天空城アースガルズに入内したララノア、テレーズ、アリスティーネ、ルイナ、エルフィンの五人。さしあたりの地位は愛妾ユイファン付きの側女となった。
さらにロレンシアの功労を認め、側女から愛妾への引き上げが提案された。例外的な経緯で女仙となった五人の冒険者をロレンシア仕えにする予定だったのだ。しかし、大神殿の反対でロレンシアを愛妾に格上げする人事は見送られた。
ロレンシアの働きはメガラニカ帝国に大きな利益を与えた。しかし、アルテナ王家に対する不忠と変節には違いなかった。裏切りは悪徳。公然の背信行為を功労と認めれば、裏切りの推奨と曲解されかねない。
働きは認められるべきだが、仁に欠ける振る舞いだった。大神殿の反対意見が強く、ロレンシアは側女の地位に留め置かれた。
当人のロレンシアは不服を示さなかった。「愛する皇帝にお仕えできるだけで十分」と述べた。
――三皇后は関係者の口止めを徹底させた。
関所跡地に残り続けるアマンダには、大神殿から伝令を使わし、今後は何者にも秘密を明かすなと厳命した。
もとよりアマンダは神官長カティアと皇帝ベルゼフリートの代理人以外には秘密を語らぬつもりだった。
帝国元帥レオンハルトはアマンダの境遇を哀れんだ。
いっそアマンダも女仙に召し上げてはどうかと提言した。しかし、やはり大神殿から反対意見が上がった。
アマンダ自身が贖罪を望んでおり、女仙の栄達を拒絶するに違いなかった。
古い付き合いのカティアは、アマンダの心情を理解していた。法律論ならばアマンダの下した判決は正しい。
事実は一つだ。森番の一家は領主を殺害している。そして処罰を恐れて逃亡を謀ったのだ。結果、シーラッハ男爵家とナイトレイ公爵家は厳罰を強く希望し、族滅が言い渡された。
苛酷な判決ではあった。しかし、帝国法に則っていた。カティアは裁判記録を調べ直し、領主殺しの事実認定が正しかったと結論づけている。しかし、当事者達は自身の責任を痛感していた。
もう一人の当事者ウィルヘルミナは、帝国宰相の地位に恋着していなかった。
ベルゼフリートがナイトレイ公爵家を恨み、憎悪を向けるのなら、潔く退場する覚悟だった。
事件が起きてからの八年間、常に意識はしていた。いずれは隠された真実をベルゼフリートは知る。それまでの間、ウィルヘルミナは皇后の務めを果たす。失権は覚悟の上だった。
幼き皇帝の聖断に身を委ねた。
「いらっしゃい。黄葉離宮へ。ご無沙汰で寂しかったよ。その分、色々と遊べたんだけどさ。退屈はしなかったかな。ウィルヘルミナ達はどうだった?」
出迎えのベルゼフリートはにこりと微笑む。
黄葉離宮の正面玄関に現われた三皇后。宮廷の頂点に君臨する三人の正妃が、愛妾の小さな離宮に集うのは異例中の異例であった。
三皇后の筆頭――帝国宰相ウィルヘルミナに幼帝ベルゼフリートが抱きつく。
「陛下⋯⋯」
「⋯⋯だめ? 本番まではしないから」
「はい。分かりました。ですが、元帥閣下と神官長猊下が機嫌を損ねない程度にとどめてください」
セラフィーナを破滅させる計画の都合上、ベルゼフリートは宰相府に近づけなかった。手紙のやり取りはしていたが、ウィルヘルミナと直に触れあうのは久しぶりだった。
「ウィルヘルミナの匂い。すごく好き。ちょっと勃起しちゃった。香りがエッチ過ぎるよ」
「私も陛下が匂いが好きです。ああ、でも、また他の女を抱いたのですね?」
「リアとだよ。側女の」
「ウィリバルト将軍の孫娘ですか? 曾孫が誕生されれば、将軍はさぞ喜ぶでしょう」
「そうだといいんだけどねぇ」
ベルゼフリートの身体から滲み出る猛烈な皇気。肌に纏わり付き、淫魔の血を煽り立てる。
「ん? あれ? どうしたの? ウィルヘルミナ?」
「陛下⋯⋯。本当に私でよろしいのですか?」
自分の美貌には自負があった。昔のウィルヘルミナが胸を張って誇れた唯一の魅力。しかし、自惚れだと自覚していた。美しいだけの女は、帝国に吐き捨てるほどいる。
ウィルヘルミナに与えられた帝国宰相の地位は過分だ。
レオンハルトやカティアと比べたとき、ウィルヘルミナの実績は明らかに格下だった。今でこそ盤石の権勢を築いているが、宰相に即位した当初は不安視する声が強かった。
なにせ比較対象となる二人の皇后は生ける伝説だった。
英雄アレキサンダーの血を受け継ぐ孫娘。次代の皇帝を護るために、生み出された最高の戦士。帝国元帥の地位に着いて当然の実力者である。
大神殿を守り通した大巫女のハイエルフ。英雄アレキサンダーの旅に同伴し、死恐帝の災禍を終焉に導いた最大の功労者。神官長の冠を戴くにふさわしい偉人である。
――だが、ベルゼフリートはウィルヘルミナを選んだ。宮廷でもっとも愛される女。帝国宰相の地位などよりもはるかに価値がある。少なくともウィルヘルミナ自身はそうだった。
「うん。だって、僕はウィルヘルミナが好きだもん」
「⋯⋯ありがとうございます」
「ほんのちょっとだけ思い出した。ウィルヘルミナの処女をもらったときの記憶。たぶん、僕がママから産まれてすぐの⋯⋯、一番古い想い出になるのかな。⋯⋯僕が怖かったりする? メガラニカ帝国の皇帝は⋯⋯モンスターだ。制御に失敗したら、人殺しの怪物が出てくる。でも、本性だ。ウィルヘルミナは実際に見てるよね。僕のパパ⋯⋯って言うべきなのかな。八年前にたくさん人を殺した。そして僕が産まれたんだ」
「⋯⋯⋯⋯陛下」
「僕は災禍の子供だ。僕なんかに好かれても迷惑⋯⋯かな⋯⋯?」
「そのようなことはございません。私は陛下を愛しております。嘘、偽りなく、心から⋯⋯お慕いしています! 私の想いには一点の曇りもありません!!」
ウィルヘルミナはベルゼフリートの矮躯を持ち上げる。落とさぬように両手でしっかり抱き寄せ、豊満な乳房を幼帝の頬に押し当てた。
「好きっ⋯⋯!! 大好き! ウィルヘルミナ! ずっと一緒にいようね。約束だよ」
その姿は乳児に母乳を与える母親だ。見目麗しい淫魔の令嬢は、母性に飢える愛らしい少年を慰める。
「盛り上がってるところ悪いのう。乳繰り合うのは用件が終わってからにしてほしいのう。仕事じゃぞ」
「まったくだ。あまり見ていて面白い光景ではない。うらやま⋯⋯ごほん! 政務の場には相応しくない行為だ」
二人の皇后は無愛想な顔つきでいちゃつく皇帝と帝国宰相の真横を通り抜けていった。棘のある言葉を浴びせられ、ベルゼフリートは苦笑いする。
「⋯⋯怒られちゃった」
「気にすることありません。元帥閣下と神官長猊下の僻みですよ。くすくすっ!」
ご満悦のウィルヘルミナは、尻尾を大きく左右に振っていた。
「それにしても何じゃ。この宮は? 石造りは好かぬ。ドワーフの技巧じゃな。愛妾の離宮にしては金がかかっておるのう。軍務省は愛妾如きにこんな大層な離宮を与えておったのか?」
「お言葉だがカティア神官長、使わなければ空き家だ。天空城アースガルズにどれだけ使われていない離宮があるかご存知か? 人が住まなければ建物は傷む。」
「好かんのう。ドワーフ式の石造りが嫌いじゃ。温かみに欠ける」
「軍務省は質実剛健を旨としている。木造の離宮が多い大神殿の長老達には理解しがたいだろうな」
「ふむ。まさしく若造じゃのう。風情がない宮は暮らしにくいぞ。大雑把なアマゾネスには、これくらいが居心地良さそうじゃがな。ああ、そうじゃった。アマゾネスといえば、宮中にあがった五人の女冒険者。二人は其方の同族らしいのう?」
「よくは知らん。知りたいとも思わぬがな⋯⋯。女仙にする話は承知していたが、わざわざ皇胤を授けなくとも⋯⋯私だって⋯⋯ずっと我慢してるのに⋯⋯。私が一番強い⋯⋯アマゾネスなのに⋯⋯」
「最後の方が小さくて聞こぬぞ? なにをぶつぶつと。よもや同族嫌悪かのう?」
「ふ、ふんっ。貴公こそはどうなのだ! エルフもいただろう。冒険者パーティーのまとめ役は神官長殿の昔馴染みだと噂を聞いたぞ!」
「ララノアの小娘か? 昔というほどの付き合いではないぞ」
「長命種の間隔で言わないでもらいたい。百二十歳を小娘とは呼ばん」
「儂は呼ぶぞ。駆け出し冒険者のララノアは危なっかしくてのう。亡者の群れに襲われてピーピー泣き喚いておったわ。見るに耐えんから、神殿の巫女になれと勧めたのじゃよ。あの泣き虫娘が今や一級冒険者とはな。かっかかかかっ!!」
◇ ◇ ◇
黄葉離宮の大広間に三皇后が入室する。普段は使われない大広間に関係者が集められていた。
覆面で面貌を隠した公安総局の司法神官が立哨し、捕らえた罪人――セラフィーナを見張っている。
出入り口を固めるのは、警務女官長ハスキーが指揮する精鋭のインペリアルガード。厳粛な空気が漂う中、三皇后は用意された椅子に腰を下ろす。
幼い皇帝は帝国宰相の膝上に座った。張り出た爆乳に頬を擦りつけ、恥じらわず、堂々と甘えてくる。
飼い猫をあやすように、美女は少年の御髪を撫でた。敗者に見せつけ、勝利を誇示する。
「女王セラフィーナ。自分の罪は分かっていますね?」
上座のウィルヘルミナは、拘束衣で身動きできないセラフィーナを蔑む。
罪人の口は封じられている。この場で行われるのは粛正だ。公正な裁判は開かれない。弁明は許されなかった。
潤んだ瞳のセラフィーナは、ベルゼフリートに視線で懇願する。この数カ月、愛し合った男に必死の形相で訴える。しかし、一瞥すらしてくれなかった。
「虚実を皇帝陛下に吹き込み、メガラニカ帝国に混乱を与えようとした。恐ろしい陰謀です。ラヴァンドラ王妃、ユイファン少将、アストレティア王妃、そして貴方の側女であったロレンシアが告発してくれなければ、事態はもっと大きくなっていたでしょう」
「うぅっ⋯⋯!! うぅうんっーー!!」
「女王セラフィーナ。アルテナ王国には、貴方を国母と崇める民もいるそうですね。しかし、邪な企みで皇帝陛下を誑かし、大陸に災禍を招くような者は国母と呼べない」
セラフィーナは絶体絶命の状況だ。
「皇帝陛下の愛妾にふさわしくない」
孤立無援。この場にセラフィーナの味方は一人もいなかった。
アルテナ王家に仕えてきた忠臣のロレンシアすら敵に回った。だが、セラフィーナの精神を追い詰めたのは、ベルゼフリートの裏切りだった。
裏切りとセラフィーナは嗚咽するだろう。しかし、そもそもが一方的な片思いであった。ベルゼフリートはウィルヘルミナを深く愛していた。
引き裂かれない強固な絆で結ばれた男女。正妻と愛妾の差は覆らない。セラフィーナとの関係は謂わば戯れだった。
隣国の女王を孕ませるまでが皇后の命令。その後は性欲に溺れた人妻との遊び。ベルゼフリートの本心は皇后に向いている。
(⋯⋯あぁ⋯⋯そんな⋯⋯! どうして? なぜ、その女に抱きついているのですか!? 私は貴方の赤児を妊娠しているのにっ⋯⋯。こちらを見てくださいっ⋯⋯! お願いよっ! 私を見て! ベルゼフリート⋯⋯!!)
ベルゼフリートは見ようとしない。布の塊を口内に押し込まれたセラフィーナは必死に叫ぶ。だが、魂の悲鳴は届かなかった。
(⋯⋯あぁ⋯⋯嘘よ! 信じたくないっ⋯⋯! 私を⋯⋯見捨てるのですか⋯⋯!?)
妖艶なサキュバスに魅了された幼い少年は、とても幸せそうだった。阿鼻叫喚の災禍で生まれ落ちた近親相姦児は満たされていた。愛する女達との楽園を謳歌している。
打ちのめされ、心が砕け散ったセラフィーナは敗北を知った。大粒の悲涙を流し、己の本心に気付かされた。
この世に生を受けて三十六年、アルテナ王国の君主として臣民を深く愛した。約二十年に及ぶガイゼフとの夫婦生活。腹を痛めて産んだ王子と王女。国を導く女王となり、夫を愛する人妻となり、子を育てる母親となった。
――だが、セラフィーナはベルゼフリートに本気で恋している。
胸が引き裂かれる痛みで悶え苦しんだ。ウィルヘルミナと愛し合うベルゼフリートを見せつけらる。耐えがたい激痛だった。
幼い皇帝は、女王が三十六年間の人生で積み上げた全てを奪い取った。
セラフィーナは憤る。愛してしまった少年は振り向いてくれない。自分が貶めようとした若い美女に口付けしている。
(⋯⋯私は⋯⋯欲しかった⋯⋯。あぁ、なんで今なのかしら⋯⋯? 今さら⋯⋯!! 私は自分の本心を認めますわ。私の心はあの子に奪われてしまった。女王、妻、母親⋯⋯違いますわ。今の私は一匹の飢えた女。ロレンシアは⋯⋯早くに気付いたのですね。己の気持ちに⋯⋯)
皇帝の秘密を悪用せず、奉仕する愛妾の立場で満足していれば、こんな結末にはならなかった。セラフィーナはウィルヘルミナに嫉妬し、薄汚い奸計を企んだ。
女仙の処刑は大神殿の司法神官が実行する。仙毒の刃で首を絶つか、肉体が灰燼となるまで焼き尽くさなければ、女仙は絶命しない。
慣例上、大々的な公開処刑はせず、公には病死と発表する。不老不病の女仙は、体調不良程度の病には罹るが、死病に冒されることはない。
女仙の病死は隠語。死を賜った不名誉な女仙は病死扱いで弑される。
「――愛妾セラフィーナ・アルテナ。罪状は内乱の予備および陰謀。告発者の証言に基づき、大神殿公安総局は貴方に産褥刑を言い渡しました。宰相府は刑の執行を許可します」
「――同じく、軍務省は産褥刑の執行を認める」
「――大神殿は判決を認定し、公安総局機関長アストレティアに産褥刑の執行を命じる」
三皇后は帝国憲法の規定に則り、セラフィーナの産褥刑を許可した。
産褥刑は懐妊している女仙だけに適用される。胎児の分娩後、速やかに刑を執行する。
セラフィーナはアルテナ王国の女王。ヴィクトリカ王女が表向きは死んだとされる現在、アルテナ王家の血を引く唯一の王族だ。処刑に反発したアルテナ王国の民衆が蜂起する可能性は大きい。
ゆえに真実は明かさない。表向きは出産で体力を消耗しての衰弱死と発表する。
アルテナ王国の選択は限られている。王家の血統を存続させたいのなら、女王セラフィーナが命と引き換えに産んだ子供を新王を立てるしかない。
たとえ憎きメガラニカ皇帝との間に産まれた子供だろうと、アルテナ王家の血を絶やしたくないのなら、選択肢は一つしか存在しないのだ。
メガラニカ帝国は万が一の保険を用意している。東部地域の騒乱で死んだとされるヴィクトリカ王女だ。いざとなれば退場したセラフィーナの代用品にヴィクトリカを使う。
いずれにせよ、アルテナ王家の血統は皇帝ベルゼフリートに辱められている。緩やかにアルテナ王国は飲み込まれていくのだ。
セラフィーナはベルゼフリートを見詰める。口を封じられた今、視線で訴えるかけるしか方法がなかった。
ウィルヘルミナに抱きかかえられているベルゼフリートは初めてセラフィーナを一瞥した。唇を動かす。音は発しない。口の形でセラフィーナに想いを伝えた。
――さよなら、ちょっとだけ好きだったよ。
死にゆく女王への贈り物。捨てられようと、愛し合った日々の記憶は色濃く残っている。
ベルゼフリートと身体を交え、一つに繋がった淫夜の悦び。二十年の結婚生活では経験できなかった女の幸せを教えてくれた。夫のガイゼフに備わってない特別な魅力がベルゼフリートにはあった。
破滅した今だからこそ、セラフィーナは己の本心に向き合えた。
――この世で愛している男はベルゼフリート・メガラニカ。
セラフィーナは女となった。女王の職責、妻の貞節、母親の責任。何もかも投げ捨て、ベルゼフリートの足許に跪き、縋り付きたかった。
「アストレティア。セラフィーナの口を自由にしてあげなさい。最期の言葉を皇帝陛下に捧げる権利があります。⋯⋯今のセラフィーナは女仙です」
ウィルヘルミナは慈愛を示した。哀れみは失恋した女への配慮。自分の男に手を出した悪女だが、気持ちは本物だった。ウィルヘルミナはセラフィーナの心中を察した。
許されたのは、たったの一言。僅か一言だけだ。破滅の結末は変わらない。ウィルヘルミナの哀れみは何ら意味のないものに思えた。
運命は些細な出来事で変わる。八年前、ウィルヘルミナは死刑に処される少年に情けをかけた。もし母親と一緒に処刑していたら、メガラニカ帝国は滅びていた。ほんの小さな切っ掛けで未来は変容する。
――セラフィーナの告白は人々と国々の運命を大きく動かす。



