——ラヴァンドラ王妃は自身の執務室を出た。割り振られた職務を終え、宰相府から自分の離宮に戻る矢先だった。
帝都随一の財閥であるラヴァンドラ商会を後ろ盾に、ラヴァンドラは王妃の地位を得た。宰相派所属の王妃は4人。その一角を占めているが、皇帝の寵愛は皇后であるウィルヘルミナが独占している。
野心を抱くラヴァンドラだったが、宰相の地位は遠退いていくばかり。強い焦りを感じ始めていた。
「ラヴァンドラ妃殿下。皇帝陛下がお呼びです」
皇帝付きの女官が現れ、呼び出しを受けた。
普通なら舞い上がってしまうところだが、ラヴァンドラは愚鈍な女ではない。
ベルゼフリートには、お気に入りの妃や側女がいた。特に幼少期からの付き合いがある側女ネルティは他の妃や女官が対抗心を向けられている。ラヴァンドラも寵姫を嫉む側だった。
悲しいことだが、ラヴァンドラは特別な存在ではない。数多くいる妃の一人としか思われていない。
(夜伽の相手にしろ、相談の相手にしろ、陛下が私を指名するとは思えません……。ならば、陛下の名で私を呼びつけた者がいると考えるべきですね)
皇帝の名を使えば、序列が下の者だろうと王妃を呼び出せる。皇后であれば、皇帝の要請を無視できるが、ベルゼフリートの機嫌を損ねたい女はいない。ましてや王妃ともなれば、選択の余地はなかった。つまり、皇帝の呼び出しは拒絶できないのだ。
「陛下は何処の離宮に滞在されているのですか?」
「黄葉離宮でございます。こちらで馬車を用意しておりますので、お乗りください」
「黄葉離宮……? 陛下はセラフィーナ女王と……、いえ、例の愛妾と遊ばれているのですか。陛下の火遊びには手を焼かされますね」
査問会の主審を務めたラヴァンドラでなければ黄葉離宮と聞いて、すぐにセラフィーナの宮とは思い至らなかったはずだ。
(黄葉離宮は軍務省の統括する区画にある。宰相派の私を招き入れるのなら、女官が用意した馬車を使った方が良さそうです。しかし、目的が分かりませんね。背後にいるのはユイファン少将? それともヘルガ王妃でしょうか……?)
軍務省の策略かと身構えたが、ラヴァンドラの予想は大きく外れていた。
用意された馬車に乗り込み、ラヴァンドラは敵地に入り込む。そして、自分を呼びつけた者と対峙するのだった。
◇ ◇ ◇
黄葉離宮の客室で、ラヴァンドラ王妃を待ち構えていたのは、愛妾セラフィーナだった。ヴィクトリカ王女の訃報が報じられてから一週間と過ぎていないのに、その表情に悲しみは刻まれていない。
「よくぞ、いらっしゃってくださいましたわ」
妊娠4カ月を迎えた妊婦の腹は、大きな曲線を描いている。白い清楚なドレスは胸元を隠しているが、淫猥な爆乳は覆えていない。
一方でラヴァンドラのドレスは、暗色の礼装仕様だ。腰回りを細く見せるため、きつめのコルセットを着用していた。
「セラフィーナさん。貴女と初めて会ったのは査問会でしたが、別人のように見えます。変わられましたね」
ラヴァンドラはセラフィーナが宮廷の色に染まったと認識した。連れてこられたばかりの頃、査問会の席に立たされ、不安げな顔で助けを求めていた弱い女王ではなくなっていた。
「皇帝陛下の御名まで持ちだして、私に何の用ですか? 査問会の件なら、無期限の延期となっています。お腹の子供が産まれるまで、セラフィーナさんに手出しはしませんよ」
「ラヴァンドラ妃殿下。まずはおかけになってください」
警務女官による厳重な警備体制は、皇帝の滞在を意味している。しかし、妊娠済みのセラフィーナと皇帝を引き合わせるメリットはない。なぜ皇帝が黄葉離宮に滞在しているのかと疑念を深める。
(呼び出しの意図が掴めませんね。少なくとも軍務省の手引きとは思えません。ならば女官総長ヴァネッサでしょうか……? しかし、女官の特権を守ることにしか眼中にないあの不定形生物が、こんな回りくどいことをするとは……)
用意されていた紅茶に口を付ける。引き連れてきたラヴァンドラ付きの側女が制止しようとしたが、こんなところで恐れを見せては、侮られてしまう。
「ご子息に続き、ご息女まで亡くなれたというのに、貴女は随分とお元気そうに見える。私は未だに一度も子を持ったことがありませんが、母親とはそういう生き物なのですか?」
「リュートやヴィクトリカの死は心から悲しんでいます。しかし、私はアルテナ王国の女王なのです。家族より、国家を支えなければなりませんわ。それに、新しく生まれてくる子供の将来を考えなければ……」
「国家のためにですか……。ご立派な物言いです。しかし、ここはメガラニカ帝国の宮殿。陛下に心身を捧げた者達が暮らす後宮です。アルテナ王国の女王にとって、天空城アースガルズは住み心地が悪いのでは?」
「皇帝陛下が私を後宮に連れてきたのです。陛下が出て行けと仰るのなら、私は去りましょう。愛妾とはそういうものですわ」
口撃してみたが、セラフィーナは受け流し、ボロを出さなかった。
何者かの思惑を代弁しているわけではないらしい。利用されているとしても、セラフィーナの意思も働いている。
ラヴァンドラは真意を見抜くため、セラフィーナに問いかけた。
「私への用件は? 私は宰相派の王妃です。軍務省の区画で、軍閥派の愛妾と密談をしているとよろしくない噂がたってしまう」
「ラヴァンドラ妃殿下、単刀直入に申し上げますわ。私と手を組みませんか?」
セラフィーナは直球で勝負を仕掛けた。相手の動揺を誘う魂胆だった。しかし、ラヴァンドラ王妃は経済界の女帝である。
宰相ウィルヘルミナに劣後しようと、世間知らずのセラフィーナ如きには負けない才女だ。
「まずは条件を提示すべきでしょう。私に何をしてほしいのですか? 要求と対価は? セラフィーナさんは私に何を提供てくれるのか。まずは示していただきたい」
まだ意図は掴めないが、方向性は読み取れる。わざわざ宰相派の王妃を呼びつけたのだ。軍閥派の王妃、すなわちヘルガ王妃には頼めない内容なのだ。
(わざわざ皇帝の滞在する黄葉離宮に呼び出したのは、私を萎縮させるためなのでしょう? 何と浅はかな……。交渉事は対等の関係でしか成立しないのですよ)
この展開は容易く予想できた。普段から相手をしている他の妃達と比べれば、セラフィーナなど独り立ちしたばかりの雛鳥だ。
「私の従者にロレンシアという側女がおりますわ。彼女を天空城アースガルズから降ろしたいのです。既に女官総長ヴァネッサとの取引は終えていますわ。外出許可の条件として、『王妃』からの後援を要求されてしまいました」
セラフィーナは肝心なところを伏せて、ラヴァンドラに女官総長と行った取引を説明した。
「私が責任を受け持つ形で、ロレンシアを下界に降ろし、そのうえでラヴァンドラ商会からの支援もしてほしい。目的は何なのですか? よもや連れてきた従者を逃がすためではないでしょう」
「私は身の振り方を考えているのです。メガラニカ帝国の内情をもっと知りたいのですわ。だから、信頼する従者に帝国を見聞してもらい、教えてもらおうと思っています。なにせ、私の風聞は新聞で報じられているように最悪ですから」
「我が商会が発行している帝都新聞への苦情ですか? 帝国には臣民の権利として言論の自由があります。隣国の女王を貶めようと不敬にはあたりません」
「私の風評をどうこうしたいわけではありません。けれど、これから産まれてくる皇帝陛下との子供は、祝福されてほしいと願っていますわ」
見え透いた嘘だとラヴァンドラは嘲笑する。
もしメガラニカ帝国に身を寄せる決心をしたのなら、勅命に従って王妃となってしまえばいい。
下った勅命は今なお有効だ。こんな回りくどい工作で、帝国の民心を得ようとするのは整合性がない。
(セラフィーナ女王と手を組むリスクは大きい。しかし、軍閥派を出し抜けるかもしれない。ウィルヘルミナ宰相は、アルテナ王家を滅ぼそうとしている。宰相府の大方針に従うなら、女王には派手な失敗をしてもらって、それを口実に王家の取り潰しを図るべきでしょうか……)
ラヴァンドラは脳内で計略を巡らせる。けれど、それはセラフィーナの破滅を前提とした謀略だった。
強い野心を抱くラヴァンドラだが、頂点に立つウィルヘルミナに表立って逆らおうとは思っていない。
「私に協力していただけるのなら、ラヴァンドラ妃殿下に御子を差し上げますわ」
セラフィーナの言い放った一言は、ラヴァンドラを思考を硬直させた。
「何と……言ったのです……?」
「私のお腹には、皇帝陛下との間にできた御子が宿っていますわ。もし私に協力してくださるのなら、ラヴァンドラ妃殿下に差し上げます。これが私の提示している対価ですわ」
「…………」
この提案にはラヴァンドラも言葉を失った。
皇帝との子供を望みながら、妊娠できていないラヴァンドラだからこそ、予期できない提案だった。セラフィーナは究極の切り札を行使する。
——お腹の胎児を交渉の対価に提示したのである。
読者のjk様より「セラフィーナ女王」のイラストを頂きました!
ちょうど今話が勝ち誇るセラフィーナ女王だったので、紹介させていただきます。
セラフィーナ女王陛下(36)と絵師様に最敬礼!!
( ゜∀゜)o彡゜おっぱい!おっぱい!