2024年 12月5日 木曜日

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【83話】レオンハルト元帥の日常(下)

NOVEL亡国の女王セラフィーナ【83話】レオンハルト元帥の日常(下)

 ベルゼフリートを見送った後、レオンハルトは貴賓館の露天風呂で汗を流していた。

 貴賓館は皇帝の宿泊所。私的な利用ははばかられる。だが、特権を有する皇后ならば許された。

「——あの女王、本当に御しきれるか?」

 レオンハルトは軍閥派のナンバー2、腹心のヘルガを呼び出した。

 全身鎧で身を包む変わり者の主席宮廷魔術師。帝国貴族の名門ケーデンバウアー侯爵家の当主。武門の名家であり、アレキサンダー公爵家とは懇意の仲だ。

 レオンハルトは、ヘルガに全幅の信頼を置いていた。

「おやおや。いつにもまして元帥閣下の機嫌が悪い。ひょっとして生理なのかい?」

「相変わらずデリカシーのない⋯⋯」

「それは肯定かね? だったら、私の側には近寄らないでほしいね。湯が汚れてしまう」

「⋯⋯私が不機嫌な理由は二つある。順番に説明してやろう。まず貴公に対して、私は貴賓館の露天風呂に来いと命じた。だがな、風呂に入れとは言っていないぞ」

「お堅いね。私と元帥は肩を並べて戦った戦友同士。湯浴みくらい良いではないか? 風呂場では無礼講が帝国軍の伝統だよ」

「奇天烈な伝統を勝手に捏造するな。二つ目の理由を教えてやる。なぜ鎧を着たまま風呂に浸かっている?」

「これも主席宮廷魔術師の伝統なのだよ」

「嘘をつくな。着ている鎧を脱げ。まさか鎧を洗いに来たのか?」

 ヘルガは常日頃から全身鎧を脱がない奇人。その素顔を見た者は数少なく、いかなる種族なのか知られていない。

 ヘルガの容貌は、ベルゼフリートが証言した「とっても可愛かった」との言葉が一人歩きしている。

「英雄アレキサンダーの孫ともあろう御方が、この程度で気を荒立てはいかがなものか。ふぅ。良い湯だ」

 ヘルガは手拭いをアーメットヘルムに乗せる。

「⋯⋯⋯なにか?」

 鎧が肩まで湯に浸かっている。ヘルガの全身鎧は完全防水性だ。内部に湯水は一滴も入っていない。

 露天風呂で鎧の埃を落としているようなものだ。

「蹴り出してやろうか? ヘルガ」

「はっはははは! 本気で怒らないでほしいな、ちょっとした冗談だとも! 元帥に蹴られたら無事では済まない。ともかく本題の話をしよう」

「はぁ。分かった。このまま続けろ」

 上手い具合に話題を逸らされた気がするものの、レオンハルトはヘルガに続けさせる。

「セラフィーナ女王の件は、各派閥の思惑が重なり合って、予想外の方向に物事が進んでいる。いやはや、女は恐ろしいね」

「貴公も女の端くれだろう」

「まあ確かに、それはその通り」

「女官総長ヴァネッサは何を考えている? セラフィーナの従者だったロレンシアを孕み袋に変えた。ショゴス族の女官達に輪姦されたとか。つまり、あの女王は従者を売ったわけだ」

「卑しい女官総長のことだ。粘体生物特有の狡賢い交渉をしたのだろうさ。とはいえ、セラフィーナ女王の心境が変化したは確かだ」

「⋯⋯女官が裏で暗躍しているのなら厄介だ」

「それともう一つ。アルテナ王国の宝物をいくつか売却している。〈朱燕の乙女貝〉なるアーティファクトを大神殿のご老人達に贈った見返りで、ロレンシアの外出許可を得たと聞いた」

「私も宝剣を一振りもらった。この調子だとセラフィーナは祖国を売るようになるやもしれんな」

「陛下の寵愛を欲するあまり、女王がアルテナ王国を売ると? 元帥閣下は面白いジョークを仰る」

「冗談のつもりはないぞ。ヘルガ」

「売国奴になるほどの愚女ではない。国を売りさばけるほどの賢女でもない。私はそう思うがね」

「さてどうだろうな? 吹っ切れた人間は何をやらかすか分かったものではないぞ」

「売国奴になってくれるのなら、願ったり叶ったりでは? アルテナ王国の肥沃な穀物地帯が手に入れば、メガラニカ帝国の経済は安定する。税収が上がり、宰相府は万々歳となるだろう」

「物事は都合よく進まないものだ。分かっているだろう? 周辺諸国が黙っておるまい。バルカサロ王国だけでなく、中央諸国のルテオン聖教国まで干渉してくるようになった」

「聞き及んでいるとも。さすがの宰相閣下も頭を悩ませているとか」

「ルテオン聖教国は教会の元締めだ。帝国内の信者は少ない。だが、宗教勢力は国教を超える。厄介だ」

「これまで交流を絶っていたのに、この時期にしゃしゃり出てくるとはね。嫌らしい連中だよ」

「中央諸国が干渉してくるなら、アルテナ王国の全域併呑は難しい。強引に進めれば袋叩きだな」

「宰相府は併呑を強く推している。帝国市民も同じだ。軍務省主導の講和条約を不服と思っている。何としてでも宰相府の意見を曲げねば、再び戦争が始まる。つまり、話は振り出しに戻るわけだ。悩ましいな元帥閣下」

「宰相府の⋯⋯いや、ウィルヘルミナ宰相の政治権力が強すぎるのだ。軍務省の意見が評議会で通らない。実情は向こうも分かっているだろうに……」

「それは帝国元帥レオンハルト・アレキサンダーのせいでもある」

「聞き捨てならんな。私の力不足は認めよう。しかし、出来る限りの手を尽くした。貴公は私にどうしろと言うのだ?」

「出来る限りのことが問題なのだよ。レオンハルト元帥が戦場に出ればまず負けない。片棒を担いでいるのはユイファン少将だ。今回の戦争は完勝だった。兵士の戦死者はいる。だが、微々たる数だ」

「帝国軍を率いる元帥として言おう。その言い方は好ましく思わない。戦死者への礼節に欠ける」

「我々がどう思うかではないよ。国民がどう思うかだ。アルテナ王国との戦争で、帝国軍の犠牲は少なすぎた」

「酷い言われようだ……。私やユイファン少将は犠牲を最小限に留めたのだぞ。兵を無駄死にさせるべきだったと?」

「人々は過程よりも結果を見る。帝国軍は圧勝した。だから次も勝てる。その次も勝てる。そのまた次も、その次も⋯⋯」

「⋯⋯本気か?」

「レオンハルト元帥とユイファン少将が帝国に勝利をもたらしてくれる。国民は間違いなく信じ込んでいるとも」

「戦いに絶対は存在しない。常識だ」

「戦争の勝利には麻薬のような効果があるのだろうね」

「安全な場所で結果緒を待つ連中にとってはな……。勝手な奴らだ」

 レオンハルトは帝国軍の切り札だ。一対一なら大陸最強の存在。ユイファンの作戦案は無駄がなく、常に最高の戦果を与えてくる。しかしながら、帝国が無敵の軍隊というわけではない。

 戦争は国家対国家の総力戦。

 勝利しようと戦費が莫大であれば、国家経済が破綻する。レオンハルトが無敵だろうと、メガラニカ帝国が自壊はありえる。

 ウィルヘルミナの優れた内政で、軍事費を賄い続けている。だが、いつかは限界を迎える。

 メガラニカ帝国は他国との交易が途絶えて久しい。友好国が存在しない。いわば孤立している国家だった。

 軍務省は増え続ける軍事費を何とか減らそうとしている。一方、宰相府は、戦果で穴埋めしようとしていた。すなわち、占領下にあるアルテナ王国から徹底的に搾り取るつもりなのだ。

 バルカサロ王国やルテオン聖教国は簒奪を看過しない。アルテナ王国内の教徒保護を大義名分に、軍事介入してくる可能性がある。

「セラフィーナはウィルヘルミナ宰相の弱味を掴めるか?」

「少なくとも三皇后に喧嘩を売るくらいには、逞しく成長したようだよ」

「皮肉を言ってくれる。健全な成長とは言いがたいな」

「後宮に入内したときの女王と今のセラフィーナは別人だ。彼女が大暴れしてくれれば、何かしらの糸口が見えてくるかもしれない。陛下は気に入っているようだし。私はそこそこ期待しているよ」

「気に食わん。陛下も陛下だ。孕んだのだから、必要以上に抱く必要はないというのに……。遊びと言っていたが、本当に困ったものだ……」

 レオンハルトは露天風呂から空を見上げる。強靱な肉体と強大な能力を持つ最強の女戦士。しかし、見かけに反する繊細な乙女心を持つ。

 レオンハルトは愛しの皇帝が、他の女とセックスしている現実を受け入れたくない。もしできるのなら、自分だけの恋人にしたかった。

 こうして穏やかに言葉を交わす腹心のヘルガでさえ、恋敵だと思うと胃がムカムカしてくる。だが、皇帝の独占は絶対に許されない。

 レオンハルトは恵まれているほうだ。皇后という最高位にいる。

「どうして陛下は、あのような者達が好きなのだろう? 乳房の大きさか? 私も大きいほうだと思うのだがな。腹黒で陰湿なサキュバスが一番好きなのはおかしくないか?」

 三皇后は愛されている。だが、三人の中でウィルヘルミナは格別の寵愛を授かっている。レオンハルトは嫉妬していた。

「堂々としているべきだよ。バストサイズに加え、大胸筋の逞しさで元帥に勝る女は、宮廷に1人もいないのだから」

「貴公、それで私を褒めているつもりか?」

「もちろんだとも。古来から強さは美しさと言われているのだよ? 大胸筋の肉体美を誇るべきだ。元帥は自分の身体に自信を持つべきさ」

「貴公を信用している。しかし、矛盾するようだが、どうにも貴公の言葉には信頼が置けん。ふざけ半分で言ってないか?」

「私ほど忠実な副官は、この世に二人といないはずだよ。レオンハルト元帥の純朴な乙女心は微笑ましく思っているとも」

「その芝居臭い口調がどうにも嘘っぽい⋯⋯」

 アマゾネスの種族特性で、レオンハルトは生まれつき筋肉が育ちやすい体質だった。誰よりも強い戦士となる。そして、自分以上に強い子供を産むのがアマゾネスの悲願だ。

 男勝りの多いアマゾネス族だが、女心はちゃんとある。ウィルヘルミナのように女性らしい妖艶な体付き。あるいはカティアの可憐な少女姿。

 自身が持ち得ない魅力に、レオンハルトはコンプレックスを感じてしまう。

「陛下はレオンハルト元帥を好いている。不安にならずとも良いのさ。陛下の心根は純粋で優しい。好いてくれる女を無下にするはずがないよ」

「分かっている。だが、私は一番の女になりたいのだ……」


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