「――不埒者。祈りなさい。今の貴方にできるのはそれだけです」
シオンに浴びせかけられた折檻の言葉は痛烈だ。ジェルジオ伯爵城の冷たい床に正座していると足先が痺れてくる。
「ルフォン先生⋯⋯。おかしい! こんなのおかしいです!」
抗議の声を上げるが、ぴしゃりと撥ねのけられる。
「おかしいのは貴方の倫理観ですよ。シオン」
「俺が襲ったんじゃない! 襲われたのが俺なんですってば!!」
「⋯⋯⋯⋯」
「被害者は俺なのに! なんで⋯⋯どうして⋯⋯! そんな生ゴミを見るような目で俺を⋯⋯!! ううう⋯⋯。あんまりだ! こんなの理不尽だぁ!!」
「黙らっしゃい。普段の素行が悪いからこうなるのです」
「レイナード達が助けてくれなかったんです! あいつらが悪い! 俺は助けを求めたんだ! なのに、あいつらはドアをそっ閉じしたんだぜ!? 信じられます!?」
シオンはレイナードを指差した。騎士達は笑っているが、シオンからすれば笑い事では済まされない。
ロザリーを孕ませてしまったかもしれないのだ。
「悪かった。さっきから何度も謝ってるじゃないか。でも、俺らにも言い分はある。どう見ても、あれは⋯⋯あれだったんだ」
「どんな言い分だよ! 言い訳の間違えだろ!?」
我慢ならなかったシオンは、半笑いで反省の色が見えないレイナードに飛びかかった。
「うぉ⋯⋯!? やめろって。俺らはてっきりお楽しみ中かと思ったんだ。そもそも作戦は『高度な柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処して魔女を捕まえちゃおうぜ大作戦』だったろ? まさかシオンが襲われてるとは思わなかった」
「嘘つけ! 酒飲んで判断能力が低下してたんだろ! レヴィアは俺をちゃんと助けてくれたぞ!!」
「こら、やめろ。戯れつくなって。俺は女じゃないぞ? エロ坊主」
「うるせー! 今までの恩を仇で返しやがって! 誇り高きジェルジオ伯爵家の騎士がやることかーー!!」
「おいおい。シオンはそれを言える立場か。清廉なる聖職者がどれだけの女と寝てるんだよ?」
醜い責任の押し付け合いが始まる。
ルフォンは大きな溜息を吐き出した。
「高度な柔軟性を維持しつつ、臨機応変に⋯⋯? 何ですか? その国家を半壊させそうなふざけた作戦名は?」
「作戦の命名者はレイナードだ!」
「計画の発案者はシオンとアイリスですよ。ルフォン先生」
レイナードは暴れるシオンを軽くあしらう。騎士の訓練を受けたプロの戦闘員が、小さな子供に負けるなどありえない。そもそも喧嘩にすらなっていなかった。レイナードは片手でシオンの頭を押さえている。
「やれやれです⋯⋯。魔女の捕縛は、アルヴァンダート卿に任せておくべきでしたね。時間は掛かったかもしれませんが、ここまで拗れた問題は起きなかったでしょう」
心底呆れた。そんな様子のルフォンは両肩を竦める。
ベッドに横たわるロザリーは、寝息を立てて気持ち良さそうに眠っている。魔法で膣部を洗浄し、緊急避妊の魔法薬を摂取させた。一向に目覚めないのは、魔力切れによる疲労困憊のせいだ。
「彼女の治療は終えています。しかし、今後がどうなるかは大聖女様の御心次第でしょう」
「ちょ! ルフォン先生? その意味深な発言は⋯⋯?」
「命に別状はありません。別の意味です」
ロザリーは軽傷だった。呪詛魔法を解除しなければ、魔力枯渇後に生命力も奪われていただろう。しかし、そうなる前にシオンが祓った。
魔法医のルフォンが言及は、ロザリーの胎に関する診断だった。こればかりは一流の医療者でも分からない。
「えぇ⋯⋯それはそれで⋯⋯ちょっとぉ⋯⋯。困る⋯⋯ぜ⋯⋯?」
「そうなったときは、二人でよく話し合われることです」
「⋯⋯⋯⋯。大人の助けがいるんじゃないか? チラッ! チラッ! 心優しくて、見識ある大人が助けてくれたらなぁ!!」
「こんな時だけ子供扱いはしませんよ。伯爵様と奥方は、お城が賑やかになるとお喜びになるかもしれません。しかし、素行不良児と闇魔法使い⋯⋯。どちらにも似ないことを祈るばかりです」
突き放すような無慈悲な返答にシオンは焦る。ベッドで眠るロザリーが目覚めたら、どんな反応をするだろうか。自分で調合した媚愛の恍惚薬とはいえ、薬瓶が割れた原因はシオンの不注意だ。
行為時の記憶を覚えているかは怪しい。
ロザリーは知らぬ間に処女を喪失し、シオンの子胤で孕んでしまった。そんな事実を突き付けられたら、どんな反応を示すだろう。シオンには予想もつかない。
それもそのはずだ。シオンとロザリーは出会ったばかり。お互いのことを全く知らない。
「避妊の魔法薬を使ったなら大丈夫なはずじゃ? そうだよね? ルフォン先生は優秀な魔法医だろ!?」
「⋯⋯⋯⋯」
「いえ、そうですよね? ルフォン先生? 先生!? 助けてください! お願い! この通りです!!」
焦燥に駆られたシオンは、ルフォンに媚びを売り始める。
「シオン。私が彼女に飲ませたのは避妊の魔法薬です。精子の活動を止めることはできるでしょう。しかし、受精卵になっていたらもはや手遅れです。受精卵になっても着床しなければ妊娠には至りませんが⋯⋯」
「受精卵⋯⋯? たしか同じようなことをレヴィアも言ってた」
ジェルジオ伯爵城に帰る道すがら、レヴィアは難解な説明を聞かせてくれた。
人間をどの段階で人間と定義するか。すなわち、生命と魂魄の始まりをいつとするかの問題だ。
大聖女が定めた教会の経典、そして人類魔法体系では、受精卵の段階で「人命」が始まるとしている。
「レヴィアさんの言葉は真実です。いいですか? 人を殺める魔法はこの世に存在しません。新たな魂が胎に宿ってしまったら、魔法では堕胎できないのです」
「中絶は経典で禁じられてる。戒律に反するし、反倫理的な行為だ。そんなことはしない。俺は腐っても聖職者だ」
教会は堕胎を認めていない。どのような経緯で宿った赤子だろうと、無辜の魂は守られる。聖職者が堕胎を推奨したり、施術費用を肩代わりしたり、それらに類する行為をした場合、破門が言い渡される。
淫行に溺れる破戒的な聖職者だったとしても、この戒律だけは守らねばならない。
「はぁ、普通は腐らずに聖職者を目指すべきですよ。シオン」
読師見習いでも、教会の聖職者には違いない。ロザリーが孕んでしまったら、シオンは父親になる義務が発生する。
「⋯⋯でも、人を殺める魔法はないって? それは間違ってるよ。俺の祓魔で呪詛魔法を消さなかったらロザリーは死んでたぜ? 今までの魔法だってそうさ。人を死に至らしめる危険な魔法はわんさかある」
教会の聖職者が手を差しのばさなければ、死んでいたであろう魔法被害者は多い。ルフォンの説明にシオンは納得がいかなかった。
「私が言ってるのは殺人魔法です。間接的には人を殺めることができます。たとえば発火魔法で火炙りにすれば人間は焼死するでしょう。しかし、魔法の効力は、あくまでも火を出現させること」
「ん? んん? それ、屁理屈じゃないか? 首の骨を折ろうとしただけで、人を殺すつもりはなかった。そんな言い分が通っちまうよ」
人命を毀損する魔法は、この世に数多く存在する。
「人類魔法体系は理詰めの叡智です。たとえ呪いであっても直接的に生命を奪う効果はない。何が言いたいか、はっきり述べましょう。どこからが命かの定義は曖昧ですが、人類魔法体系においては受精卵の時点でそうなります」
人類魔法体系は大聖女が創始したとされる。人命を尊んだ大聖女の魔法で、胎内の受精卵を破壊するのは殺人と見做される。
無論、シオンが指摘した通り、抜け道はある。内臓を傷つける魔法の発動過程で受精卵が割れてしまった。魔法の主たる目的ではなく、間接的な被害で中絶が成立する。しかし、それは外道な手段だ。
教会から追われる反倫理的な魔法使いでなければ、魔法による中絶や堕胎は引き受けない。
「そんなに出してないし⋯⋯。たぶん⋯⋯デキてないはず⋯⋯」
震え声は、ますますか細くなった。不安げなシオンをよそに、レイナードは面白おかしく笑っている。
「帝都のお嬢様が知ったらブチ切れだな。逆鱗に触れて斬首刑になったら俺がスパッとやってやるからな。シオン」
「この野郎!! 誰のせいだと! もう我慢ならんぞ! 他人事だと思いやがって! うぉおおおおーー!! こんにゃろおおお!!」
レイナードの騎士鎧をシオンはガチャガチャと叩いている。口汚く罵っているが、気にも止めていない。
「よせよ。女に飽き足らず、男にまで襲いかかるのか? きゃぁーー! やめてー! ふしだらな聖職者に襲われるーー! ぎゃっははははははは!」
「言ったな! こいつ!! 聖なる拳でご自慢の騎士鎧をヘコませてやる!!」
「やめとけ。シオンのへなちょこパンチじゃ、逆に怪我をするぞ?」
騎士と見習い聖職者の喧嘩は第二ラウンドに突入した。周りの騎士達が囃し立てる。
シオンが子持ちの父親になったところで、さもありなんと誰も驚かないだろう。激怒するのは帝都に旅立ったシャーロットくらいだ。
若母になるかもしれないロザリーを同情する者もいない。危険な魔導具や魔法薬を無許可で売り捌いていた犯罪者。文字通り、自分で撒いた種だ。
領地を騒がしていた魔女は捕まった。ジェルジオ伯爵家の騎士達は大いに満足していた。
「随分と騒々しいのう」
アルヴァンダートが戻ってくる。ロザリーが所持していた品々の鑑定が終わったようだ。背後にはレヴィアの姿もあった。
〈教会の聖導師〉と〈真なる魔法使い〉の二人が揃っている。ロザリーがどんな危険な物を持っていようと完璧に対処できる。誰もがそう信じて疑っていなかった。
「アルヴァンダート卿? なにかあったのですか?」
ルフォンはアルヴァンダートの深い懸念を感じ取った。
治療を優先したため、ルフォンはロザリーの所持品をほんの一瞬しか見ていなかったが、大したものはないように思えた。
シオンの祓魔で、既にいくつかの魔導具は無力化されていた。しかも、一番危険な魔法が宿っていたのは、ロザリーの背中に彫られた刺青だった。ルフォンはロザリーの身体から、邪悪な魔法が剥がされたのを確認している。
「騎士達には退席してもらおうか。レイナード。すまぬが、お主は残ってほしい。軍事教育を受けた者の助けを借りたいのじゃ」
「はぁ。軍事教育ですか?」
「アルヴァンダート先生。この老け顔騎士は酔っ払いですよ。軍事教育なんか受けちゃいないと思います」
「シオンよ。レイナードは士官学校を出ておる」
「まじ? 賄賂でいくら使ったんだ?」
「さすがにぶん投げるぞ」
「おわっ!? そういうのはぶん投げる前に言えーー!! うぎゃーー!!」
投げ飛ばされたシオンをレヴィアが受け止める。巨大な乳房がクッションとなって、衝突の痛みをまったく感じなかった。
「ふぎゃ!」
「喧嘩はよろしくないですよ。シオン。少し落ち着きましょうか」
レヴィアはシオンを抱きしめたまま拘束する。苦しくはないが、どう足掻いても絶対に脱出できない。巨女の胸中は柔肉の牢獄と化した。
アルヴァンダートは他の騎士達が退出し、廊下で聞き耳を立てている愚か者を追い払ってから、レイナードに本題を投げ掛けた。
「レイナードよ。これの真偽を確かめてほしい。仮に本物であれば、絶対に口外してはならぬぞ」
磨き上げられたダイヤモンド。最初は美しく施された加工で誤認したが、すぐに正体が分かった。
「石英結晶? 単なる水晶では?」
鑑定眼を持ち合わせないレイナードでも、間近で観察すれば分かる。アルヴァンダートが持っている鉱石は石英だった。
特段珍しい物質でない。日常生活の光源で活躍する結晶灯は石英が原材料となっている。どこにでもある、ありふれた鉱石だ。
「これは加工された石英水晶じゃ。微弱な魔法が込められておる。聖導師や魔法使いでなければ、見逃してしまうほどの弱い魔法じゃ⋯⋯。レヴィア殿」
アルヴァンダートに頼まれたレヴィアは、複雑な魔法を発動する。抱きしめられているシオンは、強大な魔力が渦巻いているのを肌で感じ取った。
(すごい魔力だ⋯⋯。ロザリーなんかとは比較に⋯⋯。俺なんかじゃ分からないけど、シャーロットお嬢様やルフォン先生をも上回っている気がする)
シオンの見立ては間違っていない。レヴィアが発動した魔法は、第六魔法の幻影に分類されている。石英のクリスタルに隠された秘密は曝かれた。
「――魔法暗号破壊」
アルヴァンダートの掌にあるクリスタルは、立体映像を投影し始める。
「これはデータクリスタルじゃ。高度な暗号技術によって、そう簡単には見破れぬ代物となっているのだ。正しい起動方法を知らなければ、レヴィア殿のように無理やり魔法で秘密を曝くしかない。さて、これを見てレイナードはどう思う?」
「⋯⋯これは⋯⋯待ってください。なんですか? これ?」
レイナードは酷く困惑している。狼狽とさえ表現できる。
投影された立体映像を読み解けているからこそ、取り乱してしまった。
(なんだ? レイナードの様子がおかしい。レヴィアのせいで声しか聞こえない。俺もちょっと見たいんだけど⋯⋯)
何が映し出されているのか気になったシオンは、上半身を捻ろうとする。しかし、レヴィアの拘束力が強まり、乳間に頭部を挟み込まれてしまった。
(見えない⋯⋯。声も聞き取りづらくなった。レヴィアのデカパイから心臓の鼓動音が聞こえる⋯⋯)
レヴィアはシオンに見せるつもりはなかった。データクリスタルに隠されていた秘匿情報は、ごく少数の人間だけが知っているべきもの。賢明なアルヴァンダートの意見にレヴィアも賛成した。
「ありえない。これは⋯⋯あってはならない! シュトラル帝国軍の軍事機密だ。指揮官だけが閲覧できる統帥綱領! 諜報部の協力者名簿! 帝国軍の編成や補給計画表まで⋯⋯! 信じられない」
「やはり本物じゃったか。儂やレヴィア殿も偽情報だとしたら出来が良すぎると結論づけた」
「本当の情報と照らし合わせなければ分かりようがないことですが⋯⋯」
「それはその通りじゃな。このデータクリスタルに詰め込まれた情報が全て正しいとは限らん。しかし、この場では些細な問題じゃろう」
「これは国家機密ですよ。絶対に漏洩してはならないし、そもそもこんな重要な秘密を一つのデータクリスタルに保存すること自体が異常だ!」
「うむ、まさしくその通り。正論じゃ」
「アルヴァンダート様、どういうことですか!? あの魔女がこれを持っていた? そうなんですか!?」
データクリスタルに投影された情報は、指先で軽く触れると動かせる。シュトラル帝国の国家秘密が総覧できる。
レイナードは恐ろしくなった。もし自分の口から情報が漏れてしまったら、祖国に取り返しの付かない損害を与えてしまう。震えた両足が後退った。
「持ち物に紛れ込んでおった。魔女はこのデータクリスタルの真価に気付いておらなかったようじゃ。扱いはガラクタ同然だったのう」
アルヴァンダートはデータクリスタルを革袋にしまい込んだ。この場にいるシオン以外の視線が、ベッドで眠るロザリーに向けられた。
(俺も見たかったのに⋯⋯。ちょっとくらい見せてくれたって⋯⋯。でも、なんでロザリーがそんなものを持ってたんだ? まさか他国の諜報員だった? そんなわけないな。俺とセックスしてああなるくらいだ。てか、レヴィアはいつまで俺を抱きしめてるんだ?)
シオンは潔く抵抗をやめている。レヴィアがそろそろ離してくれるのではないか。そんな淡い期待を寄せた。