リリトゥナは応接間の窓を開けて、雪遊び中の姉妹に向かって言う。
「ダザリーヌ。アヴェロアナ。早く戻ってきなさい。天気が悪くなってきたわ。お父様が心配なさっているわよ」
普段のリリトゥナはヴォルフガングを「坊ちゃん」と呼ぶ。だが、娘達の前では「お父様」と敬称を使い分けていた。最初は娘達のこともレーヴェ家の令嬢として他人行儀に呼んでいたが、子育てをするうちにメイドから母親になってしまった。
「平気よ! 寒くないの! お母様! だよね、アヴェロアナちゃん!」
「うん! 寒くはないの。運動してるから平気だね」
「そういう問題じゃありません!!」
窓から上半身を乗り出した鬼母は、駆け回っている娘を叱りつける。厳つい騎士兜に角が生えている気がした。
「すいません。お見苦しいところを……。レーヴェ家はずっとこんな感じで……」
ヴォルフガングは肩身を窄めている。そこまで「怒らなくても……」と思っていそうだ。しかし、娘の子育てを任せている手前、リリトゥナに口出しできないのだろう。
「私は賑やかでいいと思いますよ。ただ……あの……」
カレンティアは千載一遇の機会を得た。リリトゥナの意識は姉妹に向いている。今なら聞きたいことをヴォルフガングに訊ける。
(聞きたいことは沢山あるわ。五年前に死んだダミエーラが四年前に手紙を送ってきたこと。四年前に母さんがレーヴェ家の荘園を訪ねていること。結婚指輪を父さんの御墓に埋めていったリリトゥナさんのこと……。だけど……!)
わずかな隙を狙って問う。カレンティアの質問は心中で抱いていたいずれでもなかった。
「――あの姉妹はどちらも実子ですか?」
姉のダザリーヌは紫紺の髪。妹のアヴェロアナは白金の髪。愛らしく美しい幼女であるが、姉妹にしては顔立ちが異なっている。美形であること除けば、まったく似ていない。
(本当に血の繋がった姉妹……? それだけじゃないわ。父親や母親とも似てない。リリトゥナさんはたぶん黒髪、ヴォルフガングさんは珍しい深緑色……)
親子でこんな遺伝がありえるのかと疑問を感じた。
「ダザリーヌとアヴェロアナは血の繋がった僕の娘だよ。でも、不思議に思うはずだ。レーヴェ家の娘達は母親と似てしまう。――カレンティアさんは母君にそっくりなんですね」
「え……なぜ……。やっぱり私の母さんを知って……?」
ヴォルフガングはリリトゥナの様子を窺う。
まだ気付かれていない。許された時間は、ほんの数秒だ。
「静かに――。これから言うことをよく聞いて。まずは聖剣を探すんだ。取り戻したら闇樹館から逃げて。この嵐は局地的に発生してる。今なら隣町に逃げられる。荘園まで辿り着いたら、馬を盗みなさい。村長に気付かれては駄目だ」
「え……?」
「山道を進むときは境界標の赫石だけを信じて。絶対に迷う。一歩でも黒森に入ったら、司祭みたいに殺されてしまうよ」
早口で警告を捲し立てたヴォルフガングは、わざと体勢を崩して車椅子から転げ落ちた。
「ヴォルフ坊ちゃん!」
異変に気付いたリリトゥナが叫び声をあげた。寒風が吹きこむ窓を開け放ったまま駆けてくる。しかし、身重の身体はとても重たい。すぐには動けなかった。
ヴォルフガングは床に落ちる気だった。車椅子の高さなら、打ち所が悪くても打撲程度で済む。しかし、上級ランクの冒険者は緊急時、驚くべき速さで行動できてしまう。
「危ないっ!! 大丈夫ですか!?」
カレンティアは机を飛び越えて、ヴォルフガングの身体を両手で受け止めた。四肢欠損の矮躯は子犬のように軽かった。
「え……。あ、ありがとう。ごめん。カレンティアさんこそ大丈夫……?」
カレンティアはヴォルフガングを完璧にキャッチした。しかし、ひっくり返った紅茶のティーカップを頭から被ってしまった。生暖かく冷めていたので、火傷は負っていない。しかし、服が濡れてしまった。
(あちゃー。考えなしに助けちゃった。ずぶ濡れだわ……。乾くまでの着替え……。どうしよ)
紅茶の水分を吸った上衣が胸元にべったりと張り付いた。びしょ濡れの乳袋にブラジャーの色が浮かび上がる。爆乳の谷間では生肌が卑猥に透けてしまった。
「カレンティアさん……。そこを掴むのはちょっと……困るっていうか……」
もぞもぞとヴォルフガングは身を捩らせる。カレンティアの右手で膨らみができていく。棒状の突起をがっしりと握りしめる。そして、その正体を理解した。
「ご、ごめんなさいっ! 私……その! そういうつもりじゃ……!!」
カレンティアはヴォルフガングの股間を鷲掴みにしていた。意図せぬハプニングだったが、服越しに男根を感じていたのだ。
「…………」
無言のリリトゥナが近寄り、ヴォルフガングを奪い取るように抱き上げた。
応接間に気不味い雰囲気が立ち込める。騎士兜のメイドは表情を見せないが、明らかに怒っている。冷たい睨みがカレンティアを貫く。
(不可抗力……! 本当に事故で……!! で、でも、これならさっきの会話には気付かれてないはずだわ……。不幸中の幸い……? いいえ、なんか違う気がするわ)
リリトゥナはヴォルフガングを車椅子に座らせると、応接間の窓をぴしゃりと閉めた。
「着替えの服を用意しますわ。カレンティアさんなら私のメイド服でサイズは合うでしょう」
「えっ! いえいえ! すぐ乾きますよ!」
「でも、そのままだと恥ずかしいでしょう」
リリトゥナはカレンティアの爆乳を指さした。気遣いのできるヴォルフガングは外を見ていた。雪化粧がされていく黒森の並木を無心で数えている。
「ヴォルフ坊ちゃんも困りますし、着替えてください。大丈夫です。お貸しするメイド服は、妊娠してないときに着ていたものですから。今の私は使いませんわ」
胸元を透けさせたままでいるわけにもいかない。カレンティアはレーヴェ家のメイド服を借りた。ブラジャーまで拝借した。
予想通り、用意されたメイド服の乳袋はカレンティアの乳房を収納できるサイズだった。胸回りに若干の余裕があった。バストサイズはリリトゥナがほんの少しだけ上回っている。
(――私とお母さん。どっちが大きかったかしら?)
カレンティアは覚えていなかった。失踪した母親とリリトゥナが同一人物。その可能性は捨てている。だが、妊婦姿でなければ母親と酷似ていた。
記憶喪失でレーヴェ家のメイドになっている。
そんな可能性を考える。だが、絶対にありえない。リリトゥナは五年前からレーヴェ家に雇われている。五年前に母親はヒースウッド修道院で暮らしていた。一緒に父親の墓参りへ行っている。
(五年目に私は母さんにクロヴィスを紹介してるのよ。リリトゥナさんは別人……。でも、だったら結婚指輪は? 父さんの墓前に現れた騎士兜の妊婦は別人だっていうの……? 左手に銀の指輪……。そう……。そうだわ……! リリトゥナの薬指を見れば分かる。母さんには結婚指輪の跡があるわ!)
メイドに変身したカレンティアは闇樹館に留まる。
ヴォルフガングの警告は気になったが、逃げ出すつもりはなかった。四年前に失踪した母親を見つけ出すまでレーヴェ家を調べると覚悟を決めた。



