アストレティアはイシュチェルの胎を指差す。
教会が子宮に施した強力な奇跡は、聖婚の大神でさえ解除できなかった。しかし、効果の重ね掛けはできる。
「なっ、なに⋯⋯? この感覚? 私の身体に何かしたの!?」
眠っている間に何かをされた。胎の違和感に強い恐怖を覚える。
「女仙化の直後、儀式触媒〈朱燕の乙女貝〉を使いました。効果は純潔の復活。このアーティファクトを使ってイシュチェルさんの処女膜を再生しました。無垢な乙女の身体はどうですか?」
アストレティアは綺麗な貝殻を取り出して見せる。大神殿が所有するアーティファクトであり、以前はアルテナ王国の宝物庫にあった。処女膜を再生させ、純愛の加護を授けてくれる秘宝である。
「無垢な身体⋯⋯」
処女の身体に戻されたイシュチェルは困惑する。同時に強い悪寒で背筋が凍った。
後宮はメガラニカ皇帝のハーレム。性奉仕をする美女の一人として、イシュチェルは入内させられる。
処女膜の再生は、汚れていた貢物を綺麗に磨き直すようなものだ。
「私も自分で使ってみた経験があります。二度目や三度目の処女喪失は⋯⋯病みつきになります。私は血が出てしまうため、破瓜でシーツを真っ赤に汚してしまいますが⋯⋯ね⋯⋯。愛しの皇帝陛下に純潔を捧げる愛の営み⋯⋯♥ 男根の貫きは、言い表せぬ女の至福です♥」
アストレティアは身をくねらせ、公然と淫情に満ちた愛を説いた。
「⋯⋯っ!」
「おや? 少女のように顔を赤くされてどうしました? まさかセックスはお嫌いですか?」
「ひっ、卑猥なことを言わないでください⋯⋯!」
「ベルゼフリート陛下は床上手ですよ。私達がこぞって性技を仕込みましたから⋯⋯。〈朱燕の乙女貝〉で再生した処女膜は、最愛の男性だけが破れる。イシュチェルさんはいつまで純潔を守れるでしょうね」
「なんという⋯⋯。卑劣です⋯⋯! 私の身体を辱めるために、命を救ったのですね⋯⋯!!」
「三皇后の決定です。皇帝陛下の新しい玩具としても最適だろうと⋯⋯。私は女官総長と同意見で、好ましく思っておりませんけれど。はぁ、近頃の皇帝陛下はよくない遊びを覚えてしまわれた」
「貴方達は最低です! 下劣極まります! これがメガラニカ帝国のやり方なのですか!?」
「無益な内乱で無辜の民に犠牲を強いる方々よりは上等なつもりです」
「⋯⋯⋯⋯ッ!」
「他に言いたいことは? 私は多忙の身です。何もなければ私は天空城アースガルズに帰らせていただきます。イシュチェルさんはとてもお元気なご様子。これ以上の治療は不要でしょう」
「お待ちなさいっ! 一つだけ教えて⋯⋯。私以外に生き残った人は?」
「素直に自分の子供が心配だと言われてはどうですか?」
「⋯⋯アーロンは? メガラニカ帝国はアーロンも捕まえているというのっ!?」
「私も母親です。我が子を心配する心。その点に関しては共感できます。心情も深く理解いたします。西アルテナ王国に流れ着いた生存者はイシュチェルさんだけです。帝国軍が捜索を続けていますが、第六王子を含め、誰一人として見つかっていません」
「そんな⋯⋯誰も⋯⋯。私以外が⋯⋯死んでしまった⋯⋯?」
「落胆しているのですか? 吉報ですよ。帝国軍が第六王子を見つけた場合、アルテナ王国の王子と同じ末路を辿る可能性が高い」
「なんですって⋯⋯!? 王子を殺す⋯⋯?」
「ええ。宰相派と軍閥派はやるでしょうね」
「まだ⋯⋯小さな赤子よ⋯⋯? 帝国に人の心はないのですか!?」
「赤子殺しは反対です。しかし、宰相派と軍閥派は必要とあれば冷徹な判断を下します。だから、アーロン王子が見つかっていないのは幸いです。良かったですね」
「⋯⋯⋯⋯」
「もちろん、生存の見込みはとても低い。しかし、遺体が見つからない限りは、一縷の希望を抱き続けることができましょう」
「⋯⋯⋯⋯。ええ。そうですわね。東岸に、東アルテナ王国に流れ着いているかもしれないわ」
希望的観測であった。しかし、イシュチェルは信じるしかなかった。
「もう一つ、老婆心で助言を差し上げましょう。アーロン王子が東側で生き延びていると信じているなら、まずはご自身が後宮で生き延びることです」
「媚びろとでも言いたいのですか? 帝国の支配に屈したアルテナ王国の売国女王セラフィーナを見習えと?」
「そこまでは言いませんよ。⋯⋯ベルゼフリート陛下の寵愛を授かり、御子を産めばご褒美が与えられます。例えばの話です。帝国軍がアーロン王子を見つけたり、捕らえた場合、イシュチェルさんのお立場次第では我が子の助命を嘆願する権利も得られましょう」
アストレティアの助言はイシュチェルを苦悩させる。
万が一、第六王子アーロンが生き延びていて、メガラニカ帝国に捕まったらどうなるか? 殺される可能性が高いとアストレティアは示唆する。しかし、イシュチェルが売春婦のように身体を差し出し、皇帝の御子を産めば、褒美で助命を願えるかもしれない。
究極の選択を迫られた。
夫婦の誓いを破りたくはない。しかし、第六王子アーロンを守るためなら、どんな辱めだろうと耐えられる。
(耐えてみせますわ⋯⋯。これは私に課せられた試練⋯⋯! 私が生き延びたのなら、アーロンもきっと生きている⋯⋯!!)
イシュチェルは後宮の生活をまだ知らない。
極太の巨根が膣道を埋め尽くし、激しい脈動と共に子胤が胎で弾ける快感。王妃から婢女になったイシュチェルは性の悦楽を知ってしまう。
◆ ◆ ◆
生存者の捜索は東アルテナ王国でも秘密裏に行われていた。
亡命を希望していた王妃イシュチェルがグウィストン川で行方不明となり、難民船が襲撃を受けて沈没。推理をするまでもなく、何が起きたかは分かる。
リンジーは下流域の捜索結果をヴィクトリカに報告する。
遺体は発見できず、依頼を受けた冒険者が持ち帰ってきたのは、木片に絡まっていたネックレスだけだった。
「見覚えがあるわ。私がバルカサロ王国に行ったのは、七年くらい前だったかしら⋯⋯? チャドラック陛下とイシュチェル殿下の結婚式に参列したとき、このネックレスを見たわ。⋯⋯清貧を好む修道院からの贈呈品よ。黄金や銀のような高級素材は使わず、手作りのアクセサリーを渡した」
王女だった頃、ヴィクトリカは結婚式に出席した。王妃イシュチェルと言葉を交わし、女王セラフィーナと王婿ガイゼフの親書を手渡した。
(七年前か⋯⋯)
東アルテナ王国の女王を名乗り始めてから、両親とは関係を断絶している。
売国奴になった淫母だけでなく、父親のガイゼフとも距離を置いた。
「駄目よ。リュート。まったくもう⋯⋯なんでもかんでも口に入れようとするんだから⋯⋯。やめなさい」
抱きかかえた乳児が金属製のネックレスを噛む。リンジーにネックレスを返し、お腹を空かせた愛児のために乳房を取り出した。
懐妊と出産を経験し、ヴィクトリカの身体は成長した。少女から若母へ、肉体は進化を遂げる。乳房が膨らみを増し、肉付き豊かな美体は、在りし日のセラフィーナに酷似する。一つだけ大きく異なるのは、子育てを自分でしていることだ。
皇帝ベルゼフリートに孕まされ、産まれた男児にヴィクトリカは亡兄の名を授けた。正式名はリュート二世である。乳母は雇っていない。
(あいつの血を引く赤子。おぞましい。可愛くなんかない。この子は道具よ。必要以上に入れ込むのは論外だわ。お兄様と同じ名前にしたのは、私達を捨てたあの女に対する意趣返し⋯⋯。秘密出産だったけれど、私が男児を産んだのは知っているんでしょう? 悔しがってくれたかしら?)
リュートはヴィクトリカの母乳を吸う。
半分は愚帝の血、もう半分は自分の血が流れた我が子。分娩の痛みに呻いている間は、愛せるわけがないと思っていた。
「他に見つかった物はある?」
「ございません」
「イシュチェル殿下の遺留品だけが見つかったの? 残念だわ。せめて御遺体は弔ってあげたかった」
ヴィクトリカは授乳を続けながら、リンジーに報告の続きを催促する。
「生存の見込みは低いです。しかし、御遺体が見つからなかった以上、捜索は続けましょう。これからの増水期で難しいですが⋯⋯」
「他の犠牲者は?」
「共同墓地に弔いました。流れ着いた御遺体は全て回収を終えております。所持品で身元が判明した者達は教会に情報を与えました。⋯⋯ただし、あの乳母と男児については伏せました。二人の墓所も人里離れた山に隠してあります」
「安らかに眠ってほしいわ。⋯⋯ところで、リンジーはどう思う? 貴方の考えを教えてほしい。バルカサロ王国では大きな内乱が起きているわ。亡くなった乳母が隠し持っていた手記に全て書いてあった。乳母が抱き込んでいた男児の亡骸は⋯⋯」
乳母は溺死だった。しかし、男児の死因は首を鋭利な刃物で引き裂かれたことによる失血死である。
襲撃してきた刺客は執念深かった。川に飛び込んだ乳母を追いかけ、男児の首に短剣を突き刺した。乳母と男児の死体は東岸に流れ着き、懐にあった手記は東アルテナ王国によって回収された。
「手記の内容は精査が必要です。水を吸ってふやけている箇所が多くあります」
「でも、隠されていた真相が明らかになったわ」
「国王チャドラック陛下に仕えていた側近の視点から見た事実です。主観が歪んでいれば情報も歪みます。本当の真相を知りたいのなら、他の王子や王宮関係者に話を聞かなければなりません」
「分かっているわ。でも、あの手記が真相を記しているなら、チャドラック陛下の行動を説明できるでしょ。前王妃エルシェベナが産んだ王子達を廃嫡した理由も⋯⋯だって⋯⋯!」
「あの手記は公開できません。バルカサロ王国に攻められますよ」
「⋯⋯⋯⋯」
「お分かりのはずです。メガラニカ帝国に睨まれている今、北方の大国を敵には回せません」
「ええ、言われずとも、それくらい分かっているわ。前王妃エルシェベナの産んだ王子達はバルカサロ王家の血筋を一滴も引いていない。そんなスキャンダルを私が言ったら⋯⋯」
「間違いなく口封じで殺されますね」
「貴方はいつだって物事をはっきり言うのね⋯⋯。他にも知っている人はいたのかしら? イシュチェル殿下には知らされていなかったみたいだけど」
「分かりかねます。しかし、亡くなったチャドラック陛下が勘付いていた以上、確たる証拠があったのでしょう。前王妃エルシェベナの王子達や臣下が王統の秘密に気づけば、どんな手段を使ってでも闇に葬る。最悪の場合、自分達の権力基盤がひっくり返るのですから」
「そうね。統治の正当性が揺らぐわ」
「ヴィクトリカ様にとっても好ましくありません」
「私にも? そうかしら?」
「第五王子であるガイゼフ様は前王妃エルシェベナの子供。ヴィクトリカ様にとっては祖母です。父系の王統が否定されれば、ヴィクトリカ様はバルカサロ王室と無縁の人間になってしまいます」
「今さらどうでもいいわ。バルカサロ王家の血統に期待なんかしてない。私はアルテナ王家の女よ。国王の座を争ってる王子達はショックを受けるでしょうけど。ああ⋯⋯でも⋯⋯殺された第一王子のドラホミール様だけは知っていたのかしら?」
「知っていたから、第六王子アーロン様に王位を譲ろうとしたのでしょう。もしかすると第四王子ロアフォード様も勘付いている可能性がありますね。あの方は王位継承権を早々に手放そうとしていました」
「ロアフォード様は切れ者だもの。⋯⋯私のお父様はどうかしら?」
「ガイゼフ様は知らないと思います。そのほうが好都合であり、幸せなことです。バルカサロ王家の一員ですらなくなったら、精神の病が悪化しますよ」
「そうよね⋯⋯」
第六王子アーロンだけがバルカサロ王家の血筋を受け継いだ唯一の男子であった。
ヴィクトリカは溜息をつく。王統の真実を突きつけられたらガイゼフは発狂しかねない。父親の扱いには困っている。妻であったセラフィーナを皇帝に寝取られてからは精神が不安定だ。見るに見かねた兄のロアフォードが、教会の医療院に入院させようと画策している。
その計画にヴィクトリカは賛成していた。
(役に立たない感情論はいらないわ)
闇雲に戦ってもメガラニカ帝国の脅威は退けられない。
「ともかく今の私ができることは――」
母乳を欲する赤子の泣き声が室内に響いた。鼓膜をつんざく奇声は心臓に良くない。
「――赤子に母乳を与えることだけね。はいはい、泣かないの。まったくもう……。意気地のない子。お腹が空くとすぐ泣きだすんだから」
面倒になったヴィクトリカは上衣を脱ぎ捨てる。産後に太った腹は誰にも見せたくなかったが、上裸になれば左右の乳房でミルクを与えられる。
「さようですね。ヴィクトリカ様は授乳がお上手になってきました。立派な母親でございます」
「子育は大変だわ。やっぱり乳母を雇おうかしら? 私一人だけだと荷が勝ちすぎるわ」
「今さらそれを仰せになられる? 一人で全てやると言われたので、乳母を探さなかったのですが?」
「しょうがないじゃない」
「音を上げて前言撤回をなさるわけですね」
泣きじゃくる乳飲み子に呼応して、泣き言を漏らし始めたヴィクトリカにリンジーは厳しめの態度だった。
アルテナ王家の乳母だったリンジーは、子守りの苦労を知っている。
「寝る暇がなくなりますよと、あれほど言いましたのに」
女王の政務と子育ては両立できないと強めに警告していた。リンジーの表情は、思った通りの結果になったと言わんばかりだった。
「あの時と今じゃ、状況が違うでしょ! 乳房と腕は二つあるけど、母乳を吸われ続ける身にもなりなさいよ! 夜泣きで何度も起こされるし⋯⋯お願いだから信頼できる乳母を探してきて⋯⋯」
「分かりました。女王陛下。どのような人物をお望みですか?」
「私みたいに母乳がいっぱい出る人⋯⋯」