2024年 12月2日 月曜日

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【140話】幼帝誘拐未遂事件

NOVEL亡国の女王セラフィーナ【140話】幼帝誘拐未遂事件

「不味いことになったのう。陛下のご様子はどうなのじゃ?」

「元気にしている。侵入者に催淫香を嗅がされたらしく、興奮気味のようだ。軍閥派の女仙に夜伽をさせている。陛下が無事だったから良かったものの⋯⋯。今回の大事件、宰相府はどう対処するつもりなのだ? 軍務省と大神殿の見解は一致しているぞ?」

「⋯⋯⋯⋯」

 三皇后のなかで、帝国宰相ウィルヘルミナは個人としての戦闘能力を持っていない。

 そもそも宰相府は行政機関であって、武官を排除した文官で構成されている。メガラニカ帝国の歴史上、徹底されていたとは言えないが、政治統制の原理は強く働いていた。

 その一方、軍務省と神殿は強大な軍事力を握っている。帝国元帥レオンハルトと神官長カティアは飛び抜けた戦闘能力を有していた。しかし、現在のメガラニカ帝国でもっとも強大な権限を振るっているのは、帝国宰相ウィルヘルミナだった。

 文官の統率力、評議会と国民議会の調整、そして何よりも特筆すべきは卓越した財政能力。内政におけるウィルヘルミナの優れた才覚は万人が認めていた。

 皇帝ベルゼフリートの動きは三皇后の意思が反映される。特に最高権力者であるウィルヘルミナの許諾は重要だった。

「――今すぐに判断を下すのは性急でしょう」

 大陸歴九年二月十一日、時刻は深夜。

 帝国元帥レオンハルトの本拠、金緑后宮に集結した三皇后は三頭会議を開催している。今回の緊急事態を受けて、軍務省および大神殿から皇帝ベルゼフリートの住居を一時的に地上へ移すべきとの意見が提案されていた。

「この後に及んで慎重論か? 禁中に敵の侵入を許してしまった。まずは徹底的に侵入経路を調べるべきだ。そして、優先すべきは陛下の安全⋯⋯! 地上の仮住まいに避難いただくのが当然ではないか?」

「儂も帝国元帥の意見に賛成じゃ。天空城アースガルズが安全とされてきたのは、外部からの侵入が不可能と思われていたからじゃ。容易に忍び込めるのならば、護衛の戦力が女仙に限られておる分、危険が増してしまうぞ?」

 帝国元帥と神官長の主張は正しい。だからこそ、帝国宰相は受け入れがたかった。

「今回の誘拐未遂事件⋯⋯。敵の狙いを読まなければなりません。陛下を天空城から引きずり出すことが真の目的であったら? そもそも敵がしてきたと断定するべきとも思いません」

「貴公の意図が分からんな⋯⋯。敵の姿を陛下と警務女官ユリアナが目撃し、交戦した警務女官長ハスキーが負傷しているのだ。敵が侵入してきたのは明々白々。無礼を承知で言わせてもらうが、宰相府の判断力を疑うぞ」

「⋯⋯地上が安全とは限らないでしょう。実際、昨年の戦勝式典でグラシエル大宮殿にヴィクトリカが侵入し、陛下と接触しています。警備は軍務省が担当していたと記憶しています」

 帝国宰相と帝国元帥の意見は真っ向から対立していた。数秒の睨み合いが続くが、双方共に退く気配は見せない。

 最年長のカティアは埒が明かない状況に深い溜息を吐いた。

「啀み合ってどうする気じゃ? ここは話し合いの場じゃ。儂は宰相殿の本音を聞きたいのう。其方そなた、なぜに迷っておるじゃ?」

「⋯⋯帝城ペンタグラムに刺客が現われたのは事実です。しかし、天空城アースガルズの警備体制は万全でした。昇降籠しょうこうろうを使って侵入してくれば検問で分かります」

「なぜ言い切れる? 昇降籠しょうこうろうの検問など、私なら容易に侵入できるぞ」

「ええ。帝国元帥であるレオンハルト・アレキサンダーであれば可能なのでしょう。しかし、それも貴方が女仙だから成せる芸当。敵に貴方ほどの実力者がいるなら、警務女官の護衛は一掃できます。特に今日の警備は手薄でした。ところが、警務女官長ハスキーは敵を撃退しています」

 棘のある言い方にレオンハルトは不満顔を浮かべる。だが、文官であるウィルヘルミナは、絶対強者であるレオンハルトやカティアが持ち合わせない視点で、今回の事件を冷静に分析していた。

「警務女官長ハスキーは負傷しました。しかし、敗北はしていません。つまり敵は帝国軍や大神殿の最精鋭に及ぶほどの実力者ではなかった。その程度の力しか持たぬ敵が痕跡を残さず、天空城アースガルズに侵入し、帝城ペンタグラムの禁中まで忍び込めるでしょうか?」

「ハスキーは名を馳せた決闘王だ。帝国軍にも勧誘していた猛者だぞ。メイドだからといってハスキーを過小評価しているのなら、それは間違いだと言っておく。警務女官長は強いぞ」

「レオンハルト元帥やカティア神官長には遠く及ばない。違いますか?」

「私とこの宿老を比較対象にするな。帝国で私よりも強い女がいれば、その者に帝国元帥の席を譲っている」

「おい。宿老とは何じゃ!? 儂を老人扱いするでない。もうちと言い方があるじゃろうが⋯⋯! まったく! 年配者への配慮と敬意に欠けておるぞ」

「もし襲ってきた刺客がお二人に匹敵する者達なら、ハスキー程度は相手にもならなかった。それもまた客観的事実です」

「軽く言ってくれる。一級冒険者以上の実力者がどれほど希少な人材か⋯⋯。警務女官長の戦闘能力を侮っているぞ」

 警務女官を好いているわけではなかったが、レオンハルトは強く反論した。

「帝国元帥と神官長を比較の対象とするのは、間違っていると思いますか? 私はそう考えません。皇帝陛下を害するのなら、最大の障害として立ちはだかるのは、世話係の警務女官ごときではなく、最高戦力の貴方達であるはずです」

「一理あるのう。ようするに、敵は最初から成功させる気はなかった。失敗するのを前提にしていたというわけじゃな?」

「綿密な準備を進めていたとするなら、帝国元帥や神官長が不在の時期を狙います。少なくとも私が敵であれば、レオンハルト・アレキサンダーがいる間は行動を起こしません」

 帝国元帥レオンハルトは帝国軍最強の戦力。アレキサンダー公爵家が造り上げた最高傑作である。

 もしレオンハルトを超える強者が現われるとすれば、ベルゼフリートとの間に産まれた娘達だ。しかし、それも十数年後に起こりえる話であって、娘達はまだ幼児だ。

 現時点において、破壊者ルティヤなどの超常的な例外存在を除けば、レオンハルト以上の強者は存在しなかった。

(ウィルヘルミナの主張も理解はできのう。儂らは敵が天空城に侵入してくるとは思ってもおらんかった。綿密な計画の下、機会を覗っていたのなら、今回は時期が悪い。天空城から滅多に離れぬ儂は仕方ないとしても、レオンハルトの不在は狙うべきじゃ)

 多忙な帝国元帥が軍議のために地上へ降りることは多々あった。敵がいつでも侵入できたのなら、留守を狙うのは容易であった。

「ともかく善後策を講じる必要がある。⋯⋯国民議会の要請はどうするつもりだ? 陛下を避難させるべきだと訴えているぞ。評議会の優越権で捻じ伏せることは可能だが、強引な手段を使えば反発は目に見ている」

 帝国には二つの議会がある。一つは女仙化した妃による評議会。もう一つは貴族代表、種族代表、護民官など、選挙で選ばれた議員によって構成された国民議会である。

 ウィルヘルミナは評議会と国民議会の議長を兼任しており、強大な政治権力を持っていた。しかし、国民議会は国民の民意が反映されている。どれだけの権力を握っていようと独裁者ではない以上、一定の配慮が必要とされた。

「国民議会の尊皇議員団は、天空城アースガルズの臨検を求めています。女仙の中に敵を手引きした内通者がいるのではないかと疑っているようです⋯⋯。そもそも敵は侵入しておらず、女仙の宮廷闘争に陛下が巻き込まれたと怪しむ者までいるようです」

 皇帝襲撃の報を聞いた国民議会の動揺は大きかった。一部の議員は女官総長ヴァネッサの更迭を要求したが、三皇后は感情的な意見だと退けている。

「こういう形で伝えるつもりはなかったのう。じゃが、敵勢力に女仙がいる可能性は高いぞ。アストレティアに調べさせておる。今のところ痕跡しか見つかっておらぬが⋯⋯」

「アルテナ王国の白月王城に残されていた残穢は、敵が何らかの謀略を仕掛けてきた証左です。今回の事件もそうですが、バルカサロ王国やルテオン聖教国が犯人とは考えにくい⋯⋯。女仙が関わっているのなら、敵はメガラニカ帝国の内部にいます」

「帝国軍に捜索させている〈翡翠の首飾り〉だが、いっそ公開捜査に踏み切るか? 財閥の商人や冒険者、今回は魔狩人の協力も見込める」

「情報は集まるかもしれません。しかし、玉石混交となるでしょう。今は帝国軍だけで捜査に当たってください。協力を求めるとしても現段階では魔狩人くらいでいいでしょう。一般からの情報提供を受け付けるのは、捜査に行き詰まってからでも遅くありません」

 三皇后はお互いが掴んでいた情報を共有していた。しかし、敵の正体は掴めずにいた。廃都ヴィシュテル近郊で目撃された灰色の濃霧。その発生原因は未だに不明だった。

(この問題は根深い。哀帝の時代に謀略を巡らせていたのなら⋯⋯。もしかすると破壊帝の厄災関連⋯⋯? そうだとすれば少なくとも一千年の間、メガラニカ帝国の闇に潜んでいた敵⋯⋯)

 ウィルヘルミナは女官総長ヴァネッサが提出した顛末書という名の報告書を手に取った。刺客の襲撃時、皇帝の護衛はたったの二人。普段の警備体制に比べれば手薄だった。

 しかし、その護衛は警務女官長ハスキーと暗器使いのユリアナである。不測の事態が起きたとしても、十分に皇帝を守れるだけの実力者だ。

(神官に調べさせていますが、残った痕跡から正体は掴めないでしょう。それよりも気にかかるのは侵入経路です⋯⋯。いったいどうやって⋯⋯?)

 ――前代未聞の皇帝誘拐未遂事件が起きたのは、空が暁色に染まり始めた逢魔刻。

 日没が差し迫った夕暮れ。お忍びの城下見学を満喫したベルゼフリートは、意気揚々とユリアナの寝室に向かっていた。

 


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