2024年 12月5日 木曜日

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【53話】レオンハルト元帥の帰還、ヴィクトリカ王女の潜入

NOVEL亡国の女王セラフィーナ【53話】レオンハルト元帥の帰還、ヴィクトリカ王女の潜入

 王女ヴィクトリカ・アルテナの訃報は、王都ムーンホワイトの総督府が発表した。娘の訃報を知ったとき、セラフィーナは妊娠4カ月を迎えていた。つまり、メガラニカ帝国とアルテナ王国が講和条約を締結してから、約4カ月後の出来事であった。

 アルテナ王国の王都ムーンホワイトに設置された総督府は、戦後統治を担うメガラニカ帝国の占領機関である。

 講和条約締結後、宰相府から派遣された高等弁務官が機関長に着任した。

 講和の成立を機に、武官による制圧統制から、文官主導の緩やかな法治体制へ移行する予定だった。しかし、現在も総督府の権限は宰相府に移管されていない。

 その原因は三皇后の1人、帝国元帥レオンハルト・アレキサンダーが、現在も王都ムーンホワイトに滞在していることに起因する。

 三皇后はメガラニカ帝国の最高位。指揮系統の関係で、レオンハルトが任地を離れない限り、総督府の全権を高等弁務官に移管できなかったのである。

 このとき、アルテナ王国は内部分裂の危険を抱えていた。情勢は刻々と悪化の一途を辿っている。

 隣接するバルカサロ王国の国境には、ガイゼフ率いるアルテナ国王軍の敗残兵。東部地域は、独立を掲げるヒュバルト伯爵を中心とする貴族連合。さまざまな軍事的課題が山積していた。

 その結果、レオンハルトの帰国は困難な状況下にあった。

 レオンハルトは帝国軍最強の武人だ。前線の兵力を減らしている帝国軍にとって不可欠な戦力であった。しかし、ヴィクトリカ王女の死亡で、状況が改善されつつある。

「ヒュバルト伯爵は秘密裏に帰国していたヴィクトリカ王女の暗殺を謀り、これに成功した」

 レオンハルトは総督府の発表内容を読み上げる。手元の報告書は二通ある。一つは公開用、もう一つは機密指定がなされた内部用の報告書だ。

「ヒュバルト伯爵による王女殺しが明るみにでると、アルテナ王国の民衆は反発した。民衆の怒りに呼応する形で、王家に近しい貴族と市民が蜂起。7月23日未明、東部地域は内乱状態に陥る」

 民衆の蜂起は偶発的なものではなかった。

 軍務省参謀本部ユイファン少将の策謀に沿った茶番劇である。帝国軍は怒る民衆に情報と武器を供給し、内乱を誘発した。

「治安維持のために帝国軍第8連隊を率いて出陣し、蜂起から2日後の7月25日に到着。同日、ヒュバルト伯爵は居城に火を放ち自殺。王女殺しの復讐を遂げた民衆は帝国軍の呼びかけに応じ、武装解除した。なお、ヴィクトリカ王女の亡骸は焼失した」

 帝国元帥レオンハルトが率いる第8連隊は戦火を交えなかった。現地に到着したとき、全ては終わっていたのである。

「これをもって東部貴族連合の独立勢力は瓦解し、アルテナ王家の嫡子たるヴィクトリカ王女は、この世を去った」

「実に幸運でしたな。厄介な問題が片付きました。いやはや、鮮やかな手並みです」

 この日、レオンハルトは数ヵ月遅れの引き継ぎを行っていた。

 話している相手は、年老いたドワーフ族の男だ。ウィルヘルミナが推薦した宰相府の文官である。職位は高等弁務官を補佐する民政長官。戦後統治の責任者に指名されている。

 この老ドワーフの孫娘はウィルヘルミナの側女で、皇帝の血を引く曾孫を得ようと腐心していた。皇帝の子を一族に迎えるのは、最高の名誉だった。

「元帥閣下がこの地に留まることに関し、高等弁務官をはじめ、宰相府から懸念の声があがっておりました」

「総督府に居座る私が目障りだと?」

「いっ、いえ! そのような意味では……!」

「ふん。冗談だ。時間切れは私自身がよく分かっている。戦時中を含めれば、1年近く下界で過ごしている。神官長のカティアから祝印を授かっているが、その効力も消えつつある」

「女仙の穢れが招く災厄。城内の家畜が変死した事件は前触れでしょう。このままですと、次に倒れるのは人間となりますぞ」

「急かされずとも総督の席は、高等弁務官に譲ってやる。どの道、私は天空城アースガルズに帰還しなければならない」

「引き継ぎですが、事実の開示をお願いしたい。軍事機密とはいえ、事実に基づく情報がなければ、戦後統治に支障が生じますのでな。高等弁務官には、正しい情報を報告しなければなりません」

 老獪な民政長官は、表向き発表を鵜呑みにしない。

「こちらの報告書には事実が書いてある。途中までは参謀本部の筋書き通りだった」

 投げ渡された報告書に目を通していく。

「ほう……? これは驚きですな。我が軍はヴィクトリカ王女を取り逃がしたのですか?」

「軍務省の失態は認める。おそらくヴィクトリカ王女は逃走や隠密などの異能を持っている。帝国軍の包囲を突破し、索敵術式すらもすり抜けた」

「信じがたい内容です。バルカサロ王国の支援があったのでは? 皇帝陛下が来訪した際の騒動。裏で動いていたのはバルカサロ王国なのでしょう?」

「バルカサロ王国の工作員は入り込んでいる。しかし、連中の目的はヴィクトリカ王女の抹殺だ。死の原因を我が国に擦り付ける魂胆だったらしい。しかし、奴らもヴィクトリカ王女に出し抜かれた」

「……消息の手がかりは? 何一つ掴めないのですか? メガラニカ帝国とバルカサロ王国の両国が追跡しているにも関わらず?」

「信じがたいか? しかし、それが事実だ。ヴィクトリカ王女は以前にも包囲されつつあった王都ムーンホワイトから脱出し、何ら痕跡を残さずバルカサロ王国まで逃げ切った。今回も同じなのだ」

「聞いております。終戦時にヴィクトリカ王女を捕縛できていれば、セラフィーナ女王を愛妾にするなどという回りくどい方法を使わずに済んだ。思い返せば、二度目の取り逃がしなのですな」

「耳が痛いな。ヴィクトリカ王女の逃走スキルは、訓練や経験によるものではない。天賦の才能だろう。産まれながらに、そうした異能力を持っているとしか考えれない」

 ユイファン少将の策略は半分成功し、ヒュバルト伯爵を謀殺までは達成した。しかし、肝心のヴィクトリカ王女に逃げられ、その行方は分からない。

「⋯⋯軍務省は王女が死亡したと嘘の発表をしたのですな」

「参謀本部でも賛否はあった。だが、最終的には受け入れた。情報将校のユイファン少将からの提言だった」

「さすがは辣腕のユイファン少将。本物が現れたら、偽物と決めつけて、処刑する算段ですかな?」

「そんなところだ」

「セラフィーナ女王は、陛下の御子を身籠もっております。その赤子をアルテナ王国の新王として担ぐ。上手くいくとよろしいですな」

「奇怪なことを言う。新王即位案は軍務省の計画だぞ。宰相府は別案を用意しているのではないか? 聞くところによれば、アルテナ王家の取り潰しを目論んでいるそうだな」

「宰相府では直接統治案が根強いのです。傀儡を仕立てての間接統治では、バルカサロ王国に裏を掻かれるかもしれませんぞ」

「くだらんな……。やっと不毛な戦争を終わらせたのだ。血を流す兵の気持ちも慮ってほしい。ほかの報告は口頭で伝えるまでもない些事だ。詳細はウィリバルト将軍から聞け。それでよかろう。もう下がれ」

「それでは失礼させていただきます。元帥閣下」

 根っからの武人であるレオンハルトにとって、薄暗い陰謀は嫌悪の対象だった。しかし、外征はそうした汚点と向かわなければならない。

(戦争の次は政争か⋯⋯。こんな苦労を背負い込んでしまうとは……。職責を投げ捨てた哀帝の気持ちが分かってしまうな。新帝が即位し、やっと訪れた安寧だというのに争いは終わらない)

 レオンハルトは溜息を吐く。政争には嫌気しか抱けない。

 戦闘民族のアマゾネスだからではなく、生来の気質だろう。

「何か言いたげだな……。言いたいことがあるなら助言をしてくれ。そのための側女ではないのか?」

 レオンハルトは控えさせていた側女に促す。目を細めたときは、何か意見したいという仕草だ。

「元帥閣下。城内の家畜が死んでいた件ですが、餌を調べたところ毒が検出されました。宰相府の工作です。女仙の残穢を装う工作です。元帥閣下を総督府から追い出そうとしているのでしょう」

「好きにやらせておけばいい。指摘したところで水掛け論になるだけだ。そもそも、ここに長居したいとは思っていない」

「よろしいのですか? 軍務省が侮られてしまいます」

「喜んで総督府から追い出されてやるとも。陰険なやり方で張り合おうとは思わぬ」

 レオンハルトは、本国への帰還を心から喜んでいた。

「ヴィクトリカ王女の件は気がかりだが、表舞台に出てきたら叩き潰せばよかろう。爆弾を処理するのは、仕事を引き継ぐ高等弁務官と、あの民政長官だ。宰相府に委ねてやろう。政治は軍務に含まれない」

 ヴィクトリカ王女の行方を知る者はいない。公的には死亡し、時が経つにつれて、忘れ去れていくことだろう。もはや歴史の表舞台に立たないと誰もが思っていた。

 ◇ ◇ ◇

 翌日、総督府でレオンハルトの離任式が行われ、高等弁務官に戦後統治の全権限がつつがなく移管された。

 軍事司令官のウィリバルト将軍を残し、レオンハルトはメガラニカ帝国への帰路につく。その中にはアルテナ王国の要人のほか、人質的価値のある貴族令嬢の姿もあった。

 この頃になると、メガラニカ帝国に恭順する者が現れ始め、何人かの商人が同行を願い出た。商魂逞しく商人は帝国との交易で、利益をあげようとしていた。

 帝国側も交易は望むところであり、簡単な身分調査をしたうえで、同行の許可が与えられた。

 帝国軍は隊商を引き連れて帰還していく。かつてセラフィーナに仕えていた上級女官リンジーは、その模様を高台から眺めていた。

 セラフィーナとロレンシアをメガラニカ帝国に送り出してから、アルテナ王国は大きな転換期を迎えた。

 分離主義のヒュバルト伯爵は死んだが、メガラニカ帝国という大国に飲み込まれつつある。どれだけの主権を残せるかは、セラフィーナの働きにかかっていた。

(帝国が喧伝しているところによると、女王陛下は妊娠されてしまった。ヴィクトリカ王女が死去された今、アルテナ王国が進める道は限られていく……)

 帝国軍に付き従う商人を売国奴と罵る民衆も多い。しかし、彼らが交易品という形で、富を持ち帰ってくれば、反帝国を声高に唱える者達はおそらく意見を変える。

 そんなことを考えながらリンジーは商人の行進を観察していた。表情に驚愕の色が強く顕れる。古くから王家に仕えてきた上級女官だから気付いてしまった。

「そんな……あれは王女殿下……!?」

 髪を真っ黒に染め上げ、ボサボサの短髪となっている。しかし、整った精美な顔立ちでリンジーには分かった。商人の荷馬車に乗る薄汚れた小娘の正体は、死亡したとされるヴィクトリカ・アルテナだった。

(——もう誰の力もあてにできない! でも、必ず私がお母様を助け出してみせる……!!)

 ヴィクトリカ王女は身分を偽り、母セラフィーナと親友ロレンシアが囚われているメガラニカ帝国へと向かう。


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