レヴィアがジェルジオ伯爵城で暮らし始めて一ヵ月が経った。シャーロットやルフォンは正体不明のエルフを警戒していたが、現在のところ大きな問題は起きていない。
古代遺跡の石棺で眠っていたレヴィアは、自分が何者なのかを明かそうとしない。しかし、卓越した魔法使いであることは誰の目にも明らかだった。
ジェルジオ伯爵城の東側には、傾いてしまった古い城壁がある。多額の修繕費がかかるため、ずっと放置されていた。斜度は年々増しており、倒壊の危険があった。そのため、シオンが小さい頃から立ち入り禁止の縄が周囲に張られていた。
レヴィアは傾いた城壁をほんの数分で完璧な状態に直してしまった。この他にも外堀の掃除や痛んだ石橋を修善した。ルフォンやシャーロットができなかったことをレヴィアは簡単にこなしている。
実力ある魔法使いが対価を求めず、善意で働いている。何か裏があるのではないかと不信感を抱く者はいた。その筆頭であるシャーロットは、シオンにべったり引っ付き始めたレヴィアを敵視した。
ルフォンも得体の知れぬレヴィアを警戒していた。同族嫌悪と言うべきであろうか。エルフの魔法使いはジェルジオ伯爵家の女魔法使い達から好かれていなかった。
「危ないので下がっていてくださいね。――大地創成」
レヴィアが魔法の呪文を唱えると、隆起した地面から大量の土砂が湧き始めた。あっという間に膨れ上がった土石は、大穴の底にある古い遺跡を埋め尽くした。
「うわ。すげぇ。どんどん大穴が埋まってる。でも、いいのか? 捜し物があったんだろ?」
魔法による土木工事を見学してたシオンは、わざわざ遺跡を埋め立てる必要があったのかと訊ねる。
〈囀る古鳥亭〉が借りている洞窟の食料庫。その奥に隠されていた大穴は人工的に掘られた石窟で、古い時代の遺跡だ。石棺が安置されていた祭壇は土砂に沈んでいった。
「形あるものは失われるのが運命です」
レヴィアは何かを探していたが、見つからずじまいだった。
「きっと朽ちて消えてしまったのでしょう。私はとても長い間、ここで眠っていたようです。誰も近づけぬように強力な隠蔽魔法をかけていたのですが消失していました。迷宮も崩壊しています。保存の魔法も時間で洗い流されてしまったようです」
事も無げにレヴィアは迷宮と口にした。迷宮創成は第七魔法の時空を極めた魔法使いだけが使える奥義だ。そう簡単に使える魔法ではなかった。
「じゃあ、俺が閉じ込められた迷宮は、魔力の残滓だったのかな。あの時は肝が冷えたよ」
食料庫の扉が消えてシオンは迷宮に閉じ込められた。あの異変に巻き込まれなければ、レヴィアが眠る石棺を見つけ出せなかっただろう。
「その節はご迷惑をおかけいたしました」
レヴィアは事情を少しだけ教えてくれた。洞窟はレヴィアが掘った石窟で、人間が近づけない魔法をかけていたという。しかし、長い年月で魔法の効力が失われ、誰かが見つけて貸し倉庫になってしまった。
「別にいいよ。わざとってわけじゃないんだしさ。なんで眠ってたんだ? まさか悪いことをして封印されてたとか?」
城の書庫にある吸血鬼の本を思い出した。ある邪悪な魔法使いが不老不死になろうとして、日光を浴びられない化物に変貌する昔話だ。
「ある意味ではそうかもしれません」
「え? おいおい。冗談で言ったのに肯定されると困るよ」
「私は自分自身を封印したのです。失敗ばかりの人生でした。やることなすこと裏目ばかり⋯⋯」
「レヴィアはすごい魔法使いなんだろ。ルフォン先生ですら第五魔法までしか使えない。アルヴァンダート先生が言っていた。帝国の魔法使いで第七の位階まで進めた者はほんの数人だって。もっと誇るべきじゃないか?」
「どれだけすごい力を持っていても使い道次第です。私は何も果たせなかった。現実と向き合えず、逃げ出した臆病者です。誇りなど⋯⋯」
レヴィアは自らを蔑んでいる。第七魔法の高みに登り詰めた〈真なる魔法使い〉だというのに、自己評価がとてつもなく低かった。
「何があったか知らないけどさ。辛かったら逃げるのも悪くない。それに、俺達はレヴィアのおかげで大助かりだよ」
「そうですか?」
「特にあの傾いた城壁! 取り壊すのも費用がかかるから、扱いに困ってたんだ。レヴィアが完璧に直してくれて、伯爵様は大喜びしてた」
ジェルジオ伯爵家は比較的裕福な貴族だ。倹約家の伯爵夫妻は無駄遣いをしない。実は傾いていた城壁は散財癖のあった先々代の当主が建造したものだった。見栄えのためだけに、地盤が緩い土地に城壁を建ててしまった。
実用性は全くない。それでも崩壊したら危険なので、十二年前に解体しようとした。しかし、運悪く事故で死傷者が発生し、解体計画は取り止めとなった。呪われている。そんな噂もあったそうだ。
「むしろ申し訳ないです。たいした働きをしていないのに、お金まで恵んでいただきました。ジェルジオ伯爵はよい統治者ですね」
「ただ働きさせるお人じゃないぜ。うちの領主様はさ! レヴィアの服が一着しかないって教えたからね。着替えの服を買うお金は必要だろ。でも、部屋の件はいいの? 俺の部屋は狭いぜ? あと、いろいろ散らかってるし」
「シオンの近くにいたいので、ずっと居候させてください。掃除は私がしましょう」
「そ、そう⋯⋯」
言い方は悪いが、レヴィアはシオンに付きまとっている。美人に好かれるのは心地好い。しかし、好意を向けられる理由までは分からない。
そのうえ、レヴィアの愛情は異性に対するものではなかった。母親が子供に注ぐ母性愛だ。過保護と言い換えてもいい。シオンが一人では生きていけない赤子とでも思っているかのようだった。
(夜のトイレまで付いてこられるのは困るんだよな。てか、俺が起きるとレヴィアも目覚めるのは、どういう仕組みなんだ? まさか魔法? でも、なぜか見守られてると安心しちゃうんだよなぁ)
若干の寒気を感じつつも、シオンはシャーロットと清らかな同棲生活を送っていた。
(狭い部屋のベッドで一緒に寝てるから、周囲に誤解されるのも分かるけど、レヴィアとヤってるわけじゃないんだ。シャーロットお嬢様の機嫌がますます悪くなりそうだし⋯⋯それを考えると⋯⋯。ううぅっ! 恐い! 恐い!!)
シオンはレヴィアを連れて城下街の市場に向った。明日、シャーロットが帝都に旅立つ。魔法学院に入学し、帝国貴族に相応しい高等教育を受ける。半年後にシオンを呼びつけると宣告されていたが、別れの日にプレゼントを贈るつもりだった。しばらくの間、シャーロットとは離ればなれになる。
(プレゼント。お嬢様が気に入ってくれるといいな)
◆ ◆ ◆
結論を簡潔に述べるとしよう。シオンの目論見は盛大に失敗した。
「はぁ~。あちゃー。まさか受け取り拒否されるとは思わなかった。選ぶのに三時間もかけたんだぜ⋯⋯」
シオンはシャーロットへの贈り物に聖印のアミュレットを選んだ。しかし、お別れの日に手渡したアミュレットを突き返されてしまった。
レヴィアと一緒にプレゼントを選んだのが気に入らなかったようだ。
シャーロットは何も望まなかったわけではない。無言で小剣を取り出し、シオンの髪を一房切り取った。ちなみに、シオンは股にぶら下がっている大切な逸物を切り取られるのではないかと、腰を抜かしていた。
「酷いことをしますね。シオンの髪を奪っていくなんて」
「前髪じゃないだけ温情だと思うぜ」
「だとしても粗暴です。シャーロットさんは昔からああなのですか?」
「お嬢様はあんな感じではあるけど、あそこまで苛立ってるのはここ最近だよ」
「なにか嫌なことがあったのでしょうか。そうだとしても周囲に当たり散らすのはよくありません」
(天然でやってるのか、分かっていて言ってるのか。レヴィアはどっちなんだろ。⋯⋯俺も半分くらいは責任があるけどさ)
突き返された聖印のアミュレットは、レヴィアがちゃっかり身に付けている。
「これは私が大切にしますね」
「う、うん⋯⋯。レヴィアは⋯⋯気にしないのか?」
「素晴らしいアミュレットだと思います。シオンの祈りが込められていますから」
(他人にあげるはずだったプレゼントをもらっても嬉しいもんなのか。女性はこういうのを嫌うもんだけど。やっぱレヴィアも魔法使いだから変わった性格だ。まさか最初からこの展開を狙っていたとか⋯⋯いや、ないな。そう思いたい)
シャーロットがレヴィアを嫌う理由は明白だ。レヴィアを完全な恋敵と認識していた。レヴィアの前ではシオンと一言も口を聞いてくれなかった。
(はぁ。レヴィアのことがあるとはいえ意地っ張りなお嬢様だ。魔法使いとしてのジェラシーとかもあるんだろうか? でも、このままは嫌だな。手紙を出そう。お別れだってのに、無言の別れはちょっとね。あんな調子で大丈夫かな? 帝都の魔法学院でちゃんとやれるんだろうか? 友達をちゃんと作ってほしい)
喧嘩別れのようになってしまった。しかし、シャーロットはシオンを好いている。
可愛さ余って憎さ百倍。向ける感情が激しすぎて抑えきれないのだ。その証拠にシャーロットはとても高価な代物をシオンに押し付けてきた。
「金属製のタリスマン。前に使ってたのは食料庫で燃えちゃったから、お嬢様が新しいのをプレゼントしてくれた」
「似合っていますよ」
「うん。すごく見栄えがいい。一人前の聖職者になった気分だ。⋯⋯このタリスマンを無くしたらお嬢様に殺されされそう。命よりも大切にしなきゃな」
「とても高価なものだと思いますよ。貴重なレアメタルが使用されたタリスマンです。しかし、命のほうを大事にしたほうがいいでしょう。命はお金に換えられませんよ」
「え? なんだって?」
「命を大事にと⋯⋯普通のことでは?」
「その前だよ。レアメタル!? これ単なる鉄じゃないのか?」
「漆黒黄金製のタリスマンだと思います。いわゆるブラックゴールドですね」
「黄金⋯⋯!? で、でもさ、金色に光ってはないぜ?」
「黄金、暗銀、プラチナなどで構成される合金です」
「この世にはそんなのあるのか」
「黒い光沢が目立ちますが、通常の金製品よりも使われてる素材が希少ですし、なによりも加工に手間がかかります」
「おいおい。このタリスマン、いくらしたんだよ。俺はまだ半人前の聖職者だってのに⋯⋯。太っ腹すぎるぜ。お嬢様」
「おそらくドワーフ製でしょう。一流の職人が手掛けた鋳造品です。すぐ用意できる代物とは思えません。きっと以前から贈り物の準備をしていたんでしょう」
レヴィアは鼻先を近づけてタリスマンの匂いを嗅いでいる。
「嗅覚で分かるもんなのか?」
「はい。レアメタルの種類を特定するのなら手触りと匂いです。目は騙されやすい。一流の錬金術師であれば、黄鉄鉱を黄金のように見せかけることができます」
さも当然だと言わんばかりにレヴィアは説明する。試しにシオンもタリスマンの匂いを嗅ぐが、さっぱり分からなかった。