戦勝式典の喧騒が過ぎ去った八月末日、ネルティはセラフィーナの暮らす黄葉離宮に招待された。
帝都アヴァタールの大気は熱波を孕み、茹で上がる気温の酷暑。帝国は真夏のピークを迎えようとしている。
獣人族は夏毛の生え替わりに悩まされる季節だった。
「この際、単刀直入に聞くけど、なんで俺を呼んだ?」
ネルティはユイファン少将付きの側女にして、皇帝ベルゼフリートお気に入りの寵姫だ。
日差しがきつい庭先のウッドデッキで対談する相手は、隣国の女王セラフィーナ。二人の共通項はたった一つ。男に抱かれている女同士。
(あぁ⋯⋯。イヤな予感がひしひし感じる。面倒事の気配だ)
ネルティはセラフィーナを怪しむ。皇帝のお気に入りであるネルティは女官に疎まれ、王妃から煙たがられている。そんな自分が呼び出されるときは、大抵がろくでもない事態なのだ。
「ネルティさんとお話をしたかったのです。無理なお願いはいたしませんわ。身構えないでくださるかしら?」
「悪いが⋯⋯立場が立場だけにな。俺と女王様はお互いにそうだろ? 後宮で暮らす女としては、その⋯⋯、なんだ。イレギュラーな立ち位置にいる」
「時間を持て余しているのですわ。相談相手になってくれる方がいないかと陛下にご相談したところ、ネルティさんはどうかと勧めてくださったのです」
(お子様皇帝め⋯⋯。どういう人選だよ)
――数日前、ベルゼフリートが前触れもなくネルティの部屋を訪れた。
珍しくはない。突然の来訪は日常茶飯事だ。ベルゼフリートは度々、ネルティとユイファンが暮らす光芒離宮に押し掛けてくる。
(宰相府でウィルヘルミナ閣下にお仕置きされたが、まったく懲りてなかったな⋯⋯。まったく⋯⋯女性関係ははもうちょっと気をつけてほしい)
ウィルヘルミナに精液をありったけ搾り取られて、ヘトヘトにされた愚痴をネルティは聞かされた。半分は苦労話を装った惚気話。一昼夜の連続射精は、セックス大好きのベルゼフリートでも堪えたようだ。
その話を聞いたネルティは、淫魔族の尻尾にそんな使い方があるだと感心した。兎族の獣人であるネルティには白毛の尻尾がある。けれど、兎の尻尾は短い。
(淫魔族の尻尾って便利だよなぁ。兎族のは邪魔なだけだ。ショーツが尻尾で膨らむとみっともないし⋯⋯)
兎族はサキュバスのように淫尾で犯す芸当ができない。硬くて長い尻尾を持つ種族が、ちょっとだけ羨ましかった。
ウィルヘルミナに犯し尽くされた後、ベルゼフリートは宰相府に連行され、他の妃達とセックスさせられたという。
(宰相派は王妃四人、公妃十六人。宮廷の最大派閥。その妃を全員抱いてきたんだから、すごいもんだよ。うちの皇帝陛下は⋯⋯)
朝昼晩で妃三人を抱き、七日かけて派閥の全員と交わり、やっと自由の身になった。余談であるがラヴァンドラは避妊薬を飲まされた。残念ながら今回も妊娠できそうにない。
(――セラフィーナ女王は何を考えているんだろうか。三皇后に喧嘩を売るなんて自殺行為だぜ。うちの皇帝陛下は頼りないぞ?)
「⋯⋯陛下はユイファン少将の離宮で療養されているそうですね」
「療養というか⋯⋯。ユイファン少将が妊活中なんだ。妊娠しないと戦勝式典を欠席した言い訳ができなくなる。それなりに本人は焦ってるよ」
「あら? そうなのですか? 帝都新聞でユイファン少将が懐妊されたと報じられていましたわ」
「嘘だよ。それ」
「まぁ。誤報だったのですね」
「陛下も陛下だよ。宰相府で折檻された後、すぐさま愛妾の離宮に駆け込むのはいかがなものかな⋯⋯。そうとう手厳しく絞られてきたはずなのに。よくヤる気になれるもんだ」
「もしかするとネルティさんをお呼びしたのは、迷惑だったでしょうか?」
(正直、迷惑だよ。本音をぶっちゃけると⋯⋯)
「陛下はネルティさんを愛していらっしゃるのですから、今日もお相手をするはずだったのでは?」
(そういうのは対抗意識しないっての⋯⋯)
ネルティは身の程を弁えているつもりだ。ベルゼフリートは親友であり、恋愛感情も抱いている。しかし、妃や女官、ほかの女を妬んだりはしない。
(近くにいるだけで、俺は十分なんだけどな)
高望みは身を滅ぼす。遊び相手以上の存在になろうとは思わなかった。ネルティは野心と無縁だった。
「性奉仕って気分じゃない。むしろ時間を持て余していたよ。陛下が来ると離宮に女官が大勢押しかけてくる。そんで、仕事を根こそぎ奪っていく。呼び出してくれて助かった。抜け出す口実になったよ」
ネルティは側女でありながら皇帝と親しすぎる。女官は快く思っていない。蛇蝎のごとく嫌っている。妃達も同様で宮廷には敵が多い。
(後ろ盾がなかったら、俺もどうなっていたのやら⋯⋯)
ネルティは軍閥派の庇護下にあり、帝国宰相ウィルヘルミナとも深い繫がりがあるため、表立って攻撃されない。しかし、敵意ある視線を常に向けられていた。
「それで、女王様は俺に何を聞きたい?」
「ベルゼフリート陛下について知りたいのです。ネルティさんは幼い頃から親しい関係だったとお聞きしていますわ」
「今だって陛下は幼いお子様だけどな。俺は遊び相手兼世話係。ウィルヘルミナ公爵家に雇われてた。それだけさ。寝小便をいつまでしてたかは知ってるぜ」
「ケーデンバウアー侯爵家の密偵だったのでしょう?」
「へえ。女王様は俺をよく知ってるじゃないか。お喋りな陛下から聞いたんだろ? 口が軽くて、ほんと、いつも困らされているよ」
ネルティとベルゼフリートの出会いは偶然だった。当時、ナイトレイ公爵家が新帝を保護している事情は、明るみになっていなかった。
ネルティの仕事は大貴族が監視。だが、名目に相応するほど、大した役割ではなかった。潜入先の領地で見聞きした情報をケーデンバウアー侯爵家に報告する。
気に入られて、遊び相手となるよう命じられたときも、ネルティはベルゼフリートをナイトレイ公爵家の落し子だと思っていた。
「噂をお聞きしたのですけど、ネルティさんは二番目の女仙なのかしら?」
「噂は噂に過ぎないぜ。女王様」
「そうでしょうか? 火のない所に煙は立たない。そう言いますわ」
公式記録によればベルゼフリートの血酒を飲み、最初に女仙となったのは三皇后だ。
古来の慣例で決まっている。皇帝の即位時、最高位の三皇后が最初の女仙となる。その次に女官総長が血酒を飲む。王妃と公妃が続き、上位者から女仙化していくのだ。
「俺が何番目の女仙かってのは、答えられない質問だ。口が裂けても言えない。順番なんてつまらないよな? だけど、伝統ってのは宮廷で重んじられる」
ネルティはレオンハルトやカティアよりも先んじて、ベルゼフリートと接触していた。女仙となった時期は不明。だが、皇帝が即位する以前からネルティは女仙となっていた。
(掟破りなのは重々承知。だが、俺だって分かってやったんじゃない。そういう言い訳はしていいだろ)
誰もが察しているとおり、ネルティは二番目の女仙であった。だが、その事実を公言してはならない。貴族ではないし、妃ですらない単なる側女が二番目の女仙だと都合が悪かった。
「陛下との間に子供はいらっしゃるの?」
「息子と娘が一人ずつ。母親らしい振る舞いはできてないけどな。女仙は我が子と触れあえない。理不尽だと思っているぜ」
「女仙の瘴気ですね」
「ああ、そうさ。臍の緒を切ったら、肉体の一部じゃないと判定される。そうなったら、もう我が子とはお別れだ」
我が子と直に触れあったのは一度だけ。臍帯が繋がったままの赤子をネルティは強く抱きしめた。
「その点、陛下はずるい。元凶の陛下は我が子と触れあっても大丈夫なんだぜ。女仙は穢れているから駄目なのに。不合理なシステムだ」
「ええ、そうですわね」
「腹を痛めて産んだ子供だってのにさ⋯⋯。酷い仕打ちだよ。あっ⋯⋯。 いや、これは女王様の前でする話じゃなかった」
ネルティは申し訳なさで目線を逸らした。セラフィーナは息子のリュート王子を亡くしていた。
「お気遣いは無用ですわ。気にしていません」
そんなはずはない。帝国軍によって処刑されたリュート王子。セラフィーナがガイゼフとの間に儲けた愛息は、男系の血を断つために殺されたのだ。
(気にしてなかったら、むしろ精神がやばいだろ)
リュートの絞首刑から、まだ一年と経っていない。そんな母親相手に子供の話をしてしまった。配慮が欠けていたとネルティは恥じ入った。
(この女王様は、息子を殺した帝国の皇帝に孕まされた⋯⋯。もし俺が女王様の立場だったら⋯⋯心穏やかではいられないな)
セラフィーナはベルゼフリートの子胤で孕まされ、お腹を大きく膨らませている。嫌がるセラフィーナをベルゼフリートが強姦し、無理やり孕ませたとネルティは聞いていた。
(恨んでいるのか⋯⋯それとも⋯⋯。分からないな。女王様は何を考えているんだ?)
帝国は愛する夫を国外に追いやり、我が子を殺した。帝国軍の支配下に置かれ、女王は陵辱されたのだ。
「我が子を失うのは、とてつもない苦痛です。けれど、私は今までのように、泣いているだけの女であってはならないわ。誰も私を助けてはくれない。アルテナ王国の女王として、やるだけやると決めましたの」
「ご立派な覚悟だとは思う。だが、俺は協力できないぜ」
「⋯⋯⋯⋯お礼はいたしますわ」
「宮廷闘争には関わらない。俺は安い女だ。好きな男の子供を産めた。近くで暮らせている。それでもう十分なんだ。これ以上を求めるのは傲慢だ」
「謙虚なのですね。ネルティさんは⋯⋯」
「長生きのコツだって言うぜ」
「⋯⋯面倒に巻き込まないでほしい。そういうご返事でしょうか?」
「警戒するさ。女王様は何か悪巧みしてるだろ? 以前にも一人いたんだぜ。分不相応な野心を抱いた可哀想な女がさ」
「ネルティさんには、私がそのように見えているのですね」
「俺は女王様が何を考えているのか分からない。だけど、親切心で忠告はしておく」
「ありがとうございます。ぜひ、聞かせてくださるかしら? ネルティさんは私にどのような忠告をくださるのですか?」
「——女王様がどんなに入れ込んだところで、最後には捨てられるぜ」
ネルティは言い切った。セラフィーナは平静を装ったが、分かった風な口を利くネルティに苛立ちを覚えた。
「人の心がどう変わるかは分かりませんわ。陛下は私をとても気に入っています。このお腹には陛下と私の赤ちゃんが宿っている⋯⋯」
「陛下が孕ませた女は数え切れないほどいるよ。避妊しないからな。だが、ああ見えても陛下は一途だ。心変わりしないと思うぜ。挑戦するのは自由だけどな」
「随分と自信があるのですね。私は他の寵姫に劣るでしょうか?」
「付き合いは長いからな。我らの陛下は女をその気にさせるのがお上手だ。それなりに責任を取ってはくれるが⋯⋯罪作りな男だぜ」
セラフィーナはネルティから有益な情報を聞き出すのは難しいと理解した。明確な敵意は向けてこないが、警戒されている。心を許していないと分かった。
(⋯⋯お金で動くタイプではなさそうですわね)
ウィルヘルミナを除けば、もっとも皇帝の過去を知っている相手だけに、心を閉ざされてしまったのは残念だった。
(まあ、いいでしょう。初めから口を割るつもりがないのなら、相手にするだけ時間の無駄ですわ)
あくまで本命はロレンシアが持ち帰ってくる情報だ。しかし、宮廷内でも情報を収集し、皇帝とより親密な仲になるつもりではある。
「光芒離宮に帰り次第、陛下にお伝えください。私がとても寂しがっていると⋯⋯」
「承知したよ。お誘いとはね。へえ⋯⋯なるほど。そのドスケベな服は陛下の好みに合わせて買ったのか?」
「ええ、そうですわ。きっと気に入っていただけると思っています」
セラフィーナが着ているドレスは両肩と背中を露わしたオフショルダーのマタニティ・ドレスだ。上乳を晒す胸開き式で、上衣を乳首のラインまでずり下げている。
「私の離宮を訪れにくいのかもしれません。ですが、ぜひ晴れ姿をお見せしたいですわ♥︎」
下半身を覆うレースのスカートは、局部が透けているシースルーファッション。透け感が強く、女陰を隠すパンティーの色が見えていた。
素肌の露出は多い。また、両脚とヒップを強調するデザインだ。妊婦服でありながら、女体の淫靡さを際立たせ、劣情を煽り立てる破廉恥な衣装だった。
清廉な聖母と称されていたアルテナ王国の女王は、色気を漂わせる艶めかしい淫母に堕ちていた。
「要件が済んだなら、俺は帰っていいかな」
「ネルティさん。帰ったら陛下にちゃんと伝えてください。どのような性奉仕にもお応えいたしますと⋯⋯♥︎」
「了解しましたとも。必ず伝えておくよ。会いにきてくれるかは、陛下の気分次第だ。俺のせいにしないでくれよ」
「ええ。もちろん。気分次第なら、陛下は早くきてくれる気がしますわ」
(自信家だな⋯⋯。さすがはアルテナ王国の女君。)
——この女からは危険な香りがする。兎娘は本能で感じ取った。
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