度ならよくある話だ。しかし、機密情報の情報漏洩、敵国と共謀しての国家転覆は、犯罪の次元が違う。首謀者どころか、協力者も例外なく極刑だ。神秘結社ドラゴノイドに対する認識を改めねばならない。
「爺や? 本当なのか? 国家転覆なんて大それたことを⋯⋯。もっと詳しく説明してくれないか? 神秘結社ドラゴノイドは帝都で何をする気なのだ?」
「作戦書は概略だけが記されておった。決行の日時や詳細な内容は伏せられていたが、国家転覆の根本思想は判明した。伯爵様は敗戦革命論という思想をご存知か?」
「は、はいせん? かくめい? 聞き覚えがない専門用語だ。なんだそれは?」
「敵国と共謀し、祖国を国難に陥らせることで革命を成し遂げる。伯爵様、神秘結社ドラゴノイドの最終目標は革命じゃ」
「ばっ! 馬鹿な! 敵国と結託して革命!? 滅茶苦茶だ! 国が滅ぶだけではないか!?」
「儂とて信じたくはない。しかし、神秘結社ドラゴノイドの首魁は本気のようじゃぞ」
「狂気の沙汰だ! 祖国を敵に売り渡して、おこぼれをもらうつもりなのだとすれば⋯⋯。呆れ果ててしまう」
「神秘結社ドラゴノイドは帝都で大規模な破壊工作を仕掛けるつもりじゃ。内地から始まった反乱は外地へと広がる。目論み通りに事が進み、帝国全域が大混乱に陥ったとき、シャンキスタ王国などの敵軍が一挙に押し寄せて武力介入する。彼奴らの筋書きによれば、ほんの一年足らずで帝国の現体制は引っくり返る」
「誇大妄想の産物に思える。上手くいくはずがない。⋯⋯受け入れがたい内容だ」
「夢想家の妄執であればどんなに良かったか。少なくとも帝国の中枢には、この計画に賛同する内通者がおる」
「国家機密を流出させた裏切り者か⋯⋯。帝国軍の編成は知り得るのだから上級将校以上だな。あるいはそいつが首謀者なのかもしれない」
「このデータクリスタルをシャンキスタ王国が入手すれば、内乱状態のシュトラル帝国を容易に蹂躙できるじゃろう。なにせこの機密情報さえあれば、補給線や軍事戦略がすぐ分かる。帝国軍の動きは丸裸じゃ」
「データクリスタルは我々の手にある。不幸中の幸いだな。幸運に感謝しよう。それを壊してしまえばいい。⋯⋯爺や、私の考えは短絡的か? それで終わりとはならないのか?」
「残念ながら、そうはなりませんな。データクリスタルがこの一つだけとは限りませぬ。儂がドラゴノイドの首魁なら複数のルートで敵国に情報を流す。シオンが捕まえた魔女ロザリー・クロスは、重要な任務を託す人物ではないのう」
アルヴァンダートは盗まれた国家機密が、すでに国外流出していると判断した。
神秘結社ドラゴノイドの末端構成員であるロザリーは、複数用意されていた輸送ルートの一つ。あるいは、何らかの手違いで魔導具に紛れてしまったものだと推理する。
「どうすればいい?」
「このデータクリスタルを皇帝陛下に届けるべきじゃ。情報を盗まれた自覚すらなく、未だに内通者が帝国の上層部に潜んでいる。この危機的状況を打破するためには、証拠物としてこのデータクリスタルが必要じゃ」
国家の中枢にいる裏切り者を見つけ出さない限り、情報は垂れ流れ続ける。この状況を認識できていないことこそ、国家の危難であった。アルヴァンダートはあえて言及しなかったが、シュトラル帝国の国防体制は杜撰だった。
「さらに付け加えるなら、帝都カリスラで起きる決起を未然に挫くことじゃ。神秘結社ドラゴノイドの計画は防ぐには、帝都動乱を許してはならぬ」
「帝都動乱⋯⋯。不味い事態になった。シャーロットを帝都の魔法学院に送り出すべきではなかったか。しかし、今から連れ戻すというのは⋯⋯」
「神秘結社ドラゴノイドはジェルジオ伯爵家を調べていた可能性がありますぞ。シャーロットお嬢様を連れ戻そうとすれば怪しまれる。不用意な行動はおすすめできぬのう」
「⋯⋯⋯⋯。難しい判断だな。気付かれてはいないのだな?」
「ええ。気付かれてはおりませぬ」
伯爵夫妻とアルヴァンダートは無言で視線を交わした。会話を聞いているケイティは意図を測りかねた。この場に部外者のケイティがいるから、三人はあえて言葉の意味を伏せた気がした。
「よし、分かった。帝都カリスラに使者を送ろう。そのデータクリスタルを証拠として提出し、上層部の裏切り者を捕まえ、神秘結社ドラゴノイドの反乱を防ぐ」
「それが最善じゃよ。伯爵様」
「誰を行かせるべきだ? 爺やが、というわけにはいかないだろう? それができれば良かったのだが⋯⋯」
話の流れに従えば、アルヴァンダートが向うべきだ。しかし、帝都カリスラの使者にアルヴァンダートはふさわしくない。そのことは本人が一番分かっていた。
「追放者は帝城の門を潜れぬ。儂が顔を出せば別の問題が発生するじゃろう。それはそれで大事になる。領内で一番強く、信頼できる騎士を使者とするべきじゃ」
「騎士か⋯⋯。任務の重要性を鑑みれば、元騎士の強者でもよいかもしれないな。ケイティ・グランメニル。悪いがこの厄介事を頼まれてくれるか?」
ジェルジオ伯爵家で最強の騎士だった剣豪。婚約者に逃げられて心を病み、今の身分はメイドだ。ブランクで剣技が錆び付いているものの、領地最強の剣士はケイティ・グランメニルである。
「伯爵様のご命令とあれば⋯⋯! しかしながら、騎士団からも精鋭メンバーを選抜すべきかと愚考いたします」
「そうだな。騎士団長に精鋭を集めさせよう。魔法使いも必要だ。それにルフォンを随行させれば⋯⋯」
「恐れながら伯爵様。それはなりませぬ。望ましくないのう。儂らがデータクリスタルを持っていると気付かれてしまう」
「気付かれる? どういう意味だ? 爺や?」
「魔女のロザリー・クロスは捕まった。この情報を神秘結社ドラゴノイドは把握するでしょうな。しかし、あのデータクリスタルは秘匿の魔法に加えて、複雑な暗号が施されておった。本来であれば見逃してしまう。気付くほうがおかしいぐらいじゃ」
「⋯⋯! ああ、なるほど! 我々は気付いていない間抜けのふりをするわけだな?」
「その通りじゃ。騎士団の精鋭部隊やお抱えの魔法使いを送り出せば、たちまち噂になる。データクリスタルの存在に気づき、暗号を解読したと敵も察する。だから、怪しまれぬように行動を起こすのじゃ。都合がいいことにケイティはメイド。しかも、実家は帝都にある。里帰りは怪しまれまい」
「たった一人では送り出せないだろう。もう一人か二人⋯⋯。ルフォンを同伴させられないだろうか? 随伴に魔法使いがいれば心強い」
アルヴァンダートとケイティは渋い顔をする。ルフォンの顔は知れわたっている。街道を進む間、領民に気付かれる可能性が高い。なによりも領主お抱えの魔法医が長期不在となれば隠しようがない。
「あら? ジェルジオ伯爵城には優秀な魔法使いがもう一人いるでしょう。お忘れのようですわね。シオンが連れてきたレヴィアさんにお願いしてはどうかしら?」
名案とばかりに、リンロッタ夫人はレヴィアの名を上げた。
「そうか。レヴィア殿。我が国の問題にエルフ族であるレヴィア殿を巻き込んでしまうが、優秀な魔法使いだ。報酬で請け負ってくれるだろうか?」
第七魔法を習得した〈真なる魔法使い〉。絶大な魔法力を誇るレヴィアがいれば、道中の危険は全て排除できる。しかし、一つだけ大きな問題があった。
「あのエルフの御仁はシオンにべったりですよ⋯⋯? 同行を頼んでもシオンが一緒でなければ⋯⋯」
「まず間違いなく断るじゃろうな。さりとて、新なる魔法使いが味方なら心強い。仕方あるまいよ。いずれシオンは帝都に行かせる予定であった。数ヶ月ばかり予定が早まるが、お嬢様も喜ぶのではないかのう?」
「レヴィア殿が一緒だったら不機嫌になりますよ。お別れ会のときだって、苛立つお嬢様を宥めるのにメイド達がとても苦労したんですから⋯⋯」