犬耳と尻尾を生やした獣人の美少女が、帝城ペンタグラムの大正門を訪れていた。緊張で臀部の合間から伸びる尻尾は直線に伸び、茶色の毛が逆立っている。
「どうぞ、お通りください。案内役の女官を同行させます。絶対に一人で行動しないようにお願いします」
「は、はい⋯⋯! 分かりました!」
関所の警務女官は入城を許した。無事に審査を終えたと犬耳の側女がほっと胸をなで下ろすのも束の間だった。
「えっと、どの方が案内役なのでしょうか? 五人いらっしゃいますけど⋯⋯」
「五人全員です」
「全員ですか⋯⋯?」
「リアさんは事前申請がなく、階級が非常に低いためです。警備規則上、五人の案内役が必要です。⋯⋯失礼ですが陛下のお相手を務めた経験はございますか?」
「陛下のお相手ですか? その⋯⋯っ。陛下とお喋りしたのは一度だけ⋯⋯」
「そうではありません。夜伽です。陛下に処女を捧げましたか? 陛下と性交渉した経験があるかと確認しています」
「な、ないです⋯⋯! ありませんっ! そんな私なんかが畏れ多いっ!!」
「それなら、案内役は五人です。それと禁中ではお静かに。本来、陛下からお呼びのかかった寵姫でもない限り、側女が足を踏み入れる場所ではありません」
案内役という名の監視役五人に囲まれる。全員が薙刀を帯刀しており、さながら囚人護送の様相だ。
(ううぅ⋯⋯。何も悪さはしてないのに、捕まえられた犯罪者の気分です。セラフィーナ様の御召し物を届けに来ただけなのに⋯⋯)
黄葉離宮で留守番中だったリアは、セラフィーナから迎えに来てほしいと頼まれ、帝城ペンタグラムへ赴いた。両手に抱えた衣装袋には、セラフィーナの衣服が入っている。
セラフィーナのスタイルは、良い意味で常人離れしている。豊満なバストとヒップ。そして、今のセラフィーナは胎児を宿し、腹を大きく膨らませた妊婦だ。
着用できる衣服が限られている。全ての服がオーダーメイドだ。そのため、黄葉離宮の衣装箪笥にある服を届けてほしいと命じられたのだ。
側女であるリアは、物資の買い出しなどの諸用で帝城ペンタグラムを日常的に訪れている。だが、大正門から入城したことは一度もなかった。
通常、側女が使うのは通用門だ。そちらには関所が設けられていない。
帝城は皇帝ベルゼフリートの住居である。同時に女官をはじめとする宮人の仕事場と官舎を兼ねている。
天空城アースガルズと地上を行き来する昇降籠は女官の所管だ。日々の食料品、化粧品や衣類などの生活物資、私的な手紙は帝城で検問が行われる。
妃に仕える側女達は、帝城で地上から送られた物資を受け取る。そして、勤め先や離宮に持ち帰るのだ。地位の低い側女が大正門を通る機会があるとすれば、妃の同伴者としてだろう。
大正門は皇帝が暮らしている禁中に通じている。ゆえに、別名を禁闕という。
禁闕をくぐり、皇帝と謁見できるのは、特権持ちの三皇后、皇帝からお呼びがかかった寵姫のみだ。
◇ ◇ ◇
「来てくれてありがとう、リア。急に呼び出してごめなさい。着替えが必要だったのだけど、サイズの合うドレスを用意できなかったの。取り寄せだと時間がかかるみたいだったから、リアにお願いしてしまったわ」
セラフィーナは湯殿の着替え所で、長い髪を乾かしていた。水気たっぷりの白肌から湯気が立ち上っている。
皇帝が暮らす禁中には、寵姫専用の浴室がいくつか用意されている。そのうちの一つをセラフィーナは貸してもらった。
淫猥な性臭は湯で洗い流された。股から精液を垂れ流しながら、帝城の廊下を練り歩くわけにはいかない。湯船で全身の汚れを洗い流し、膣内も綺麗にゆすいだ。
「あと少し、待ってもらえるかしら? まだ、髪が乾ききっていないの」
世話を命じられた庶務女官達は、団扇をパタパタと扇いでいる。温風が発生する特殊効果付きの団扇だ。美しい黄金の長髪が靡く。
セラフィーナは編み座面の椅子に、足を組んで腰掛けている。温風で濡れた裸体を乾かす間、膨れ上がった孕み腹を愛でる。
貴き皇帝の子を宿す妊婦。身重のセラフィーナを見ていると、リアの子宮も疼いてくる。
(美しいです。私も⋯⋯陛下の子を授けていただきたい⋯⋯。あぁ、だめ、だめっ! こんな想いを抱くのは不敬ですっ⋯⋯! 私はヘルガ妃殿下とセラフィーナ様の側女!)
セラフィーナはゆっくりと振り返る。緊張した顔を浮かべるリアと、その背後に五人の警務女官がいる。戸惑う犬娘の表情で、気苦労があったと伝わってくる。
「ここまで来るのは大変だったでしょう? リア。本当にごめんなさいね」
「とんでもないありません! 私はセラフィーナ様の側女です! いつでも呼びつけてください!!」
セラフィーナの裸体を直視したリアは、同性でありながら顔を赤らめてしまった。日頃から湯浴みの手伝いをしている。見慣れているはずだった。けれど、ほんの一日で妖艶さに磨きがかかっていた。
「これからも苦労をかけるわ。ロレンシアが不在の間は、リアに頼り切りですわね。一人だと仕事が大変でしょう? 女官を一人お貸しくださると言っていたわ」
セラフィーナはそう言うものの、ロレンシアの妊娠後、黄葉離宮の労働戦力はリアだけだった。世話をする妊婦が一人減り、リアの仕事量は半減している。
「陛下がセックスの合間に言っていたことだから、お忘れになっていなければですけど⋯⋯」
セラフィーナの下着を衣装袋から取り出したリアは、不安げな顔で問い返す。
「え? 女官の方を黄葉離宮に⋯⋯?」
「何か問題があるのかしら」
「セラフィーナ様が暮らす黄葉離宮は、軍務省の統括エリアにあります。女官を常駐するのは問題があるかと⋯⋯。その⋯⋯私は別に構わないのですけど、軍務省のお妃様達がどう思われるか分かりません」
帝城ペンタグラムは女官の縄張りだ。同じく、軍務省は元帥府を中心とした自治エリアがある。軍閥派の妃が暮らす離宮は、当然ながら軍務省の統括下だ。
「そう⋯⋯? ですけど、陛下のご厚意を無下にはできませんわ」
「ヘルガ妃殿下にご相談してはいかがですか? 人手が足りないのなら、ヘルガ妃殿下の側女をお借りできますよ」
珍しくリアは難色を示した。派閥の自治は争いの種となりやすい。
もし黄葉離宮に女官が常駐するとなったら、縄張りを侵犯された軍閥派は強い不快感を示すだろう。
(リアは危ぶんでいるみたいですわ。そういえば、初めて天空城に来たとき、女官総長ヴァネッサとヘルガ王妃が、私に女官を付けるかどうかで、口論をしていた覚えがある。陛下の忠告もありましたし、慎重に事をすすめるべきかしら?)
セラフィーナは過去の出来事を思い起こす。当時は何とも思っていなかった。だが、ヘルガは断固たる態度でヴァネッサの申し出を拒絶した。
三派閥が争う宮廷で、女官達は第四勢力。どの派閥の妃とも女官達は険悪な仲だ。
「そうですね。私はまだ宮廷の事情をよく知りません。ヘルガ妃殿下にお伺いを立てておきましょう」
「はい。それがよろしいかと思います。セラフィーナ様」
リアは安堵の表情を浮かべている。だが、セラフィーナは黄葉離宮に女官を置いておきたかった。連絡要員に使うためだ。
(愛妾にすぎない私は、夜伽でしか陛下と接触できませんわ。連絡を密に取りたい。それも悟られずに⋯⋯。地上ではロレンシアが情報を集めてくれているわ。私だって動かないといけないと⋯⋯)
セラフィーナは既に目星を付けている。
ベルゼフリートの過去を一番知っているのはウィルヘルミナだ。それなら二番目は誰であろうか? これまで聞いた皇帝のエピソードをまとめ上げると、その人物は浮かび上がってくる。
(側女のネルティ。ベルゼフリートという少年が、皇帝となる以前の過去を知る糸口ですわ⋯⋯。ネルティは特別扱いされていた。彼女は陛下から深い寵愛を受けている。あの二人は、昔から愛し合っているように見えたわ)
薄暗い嫉妬の炎が心の奥底で揺らめく。公文書館の中庭でベルゼフリートとネルティは激しく愛し合っていた。
その現場をセラフィーナは覗き見ていた。
最愛の少年から激しい情欲を注がれ、幸せの絶頂に達する兎娘。穢れきった女王からは、少年と少女の清らかな性交が眩しかった。
墜ちた自分に比べ、ネルティは清らかだった。今のセラフィーナは背徳者だ。貞淑を捨て去った淫らな人妻。二度と綺麗な自分には戻れないと分かっていた。
(ネルティと親しくなって、昔の話を聞き出しましょう。陛下の⋯⋯、いいえ、ベルゼフリートの人柄が分かるはず。人間性を深く理解すれば、皇帝の籠絡は容易くなりますわ)
セラフィーナは己の本心を正確に理解していない。
心の在り方や自身の振る舞いを見つめ直せば、醜い嫉妬心が芽生えていると自覚できたはずだ。しかし、愛情は人を盲目にする。