【234話】対立の王国 東岸の波止場街にて〈後編〉

「今や西側陣営はヴィクトリカ女王の政敵ですからね。東アルテナ王国にお住みのリンジーさんが腹を立てるのは分かりますよ。グレイハンク伯爵の有能ぶりは完全な計算外でしたか?」

「メガラニカ帝国側も人選を誤ったと悔いているでしょう。⋯⋯グレイハンク伯爵は傀儡にふさわしくない。優秀過ぎる人物かもしれません」

「有能な怠け者。祖国が滅ぶ瀬戸際で立ち上がるのだから、相当な食わせ物ですよね」

 グレイハンク伯爵の立ち回りは完璧だった。偶然、上手くいった。そんな言い訳はもはや通じない。化けの皮が剥がれきってからは、己の能力を隠すつもりもなくなったらしい。

 メガラニカ帝国に従順な態度を見せつけ、西アルテナ王国の権益を最大化している。

 情報収集にも余念がなく、女王セラフィーナと頻繁に書簡を交わし、帝国本土の政治情勢を常に探っていた。また、旧帝都ヴィシュテルの復興計画に深く関わり、融資金を取りまとめているのもグレイハンク伯爵だ。約三万人に及ぶ移民計画にも賛成し、セラフィーナの命令を実行している。

(自治権さえ勝ち取れば、華々しい外交上の勝利。帝国の支配を拒んだ東側のように困窮することはない。帝国の庇護下で繁栄を極める。経済と人口においては、帝国内で最大の大貴族とも見做せるかもしれない)

 国家体制の再編。薄い刃の上を歩くが如き慎重さが求められる。時に大胆に、時に柔軟に、脆弱な手駒と限られた情報で大帝国と渡り合う。この大事を完遂できたのならば、グレイハンク伯爵は国難の時代に颯爽と現れた傑物と後世で称賛されるであろう。

(惜しいですね。時間さえあればグレイハンク伯爵とも会っておきたかった。⋯⋯いや、道中に相手から接触してくれるかもしれない)

 一度も会ったことがないグレイハンク伯爵に深く共感していた。だからこそ、相手もそう思っているはずだ。グレイハンク伯爵が評判通りの優秀な執政官なら、必ずどこかで接触してくる。

(グレイハンク伯爵、貴方は分かるはずだ。私がこれからやろうとしている役目を⋯⋯)

 セラフィーナは売国妃や背徳女王と大批判されているが、見方を変えれば大帝国の幼い君主に取り入っているのだ。仮に自分がアルテナ王国の人間なら同様の選択を取ったはずだ。軍事力では勝てない相手にどう対抗すべきか。

 誇りや矜持だけでは国家を守れない。

 争わずに生き延びる手段を使うのは常道だ。グレイハンク伯爵の思惑がなんであれ、大きな失政や裏切りを起こさなければ、メガラニカ帝国側は使い続けるしかない。従順な人間を理由もなく切り捨てれば、無用な不安を煽り、戦後統治に悪影響が及ぶ。

 何よりも旧帝都ヴィシュテルの復興が遠のく。グレイハンク伯爵は移民や資金の取りまとめ役だ。もはや降ろせない。

(東側のヴィクトリカ女王も頑張ってはいます。努力は認めてあげたい。リンジーさんが優秀な臣下を集めているおかげでしょうか?)

 民心を掴むのに必死なのは東側も同じである。

 ヴィクトリカを新女王を頂点に据えて、国家体制の再編を進めているが順調とは言い難い。

(――西側に比べて東側は経済力に劣る)

 中央諸国の手厚い支援で、かろうじて国体を維持できている有り様だった。

「東側の女王様も気苦労が多いのでは? 東西分断の比率は三対七。しかも、肝心かんじんかなめの穀倉地帯は帝国に押さえられております」

 娘は川辺の護岸に立ち、穀物を運んでくる西からの渡し船を見下ろしていた。黙認されている穀物の密輸入だ。

 西から運ばれる食料がなければ、東アルテナ王国は食糧難に陥り、一年と経たず崩壊しかねない。

「バルカサロ王国の政情不安も影響しています」

「ああ、その話ですか。中央諸国においても重大な懸念事項となっています。荒れているようですね。私はずっと船に乗っていたので、危ない目には遭いませんでしたが、治安が荒れています」

「それは幸いでした。グウィストン川を下っている最中、沈んだ船を見かけませんでしたか」

「ええ、見ましたよ。船頭は事故で難破したと言っておりました。その言い方から察するに、単なる事故ではないのですね」

「目撃者によると、その船は盗賊団の襲撃を受けたそうです。バルカサロ王国の裕福な貴族が乗っており、盗賊に襲われて火を放たれた」

「ついに平民だけでなく、貴族まで逃げ出すようになったと? そこまで深刻化しているとは⋯⋯」

「犠牲者の遺体がアルテナ王国に流れてきておりました。葬儀を執り行いましたが、もあったとか⋯⋯。酷い話です」

「⋯⋯山岳地帯を抜ける危険な陸路に比べ、グウィストン川は安全な交易路だった。しかし、今や、その認識は改めるべきかもしれません」

「情報統制をしているようですが、バルカサロ王国の北方で大きな反乱が起きているのは確かです」

 不幸は続けざまにやってくる。大国バルカサロの国政は乱れていた。分裂国家のアルテナ王国よりも情勢が緊迫していると見る者もいるくらいだ。

「難民は西側のメガラニカ帝国にもなだれ込んでいると、もっぱらの噂ですからね」

「メガラニカ帝国にも?」

 物怖じしないリンジーが珍しく驚いていた。

「おや? そちらはお耳に入っていない? 帝国と教会が秘密裏に交渉した際、『人道的見地から保護しているが、教会の保護を求めている人々は引き取ってほしい』と打診されたそうです。扱いに困って農村に住まわせているのだとか」

「グウィストン川を下って、東岸に辿り着いた難民もそれなりの数になりました。ですが⋯⋯」

「ええ、受け入れに限界がある。ヴィクトリカ女王は父君からバルカサロ王家の血を受け継いでらっしゃる。助けたい気持ちは強いのでしょうが、今は自分達だけで精一杯ですよね」

「⋯⋯バルカサロ王国の情勢はよく分かりません。しかし、あちらもあちらで国家の存続が危ぶまれる事態になっている可能性は高いです」

 困窮する東側では難民を受け入れきれず、西側の貴族に引き取ってもらったこともある。

 国境を管理する帝国の官吏は難色を示したものの、すぐに折れてくれた。弱りきった女子供や老人を見捨てれば悪評が立つ。例外的な措置が取られていた。

 国境は人の往来を制限するものだが、この頃になるとアルテナ王国の人々は馬鹿らしくなっていた。

 ついこの前までは一つの国だったのだ。船着き場に設けられた関所は、両岸ともにまったく機能していない。暗黙の了解で、軍人や武器、危険物のみを取り締まっている状態だ。

「バルカサロ王国は復讐心を燃え上がらせています。中立勢力の冒険者まで雰囲気に飲まれていたと聞きます。それが悪い方向に働いたのでしょう」

 教会の中枢にいた娘はバルカサロ王国の状況を他人事と思えなかった。反帝国の感情が爆発すれば、中央諸国でも民衆暴動は起こりえる。

「バルカサロ王国の上層部もメガラニカ帝国に勝てないと知っています。おそらく暴走する国民を制御できず、反乱を誘発する結果となった。教会はそう見ています。私も同感です」

 その点、東アルテナ王国は身を持ってメガラニカ帝国の実力を知っている。不満や恐怖はあっても暴発は起きない。

「住処を追われた難民には同情しますが好都合でした。国内が荒れていてはバルカサロ王国も動けないでしょう。現状維持、平和が一番です」

「なるほど。貴方は⋯⋯教会は現状を好都合と仰るのですね?」

「私や教会に悪意はありませんよ。リンジーさん」

「教会はメガラニカ帝国と戦うつもりがない。だから、貴方を生贄の子羊として皇帝に献上する⋯⋯」

「これまた人聞きが悪い。白旗は振っていませんよ。メガラニカ帝国は教会や中央諸国を脅かす存在です。しかし、戦うのは和平の道を模索してからでも遅くはない」

「それで使う手段が、ご自分の身売りですか?」

「聞くところによれば、リンジーさんも似た手段を講じたでしょう? 高貴な女性を二人も捧げたではありませんか」

「⋯⋯⋯⋯」

「由緒ある女王や辺境伯の令嬢には及びませんが、私もそこそこ高貴な身分でした」

「セラフィーナ・アルテナとロレンシア・フォレスターのことですか?」

「ええ、もちろん。その二人です。見事に皇帝の子を胎み、産み落とされた」

「貢いだ⋯⋯。その通りですね。否定できないでしょう。あの二人はアルテナ王国からの貢物です。良い保険にはなりました」

 リンジーはメガラニカ帝国にセラフィーナとロレンシアを送り込んだ。幼い皇帝に取り入り、何としてでも祖国を守るのだとそそのかした。

 十月十日とつきとおかの日々を後宮で過ごしたあの二人は、再び王都ムーンホワイトに帰郷し、諸侯と民衆の前に現れた。

 淫猥な花嫁衣装で着飾った臨月腹の妊婦二人は、幼年の少年皇帝にデカ尻を揉まれ、極悦の呆け顔で喘いでいた。

 リンジーが考えている以上に幼帝ベルゼフリートは強いオスだった。大陸随一と褒め称えられた美貌の女王を恋する淫母に変えてしまった。

「アルテナ王国の将来を考え、最善を尽くしたつもりです。当時王女だったヴィクトリカ様がメガラニカ帝国に忍び込んだのは唯一の誤算でした。しかしながら、これで王統は存続します。西であれ、東であれ、王家の血筋が生き残れば良いです」

 王統は母娘で二つに別れた。

 皇帝の遺伝子が混ざっていてもアルテナ王家の血脈が続けば、長い年月をかけて国家を再建できる。

 リンジーは娘のヴィクトリカ側に仕えているが、それもバランスを考えての行動だ。連絡を密に取り合っているフォレスター辺境伯には、セラフィーナとロレンシアの支援をしても構わないと告げてある。

 どちらかが生き残れば血は後世に繋がる。再統一はヴィクトリカの手でなされてほしいが、個人的感情は捨てている。

「リンジーさんがヴィクトリカ女王をバルカサロ王国やルテオン聖教国に近づけない理由はそれですよね? 貴方達は中央諸国や教会に不信感を抱いている? 違いますか?」

「何を仰っているのやら? どういう意味でしょう?」

「とぼけるのがお上手だ。よろしい。整理してみましょう。非武装中立であるグウィストン川の流域は安全圏です。なぜなら講和条約に基づき、帝国軍だけでなく、中央諸国の軍勢も近寄れない。最前線ほど実は安全⋯⋯。緩衝国の悲哀ですね」

「バルカサロ王国はヴィクトリカ女王の暗殺を企てていた。⋯⋯私達が猜疑心を抱くのは当然です」

「ヴィクトリカ女王もお辛い立場だ。皇帝の子を孕んだのは幸運でしたね。おかげで殺されずに済んだ。東西分断の和議が結ばれるまでは、死を願われていた。どちらにとっても⋯⋯。生き延びたのはまるで奇跡だ」

「暗殺の件、教会も無関係ではなかったと睨んでいます」

「博愛精神に満ちた教会は刺客を差し向けたりはしません。バルカサロ王国の独断です」

「王家を失った東アルテナ王国をバルカサロ王国に併合させ、メガラニカ帝国の東進政策を抑止する。教会上層部にその考えが無かったと言えますか?」

「どうでしょう? 答えに困ります。個人的には無かったと言い切りましょう。しかし、私は教会の上層部に忌み嫌われていたタイプです」

 教会の重要人物をわざわざ出迎えた理由は、訪問の真意を探るためだ。東アルテナ王国は背後にも警戒心を向けねばならなかった。疑り深いリンジーは両目を細める。

(東アルテナ王国の土地を手中に収めたい野心家はいるでしょうからね。貴方がその斥候である可能性は否定できません)

 結んだばかりの和議を破って帝国軍が攻めてくる可能性は低い。むしろバルカサロ王国や中央諸国が支援や保護を名目に乗り込んでくる危険性を憂慮していた。

(考えられる強硬手段は拉致か暗殺です。拉致したヴィクトリカ女王と強引に婚姻し、東アルテナ王国を併合する。武力侵攻を厭わないのなら、帝国の仕業と見せかけてヴィクトリカ女王を殺害し、戦乱を誘発して手勢を援軍と称して差し向ける。私が野心的な侵略者ならそんなシナリオを用意します)

 その野心的な侵略者がアルテナ王国を救える真の英雄なら、ヴィクトリカ女王を嫁がせてやってもいい。だが、英雄なんてものは滅多に現れやしない。

 伝説に謳われる勇者は人類の危機にしか興味がないらしく、国家の存亡は領分にないのだろう。

 現実主義のリンジーは冷酷に物事を考える。

 教会がこのタイミングで見目麗しい美少女をメガラニカ皇帝に贈る意味。船場で吐瀉物を撒き散らす変わり者であるが、教会が推薦するのも納得の美少女だ。

 美貌で人目を惹かぬように、わざわざ認識阻害の神術を使っている。だが、アルテナ王家の母娘が持つ美貌には及ばない。

「メガラニカ帝国の迎えが来るまで一週間はあります。それまでにヴィクトリカ女王とお会いしたい」

「⋯⋯ヴィクトリカ女王の体調が回復すればお会いになるでしょう」

「時間稼ぎは程々にしてください。私の要求を拒めば、教会の援助を受けられなくなりますよ? 非公式とはいえ、私は事実上の特使です。私の背後には教会圏の国々がいると思っていただきたい」

「それは脅しですか?」

「事実を述べただけです。私は教会の実権を握る枢機卿の命令を受けています。大陸全土の教会に影響力を持つ教皇庁の枢機卿ですよ?」

「⋯⋯なぜヴィクトリカ女王に会いたいのですか?」

「皇帝ベルゼフリート・メガラニカについて私は知りたい。ヴィクトリカ女王から直接お話を聞きます。暗殺だとか、そういう類の危険を懸念してるのなら、見当違いも良いところですよ」

「失礼ながら有益な情報は提供できないかと思います」

「なぜ? 有益か、無益か、それを判断する権利を私から奪わないでいただきたい」

「女王陛下はメガラニカ皇帝がお嫌いです。深い憎悪を向けておられる。まともな話は聞けません」

「ああ、それは良かった。有意義な話が聞けますね。憎んでいるのなら、それなりに交流があった証。人柄を知っているのでしょう? それに子供を産んでいます。可愛い男の子と聞いています。アルテナ王家で男子が生まれるのは珍しい」

「その事実は公開しておりません。口外は謹んでいただけますか」

「くだらない。隠し通せるとお思いですか? ヴィクトリカ女王が男児を産んだのは、メガラニカ帝国も知っているのですよ。⋯⋯まあ、この件はいいでしょう。私も後宮に上がれれば母親になるかもしれない。ともかくです。参考までに知りたい。忌み嫌う皇帝の赤子を孕む心地とやらを⋯⋯ね」

「本当は連れて行きたくありませんが、教会の要請には従わなければなりませんね。しかも、となれば、なおさらです」

「元です。聖女の称号は剥奪されました。ついでに洗礼名も抹消。聖籍を抜かれた私は、住所不定無職の神術師。計画通りに事が進めば、メガラニカ皇帝の聖娼婦に転職です」

「切り捨てやすいように身分を失わせたのですね」

「聖女を名乗ったまま処女を失うわけには参りません」

「なんと申し上げればよいか⋯⋯。お気の毒に」

「薄っぺらな同情をありがとうございます。自業自得の部分も多いので気にしないでください。死ぬまで山奥の修道院で瞑想するのも魅力的な人生ですが、過酷な試練を受けてみたい気持ちが勝ったのです」

「お名前はあるのですか?」

「マリエール・ムシェタリャ。今はそう呼んでください。栄大帝に嫁いだ女教皇の名前を頂きました」

「歴史書はそれなりに読み込んでおりますが、聞き覚えがありません」

「ええ、教会史から抹消された人物です。今は誰の記憶にも残っていない偉大なる女教皇⋯⋯。おっと、帝国側では残っているかもしれません。ともかく同じ名前を与えられ、光栄の極みです」

 教会の異端者は新しい名前をとても気に入っていた。禁書庫の歴史書だけが女教皇マリエールの存在を後世に伝えている。自分も似たような存在になるのだ。

「失礼ながらマリエール様は、皇帝ベルゼフリートを籠絡する自信があるのですか?」

「籠絡など、とんでもない。お近づきになりたいだけです。メガラニカ帝国と教会の架け橋になれれば、誰にとっても幸福な話でしょう? それに興味もあります」

「興味⋯⋯?」

「出産です。私は教皇候補から脱落し、聖籍も抜かれて聖女の身分を失った。⋯⋯子供を生んで母親になってみるのも一興」

 教皇候補の聖女からメガラニカ皇帝の聖娼婦となる。アルテナ王国と同じで教会も生き残りをかけて必死に抗っているのだ。

 もしメガラニカ帝国が最盛期の力を取り戻したとき、後宮に上がったマリエールは教会を守る砦となる。

(子供を産み落としたい。皇帝の子は何かと役に立つはず。女王セラフィーナという先例もありますしね。色事は不得意ですが、努力を心がけましょうか)

 課された使命に見合う覚悟は決めている。

 マリエールは使命をまっとうするため、単身で西の果てに乗り込む。

(お会いできる日を心待ちにしていますよ。大帝国の幼帝ベルゼフリート陛下⋯⋯♥)

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