【229話】化猫騒動〈その終〉 信仰と人民

 鈴蘭離宮の隠し部屋はありきたりな礼拝室だった。

 窓がないことを除けば、教会圏のどこにでもありそうな場所だ。

 壁際の本棚には教会の聖典が並んでいる。分厚い砂埃で覆われていた。天井の塗料が劣化し、砂粒になって降り積もったのだ。

 空気中に蔓延する不快なカビ臭さが鼻腔の奥をを刺激する。書物が腐食するほど長い間、この部屋には放置されていた。

「ああぁーー! なんて酷い場所! 醜悪な邪教の巣窟! 早く燃やしましょう! すぐ壊しましょう! 今すぐ取り潰しましょう! 皇帝陛下がお住まいになっている天空城アースガルズに、薄汚い異教の巣窟があってはいけませんぅうぅう!! 危険です! おぞましいです!! 許されざる呪われた部屋です! 許しがたしぃ!! 浄火しなければぁああァ!」

 発狂状態のテレーズをセラフィーナとロレンシアは二人がかりで止めている。心強い味方だと思っていたが、やはり狂信者は災の種だった。

「おやめなさい! 後で! 後にしなさい! テレーズ!」

「セラフィーナ様!? なぁっ、なにをなさるんですか!? 離してください! まさか邪教に未練があると⋯⋯!? 皇帝陛下への忠愛に背くおつもりですか!」

「ちっ! 違いまますわ! 私はベルゼフリート陛下を誰よりも愛しております! 私が言いたいのは! こんなところで火を付けられたら、私達まで丸焦げになってしまうでしょ!!」

「大丈夫です! 私を信じて! 火加減は調整できます! 聖堂教会はこの道のプロフェッショナルです! 俗悪な共和主義者を火炙りにしてきた私達は、誰よりも浄火の経験があるのですから!」

「火加減の問題じゃありませんわ! テレーズ! おやめなさいっ!」

「お願いです! お願いですからぁ! あの汚らわしい邪物を焼かせてください! あれを見てると虫唾むしずが走りますぅっ!」

 暴走するテレーズを止めるために、背後からもロレンシアが襲いかかった。二人がかりでテレーズを羽交い締めにする。

「今です! セラフィーナ様! 杖をっ! テレーズから杖を取り上げてください!! この人! 目が本気です! 火を放つ気ですよ!」

「ロレンシア! や、やめて! 正気を取り戻してください!!」

「正気を失ってるのは貴方です! テレーズ!! こんな逃げ場のない密室で火を付けたら、私達まで焼け死ぬわ!」

 妊婦三人が取っ組み合ってる最中、我関せずの素知らぬ態度で、ヘルガは礼拝室の物色を続行した。

「期待していた宝物はなさそうだ⋯⋯。残念」

「ヘルガ妃殿下! 妃殿下! 宝物探しよりもこっちを手伝ってください!!」

「セラフィーナ様! 力を緩めてはいけません! テレーズの口を塞いでください! 詠唱の妨害を!」

 悲鳴に近い絶叫が聞こえてくるが、ヘルガは一瞥いちべつしただけで、礼拝室の探索を続けた。

(黄葉離宮の女仙は賑やかだ。きっとリアも日々の生活を楽しんでいるだろう)

 聖堂教会の信徒はそんなものだと言わんばかりの態度だった。

「使われていた痕跡もない⋯⋯。もしかすると、この礼拝堂が作られてから、最初に足を踏み入れたのは我々か?」

 ヘルガは試しに聖典を開いてみる。かろうじて本の原型を保っているが、湿気にやられてしまっていた。

「ページのインクが癒着している。むむぅ⋯⋯。読めたものではない。単なる古びた書物だな。公文書館の司書に渡すとしよう。⋯⋯ん? おや?」

 セラフィーナは聖杖の没収に成功したが、ぐったりと疲れ切っている。

「はぁはぁ⋯⋯ふぅ⋯⋯はぁ⋯⋯!」

「杖を取り上げることには成功したようだね。おめでとう。セラフィーナ。大戦果じゃないか」

「はぁ⋯⋯、はぁはぁ⋯⋯! テレーズには出ていってもらいました。まったく⋯⋯本当に⋯⋯! 連れて来なければよかった⋯⋯!」

 騒ぎ続けるテレーズはロレンシアに手を引かれて、外に引っ張り出された。

「君らが戯れあっている間に一通り調べた」

「戯れておりませんわ! 自分と我が子の生命を守るため、必死に戦ったのです⋯⋯!!」

「それはご苦労さま。宝物を山分けする話は無しになりそうだ。目ぼしい物はなかったよ。作られた当時のまま。何の変哲もない礼拝室だ」

 礼拝室に危険な物はなかった。むしろ一緒に同行させたテレーズが危険人物だった。

「はぁ⋯⋯。宝物に興味はありませんわ。それよりも気になるのは⋯⋯。どうして鈴蘭離宮に教会の礼拝施設が作られたのでしょう?」

 深呼吸で息を整えたセラフィーナは周囲を見渡した。

「建造当時の時代背景が影響している。栄大帝の統治時代、教会はメガラニカ帝国の支配下にあった。教皇も王妃の一人に加えられていた」

「⋯⋯では、教皇も夜伽を?」

「ショックかね? 教皇は栄大帝の子供を産んでいる。セックスをしなければ子供は生まれない。ヤることはヤッていた」

「私が教わった歴史とは大きく異なりますわ」

「帝国の歴史家は事実をありのままに残しているよ。歴史書によれば、教皇としての聖務もこなしていたとある。だが、表立っての活動ははばかられていた」

(大昔にメガラニカ帝国が大陸全土を支配していた歴史は知っていましたわ。けれど、当時の教皇が私のように後宮送りにされたとは聞いた覚えがない⋯⋯。教会からすれば恥辱の歴史なのだわ)

 歴史的には大虐殺で知られる破壊帝が最も有名な皇帝だ。

 セラフィーナとロレンシアも実態を知るまでは、メガラニカ帝国を典型的な侵略国家と思い込んでいた。

 破壊皇帝の支配から解き放たれた人々は、教会の支援を受けて国家を再建した。教会勢力が急速に強くなったのは、破壊帝が勇者に征伐された後からだ。

「テレーズのような過激な行動を起こす人物は、古い時代にも大勢いただろう。肩身の狭い思いをしたはずだ」

「それはお気の毒ですわね⋯⋯。さぞ大変だったでしょう。苦労が身にみて分かりますわ」

 被害に遭ったばかりのセラフィーナは、ぶっきらぼうにぼやく。

「その一方で栄大帝と大宰相ガルネットは宗教の自由を認めていた。教会の信者が安心して礼拝を捧げられるように、緊急避難室セーフルームを作っておいたのだろう」

「隠されていた礼拝室は、古代の宗教遺跡というわけですわね。⋯⋯今のメガラニカ帝国には不要な部屋ですわ」

「果たしてそうかな?」

「ええ、そう思いますわ。ヘルガ妃殿下は変なことを仰るのですね? 私やロレンシアも敬虔な信徒ではなくなってしまいました。誰がこんな礼拝室を必要とするのですか?」

「アルテナ王国は教会の信徒が多い。旧帝都ヴィシュテルに約三万人が移り住む」

「⋯⋯⋯⋯」

 セラフィーナはラヴァンドラと取り交わした約束を思い出す。

 旧帝都ヴィシュテルの復興に不可欠な植民計画。西アルテナから移住させる三万人の人民は、メガラニカ帝国に恭順してもらわねばならない。

「売国女王と名高いセラフィーナの命令で強制移住させられた人民は、何を心のり所にする?」

「⋯⋯宗教に縋りつくかもしれませんわね」

「今まで以上に信心深くなるだろう。無理からぬことさ。これまでのアイデンティティが粉々に砕け散ったのだ。天地創造者に縋りつきたくなる気持ちも分かる」

 アルテナ王家の権威は失墜した。その原因となった張本人がここにいる。

 昨年の末、故国に帰ったセラフィーナは大きくなった臨月腹を披露し、貴族達の前で公開出産した。

 豪華絢爛な玉座の間で、淫らに喘ぎ、胎を痛めて三人の愛娘を産み落とした。あの瞬間、王国の民から崇敬を集めたアルテナ王家は滅びた。

 セラフィーナの野心は新王朝の樹立にある。過去の血統はもはやどうでもよく、ベルゼフリートとの間にできた子供達が子々孫々まで繁栄する国家を夢見ている。

「教会勢力の増長が問題になるのなら、改宗を進めればよろしいかと⋯⋯。私が産んだ娘コルネリアは大神殿に引き取られ、いずれは巫女となり神官になりますわ。世代交代が進めば、教会の信仰心は削ぎ落とせます。いずれ、メガラニカ皇帝の威光にひれ伏すでしょう」

 西アルテナ王国の人々には、皇帝の臣民である自覚を持たせたい。しかし、セラフィーナの考えをヘルガは強く否定する。反論は穏やかであったが、語気に力を込めていた。

「そうもいかない。弾圧は人々の信仰心を強固にする。人民の強い反発を招く。下策だと私は考える」

「今になって融和策を? まどろっこしい気がいたします。ベルゼフリート陛下の御力を見せつければ、人々は膝を屈すると思いますわ。軍閥派は私にそれをなさったではありませんか」

 皮肉交じりの口調になってしまった。セラフィーナは胎児を宿したボテ胎を撫で回す。破壊と創造は表裏一体だ。ベルゼフリートに強姦された夜、傷だらけになったセラフィーナは新たな己を見つけた。

 野心と欲望に酔い痴れ、肉欲と淫情に溺れる悪女。

 セラフィーナは自分の民にも堕落の蜜を与えたかった。肉体的な辱めを受ける必要はないが、壮絶な体験は人間を変貌させる。

「何か起これば矢面に立つのは帝国軍だ。宗教を尊重し、無益な争いは避ける。軍縮計画が始動したばかりの重要な時期だと自覚してもらいたい。メガラニカ帝国は変化と寛容を求められるだろう」

「お優しいことですわ。教会の信徒を受け入れるおつもりで?」

 セラフィーナはメガラニカ帝国の国民感情をよく知っている。ヘルガの崇高な理想論は民意との乖離がある。

「メガラニカ帝国は文明国であり法治国家だ。多種多様な民族が共存している。旧帝都ヴィシュテルは統治のモデルケースになる」

「教会との共存は難しいと思いますわ。価値観が大きく異なります。⋯⋯後宮に来たばかりの私を思い出してください」

「王と民が背負う責任は違う。帝都新聞ばかり読んでいるから毒されているのかな? 商会発行の新聞には載らない話をしてあげよう。ルテオン聖教国とは水面下で交渉が始まっている。教会から派遣された聖職者が移民の生活環境を定期的に査察する。それで話がまとまりそうだ」

「さようでございましたか。三皇后と議会が認めたのなら、愛妾である私は何も申し上げられませんわ」

「我々は旧帝都ヴィシュテルの復興を願っている。移民を虐げるつもりはない。そもそも帝国憲法で奴隷は禁じられている。教会陣営の査察は自由にやってくれればいい。⋯⋯だが、もう一つ、教会絡みで大きな動きがある」

「大きな動きですか? 中央諸国を焚き付けて戦争でも?」

「いいや、向こうも融和策だ。貢物みつぎものをしてくる。教会は皇帝陛下に極上の乙女を献上するそうだ」

「ありえませんわ。そんな弱腰外交を中央諸国は許さない」

「その根拠は?」

「メガラニカ帝国の脅威論を私の元夫が吹聴しているのですから。くっふふふふふ⋯⋯。甲斐甲斐かいがいしいですわ。恨めしいのでしょうね」

 口元を隠してセラフィーナは邪悪に嗤う。

 互いに未練は捨てた。それなのに、憎愛の入り混じった意識を互いに向け合っている。似た者夫婦であったとセラフィーナは懐かしむ。

 とても幸福な日々を過ごした。しかし、二十年以上も積み重ねた夫婦生活を上塗りするほど、敗戦後の一年間は強烈だった。

 ベルゼフリートがセラフィーナの女を目覚めさせた。

 後宮に入内した時点で、人妻と少年が背徳的な恋で結ばれる運命は定まっていた。

「セラフィーナも宮廷女らしく聡くなったね。もちろん美女を貢ぐのは非公式アンオフィシャル。教会の狙いは透けている。メガラニカ帝国の勢力拡大を危険視しつつも、正面衝突を避けたいのが本音だ」

「美女の色香でベルゼフリート陛下をかどわかす魂胆こんたんですか⋯⋯。愚かしい。古典的な手段ですわ」

「現代でも十分に通じるから、古典になっているのだよ。実際、セラフィーナは寵姫としてお側に置いてもらっているだろう。『異国出身の愛妾が皇帝陛下を誑かしている』と噂する女仙は多い」

「そういう女仙はベルゼフリート陛下を侮っておられますわ。派手に失敗した私だから言えますが、目論見通りにことは進まないでしょう」

 ベルゼフリートを愛していながら、彼を幼帝と見くびる女仙は少なくない。しかし、普段の言動に反して、とても疑り深い性格だ。人懐っこいのは表面上の振る舞い。

 ナイトレイ公爵家で過ごしていた頃は、親しい相手にしか心を開かない内向的な男児だった。心の奥には強い猜疑心がある。近づいてくる人間の悪意や嘘を見抜き、女をその気にさせておきながら、土壇場で切り捨てる冷酷さもあった。

(教会はベルゼフリート陛下を好色な少年としか見ていないのかしら? だとしたら、痛い目に遭いますわ)

 セラフィーナは手痛い教訓を得ている。ベルゼフリートを手玉に取ったと慢心し、惨めで無様な敗北を喫した。帝国宰相ウィルヘルミナを失権させるスキャンダルを掴んだが、手のひらを返した皇帝ベルゼフリートに陥れられた。

(教会が用意した美女⋯⋯。どれほどの女でしょう?)

 上玉を用意したところで、後宮に美女は履いて捨てるほどいる。メガラニカ帝国の全土から容姿と教養を兼ね揃えた女が集まったのだ。

傲慢不遜ごうまんふそんを承知で申し上げますが、私以上の美女を用意できたとは⋯⋯とても思えませんわ」

 セラフィーナは美貌に絶対の自信がある。王家の女だから国で一番美しい。そういうものだと思い込んでいる時期すらあった。

「さすがは大陸全土に名を轟かせた美貌の女王様。感服するばかりだよ」

「褒め言葉と受け取りますわ」

 不老不病の女仙は容姿が衰えない。皇帝が生きている限り、美しさは維持される。永遠の美貌が得られると知れば、メガラニカ皇帝の後宮に入りたがる若女は大勢出てくるだろう。しかし、セラフィーナの確固たる自負は揺るがない。

「今では悪名が勝ってしまいましたが、中央諸国で私の美貌を知らぬものはおりませんわ。教会は何を考えているのやら⋯⋯。呆れてしまいますわ」

 セラフィーナは妖艶に微笑む。教会が用意した美女に負けるとは、毛ほども思っていない。後宮にはライバルが大勢いる。一人や二人、引き立て役が増えるだけだ。

 心の底で恐れている女はたった二人だけだ。

 東アルテナ王国を支配する女王ヴィクトリカ。血の繋がった実娘は若かりし日のセラフィーナとよく似ていた。成長すれば母親の遺伝子は強く現れる。実娘はあらゆる意味で己の立場を危うくする政敵だった。

 もう一人は帝国宰相ウィルヘルミナである。自分と同等か、それ以上の美しさを持つ最上位の淫魔。サキュバス族は美形であるが、種族特性を差し引いてもウィルヘルミナの美貌は極まっている。

「教会の女を入内させるおつもりですか?」

「三頭会議が開催される。三皇后の議論と、貢がれた女の資質次第だ。血酒を飲んだ人間が必ず女仙になるとは限らない。適合しなければ仙薬は命を奪う猛毒となる」

 礼拝室に掲げられた教会のシンボルをヘルガは見上げる。物珍しいようだ。テレーズは焼き払おうとしたが、アルテナ王国では見慣れた代物だ。

「レオンハルト閣下のご意向は?」

「受け入れるつもりだ。軍閥派は平和主義者の集まりなのだよ。安全な本土にいる人間と違って、戦争に駆り出される現場の帝国兵は、戦いに飽き飽きしている。アルテナ王国の女王様も自国を再び戦場にはしたくあるまい?」

「ええ、もちろんですわ。教会の女⋯⋯。ベルゼフリート陛下は面白がるかもしれませんわ。色物がお好きですから」

「面白がるだろう。黄葉離宮の冒険者達もお気に召されている。よって、教会の女が入内したら黄葉離宮で預かってもらう。セラフィーナは働き者の側女を欲しがっていただろう?」

「私を含め、黄葉離宮の女仙は妊娠中ですわ。もし入内できたのなら歓迎いたしましょう。猫の手を借りたいくらい、人手に困っておりますわ」

 鈴蘭離宮で起きた化猫騒動は程なくして収束した。

 計画通りに解体され、鈴蘭離宮の跡地は建材の保管場所になった。

 礼拝堂に残されていた聖典や書物は、公文書館に預けられ、歴史的価値が認められれば、帝都アヴァタールの博物館に寄贈されるという。テレーズは焼却処分を願い出たが却下された。

 化猫騒動の真相をセラフィーナ達は知っているが、女仙達の記憶から噂が忘れ去られる中、あえて口外はしなかった。軍閥派が秘密裏に独自調査をしていたとなれば、女官と一悶着が起こるのは目に見えている。

 後宮暮らしが板についたセラフィーナは、裏の目的に思い当たる節があった。

 ヘルガが召喚したチェシャー・キャットは鈴蘭離宮の外で目撃されていた。そのうえ、参謀本部のユイファンが作戦立案に絡んでいる。

 新たな妃の入内は、後宮の派閥均衡を大きく動かす。

 既に妃である者達は、親族や分家筋の女を引き入れるために全力を尽くすだろう。身内から妃を輩出できていない帝国貴族も、ありとあらゆる手段を講じて、入内を果たそうとする。

 一族の栄達がかかっている。必死になるのは当然だ。

 ――良からぬ企みを抱く女仙は必ず出てくる。

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