長旅の末、帝都アヴァタールに到着したマリエールはすぐさま血酒を飲まされた。
皇帝の血液を特殊な方法で発酵熟成することで、生成される貴重な仙薬は、不適合者には惨たらしい死を与える。一説によれば皇帝に仕える価値があるかを血酒は見極めているという。
(さて、不老不病の身体を手に入れたわけですが⋯⋯。これといった実感がありませんね)
マリエールは死のリスクがあると説明されたが、一滴残さず飲み干した。
(血酒の味はまさしく珍味。おかわりを頂けなかったのは残念。どんな製法で作られているのか気になりますね)
女仙になれると信じて疑わなかった。マリエールは教会の人間であるが、皇帝とは敵対していない。皇帝に仕える価値がある人間だと自負している。
そもそも敵意を抱いた女が毒死するのなら、セラフィーナとロレンシアは女仙になっていない。現在はともかく、血酒を摂取した時点において、セラフィーナとロレンシアはメガラニカ帝国に強烈な憎悪を向けていた。皇帝ベルゼフリートに殺意を抱くほどであったが、それでも無事に女仙化を遂げている。
(女仙とやらになる前に、帝都アヴァタールを見て回りたかったのですが、要望は却下されてしまいました。とても残念です。後宮に入内したら外出する機会はないでしょう。諦めるしかないですね)
帝都の市街を見て回りたかったが、帝国軍は警備上の問題を理由に拒んだ。
(帝国は必要以上の情報を私に与える気がなさそうですね。私は親善大使のようなものだというのに⋯⋯。軍の方々は親切ですし、不快とまでは思いませんが⋯⋯。まずは警戒を解かなければなりませんね)
副都ドルドレイの滞在時もそうであったが、マリエールは監視付きの軟禁生活を送っていた。
(この格好は私に似合っているんでしょうか?)
グラシエル大宮殿で身を清めたマリエールは、用意された側女の服を身にまとう。旅の道中で着ていた聖衣は没収されてしまった。
(肌の露出が多くて落ち着きません。この服はどうして両肩に穴があいているのでしょう? 帝国の流行りでしょうか? 布地は上等で良い肌触りです。風が吹くと涼しい。旅芸人の踊り子になった気分です。ああ、けれど、こうも肌を晒していると日焼けや虫刺されが怖いですね)
マリエールは空を見上げる。これから身一つでメガラニカ皇帝の後宮に乗り込む。私物の持ち込みは一切許されず、神力を抑制する封呪が首に刻まれた。
(首周りは封呪が煩わしい。こんなことをせずとも、危害を与えたりはしないのですけれど。私の目的は帝国と教会の橋渡しです)
マリエールが神術を使おうとすれば封呪が皮膚に浮かび上がり、首を締め付ける。警告に従わず、無理やり神術を発動すれば首が切断される。
(しかし、相手の側で考えてみなければなりませんね。私は聖女の称号を持つ神術師でした。これくらいの予防処置は許容すべきでしょう。⋯⋯全ての所持品を没収。これも想定内です。ただ、せめて聖典くらいは許してほしかった)
人生で着る機会が皆無だった艶やかな装衣に戸惑いつつも、女官の案内に従ってグラシエル大宮殿の中庭で待機する。
「⋯⋯⋯⋯」
上空では天空城アースガルズが浮いている。
教会の禁書庫に残されていた破壊帝時代の年代記には浮遊島の記述と挿絵があった。天空城アースガルズの存在は知っていたが、間近で実物を見ると圧倒的スケールに感動する。
(空に浮かぶお城で暮らせると考えれば、心が踊ってきますね。幻想的な風景です。童心に返ってしまう)
確かな実力と知識を有する神術師だからこそ、天空城アースガルズが常識外れの古代兵器であると分かる。あの大質量に恒常的な浮力を与え、さらには強力な結界を幾重にも張っている。
(破壊者を封じる器が生成する無限に等しい力⋯⋯。帝国領に入ってから地脈と気脈の力強さを感じ取ってきました。これほどマナが潤沢ならエネルギーは使い放題ですね。天空城アースガルズが領土全域にエネルギーを送り出す心臓⋯⋯)
本来、人口の多い大都市はエネルギー問題に悩まされる。
(――メガラニカ皇帝の力は本物ですね。血酒を摂取し、私もその一部に組み入れられた)
通常の場合は気脈と地脈からマナを抽出し、魔力炉などで利用可能なエネルギーに変換する。大量に消費すれば気脈と地脈は衰え、無理に吸い上げ続ければ枯渇してしまう。
ところが帝都アヴァタールは正反対だ。過剰に溜まったマナを気脈と地脈を使って広域分散させている。
(メガラニカ帝国は皇帝が発するエネルギーを使い切れていないのでは? 無限大の力を秘めているなら、創造主が定めた世の理、開闢者の律法から外れています。人の手には余る。荒魂を封じる転生体⋯⋯。そもそも破壊者ルティヤとは何なのか。マナの探求者として個人的な興味がそそられます)
天空城アースガルズや帝都市民の消費だけでは、垂れ流れている破壊者のエネルギーを消化しきれていない。滞留を防ぐため、領土全体に放流されていた。
(枢機卿の口車に乗せられて、メガラニカ帝国に身売りしたのは正解でした。頭上にある巨大な天空城が私の正しさを裏付けています)
マリエールは持論の確証を得た。メガラニカ皇帝とは戦ってはならない。
勝てる相手ではない。万一、勝ってしまったら大いなる災禍が降り注ぐ。
メガラニカ帝国と西アルテナ王国に恵みを齎すエネルギーが反転し、災いを呼ぶ大禍となったとき、どれほどの被害がでるかは想像したくなかった。
(人民があってこその国家。しかしながら、メガラニカ帝国では違う。皇帝あってこその国家)
皇帝空位の五百年でメガラニカ帝国は著しく衰亡した。
救国の英雄が死恐帝を鎮めなければ滅び去っていた。そんな亡国が新帝の誕生で瞬く間に息を吹き返した。
大陸西部のパワーバランスは急激に変動し、中央諸国は慌てふためいている。
(おや? あの女性は⋯⋯? メイドの服を着ていませんね。不安げな表情、あの落ち着きの無さ⋯⋯。見たところ、私と同類でしょうか?)
マリエールは中庭に昇降籠が到着するのを待っていた。
天空城アースガルズの出入は女官が管理している。女官達はメイド服を着用しているので役職が分かりやすい。
これまでの道中は帝国軍がマリエールの警護と監視にあたっていたが、血酒を飲んでからは女官達がその任務を引き継いだ。微弱ではあるが、女仙となったマリエールの身体は瘴気を放っている。只人の帝国軍兵士では瘴気に心身を蝕まれる。
中庭でマリエールの周囲にいるのは女官達だけだ。しかし、側女の服装を着た美女が一人いた。怯えた表情で空を見上げ、怖がっている様子だった。
昇降籠はマリエール専用のお迎えではない。食糧や日用品などの貨物が積み込まれる。他に同乗者がいても不思議はなかった。
「もしや貴方も教会関係者ですか?」
近くにいた女官は制止しなかったので、マリエールは自分と同類と思われる女性に近づき、柔和な笑みで問いかける。教会の関係者と誰何したのは、気配を感じたからだ。
「⋯⋯え、わ、わたし? あの⋯⋯! その⋯⋯あの⋯⋯!」
狼狽えた美女は怯えた瞳でマリエールを見つめ返した。何か言いたげだったが、身を縮こませ、言葉に詰まっている。
(とても強い神力のマナを感じます。強力な術式の気配⋯⋯。下腹部⋯⋯? 子宮に神術式が宿っているようですね。教会の⋯⋯それもかなり高位の聖職者が施した御印? 私の見立て通り、この女性はメガラニカ帝国の人間ではなさそうです。まさか教会の関係者? 私以外にも送り込まれた者が?)
前かがみで両腕を前で組んでいるのは、豊満な垂れ乳を隠したいからであろう。
(ほぉ⋯⋯。大きい乳房です。お美事な出来栄え。失礼とは思いつつも、つい見てしまいます。胸部の実りが豊かだと、その小さな布面積では恥ずかしいでしょうね⋯⋯。横乳が収まりきらず、布からはみ出てきます)
羞恥心で縮こまり、胸元を少しでも見せないようにしている。だが、薄着の装いで爆乳と巨尻は嫌でも目立つ。しかも、服のサイズが小さめで、パツンパツンの張り詰めた状態だった。
「先に名乗るべきでした。私はマリエール・ムシェタリャと申します」
「あの⋯⋯。恥ずかしいので⋯⋯せめて目線を上げていただけません?」
「失敬。同性とはいえ、ジロジロと凝視するのは失礼でした。ここまでのサイズは中々、お目にかかれないので⋯⋯。興味深くて観察してしまいました。私もそこそこのバストサイズですが、上には上がいるものですね。おみそれいたしました」
「⋯⋯⋯⋯」
「そんな顔をなさらないでください。私は教会の⋯⋯いえ、ルテオン聖教国から参りました。もし会話が許されているのなら、どちらのご出身か教えていただけませんか?」
「ルテオン聖教国⋯⋯! ほ、ほんとうですか!?」
「ええ。そうですよ。私は教会の人間です。生憎、身分を証明する物は持ち合わせておりません。先程、私物は没収されてしまいました」
ルテオン聖教国の名を聞いて、女性はマリエールに心を許してくれた。それと同時に驚愕もしている。
「どうして教会の御方がメガラニカ帝国に⋯⋯!? まさか私と同じ? メガラニカ帝国に捕まったのですか!?」
「捕まった? いいえ⋯⋯? 私は自分の意思でメガラニカ帝国を訪問し、自分を売り込みに来ております。捕まったわけではないのですが⋯⋯?」
「売り込み? へ?」
「話すと長くなりますが、無理やり連れてこられたわけではありません。しかし、貴方は囚われの身で後宮に送られるのですか? おかしいですね。メガラニカ帝国は奴隷制を禁止していると書物で読みました。帝国軍の大佐殿からもそう聞きました。⋯⋯異邦人は例外なのでしょうか?」
マリエールは首を傾げる。親切な誰かが教えてくれないかと期待する。しかし、女官達は婢女を監視するだけで助言や説明はしてくれなかった。
「メイドさん達は不親切ですね。私を護衛してくれた帝国軍の方々はもっと友好的でしたのに⋯⋯」
ちょっと大きな声で嫌味たっぷりに言ってみせた。
「マリエールさん⋯⋯。不用意な発言は止めたほうがいいです。帝国の方々は⋯⋯とても⋯⋯恐ろしいです⋯⋯」
不敬発言で首を握り潰されかけた記憶が蘇り、ぶるっと背筋が震えた。