金緑后宮の主、帝国元帥レオンハルト・アレキサンダーは苦悩していた。
「一悶着が起きるとは思っていた⋯⋯。しかし、ここまで拗れるのは想定外だった。いい加減、大人になってくれ⋯⋯」
ただでさえ軍務省の激務で頭を抱えている。そんな状況下で姉妹喧嘩の仲裁をしなければならなかった。長女シャーゼロットと六女ブライアローズが帰ってくるなり大喧嘩を始めたのだ。
(いっそ本音をぶちまけたい。私だって姉上達とはそれほど仲良しじゃない⋯⋯。はぁ⋯⋯。なぜにブライアローズは帝城ペンタグラムに逃げたのか⋯⋯。家出するならヘルガの離宮で世話になれと私は言ったぞ)
鬱憤を内心に抑え込んでいるうちは、まだ精神的な余裕がある。
「いっそベルゼフリート陛下に取りなしてもらったほうが上手くいくのでは⋯⋯?」
実現可能が皆無の妙案を口走ってしまう。
シャーゼロットとブライアローズは正反対の二人だが、どちらもアマゾネス族の女。種族の性には抗えない。
ベルゼフリートという優秀な種馬に気に入られるためなら、あの二人はどんなことでもするだろう。レオンハルトでもそうだ。アレキサンダー公爵家の当主を引き受け、帝国元帥の地位に立っているのも、全てはベルゼフリートの正妻になるためだった。
「元帥閣下⋯⋯。よ、よろしいですか?」
執務室に入ってきた秘書の側女は、疲れ切ったレオンハルトに哀れみの視線を向ける。
「ああ、大丈夫だ。どうした?」
「キャルル様が入室を求めておられます」
「そうか。キャルルがやっと来たか。部屋に通してくれ」
レオンハルトは髪の毛を掻きむしり、勢いで簪を握りつぶしてしまった。
「大変お疲れのご様子です。冷たい飲み物をお持ちいたしましょうか?」
気を利かせた側女は微笑みかける。
「そうだな。蒸留酒を樽ごと飲み干したい」
「閣下。こんな時間からお酒は⋯⋯」
「その顔、笑えるな。冗談に決まっているだろう? 気遣わせて悪い。問題ない。単なる心労だ」
「心の疲れは問題大有りだと思います⋯⋯。無理はなさらないでください」
肉体的には無敵のレオンハルトも、精神的な疲労が積み重なればいつかは限界を迎える。
「今夜はベルゼフリート陛下を盗られたからな。気が滅入る」
気晴らしにベルゼフリートを呼ぼうとしたら、帝国宰相ウィルヘルミナに日程を押さえられていた。
(ベルゼフリート陛下に癒やしてもらいたい。はぁ⋯⋯。もっと早く予定を入れていれば⋯⋯。今月は完全に出遅れた。ウィルヘルミナめ⋯⋯。淫魔のくせに、どうしてもああも小賢しいのだ)
今頃、ウィルヘルミナとベルゼフリートは星嵐后宮で仲睦まじくお愉しみの最中。そう思うと胃がムカムカとしてくる。
「はいはーい♪ 使いっ走りの末妹ちゃんが推参しました~!」
呼び出したキャルルが執務室に現れた。
帝国軍の厳しい軍服は、可憐な美少女になぜかよく似合う。
父親が違うとはいえ、同じ母親の胎から生まれた姉妹なのに、どうしてこんなに外見が違うのだろうとレオンハルトは思う。キャルル曰く、筋肉を筋肉で押さえ込むのが細身を維持するコツらしい。
「ふざけてないで真面目にやってくれ。仮にも私は帝国元帥。そして、キャルルは帝国兵の規範となる将校なのだぞ」
レオンハルトとキャルルの姉妹仲は良好だ。公の場でなければ口調を正す必要はないが、緊張感を保たせるために注意しておく。
「私はいつだって超真面目ですが? 軍の犬となって、辺境での魔物退治から、国境警備までをこなす兵士の模範生であります!」
頬を膨らませてキャルルは反論する。
「分かった。小言は私も嫌いだ。実はキャルルに頼みことが――」
「――シャーゼロットお姉ちゃんとブライアローズちゃんの喧嘩仲裁ならお断りっ!」
両手でバツ印を作り、キャルルは拒絶する。
「いや、いやっ! ちょっと待て! 私はまだ何も言ってないぞ」
頬から垂れた冷や汗が、乳房の谷間に流れ落ちた。レオンハルトは言葉に詰まる。説得する言葉を必死に考えているようだった。
「呼び出したのは、その件じゃないと?」
「まあ⋯⋯。えっとだな⋯⋯。その件ではある」
「やっぱり⋯⋯! ブライアローズちゃんは放っておくのが一番なのです! なぜなら! どうせ数ヶ月すればシャーゼロットお姉ちゃんの怒りも鎮火するから」
「そうか⋯⋯? そうであってほしいが⋯⋯」
「実家暮らしだった頃も三年に一度くらいはあった定期イベントでしょ。私達を産んだ母上は『争い合えば強くなる』って姉妹喧嘩を煽ったりさ」
「母上は火に油しか注げない人だからな」
自分に相応しい伴侶を見つけられなかったアマゾネス族の女は、妥協で子作りをする。自分の娘達に過度な期待や教育を施す悪癖は、己のコンプレックスに起因する。
「いつだって私達が損な役回り。いい加減、そういうのやめたくない? お偉い元帥閣下が貧乏くじを引かなくたっていいじゃないですか~」
ソファに腰掛けたキャルルは、呑気にネイルの手入れを始めた。
「今回は他所に迷惑がかかってる」
「どちらの他所様?」
「女官だ。苦情が来てる。うちのブライアローズが遊泳禁止の湖で浮かんでるから引き取ってくれとな⋯⋯。あの馬鹿はよりにもよって御苑の湖で寝てるそうだ」
「最近、暑いから」
「そういう問題ではなかろう」
「あれ? その件で皇帝陛下から手紙が届いてません?」
「耳ざといな。手紙は届いた。内容も読んでいる。ベルゼフリート陛下は面白がっているようだ」
「ブライアローズちゃん。皇帝陛下からのウケはいいからね。お姉ちゃん達はそこが気に入らないじゃない」
「ベルゼフリート陛下は好きにさせていいと⋯⋯言ってはいたが⋯⋯」
「慈悲深さに甘えちゃいましょうよ。金緑后宮が平和になる」
「しかし、帝城ペンタグラムの管理権は女官にある」
ベルゼフリートは「ブライアローズをしばらく好きにさせてほしい」と手紙を送ってきた。「各女官長に配慮を頼んである」と締めくくられていたが、残念ながらメガラニカ皇帝に実権はない。
(女官は妃達や側女を嫌ってる。ベルゼフリート陛下の願いだろうと関係ない。仕事を邪魔する者は許さないだろう。特にブライアローズは⋯⋯な⋯⋯)
女官達はベルゼフリートの意思を尊重する。しかし、命令に絶対服従であるかと問われれば、その答えは否だ。
命令系統の頂点に立っているのは女官総長である。帝国元帥の権限で女官総長を動かすこともできる。しかし、レオンハルトは正妻特権を行使する気がない。
(こんな情けない家族問題で特権は使ったと知られれば、どんな悪い噂が宮中に流れるか⋯⋯)
来年には新たな妃の入内がある。大切な時期に軍閥派の評判を落としたくなかった。
「女官総長ヴァネッサが出てくると面倒だ。次の三頭会議で嫌味を言われる」
「言わせておけばいいじゃないですかー?」
「私は宰相や神官長に嗤われたくないぞ。とにかくだ。ブライアローズを連れ戻してこい。⋯⋯タイガルラも使っていいから」
「ふーん。私とタイガルラお姉ちゃんで後始末?」
「他に頼める相手がいない」
「ルアシュタインお姉ちゃんとレギンフォードお姉ちゃんは暇そうだけど? 最近は帝国軍の任務も振られてない。デートの準備で大忙し。新しい服を買い込んでるよ」
「あの姉上達には頼めないだろう」
こういう時だけ、レオンハルトは四女の顔に戻る。
「んっ、ごほん! 恐れながらレオンハルト元帥は、アレキサンダー公爵家の当主! 軍務省の頂点に君臨する御方!」
「キャルル? いきなりどうした?」
「頼むのではなく、いっそ命令してはいかが? レオンハルト閣下?」
「⋯⋯⋯⋯」
「普段から偉そうに軍規を説いてる年長組のお姉ちゃん達は従わざる得ないでしょう?」
「命令はできる。⋯⋯だが、無理強いはしたくない」
レオンハルトは顔を背けた。キャルルは立ち上がって机を叩いた。
「もう! 歯切れが悪い! シャーゼロットお姉ちゃんに地方出張を命じたでしょ。その時みたいに命令しちゃえばいい! レオンハルトお姉ちゃんは帝国元帥! 私達の中で一番偉いんだから!」
「あれは軍務省の仕事だった。今回は違う」
目線を合わせようとしないレオンハルトに、キャルルは呆れてしまった。
「あれはあれで、シャーゼロットお姉ちゃんが拗ねてたよ。皇帝陛下の護衛任務から外されちゃったわけで⋯⋯」
「仕方ないだろう。牛頭鬼の魔物と戦ったのはブライアローズだけだ。人間化状態のキュレイと会ったのはシャーゼロットだ。⋯⋯そうだ。護衛任務で思い出したぞ。ベルゼフリート陛下とデートの約束したそうだな?」
「私は違います~。抜け駆けした卑怯者は三人! ルアシュタインお姉ちゃん、レギンフォードお姉ちゃん、タイガルラお姉ちゃんで~す」
「キャルルもこの前、黄葉離宮でベルゼフリート陛下と遊んでいたろ?」
「私は皇帝陛下のお情けで夜伽に呼んでもらっただけ」
「十分だろ。私はここ最近、ベルゼフリート陛下とはご無沙汰だ。正妻なのに⋯⋯」
「それよりもさ、元帥閣下。あの三人、怪しくない? 避妊失敗を装って孕む気だったりして?」
「安心しろ。絶対にさせない。もし妊娠したら軍規違反で絞り上げてやる。⋯⋯というか、シャーゼロットの機嫌が悪いのは、それも影響してそうな気がするな」
「あるかもしれませんねぇ~。ていうか、絶対にそうでしょ」
「はぁ⋯⋯。私はずっと執務室で書類と格闘だぞ。頭脳戦はアマゾネスの専門外だ。しかも、懐妊報告をあげてくる公妃まで⋯⋯。他の奴らだけ美味しい思いをしている⋯⋯。ずるい」
「そうだとしてもさ、いい歳して八つ当たりとか、普通する? お立場がある元帥閣下はしないでしょ。それに比べてシャーゼロットお姉ちゃんもお子様なんだから⋯⋯。長女のくせに」
「私だって好き勝手できるのなら、星嵐后宮に突撃して、ベルゼフリート陛下を略奪してくるぞ」
レオンハルトは拳を握りしめる。やろうと思えばできる。しかし、そんなことをすれば大問題になる。
「⋯⋯とにかくキャルルに任せた。ブライアローズをなんとかしろ。これは元帥命令だ」
「了解。分かりましたよー。タイガルラお姉ちゃんを道連れに、ブライアローズちゃんを回収してきます」
「連れ帰ってきたら自室に閉じ込めておけ」
「あ。そうそう! 元帥閣下に聞くことがあった」
「なんだ? 毎度のことだが、広報部署への転属は無理だぞ。これから軍縮計画が本格的に始まる。実働戦力の核となるキャルルを手放す気はない」
「そっちじゃなくて、鈴蘭離宮の化猫騒動って知ってます? 女官の間で有名になってるアレな噂話」
「化猫の幽霊が出るという噂だろう。調査はヘルガに一任してる」
「ヘルガ妃殿下がね⋯⋯。ふーん」
「些細な噂話だ。ヘルガがやる気を見せていたから自由にさせている」
「その件で女官達から陳情とかは?」
「女官長からは何も言われていない。だが、どうせ使い道のない離宮だ。工務女官長には建物の解体を提案している。新しく妃を迎えても、鈴蘭離宮に住みたがる変人はいないだろう」
「鈴蘭離宮の化猫が外を出歩いてる。そんな話まであるけど?」
「軍務省に対処を求めてきた公妃はいる。そのうち解決する問題だ。ヘルガが上手くやるだろう。この話は捨て置け」
ヘルガの調査報告次第ではあったが、レオンハルトは鈴蘭離宮を取り潰して、化猫騒動に決着を付けるつもりだった。
(このところ、やることが多すぎる⋯⋯)
保護国に置いた西アルテナ王国の防衛、帝国軍の大規模な軍縮、旧帝都ヴィシュテルの復興計画など、重要な案件が山積みとなっている。
(ルテオン聖教国の動向も警戒が必要だ。教皇は反帝国の立場を鮮明にしているが、だとしたら例の提案は何が狙いだ⋯⋯?)
多忙な帝国元帥は小事にかまけている余裕はなかった。
【ちょっとした裏話】アレキサンダー公爵家の七姉妹について
アレキサンダーとキャルルが出てきたので、姉妹仲について設定資料をちょっとだけ公開!
・長女シャーゼロット[趣味]家庭菜園&観葉植物&生花
・次女ルアシュタイン[趣味]読書&自作絵本の読み聞かせ(ベルゼフリート限定)
・三女レギンフォード[趣味]舞踊&裁縫&音楽
・四女レオンハルト[好物]お酒(ベルゼフリートにお酌をさせること)
・五女タイガルラ[好物]プロテイン
・六女ブライアローズ[日課]睡眠・惰眠・二度寝・食事・セックス
・七女キャルル[日課]人脈作り&可愛くなること!
▼仲良しグループ
まず父親が三人いるため、同じ父親の姉妹は関係性が比較的良好です。
仲良しグループは長女&次女&三女、四女&五女、六女&七女の組み合わせです。
▼キャルルの「お姉ちゃん」呼び
七女のキャルルは姉達を「名前+お姉ちゃん」と呼ぶが、ブライアローズだけは「ブライアローズちゃん」。親しい姉や寛容なレオンハルトには砕けた口調で話しかけるが、長女シャーゼロットには敬語しか使わない(というか、ほとんど会話がない)。
▼レオンハルトと姉妹の微妙な関係
レオンハルトは当主&帝国元帥なので姉達を呼び捨てですが、昔のように「姉上」と言うこともあります。年長の姉達は扱い難いので、プライベートな頼みは妹達に任せる。その代わり妹達には甘め。ダメな妹であるブライアローズを庇いつつ、面倒見のいいヘルガ・ケーデンバウアーの離宮に預けられないか暗躍中。軍務省の正職に復帰させるのは諦め気味。
▼相性最悪の組み合わせ
相性が最悪なのは長女と六女。シャーゼロットは后宮の廊下で寝てるブライアローズを見かけると、容赦なく蹴り飛ばしている。
▼皇帝派閥と七姉妹
七姉妹の全員が皇帝の子供を出産済み。
ベルゼフリートは全員と仲が良く、姉妹丼をおねだりしたことがあるが、自分の体力や精力が保たないと気付いて撤回。ブライアローズを帝城ペンタグラムで引き取ろうとしたが、女官の猛反対にあって頓挫した。
▼女官からの評価は↓の通り。
四女>>>皇后特権の壁>>>次女>長女・五女>三女・七女>>>六女
[主人]四女レオンハルトは正妻特権持ちの皇后、命令されたら女官は服従しなければならない。
[良好]次女ルアシュタインは読書家であるため、図書管理の財務女官と仲が良い。お淑やかな常識人タイプなので、よっぽどのことをしなければ怒らない。揉め事も起こさないが、恨みを買ってしまうと長引く。
[普通]長女シャーゼロット・五女タイガルラは普通。女官とすれ違っても互いに干渉をしない。良くも悪くも棲み分けをしている。そもそも女官に興味関心がない。
[嫌悪]三女レギンフォードは女官を露骨に見下すことがあるため、そこそこ嫌われている。七女キャルルはメイド服を着ようとして揉めたことがある。
[唾棄]六女ブライアローズは女官からすると「仕事の邪魔」の一言に尽きる。
▼妹の夫を寝取るシャーゼロット
正妻のレオンハルトを例外として、ベルゼフリートと最も親しい関係にあるのはシャーゼロット。帝国元帥の業務に忙殺されるレオンハルトを尻目に、ベルゼフリートと距離を縮め続けた。趣味の家庭菜園でベルゼフリートの好物を育てており、食べ物で釣って寝室に誘い込んでいる。