山巓のドワーフ族が築いた旧帝都ヴィシュテル。
古森のエルフ族が築いた新帝都アヴァタール。
栄大帝時代に建立された二つの大都市。その都市設計を大宰相ガルネットから任されたのは、七選帝侯に数えられていたヴォワザン公爵家の職人集団だった。
始皇帝から続く旧臣の一族、ヴォワザン公爵家が絶えたのは、栄大帝の一四六〇年に及ぶ偉大な治世が終わり、大陸全土が荒廃した破壊帝の混迷期とされる。
ヴォワザン公爵家の名は破壊帝の時代、帝国宰相を務めた皇后の輩出家として知られていた。ヴォワザン公爵家が旧帝都ヴィシュテルと新帝都アヴァタールの設計を担った史実は忘れ去られている。
皮肉にもアルテナ王国との戦争で、籠城状態だった王都ムーンホワイトを陥落させたメガラニカ帝国軍の奇計と同じ手段だった。
古都には隠された機能がある。その脆弱性を突く。知将ユイファン・ドラクロアは王都ムーンホワイトの魔導障壁を無効化し、二重の城壁をあっけなく突破した。
王都ムーンホワイトの建立は栄大帝の全盛期。都市設計図はメガラニカ帝国の本土に保管されていた。しかし、自分達が成しえた戦法は、敵とて使えるのだ。
凶事到来の日――大陸歴八紀、九年三月二十三日、明朝。
「さあ、お祭りを始めましょう」
神喰いの羅刹姫ピュセル=プリステスは、マナを留めていた堤を解いた。廃都ヴィシュテルで生じていた地脈と気脈の異常滞留が決壊した。
約一ヶ月前、特級冒険者ネクロフェッサーが目視で確認し、メガラニカ帝国および魔狩人に警戒を呼びかけた。しかし、神喰いの羅刹姫ピュセルの隠蔽技術は卓越していた。
「一度きりの大激流。魔物の魔素で汚染された大量のマナを浄化するのはまず不可能。止められやしないわ」
人間達は廃都ヴィシュテルに渦巻く邪悪なマナの規模を見誤った。
廃都ヴィシュテルに滞留していた膨大なマナが爆ぜる。指向性を有する巨大な濁流。勢いを増しながら上流から下流へと突き進む。
見えざる地脈と気脈の大河は氾濫を起こした。
旧帝都ヴィシュテルと新帝都アヴァタールは姉妹都市。レヴェチェリナは二つの都市が地脈と気脈で結ばれていると知っていた。
元々は緊急時にマナの輸送をするため、大気と大地に張り巡らせた巨大なパイプライン機構。栄大帝の崩御後、統一帝国時代の仕組みは使われなくなったが、その機能は失われていなかった。
ケーデンバウアー侯爵家の騎士団が廃都ヴィシュテルでマナの超大放流と震動波を観測。その五時間二十八分後、帝都アヴァタール周辺で力場異常が起きる。
最初に気付いたのは大神殿の巫女達だった。
皇帝に仕える女仙には選ばれなかったものの、司法神官や医療者、退魔結界の管理者として働く優秀な聖職者である。
すぐさま天空城アースガルズの神官長カティアに異常事態発生の急報を飛ばす。だが、敵の手は早かった。
レヴェチェリナとピュセルが仕掛けていた二つ目の罠。天空城アースガルズで隔絶障壁が発動する。
破壊者ルティヤの転生体は死後に大災禍を招く。その被害を軽減するために生み出されたのが天空城の隔絶障壁である。
建造された全ての天空城に備えられた防衛機構であり、転生体の死が不可避、あるいは器の精神が崩壊した場合の最終手段。
隔絶障壁が機能している間に、天空城を外洋に運び、災禍の発生源である皇帝ごと深海の奥底に沈める。秘されているが、天空城の役目は皇帝の墓所だった。
大陸平定を成し遂げた後、栄大帝と大宰相ガルネットは、自分達が失敗した最悪の未来を想定し、災禍の被害を最小限にする方法を研究させた。
栄大帝は天寿を全うし、災禍を起こさなかったが、天空城の隔絶障壁は後世で大きな役割を果たした。天空城に封じられた状態で亡くなった哀帝の災禍は、比較的短期間で終息している。
脱出不可能の檻。天空城アースガルズは女仙を閉じ込める牢獄に変貌した。
◇ ◇ ◇
帝都アヴァタールの政治的中枢、国民議会の議事堂で帝国宰相ウィルヘルミナは大神殿の巫女からの報告を受ける。
「破魔石の異常⋯⋯。さらには天空城アースガルズとの連絡途絶。緊急事態というわけですね」
「天空城アースガルズの隔絶障壁が発動しています。あれは破壊者ルティヤの災禍を一時的に封じ込める空絶型の封印術式です。皇帝陛下の御身に――」
隔絶障壁の発動は皇帝崩御を意味する。
天空城アースガルズの凶兆に気付いた大神殿の巫女は、半狂乱でベルゼフリートの安否を確認した。巫女が連想したのは、死恐帝の暗殺を許した悪夢の再来だった。
今でこそ急速に復興しているメガラニカ帝国だが、皇帝ベルゼフリートの死で状況は一変する。
「――その先は口にしないでください。皇帝陛下はグラシエル大宮殿にいます。健在です」
ウィルヘルミナは断言する。ベルゼフリートはグラシエル大宮殿で戦没者慰霊の祈りを捧げていた。心身ともに健常、破壊者ルティヤの転生体に異常は起きていなかった。
「そもそも私は天空城アースガルズの隔絶障壁を発動させていません。動力炉以外にも敵の仕掛けがあった」
ベルゼフリートの住居をグラシエル大宮殿に移す際、難色を示したのはウィルヘルミナだけだった。敵の狙いが皇帝を天空城アースガルズから離れさせることにあるのではないか。その疑念が拭えなかったせいだ。
(私の疑念は的外れだったということでしょうか。いや⋯⋯隔絶障壁そのものに皇帝陛下を害する効果はない。防壁術ではあるが、効果は封じ込めに特化させた封印結界⋯⋯)
ウィルヘルミナはグラシエル大宮殿にいるベルゼフリートを帝都アヴァタールから避難させるべきか考えていた。常識的に考えれば移動は論外だ。危難が去るまでグラシエル大宮殿の防備を固めるべきである。
「恐れながら隔絶障壁を発動できるのは帝国宰相だけです⋯⋯」
大神殿の巫女は言いにくそうに指摘する。天空城の隔絶障壁は帝国宰相のみが起動できる。つまりはウィルヘルミナだけが使える特権だった。
「私もそう考えていましたが、現在の状況と照らし合わせると、どうやら違ったようです。私は発動させていません。⋯⋯大神殿の巫女は隔絶障壁の解除ができますか?」
「不可能です。グラシエル大宮殿に滞在されている長老派の妃様も同意見でした。我々では隔絶障壁の解除ができません。おそらく内部に閉じ込められているカティア猊下も⋯⋯。宰相閣下は解除方法をご存知ないのですか?」
「そもそも隔絶障壁は帝国宰相である私が内部から起動させるものです。破壊以外の方法で解除はできないでしょうね。⋯⋯カティア神官長は天空城アースガルズに閉じ込められた。こうなると自力での脱出は困難でしょう」
ウィルヘルミナは国民議会で答弁をする予定だった。しかし、緊急事態の発生につき、大神殿の巫女が押し寄せてきたため、議会は騒然となっていた。
(帝国元帥は副都ドルドレイで軍事演習の視察。やはりレオンハルト・アレキサンダーの不在を狙ってきた⋯⋯。天空城の隔絶障壁を誤作動させ、カティア神官長の動きを封じる。三皇后のうち二人は抑え込んだ。まあ、美事な手並みです。となれば、次に仕掛けるのは⋯⋯)
同日、十一時四十六分。破魔石に流れ込んだマナが臨界に達する。
帝都アヴァタールの守護防衛陣、六芒星の退魔結界が崩壊した。
「宰相閣下! 第一軍からの急報です。退魔結界の消失を確認しました!」
栄大帝時代に暁森の大賢者が構築し、数千年にわたって魔の侵攻から人々を護り続けた大結界が初めて破られた瞬間だった。
(特級冒険者ネクロフェッサーが持ち帰った情報のおかげで備えはしてあります。しかし、退魔結界が破られた事実は民心を動揺させる⋯⋯。死恐帝の時代ですら帝都アヴァタールの結界は護持されていた)
帝都上空に巨大なオーロラが出現。人々は美しい極光現象に目を奪われる。だが、吉兆ではない。
退魔結界が消え失せた瞬間、身を潜めていた魔物が一斉に動き出すのだ。
「――帝国宰相の大権に基づき、現刻より国民議会および評議会、両議会を解散し、全議員の権限を停止します」
ウィルヘルミナは大きな政治的決断を下す。
国民の代表である国民議会、女仙の妃からなる評議会、メガラニカ帝国の根幹たる議会の解散を決定した。
「非常事態宣言を発令。レオンハルト元帥が帝都に帰還するまで、第一軍のシェハウゼン大将に治安維持の全権を与え、事態の収束にあたらせます」
帝都アヴァタールの防衛は帝国軍第一軍が担う。
非常時においては、統帥権を握る帝国元帥レオンハルトが指揮する。だが、帝国元帥の不在時は将官の最上位、第一軍の大将シェハウゼンに軍権が委ねられる。
「次に、私との連絡が取れなくなった場合、宰相府の統括権をレオンハルト元帥に譲渡。地方領主の統治裁量権を停止し、帝国全土で戒厳令を敷きます」
戒厳令の予備宣告。戦時における非常事態に際し、国家の全権限を軍事機関に集約させることで、早期の混乱収拾を図る。
帝国宰相である己ではなく、軍務省の帝国元帥に事実上の独裁権を付与する意味。それはレオンハルト・アレキサンダーが個人として最強だからだ。
(レオンハルト元帥が帝都アヴァタールを出立したのは昨日⋯⋯。戻ってくるまでが勝負ですね。できる限りの処置は講じておかねばなりません)
宰相府や大神殿が壊滅し、帝国軍の司令部が瓦解する窮地に陥ろうとも、レオンハルト・アレキサンダーは単独で機能する最強の戦力だ。
「帝都狩猟本館、魔狩人の大頭目に非常事態を通告。冒険者組合ギルドマスターに協力を要請しなさい。国家の有事ではなく、国民に差し迫った危難があるといえば従うでしょう」
「承知いたしました。宰相閣下! 大至急、関係各所に非常事態を伝達いたします!」
「シェハウゼン大将に私の書状を届けてください。天空城アースガルズとの連絡手段が絶たれた以上、軍閥派の女仙から指示を仰ぐことはできません」
あらかじめ用意していた書状を大神殿の巫女に押し付ける。
「この場にいる者達は急いで議事堂を脱出してください。私の予想が正しければ敵の狙いは――」
十一時四十九分、帝都アヴァタールの退魔結界が崩壊してから約三分二十八秒後。国民議会議事堂の天井に嵌めこまれたステンドグラスが崩壊する。
太陽を模した円形のステンドガラスは、約三〇〇万枚のガラス片を用いた至高の工芸品。芸術を愛した栄大帝の散財によってエルフ族の職人が数百年以上の歳月を注いで完成させた国宝であった。
「――私でしょうね」
国宝のステンドグラスを木っ端微塵に粉砕し、ド派手に侵入した魔物、牛頭鬼のキュレイは議事堂に降り立った。
その手には幾人もの猛者を討ち獲った凶魔の大斧が握られている。
帝都アヴァタールへの侵攻に成功したキュレイは獲物を探す。義堂中央の椅子に座るサキュバスを睨んだ。
「帝国宰相ウィルヘルミナ。――見つけたぞ」
帝国宰相ウィルヘルミナは異形の怪物に冷えた視線を向ける。周囲の議員がパニックに陥り、右往左往する最中、威風堂々と敵を見据えていた。
「禍々しい魔素の気配⋯⋯。あれが廃都ヴィシュテルに棲み着いていた魔物で間違いなさそうですね」
ウィルヘルミナはポケットに入れていた匣を取り出す。
「目覚めなさい。貴方の仕事です。帝国の敵を、皇帝陛下の敵を討て」
右手の掌に置き、敵の抹殺を命じる。穏やかな寝息を立てていた匣がついに開門する。