2024年 12月5日 木曜日

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【139話】女官メイドの寡黙な一日〈夕暮れ〉

NOVEL亡国の女王セラフィーナ【139話】女官メイドの寡黙な一日〈夕暮れ〉

 

 ベルゼフリートは城下市場をぶらついていた。下級女官用の食堂で朝食兼昼食を済ませ、お忍びの帝城視察を満喫している。

「よろしいのですか⋯⋯。不快な思いをするかもしれませんよ?」

 周囲に人がいないのを確認し、ユリアナはベルゼフリートの耳元で囁いた。

「ん? どうして? お小遣いは持ってきたし、小物くらいは買えるよ? 珍しい茶葉があったら買おうかな」

 メガラニカ帝国の皇帝は手厚く保護される代わりに経済的な自由を奪われている。皇帝の財産は国有物として、財務女官の管理下に置かれ、ベルゼフリートが使えるのは、女官総長ヴァネッサから貰えるお小遣いだけだった。

(城下市場⋯⋯。地上から引き上げた物資を販売する天空城アースガルズで唯一のマーケット。売り子は庶務女官が担当しているので、正直なところ接客態度はあまり良くないです⋯⋯)

 妃の離宮で働く側女は、日用品の購入や地上から届いた郵便物の受け取りで週に何度かは城下市場を訪れる。しかし、城下市場を取り仕切る庶務女官は、商魂と無縁の者達である。

(女官の務めを怠けたりはしませんが、こちらを客扱いはしてくれません。陛下はそのことをご存知ではないご様子⋯⋯)

 利益が上がったところで、売り子をしている庶務女官の給料は変わらない。もちろん愛想良く接してくれる女官も一定数は存在する。しかし、商人のように揉み手で接待してくれるとは思わない方がいい。

「――おいおい、何やってんだ?」

 茶葉店で紅茶を品定めしていたベルゼフリートに荒っぽい言葉が投げかけられる。不躾な発言にユリアナは顔を顰めた。

「何って買い物だよ?」

「そうじゃなくてだな⋯⋯。まったく⋯⋯。なんて阿呆な格好してるんだ。警務女官のメイド服なんか着て何してんだ? まさかそういう趣味に目覚めたのか⋯⋯?」

 無遠慮な態度を取られてもベルゼフリートは、まったく気にしていなかった。むしろニコニコと笑顔を浮かべている。

「これは僕の趣味じゃなくて、ヴァネッサの好みかな。どう?」

「どうって⋯⋯。言葉が見つからない」

 相手がベルゼフリートだと知りながらの無礼。宮廷の女仙にあるまじき言動である。しかし、皇帝が許しているのだから、周囲はとやかく文句を言えない。

 押し黙ったユリアナは、相手を鋭い目付きで咎めた。せめてもの抗議であった。

「要するに、またいつもの悪ふざけか⋯⋯。護衛の女官も一人だけ?」

「今日はユリアナしかいないんだ。この格好なら僕だって分からないしね。ほら見て、警務女官のスカートがひらひら~。なんと下着も女物だよ」

「はぁ⋯⋯。なんというか⋯⋯。護衛の女官は苦労してそうだ」

「ユリアナもさっきまでは楽しそうにしてたよ。お忍びデートみたいなものだからね」

「その格好でデート⋯⋯と言えるのだろうか⋯⋯。甚だ疑問だ」

「僕ってメイド服が似合ってると思うんだ。でも、まあ、見破られちゃうかぁ⋯⋯。残念。自信はあったけど、相手が相手だし、仕方ないね。――そういうは光芒離宮のお遣い?」

 ――ネルティの兎耳が上下に揺れる。

 ベルゼフリートは長髪のウィッグを被り、女官になりきっていたが、幼少期からの付き合いがあるネルティの目は欺けなかった。茶葉店で商品を物色するベルゼフリートに気づき、思わず呼び止めてしまったのだ。

(側女のネルティ⋯⋯。ここでの遭遇は偶然。陛下の幼少期を知る数少ない人物の一人。ユイファン少将を見張る監視役との噂も聞きますが⋯⋯色々と謎の多い人物でもあります。――それと個人的には嫌いです)

 その昔、ナイトレイ公爵家に保護されたばかりのベルゼフリートは内向的な少年だった。懐いていたのはウィルヘルミナを除けば、世話係のネルティだけであったという。

(陛下とネルティの特別な関係は、三皇后すら黙認しています。私を含め、ネルティの不敬な態度を快く思わない者は多いけれど⋯⋯。私如きが口を挟むのは出過ぎた真似です⋯⋯。身の程を弁えて、ここは堪えておきましょう)

 ユリアナは荒ぶる感情を抑えこむ。ネルティは皇帝の寵姫というだけでなく、強力な後ろ盾がある。帝国軍の知将と名高いユイファンの直臣であり、ヘルガ・ケーデンバウアー侯爵家の庇護下にあった。

(ネルティは軍閥派の側女でありながら、ウィルヘルミナ閣下との繋がりも深い。どちらの側にいるのか⋯⋯)

 詳しい経緯をユリアナは知らなかったが、ネルティはナイトレイ公爵家の奉公人だった。皇帝のみならず、帝国宰相との縁も深い。

 軍閥派と宰相派、対立関係にある双方の陣営に属し、幼帝に懐かれている特別な女性。極めて奇異な立場にある人物であった。

「今日はユイファン少将が注文してた珈琲豆を受け取りに来た」

「わざわざそれだけのために? 地上からの注文品なら次は離宮まで届けてもらえば?」

「陛下は知らないだろうが、嗜好品の宅配だと女官にぼったくられる。そのくせ届くのが⋯⋯こらっ! しれっと尻を揉むな。んっ⋯⋯んぁ⋯⋯♥︎」

「ネルティのお尻は揉み心地がいいんだもん。触ると可愛い声を出してくれるしね。くすくすっ!」

「店番の女官に変な目で見られてる。ここは人目があるんだぞ⋯⋯」

「最近のネルティって付き合いが悪いじゃん。妊娠したユイファンのお世話で忙しいのは分かるよ。でも、もうちょっと僕に構ってくれても良くない?」

「陛下も進言行事で多忙だっただろ。こっちもこっちで⋯⋯いろいろとあるんだ」

「ふーん。それでにお泊まり? いいなぁ。僕も行きたい。たっぷり慰安してあげるのになぁ~」

「ちょっと待て⋯⋯? 陛下は俺達が元帥閣下の后宮に泊まってるとなぜ知ってる?」

「光芒離宮を修繕してた工務女官から聞いた。軍閥派の妃が帝国元帥の后宮でお泊まり会してるってね。ユイファンはずっと金緑后宮に連泊中。だから、光芒離宮には誰もない。僕がレオンハルトに呼ばれて行ったとき、ネルティ達もいたんでしょ?」

 ネルティは何かを言いかけたが、すぐに口を閉じた。ユリアナが人差し指を唇に当てて、「陛下に何も話すな」とジェスチャーで伝えてきたからだ。

「参謀部の情報将校を呼びつけて連日の会議かな。軍閥派は忙しそう。頭脳労働のユイファンは砂糖山盛りの珈琲を飲んでそうだね。どんな秘密の会議をしてるのかな? 僕、気になる」

「詳しくは知らない⋯⋯。陛下もあまり気にしないほうがいい。それじゃ、デート中に邪魔して悪かった。俺はもう行くよ」

 逃げるようにネルティは立ち去ってしまった。旧友の後ろ姿をベルゼフリートは眺めている。

 ネルティがベルゼフリートの変装を見破れたように、ベルゼフリートもネルティの本心を見抜いていた。

「ふーん。相変わらず、隠し事が上手とは言えないね」

 隣国との戦争が一段落し、慌ただしかった宮廷は平穏を取り戻したかのように思えた。しかし、不穏な気配を感じている者は多かった。

 特に顕著なのは軍閥派の女仙だった。帝国軍の最精鋭が廃都ヴィシュテル近郊に派遣された事実を知る者達である。ネルティもその一人だった。

「ネルティに逃げられちゃったし、目当ての紅茶を買ったら戻ろうかな。⋯⋯あっ、禁中の寝所じゃなくて、ユリアナの部屋だからね。そろそろ発散したいかも。相手してよ」

 ユリアナは難しい顔で思案する。唯一の護衛である自分が警戒を解くわけにはいかない。

(お断りすべきではあるけれど⋯⋯。ハスキー様の気配を近くに感じます。護衛は増えているし、禁中と近い私の部屋なら問題はありません)

 ユリアナに私欲はなかった。主君に望まれれば奉仕するのが務めである。

(陛下の帝気が充ち満ちている⋯⋯。ヴァネッサ様に搾られたというのに、もう精力が回復しているようです。癒やしてさしあげなければ、障りが起こってしまう)

 本来であれば伽役は妃の仕事だが、女仙の女官にできぬわけではない。身の回りの世話をする大義名分のもと、全ての女官は皇帝に性奉仕できる。

(ともかく何とか乗り切った気がします。夜遊びできないように、時間をかけて搾精すれば、そのまま禁中にお戻りいただけるはずです)

 ユリアナの一日は何事もなく終わるはずだった。行幸中止はベルゼフリートの不満を抱かせるかもしれないが、息抜きもしっかりと与えた。

 瘴気で覆われた天空城アースガルズは、女仙以外の者が侵入できない絶対領域。中枢部にあたる帝城ペンタグラムは、世界で一番安全な場所だと誰もが思い込んでいた。

 ――大陸歴九年二月十一日の夕刻、天空城アースガルズで非常事態宣言が発令された。

 皇帝ベルゼフリートが一時消息不明となり、帝国元帥レオンハルト・アレキサンダーは戒厳令を発動。軍務省は帝城ペンタグラムに将兵を派遣。指揮官は主席宮廷魔術師ヘルガ・ケーデンバウアー。実戦経験を持つ武闘派の公妃と側女が集められた。

 さらに軍務省からの協力要請を受け、神官長カティアは大神殿の司法神官を調査に向かわせた。

 帝国宰相ウィルヘルミナは事態の収拾を図った。まず戒厳令の混乱を宮廷内に留めるため箝口令を敷き、部外者への口外を厳しく禁じた。

 その間、女官総長ヴァネッサは帝城ペンタグラムの全女官に対し、自室での待機を命じた。

 三皇后の処置は迅速かつ適切であった。しかし、皇帝の安全が確認されていたから、淀みなく判断を下せた面もあった。

 天空城アースガルズの安全神話を粉々に砕いた今回の一件は、のちに〈幼帝誘拐未遂事件〉と呼ばれる。三皇后を戦慄させた大事件は、メガラニカ帝国に巣くっていた深淵の闇が本格的に動き出した狼煙であった。


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