【222話】教皇庁の思惑 異端の乙女

 その日、ルテオン聖教国の教皇庁では密談が行われていた。

 老婆は机上の古びた羊皮紙を束ねる。

 教皇庁の機密文書館から集められた歴史的資料。メガラニカ皇帝に関するあらゆる記録を蒐集し、重要な記述を書写したものである。

 老眼鏡をかけた老婆はメガラニカ帝国と教会の歴史を遡った。歴代の年代記作家が遺した膨大な資料を読み解くのは一苦労だった。しかし、労苦に見合う大きな学びはあった。

「教会の頂点に君臨する教皇は、メガラニカ帝国の連邦制度に組み込まれた際、法王に名を改めた。破壊帝による大虐殺時代、教会は独立し、再び名誉を取り戻した。現代の教会は忌まわしき過去に取り憑かれ、メガラニカ帝国を過度に敵視しているが、これはに過ぎない」

 枢機卿の地位を預かる老婆は、年若い修道女に語りかける。身分は天と地ほど開いている。しかし、老女は眼前の乙女を高く評価している。

「さて、ここまでの前置きを聞いたうえで、ぜひ貴方の意見は? 私の主張はに聞こえますか?」

 老婆は問いを投げかける。半端な覚悟しか持たぬ俗物であれば、枢機卿の機嫌を損ねない回答を必死に探るだろう。無論、そんな答えは望んでいない。

 修道女は臆する様子も見せず、期待通りの応答をしてくれた。

「はい。恐れながら、です。主流派の耳に入れば貴方様の地位も危ぶまれます。教会の尊厳を踏みにじる勢力を擁護していると受け取られるでしょう」

「メガラニカ帝国は教会の尊厳を踏みにじる勢力ですか?」

「メガラニカ帝国は教会の敵になりえます。これまでの五〇〇年間、鎖国状態でありましたが、皇帝の即位で息を吹き返しました。中央諸国にとって大きな脅威となりつつあります」

 修道女は取り繕いのない本心を語る。静かに耳を傾ける老婆は満足げに頷いた。

「正しい見解だ。貴方はとても優秀な修道女ですね。牢に入れておくのが惜しい。この意味は分かっておりますね?」

「⋯⋯⋯⋯」

 修道女は目線を伏せる。監置室と呼ばれる一室に修道女は閉じ込められていた。鉄格子の扉は外から鍵がかけてある。外観は牢屋と大差がない。

 居心地は悪くない。良いところは、寝具や日用雑貨などが備わっていることだ。鉄格子付きではあるものの、広い窓から外を眺めることもできる。

「私が先ほど述べた歴史の解釈は、貴方の書斎で見つかった論文から抜粋したものです。よく出来たレポートでしたよ。ああ、でも、念のために確認しましょう。貴方が書いたもので間違いありませんか?」

「はい」

「誤魔化しどころか、弁明も要求しないのですね。貴方は」

「異端審問の際に告白しております。隠すつもりはございません」

「残念です。貴方が用心深く立ち回っていれば、教皇候補者に残り続けていたでしょう」

「⋯⋯⋯⋯」

「異端として名を奪われることもなく、現在のような不名誉な立場にも立たされなかった」

「恐れながら⋯⋯。貴方様が何を言わんとしているのか、理解に苦しんでおります」

「実直であれど、その美徳も度が過ぎれば身を滅ぼす。出世したいのなら保身を考えに入れておくべきでした」

「つまり、私が愚か者だと?」

「貴方は賢い。愚か者ではありません。しかし、馬鹿正直な生き方が許されるほど、教皇庁は甘くないと言っているのですよ」

 枢機卿は笑顔を崩さない。皮肉と受け取れる言葉を吐きつけ、修道女の反応を見ている。

「教会とルテオン聖教国の未来を憂いて行動していたつもりです。恥ずべき振る舞いはしておりません」

「存じておりますとも。貴方はメガラニカ帝国と友好関係を結ぶべきだと考えている。異端者と糾弾されても、自身の論説を曲げなかった。お美事な頑固っぷりです」

「歴史を読み解けば分かります」

「何が分かるのですか?」

「意地の悪いことをなさる⋯⋯。貴方様は承知のうえで質問をされておりますね」

「長生きの秘訣です。老人は性格が悪くなるものですよ。さて、底意地の捻くれた私にご教示いただけませんか?」

「メガラニカ帝国の皇帝と戦えば負けます。絶対に勝てません」

「戦いに絶対はないと思いますが?」

「⋯⋯万が一にでも勝ってしまったら、負けたとき以上の犠牲が出ます。言葉選びを間違えました。絶対に勝ってはいけないのです。それこそ、大陸全土の文明が滅びかねないほどの被害が出ます⋯⋯。メガラニカ帝国とは適切な距離を取りつつ、友好関係を結ぶべきです」

 教皇候補だった才女は異端者の烙印を押され、追放処分の身に落ちた。聖籍を抹消され、名もなき修道女として地下牢に繋がれていた。

「至極真っ当な意見です。しかし、現在の教皇庁では受け入れ難い思想だ。ゆえに貴方は異端者として隔離されています。枢機卿会議の馬鹿さ加減にも呆れるばかです」

「その発言⋯⋯良いのですか⋯⋯? 私が密告すれば異端審問にかけられますよ?」

「密告しようとする者は、そんな態度は取りませんよ。貴方を追い落とそうとしたルームメイトは、事前に密告すると警告してくれたのですか?」

「⋯⋯⋯⋯。いいえ」

「少しは他人を疑うことですね」

「人を信じるのは美徳です。私が誤った道を歩まぬように止めようとしてくれた。そう考えることもできます」

「そんな高尚な理由ではないと思いますよ。単純に教皇候補のライバルを追い落としたかったのでしょう」

「⋯⋯年齢を重ねた聖職者は性格が悪くなると聞きました。事実のようです」

「私は悪徳を積み重ねた枢機卿ですからね。だからこそ、教会の生き残る可能性を高めるために全力を尽くせるのです」

「アルテナ王国の女王セラフィーナと皇帝ベルゼフリートの再婚を認めるように働きかけたのもそのためですか」

「手打ちは必要です。メガラニカ帝国の侵攻をグウィストン川に押し止めました」

「教会が説いてきた性道徳に反しています」

「政治の清濁です。何よりもこちらが譲歩しなければ、メガラニカ帝国は王女だったヴィクトリカを亡き者にしていたでしょう。女王セラフィーナが懐妊した時点で、娘のヴィクトリカは唯一無二の駒ではなくなった」

「東アルテナ王国を緩衝地帯とする計画は良案です。しかしながら、我らが担ぎ上げた王女ヴィクトリカはメガラニカ皇帝の御手付きとなり、男児を産んでしまいました。東アルテナ王国の女王に即位しても、この事実は消えません。⋯⋯将来的には武力侵攻の口実とされかねません」

「そうですね。現在のところ、アルテナ王家で唯一の男児です。世間一般には父親が誰であるかは伏されているものの、帝国の虜囚であった時期の懐妊となれば、答え合わせは簡単です」

 ヴィクトリカが秘密出産した男児は、明らかにベルゼフリートの子供だった。

「あちらとこちらの価値観は異なります。それでも交渉できる相手です。中央諸国の国々が暴走する前に、教会としてメガラニカ帝国と関係を築いておくべきかと⋯⋯。私は常々、そう思っております」

「現在の枢機卿会議が迎合的な方針を許すと思いますか?」

「いいえ。だから、私はこの通りの有り様です」

「とはいえ、教皇庁も馬鹿者ばかりではありません。何よりも貴方のように本音を垂れ流す正直者ばかりでもない。唐突ではありますが、その部屋から出られるようになりますよ」

「僻地の修道院に送る目処がつきましたか?」

「違いますよ。貴方が行く場所は西方の果てです。グウィストン川を渡ってもらいます」

「メガラニカ帝国に⋯⋯?」

「異端審問で有罪となった貴方は、出自と真名を抹消され、聖籍も剥奪されています。新しい生まれと名前をあげましょう」

「私に何をさせたいのです?」

「メガラニカ帝国との衝突を避け、友好関係を築くのなら、橋渡し役が必要です。幼帝ベルゼフリートは女好き。後宮には千人以上の美女を侍らせているそうです」

「私は貢物ですか」

「貴方の容姿は優れておりますからね。おかげでルームメイトからの妬心を向けられたようです。教皇候補を脱落したからといって、貴方の価値が無くなるわけではない。教会のために働いてもらいます」

「私を貢いだところで、相手が受け取るとは限りません」

「まずは送りつけてからでしょう。拒否されれば次を考えます」

「承知しました。それが教会の信徒を守ることに繋がるのなら引き受けます」

「貴方の自己犠牲に感謝します。教会の理想は、メガラニカ帝国が聖大帝時代のように戦争を忌避し、対外戦争を引き起こさぬ平和国家であり続けることです」

「幼帝ベルゼフリートが栄大帝や破壊帝のようになってもらっては困ると⋯⋯」

「ええ。まさしく。大陸史に名を刻む栄大帝と破壊帝。一方は大宰相ガルネットと共に大陸統一の偉業を成し遂げ、もう片方は大陸に大虐殺と荒廃を齎した。両者に共通するのは、勢力拡大に意欲的だった点です」

「世論工作は難しいですよ⋯⋯。メガラニカ帝国内で聖大帝は尊ばれていると思います。しかしながら古すぎます。大昔の人物です。栄大帝の偉業に比べれば威光は霞みます」

「工作活動はこちらの仕事です。貴方は橋渡し役。いわば、友好親善大使です。教会とメガラニカ帝国の衝突を避けるための保険となってください」

「焦っておられますね。バルカサロ王国の手綱が切れましたか?」

 修道女は本質を突いた。それまで表情を崩さなかった老婆が口元を歪ませる。

「さすがですね。その通り。バルカサロ王国はどう転ぶか分かりません」

「内乱ですか?」

「当初は枢機卿会議も戦費調達の重税で地方反乱が起きたと思っていました。しかし、そういうレベルではなさそうです。バルカサロ王国の軍師団が機能していません」

「地方反乱なら国軍が動きます。動けない理由は⋯⋯」

「可能性は二つあります。国軍が反旗を翻したか、争い合ってる勢力のどちらにも加担できない事情がある」

「国軍による反乱は考えにくいです。機能不全を起こしているのなら後者でしょう。王位継承を巡って何かが起きているのでは? 王族絡みとなれば国軍の動きは鈍くなります」

「いずれにせよ、バルカサロ王国の国内情勢は緊迫しています。教会の干渉は逆効果になる。だから、手綱を握るような真似はできなくなりました。このような国際情勢です。貴方が果たすべき役割の重要性を認識いただけましたか?」

「メガラニカ帝国の後宮に入り、皇帝の女になれと仰るのですね」

「異端認定された時点で、貴方は聖職者の道を絶たれています。乙女である必要もないでしょう。新たな名前と身分は近日中に伝えます。後宮入内を果たした暁には、皇帝ベルゼフリートの子を孕む。それくらいの覚悟を持ってください」

「承知いたしました。心得はありませんが、微力を尽くし、女を磨いておきます。ルテオン聖教国と教会のために⋯⋯」

 枢機卿の面会から一週間と経たずに、教皇候補者だった乙女は新たな名を与えられた。旅立つ先は西の最果て、メガラニカ帝国の帝都アヴァタールに向かう。

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