ルミターニャは真新しい自分の肉体を見つめる。乳房と尻の大きさが小ぶりになっていた。
「これが私の新しい肉体ですか⋯⋯?」
それでも異性の視線を惹き付けてしまう爆乳ではあるが、人類の枠に収まる常識的なサイズだ。
当然、尻の谷間に馬尾は生えていない。両足の先は靴が履ける五本指。獣皮で覆われ、先端が蹄となっている今のルミターニャとは大違いだ。
(昔だったら鏡を見ているみたい、と言えたのでしょうけど⋯⋯)
感じる印象は懐かしさだ。
生誕祭の夜、ついにルミターニャの額に鬼角が現出した。オロバスと交わり、子を孕み続けた影響で、母胎の身体が変容してしまったのだ。
4年の歳月を経て、ルミターニャの肉体は完全な馬頭鬼に成り果てた。
「いい出来栄えでしょう? 私の胎内で作ったルミターニャの複製体よ。培養槽で調整して30代の身体にしてあげたわ。サービスでちょっとだけ若返ってるわよ。魂を移し替えた後、記憶をいじくれば元通りってわけ。おめでとう♡」
淫魔族の族長にして、魔界随一の魔法使いキスキル。ルミターニャの胎を造り変え、魔族との交配を可能にした大天才。
性格に大きな問題があるものの、その才能は万人が認めている。
魔王がオロバスに命じた無理難題。ルミターニャの身体を元通りに直せとの命令は完遂されようとしていた。
「感謝しているわ。ルミターニャ」
「⋯⋯⋯⋯? 感謝されるようなことは⋯⋯」
「馬頭鬼族の胤で私も孕めたわ。オロバスちゃんとの子作り。素敵だったわ。最高のインキュバスを産めた。先代のアスバシール殿はガードがきつくて、なかなか難しかったの。貴方のおかげよ。ルミターニャ♡」
淫魔ミュルキル。父はオロバス、母はキスキル。偉大な父母の血筋を引く純潔の魔族。
魔族君主同士の子供が産まれたのは数百年ぶりだった。だが、キスキルの欲望は止まることを知らない。
「次は娘を産むわぁ♡ ミュルキルにせがまれてしまったのよ。ルミターニャに見せてあげたかったわ。勇者の血筋を引くサキュバス♡ きっと極上の淫女になるわ」
「勇者の血⋯⋯?」
ルミターニャはキスキルを見る。淫魔は妖艶な笑みを作り、己の子宮を両手の人差し指で示した。
「ふふふっ♡ 私のお腹には赤ちゃんがいるのよ。ルミターニャの孫娘♡ あぁはうぅ♡」
「孫娘⋯⋯。まさか⋯⋯キスキル様は私の産んだ息子と⋯⋯?」
「ええ。セックスしたわ♡ 勇者エニスクを追い詰めた混血の勇士。勇者の母親が産んだ馬頭鬼の息子ストーム。生誕祭の最終日、ミュルキルに頼んで、逢い引きしてもらったのよ。美味しかったわぁ♡ 筆下ろし♡」
「⋯⋯⋯⋯」
「ヴァリエンテは退魔の血統。オロバスちゃんの考えは画期的だったわ。勇者の血を取り入れてしまえば、その力をきっと無効化できる」
魔族と人間は別種の生き物だ。人間の道理は通じない。道徳論は乖離している。
土台となる生来の倫理観が異なっているのだ。
「人類との停戦協定は永遠には続かない。いつの日か戦いが始まるわ。私たちは勇者に対する対抗手段を得た。ルミターニャ。重ねて感謝の言葉を贈らせてほしいわ。ありがとう♡」
キスキルは魔法の準備に取りかかる。
ルミターニャの身体から魂を剥ぎ取り、新しい肉体に移し替える大魔法。膨大な魔力を消費する。
キスキルといえど、集中力を高めなければ発動できない。
「オロバス様は⋯⋯」
「あの子は来ないわ。お互いのためにね。だって、ルミターニャに未練や執着があったら、失敗してしまうかもしれないでしょう?」
「⋯⋯キスキル様。私の記憶は完全に消えてしまうのですか?」
「ええ。新しい身体で目覚める前に、宰相ダンタリオン様が強力な精神魔法をかけるわ。魔王城での4年間、貴方は馬頭鬼族の大屋敷で雑用をしていた。掃除とか子供の世話。単なるお手伝いさん。そういうことになるわ。偽りの記憶で上書きするのよ」
「魔界に来てからの生活⋯⋯。性奉仕婦だった記憶の全てが⋯⋯消え去ってしまう⋯⋯」
「⋯⋯ふふ♡ 実を言うとね。私の計画には1つだけ問題があったのよ♡ それが何か分かる?」
「問題⋯⋯?」
「もっとも愛する人間の名前を忘れる呪い。宰相ダンタリオン様が施した呪詛は、魂を新しい肉体に移し替えても有効なのよ」
ルミターニャが人類領に帰ったとき、最愛の人間である夫の名前が思い出せなかったらどうなるだろう?
人間とて愚かではない。記憶を弄られたと判断し、ルミターニャを徹底的に調べ上げるはずだ。
「もう心配いらないわ。額から生えた鬼角。ルミターニャは受け入れてしまったのでしょう? そうでなければヴァリエンテの肉体に変質は生じないわ」
ルミターニャは唾を飲み込む。動機が激しい。鼓動の音が脳にまで響く。
「——もっとも愛する人間の名前を忘れる呪い」
大淫魔にして魔女。魔族君主キスキルは本来の残酷さを露わにする。
己の本心から目を逸らす、ルミターニャに真実を突きつけた。
「——人外を愛している今なら、ルミターニャは思い出せるはずよ。忘却の呪いは消えてしまったのだから♡」
魂が剥がれる直前、キスキルは問いかける。
「——さあ、奪われた過去を取り戻すのよ♡」
ルミターニャは涙を流す。「やめて」と叫ぼうとするが、魂を引き剥がされ、指先すら動かせない。
「——そして、貴方は最愛の主人を忘れる♡」
息子と同年齢の幼い魔族君主。自分を陵辱し、性奉仕を強要したケダモノ。だが、ルミターニャは愛おしいのだ。
オロバスと淫猥な生活を過ごした4年間。種族の壁を越えて互いの肉体を求め、愛し合った記憶が消え去ってしまう。
(いや⋯⋯! いやですっ⋯⋯!! 私はオロバス様のお側にずっと⋯…ずっと⋯⋯!!)
魂魄転移の魔法が起動する。ルミターニャの魂は深い闇の中に堕ちていった。
意識が遠退く。再び目覚めたとき、ルミターニャは勇者の母親に戻っている。
「——夫の名を思い出しなさい♡」
◇ ◇ ◇
「——マルセム。私、帰って参りましたわ」
ルミターニャ・ヴァリエンテは4年ぶりに故郷の土地を踏んだ。襲撃を受けた村は復興が進み、戦禍の痕跡はなくなっていた。
「⋯⋯攫われてからの4年。誰かが助けてくれるのを神様に祈っていましたわ。マルセム⋯⋯。もう一度だけでいい。貴方に⋯⋯会いたかった⋯…。謝らないといけないことが沢山あったのに⋯⋯」
語りかける相手は墓石だ。
ルミターニャの夫、最愛の人間であるマルセムが安らかに眠っている。
「二度と帰れない。そう思うこともありました。でも、エニスクのおかげで帰ってこれました。私達の息子は誇りです。知っていますか? 人類を導く英雄なんですよ」
ルミターニャは隣の墓に視線を移す。カイン・デラーシュ。夫の親友だった衛兵。村を襲撃した馬頭鬼の兵隊と戦った勇敢な人物。
「カインさん⋯⋯。村を守るために戦ってくれたのですよね。本当は⋯⋯ちゃんと話し合うべきだったのかもしれません。でも、もう遅いですよね」
墓前には酒瓶が置かれていた。未亡人となったカインの妻が好物だった蒸留酒を命日に手向けているそうだ。
「ですが、お酒は控えたほうがいいとは思います」
次にルミターニャは、折れた剣が嵌め込まれた墓を見つめた。墓の下に遺骨はない。戦死した騎士達の墓だ。
墓石には死者の名が刻まれている。
一番上にある名は〈双剣の猛将ロタール〉。エニスクに戦い方を教えた剣の師匠。そして。ルミターニャを護衛するために来てくれた騎士。
「——ごめんなさい。ロタールさん」
この秘密は口に出しては言えない。護衛してくれていた2年間、ルミターニャはロタールと不倫していた。
魔王軍の侵攻を防げるのは勇者だけ。人類を救うためには、エニスクと同じ勇者の力を持つ人間がもっと必要だった。
「赤ちゃんを守れませんでした。どんな理由があれ、私たちはともに罪人です。マルセムには謝罪しなければなりません。それでも⋯⋯授かった子に罪はありません。⋯⋯娘なのか、息子だったのか⋯⋯。定かではありませんが、骨の欠片だけは持ち帰ってきました」
死産した赤子の遺骨を地面に埋める。ロタールは生涯独身だった。遠縁だったが王族の血を引いていたので、面倒ごとになるのを嫌っていたという。
薄汚い政治に巻き込まれ、弟子の母親と姦通した。耐えがたい不名誉だったに違いない。
お互いに過ちは自覚していたし、惹かれまいと努力していた。
(もしロタールさんの子どもを産んでしまっていたら⋯⋯)
ロタールが強く求めてきたら、なびかずにいられただろうか。ルミターニャは断言できなかった。
人類が魔王を倒す。それを考えればロタールと結婚し、新たな勇者を産むのは理想だった。
不道徳だろうと、人類は強い勇者を必要としていた。
(そして私自身も⋯⋯。いいえ、卑しいわ。だって⋯⋯これ以上は⋯⋯心の中であっても言ってはいけませんわ)
愛すべき夫はマルセム。心は揺らいだとしても慕ってしまってはいけない。
国王の命令で仕方なく、夫を欺いていた。そうでなければならないのだ。
涙もろい自分のことだから、絶対に号泣するとルミターニャは思っていた。しかし、夫の墓を前にしても一滴の涙さえ流せなかった。
「⋯⋯なにか⋯⋯心に穴が空いているような⋯⋯? 何か大切な⋯⋯思い出せません⋯⋯」
虜囚として魔王城で暮らした日々。馬頭鬼族の大屋敷で、雑用をさせられていただけだ。
帰ってきたとき、周囲は想像力を働かせて、重苦しい表情を作るが、ルミターニャは苦笑いしてしまう。
(貴族の御屋敷で奉公していたのと変わりません。廊下でほぼ全裸のお妾さんを目撃したときは吃驚しましたけど⋯⋯)
馬頭鬼族の首魁オロバスは、美しい黒毛の妾を従えていた。
寝室から声が聞こえてきたりもした。とてもお盛んだったのを覚えている。
「そういえばあのお妾さん。最後までお名前を知らないままでした。別れの挨拶くらいしてくるべきだったかも⋯⋯」
敵対はしていたが、ルミターニャは子育てを手伝った。幼い馬頭鬼族は人間の子供と変わらない。どんな生き物であろうと赤ちゃんは愛らしい。
虜囚生活の4年間、子育ての時間は安らぎを得た。だからこそ、一時とはいえ、自分が育てた幼子とエニスクが殺し合う未来は想像したくない。
「私は復讐を望みません。エニスクをこれ以上、危険な目に遭わせたくない。マルセム。貴方も分かってくれますよね? 私だけじゃありません。きっと子を持つ母親なら⋯⋯」
ルミターニャは知っていた。族長の夜伽をしていた黒毛の妾は、我が子を深く愛する母親だった。
戦場に子ども達を送り込まないでほしい。黒毛の妾が族長に嘆願する姿を見た。
それはエニスクが戦場で戦っていると知ったときの自分とそっくりだった。子を按ずる母親の顔。
「戦争は今日、終わります。私の愛する夫マルセム。村のために戦ったカインさん。そして、国王陛下に尽くされたロタールさん」
ルミターニャは自分を愛した男の墓前で祈りを捧げる。
「——どうか安らかにお眠りください」
魔王と人類の停戦協定は、ルミターニャの故郷で執り行われる。
魔王は調停式の場所に魔王城を指定し、王国は王都近郊の要塞都市を指定した。
ルミターニャの故郷が選ばれたのは、両陣営の王が折れたからだ。
どちらも相手の陣地に赴きたくない。なぜならお互いが負けたとは思っていないからだ。
「そろそろ戻りましょうか⋯⋯。調停式は2時間後。ふふふっ。エニスクと会えるわ。私の息子が勇者だなんて未だに現実感がありませんね」
ルミターニャは魔王の親衛隊とともに一足早く現地入りした。エニスクは国王を護衛しながら、王都からこちらに向かっている最中だという。
「マルセム。知っていますか? エニスクと王女様の結婚話。そんな噂がまことしやかに流れているそうですよ。デラーシュ家の双子姉妹はどう思っているんでしょうね。最後はエニスクが決めることでしょうけど、私はどうすればいいのかしら?」
夫の眠る墓に笑みを向ける。だが、時間は迫っている。ずっと語りかけている時間はない。
「護衛の皆さん。無理なお願いをして、本当に申し訳ありませんでいした。もう大丈夫です。調停式の場所に案内していただけますか?」
既にルミターニャは王国軍の兵士に引き渡されている。
墓園の外で警備をする兵士達。夫の墓参りがしたいとお願いしたルミターニャの我が侭を聞き入れてくれた。
「あの⋯⋯? なんで剣を向けるんですか? あの、皆さん⋯⋯?」
護衛の兵士達は苦悩していた。しかし、国王の命令は絶対だ。
そして、これは人類が勝利するために必要な汚れ仕事なのだ。
「何とぞ、ご容赦ください。ルミターニャ様。貴方様はここで死なねばなりません」
「⋯⋯え?」
状況が飲み込めない。ルミターニャは後ずさる。
「ルミターニャ様のご子息、エニスク殿は立派な勇者であられます。高潔な精神の持ち主です。停戦協定の場で、魔王を騙し討つ作戦には同意されない」
白刃をルミターニャに向ける兵士は語る。
律儀に説明するのは、せめて殺される理由を教えてやるためだ。
「ルミターニャ様が殺されれば、エニスク殿は魔王に憎しみを向け、必ず戦われるはずです。人類が魔王を討つ絶好の機会は今なのです! 理不尽だと思いましょう。しかし、どうか⋯⋯お許しください⋯⋯!!」
ルミターニャを取り囲んだ兵士達は、ルミターニャに斬りかかる。
戸惑うルミターニャは立ち尽くしていた。
「え⋯⋯? あの⋯⋯? 嘘ですよね? こんなのやめてください⋯⋯! 私は⋯⋯まだ⋯⋯! 会いたい人が⋯⋯!!」
ルミターニャはエニスクを思い浮かべた。魔王城に囚われていた4年間、ずっと再会を望んでいた。だが、なぜか息子の顔が出てこない。
(私は誰に⋯⋯会いたいの⋯⋯。誰か? 誰?)
何本もの剣がルミターニャの身体を貫く。血が体内から流れ出る。
心臓の鼓動が止まり、出血の勢いが弱まっていく。だが、まだルミターニャは生きている。
(⋯⋯私⋯⋯死ぬのですか⋯⋯? 死ぬ⋯⋯?)
両膝を地面に落とし、苦しそうに呼吸をしている。肺は必死に酸素を取り込む。だが、血は巡らない。
「今、楽にします。ルミターニャ様。貴方は人類を救う希望です!」
ルミターニャの首を兵士は刎ねた。
「命令を完遂せよ! 王国万歳! 国王万歳! 勇者に勝利あれ!!」
ルミターニャを殺害した兵士達はお互いを斬り合う。魔王に精神操作され、殺し合いをした。
そう見せかけるためには、自分達も殺さねばならない。
——自死は作戦の範囲内だった。
◇ ◇ ◇
母親の待つ故郷に到着した勇者エニスクは惨劇を目撃する。村人達は皆殺し、父親の墓前で帰ってきた母親は惨殺されている。
全ては王国の自作自演。村人を殺したのは王国の兵士。だが、その兵士達も自殺し、証拠は残さない。
調停式を結ぶにあたり、魔王には精神操作ができる臣下を連れてくるなと条件を付けた。
魔王は王国政府の悪辣な作戦を見抜けなかった。なぜなら魔族は忠誠心が厚く、絶対に裏切らない。仲間を切り捨てることもしない。
むしろ同胞のために己を犠牲にする。
——だからこそ、人間の底知れぬ悪性に足下をすくわれた。
「よくも村の皆を殺したなっ! 俺の母さんを⋯⋯!! 調停式は嘘っぱちか! これがお前のやり方か! 魔王⋯⋯!! 俺の故郷で殺戮をするために、ここを調印式の場所に選んだのか!?」
激昂する勇者エニスクは、魔王に聖剣を向ける。身体をズタズタに切り裂かれ、首を刎ねられた母親。
最後の肉親を殺された恨みを魔王に向ける。
村の入り口にはデラーシュ家の生首が並んでいた。デラーシュ家の双子姉妹、リリーシャとナナリーの憎悪は魔王の親衛隊をも震え上がらせる。
「許さない⋯⋯。絶対に! ここで滅ぼしてやる。悪の化身⋯⋯!! 魔王!!」
「殺す⋯⋯。殺してやる⋯⋯。皆殺しにしよう。エニスク、お姉ちゃん」
リリーシャとナナリーの母親、さらには下の弟妹達。復讐に燃える勇者一行を止めようとする者はいない。
「人間どもめ⋯⋯。侮っていたぞ。化け物が」
魔王は弁解しない。
視線の先にいるのは、この状況を完全に理解している男。首謀者である国王だった。
「勇者エニスクよ。儂のような足手まといを守る必要はない! この場で魔王を討て!!」
「何を言っているんですか! 陛下は避難してください!」
「儂が間違っておったのだ。魔族との和睦など⋯⋯信じてしまったがゆえに民が死んだ! 儂はこの場で死んでも良い! 儂も戦おう!! 民のため! 国のため! 未来のために!! 我が命を捧げようぞ!!」
国王は勝利を確信した。底知れぬ陰謀。勝利するためにさまざまな策謀を巡らせた。
将軍のロタールとルミターニャに子作りを命じる卑劣な王。表に出せない悪行を重ねてきた極悪非道の男だが、その目的は正義だった。
「儂は捨て駒でいい! 他の者達もだ! この場で魔王さえ葬れば人類の勝利だ!!」
「陛下! 駄目です!」
「止めるな。勇者よ。儂は判断を誤った老いぼれの王。兵士を死地に送り込み続けた。その儂が生きながらえる道理はなし! 心残りがあるとすれば、婚期を気にする王女くらいなものじゃよ。——後は頼んだぞ」
老王は魔王に単騎で挑む。
無謀な突撃。殺されるのは分かりきっている。当人も承知の上だった。
「——それが貴様の戦い方か。誉れなき愚物め、恥を知れ!」
嵌められた魔王の憤怒。一撃で老王の肉体を粉砕する。
「——勝利こそ誉れ、敗北こそ恥。魔王よ、貴様は三流の王じゃな!」
人間の国王は死んだ。だが、魔王にとってはどうでもいいことだ。
連れてきた手勢は精鋭だが少数。過度に人間を刺激しないために、大戦力は本国に残してきた。
「クズめ⋯⋯!」
「クズはお前だ! 魔王め! 国王陛下は⋯⋯誰よりも⋯⋯お前らにさえ同情して和睦の機会を⋯⋯! それを踏み躙った! お前のような奴が王を名乗る資格はない!!」
「くっくくく! ほざくな勇者! この場にいるのは私を含め、全員が間抜けだ。どうせ私の言葉など信じぬだろうがな」
相対するは激昂するヴァリエンテの末裔、勇者エニスク。かつて魔王を魔界ごと封じ込めた退魔の一族。
——相性は最悪だ。
「魔王様。お逃げください。我らが時間を稼ぎます」
「相手は勇者だぞ。各個撃破されるのがオチだ。逃げられはしない。卑劣な人間の王は必ず他にも仕込んでいる。私の逃走を阻む仕掛けが必ずある。ならば、道は唯一だ。勇者を倒すぞ。我らに残された活路はそれだけだ」
「魔王様! なりません!! 我らが血路を開きます。その隙にお逃げください!!」
「臣下を捨て駒にはしない。ここで逃げれば私は臆病者だ。そのような魔王に誰が従う? 魔族の誇りが失われる! 歴代の魔王で私はもっとも小物だろうが、卑怯者にはならん!!」
勇者と魔王の激戦が始まる。力量は互角。勝敗を分けるとすれば、それは戦う環境だ。
国王は全てを仕組んでいる。事前に魔族の力を弱める結界を周辺に巡らせていた。さらに勇者が劣勢担った場合に備え、精鋭部隊の増援を隣町に配置した。
勇者が魔王を倒す。その筋書きは完璧だった。
魔王は寿命でしか死なない。ゆえに封殺する。勇者エニスクは魔王を倒す方法を知っていた。
修行のために攻略した大迷宮の最奥。初代ヴァリエンテが刻んだ石碑に記された秘密。
勇者の聖剣は封印剣として精霊が鍛え上げた。
——魔王は聖剣に封じ込め、寿命が来るまで何もさせない。
「聖剣の刃で永遠に眠っていろ。魔王!」
戦いに勝利した勇者は聖剣を掲げる。敗者の姿はない。
魔王は聖剣の刃に封じられてしまった。
「はぁはぁ! 覚悟するがいい。この聖剣で魔族を皆殺しにしてやる。一匹残らず鏖殺だ。自分の臣下が殺されるのをそこで見ていろ!!」
勝利を宣言したエニスクは倒れる。疲労困憊の勇者を支えるのは双子のデラーシュ姉妹だ。
「エニスク! エニスク!!」
「大丈夫。お姉ちゃん。疲れて寝てる。古代獣に超越封印を使ったときもそうだったでしょ」
「ナナリーちゃん⋯⋯村の人達⋯⋯」
「全員殺された。生存者はいないよ。村の生き残りは私たちとエニスクだけ⋯⋯」
「酷い⋯⋯こんなの⋯⋯酷すぎる⋯⋯!」
「お姉ちゃん。私たちはやらないといけないことが沢山あるよ。王様も死んじゃった。厄介な遺言まで残して」
「⋯⋯王女の件?」
「たぶん、エニスクは担ぎ上げられちゃう。魔王を失った魔王軍に攻勢をしかけるチャンス。そんなときに後継者争いなんてできない」
リリーシャとナナリーは気絶したエニスクを見る。戦死した王の遺志は明らかだ。この戦いで生き残った者は、王が残した最後の言葉を広めるだろう。
「エニスクは人類軍を導いて魔王軍と戦う。肩書きは勇者だけじゃ足りない⋯⋯」
「私はあの王女様に譲りたくありません。王女と結婚して王位を継ぐ者なら、王国の兵士を率いるには十分な肩書きでしょうけど」
「私もお姉ちゃんと同じだよ。でも、まずはエニスクを支えてあげよう。これからは戦うだけじゃなくて、頭を使う政治も絡む。私たちは私たちのやり方でエニスクを守ろう⋯⋯」
「そうね。そうだわ⋯⋯。もう私たちが守りたいのはエニスクしかいない。ママや弟妹まで⋯⋯!」
肉親を殺され、姉妹は冷静さを欠いていた。
もしデラーシュ家の双子姉妹が思考を正常に働かせていれば、違和感に気付いただろう。
魔王が村人を虐殺する理由はない。そもそも敗北濃厚な状況下で、なぜ勇者と戦ったのか。魔王の凶行は説明がつかない。
——ルミターニャを殺すタイミングはおかしい。
ルミターニャを殺す機会はいくらでもあった。4年間も魔王城に捕らえていたのだ。
最終的に誰が利益を手にしたのか。それは紛れもなく人間の王であった。
老獪なる人間の王は不死身の魔王に勝利した。だが、1つ見落としがあった。ルミターニャを完全には殺せていない。
——偽りの肉体は死んだ。
——ならば、憑依した魂は消滅するのか。
——否、解き放たれた魂は真なる器に回帰する。
——ルミターニャ・ヴァリエンテは魔王城で復活を果たす。
ノクターンノベルズ連載
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