2024年 10月13日 日曜日

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【14話】堕胎のロレンシア 潰える小さな魂

NOVEL亡国の女王セラフィーナ【14話】堕胎のロレンシア 潰える小さな魂

 ベルゼフリートの誘いを拒絶し、部屋から追い出された女王セラフィーナは、深い溜息を吐き出す。幼い皇帝から嫌われてしまったかもしれない。けれど、心の何処かで安堵していた。

(私が愛しているのはガイゼフだけ。そう。心を落ち着けるのよ、セラフィーナ……。身体が快楽を感じてしまっても……、どんなに身体を穢されても、どんなに心が傷ついても……私は私なのだから⋯⋯)

 女仙となったがセラフィーナの精神性は大きく変わっていない。

(今はロレンシアだわ。彼女のいる場所に急いで向かわないと……!)

 血酒を飲み干し、不老の女仙とならなければ、皇帝の後宮に入れない。後宮の住人となるための必要な儀式。それが女仙化であった。

 ——失敗すれば、その者は命を落とす。

 道案内は廊下を巡回中の侍女が引き受けてくれた。館内を警備する彼女達からすれば、皇帝が滞在している貴賓館を自由に歩かれるのは迷惑だった。

「——なぜセラフィーナ女王がここに来るのですか?」

 女官長ハスキーは、のこのことやって来たセラフィーナに怪訝な顔を向ける。立ち会う許可を皇帝から得たとセラフィーナは言い返した。

「ロレンシアは大切な私の臣下です。その彼女を心配するのが、そんなにおかしいですか?」

「皇帝陛下との予定はどうなったのです? 今夜も子胤を授かるはずだったのでは?」

「それは……その……、今日は相手をしなくてもよいと言われましたわ……」

 セラフィーナは言葉に詰まる。ハスキーは不信感を強め、疑念の視線をセラフィーナに向ける。

 その後、早歩きで近付いてきた部下が、ハスキーの耳元で囁いた。

「はぁ、なるほど……、そうですか。事情は分かりました。まったく⋯⋯。呆れ果てて言葉すら出ませんね。皇帝陛下は私を呼んだりはしなかったのですか? たとえば今夜の相手に私を望んだりは?」

「皇帝陛下は元帥閣下の執務室に向かわれました。護衛侍女と共に総督府におられます」

 報告する女官は、夜伽役にハスキーを呼んだかどうかの回答を避け、絶妙に誤魔化した。

「そうですか。よりにもよって皇后のところに……。残念です。この雑事が片付いたら、陛下を慰めてあげようと思っていたのですが……。横取りするには相手が悪い。まあ、よろしいでしょう。今夜くらいは本妻に譲ってあげます」

 ハスキーはおおよそ何が起こったのかを悟った。

 帝国宰相ウィルヘルミナが横槍を入れてきたとは聞き及んでいる。ここにセラフィーナが現れた以上、その目論見は成功したのだ。

「女王陛下……っ!」

 家具が片付けられた貴賓館の一室。その部屋にいる女達で、セラフィーナの来訪を歓迎したのはロレンシアだけであった。

 簡素な椅子に座らされたロレンシアは、さながら敵に捕まって尋問を受ける捕虜だ。

「お静かにお願いいたします。身構えずとも平気です。女仙化に痛みは伴いません。素質を持っている女であれば、不老の血酒はすぐさま身体に馴染みます。ところで貴方も非処女らしいですね。アルテナ王国は後宮に非処女を送る伝統文化があるのですか?」

「処女じゃなかったら何か問題があるって言うの?」

 挑戦的な目付きでロレンシアは言い返し、怒気を撒き散らした。ロレンシアが破瓜の血を流したのは数ヶ月前。幼馴染みの夫レンソンに純潔を捧げていた。

 事前の検査でロレンシアが非処女だと知ったハスキーは難色を示した。しかし、リンジーと取引をしていたため、人選を受け入れざるを得なかった。

「貞操観念の低さを嘆いているだけです。病気持ちでなければ構いませんとも」

 約束を守ってロレンシアに仙薬を手渡す。従者は乙女が好ましいとハスキーは助言してやっていた。だが、リンジーはロレンシアが適任であると譲らなかった。

「非処女だろうと、女仙化できます。そこにいらっしゃるセラフィーナ女王がそうです。経産婦でも問題はありません。皇帝陛下は些細なことは気にされないでしょう。しかし、処女すら守れていない女が、端女であったとしても後宮に入るなど⋯⋯。忸怩たる思いがあります。女官からの受けは最悪です」

「そう。それはどうもありがとう」

 ロレンシアは血酒で満ちた杯を見る。周囲にいるのは非友好的な態度を示す女官たち。心配してくれているのはセラフィーナだけだ。

「適性がなければ血を吐き、苦しみ悶え、絶命します。強要はいたしません。命が惜しいのなら、その血酒を返していただけるでしょうか? 貴重な薬なのです」

「侮らないで……っ! 私は女王陛下に忠誠を誓った近衛騎士よ! 主君が敵地に囚われるというのなら、私も付き従う! この程度の試練で、私の忠誠が揺らぐことはないわ!」

 ロレンシアは杯に満たされた血酒を一気に飲み込む。

 どろりとした舌触り、血液特有の鉄臭さ、高濃度の酒精が喉を焼く感覚。美味とも、不味とも言えぬ、不可思議な味が口内に広がり、胃に流れ落ちていった。

「うっ……くぅっ……!?」

 脅しつけたハスキーはロレンシアの変調には驚愕した。何者かが仙薬に毒を混ぜたのではないかと勘ぐったほどだ。

 素質を持たない者は絶命する。しかし、ロレンシアは女仙となる要素を確実に持ち合わせている美少女だ。昨日の調印式でロレンシアの裸体にベルゼフリートが反応していた。失敗はまずありえない。しかし、ロレンシアは身体を折り曲げて苦しみ始めた。

「ロレンシア……っ!? どうしたの!? ロレンシア!!」

 駆け寄ったセラフィーナは、苦痛に顔を歪ませるロレンシアの身体を支える。

(両目の焦点が定まってない。体温がとても熱い。この発汗⋯⋯! 普通じゃないわ……!)

 素人の診断でもロレンシアの異常は明らかだった。

「何をしているのですか!? 早く医術師を呼んで来なさい!!」

 セラフィーナは不動の女官達を怒鳴りつける。しかし、ここにいるのは帝国の女官。アルテナ王国の女王に従う義務はない。

「医務女官ならそこにいます。しかし、治療は必要ないでしょう。意外な結末でした。まさか女仙化に失敗するとは……。だから、あれほど他の女にしておけと……」

「そんなっ……! ロレンシア! 駄目ですわ。死んではなりません! まだ間に合います。さっき飲んだ仙薬を吐き出すのです……っ!!」

 セラフィーナは懸命にロレンシアを助命しようとする。医学的な知識を持たない彼女にできることはなかった。その様子を女官達は冷えた目で眺めている。

 不適合者は死ぬ。ただ、それだけなのだ。ところが、医務女官だけは首を傾げて、困惑の表情を作っていた。

「ハスキー様。この症状は奇妙です……」

「奇妙? 血を吐いてそろそろ死ぬのでしょう。私も初めて見ました。愉快なものではありませんね。皇帝陛下の御前でなくて助かりました。こんなおぞましい光景を陛下に見せたと、宰相閣下や神官長猊下に知られたら、どんな嫌味を言われたか……」

「⋯⋯この女が死ぬのなら、吐血などの重篤な症状が起きているはずです」

「つまり?」

「症状が通常の拒絶反応と異なっています」

 ロレンシアの口から泡状の唾液が流れる。四肢を痙攣させているが、血を吐き出すことはなかった。セラフィーナが呼びかけに対し、手を握って反応している。意識はあるようだった。

「あっ……ああっ……! セラっ、フィっーナ……へぇっぃかぁ……っ!!」

「大丈夫……。大丈夫ですよ、ロレンシア! 私はここにおりますわ!!」

「おっ……おなかが……すごく痛いぃ……っ! 破裂しそうなくらい痛みがっ……!! 私のお腹の中で何かがぁ……動いて……お腹を突き破ろうと……痛いっ……痛い痛い痛い痛ぃぃいぁあぁあ…ぁあぁぁああぁあああああああぁ……っ!」

 ロレンシアの股間から鮮血が流れ出した。

 女陰が吐き出した血液は、身に付けていた質素な白い服を赤く染めた。

「いたぃいぃ⋯⋯! あぅううぐぅううっ………! あつぁうあうあぁあああっぁあああああああぁーーーっ!!」

 皮膚から湧き出す大量の汗、痛みに悶えて暴れている。その姿は難産の妊婦だ。

 医女と呼ばれる医務女官は、皇帝の健康管理のほか、女仙の治療をする。もっとも多い仕事は妃の御産を手助けだ。妃が連れている側女程度に助産は任せられない。産まれてくるのは皇帝の子供だ。

 医務女官は出産に関する専門的な知識を習得している。

「これは流産です。いえ、堕胎でしょうか? 通常はこんな痛みを伴うものではありませんが、仙薬の拒絶反応で、着床して間もない胎児が排出されたのでしょう」

「流産……? ロレンシアさんは妊婦だったのですか? 事前の検査でそのような報告を貴方はしなかったではありませんか」

「妊娠の初期段階だったのでしょう。おそらくは妊娠1カ月未満。胎児の形も爪先以下のサイズしかできていない状態です。診断術式でも初期段階の妊娠は、生理不調と区別ができません。彼女にとっても、普段より生理が遅れている程度の認識しかなかったはず」

 医女の言葉を聞いて、セラフィーナは青ざめていた。

 ロレンシアは新婚だった。セラフィーナの従者となって帝国領に行く決意をし、夫レンソンと別れてしまった。

 それまで2人は仲睦まじい夫婦だった。情を交わしていれば、知らぬ間に子を授かっていたとしても不思議はない。

「もしロレンシアさんが女仙化に失敗しているのなら、もう死んでいるはずです。こうして今も生きているのなら、子宮内の異物を排出し終えたのでしょう」

「女仙化には成功したと?」

「ええ。仙薬が堕胎薬の効果を発揮したのでしょう。ロレンシアさんの身体は女仙となっています」

 知りたくもなかった医女の診断は、ロレンシアの耳にも届いていた。痛みが徐々に消え、残るのは股を濡らしている血液の熱気だ。

 排出された血液は次第に熱を失っていく。産まれてくるはずだったレンソンとの間に出来た新しい命。胎児は受肉を果たせず、胎外に排出された。

 赤子の魂は死んでしまった。

「うそ……うそ……。レンソンとの赤ちゃん……? そんなの私……知らなかった……。私が…私のせいで……どうして……そんなぁああ……っ!!」

 自分の身に何が起こったのかを知り、ロレンシアは泣き叫んだ。

 仙薬を飲み干してから体感した下腹部の鋭い痛み。あれは子宮に宿っていた胎児の悲鳴だった。腹を突き破ろうと暴れたのは、仙薬の毒素がら逃げだそうと足掻いていたのである。

「ロレンシア……っ!」

 セラフィーナは抱きしめることしかできなかった。仙薬が堕胎薬となって、ロレンシアの胎児を殺すと分かっていれば、絶対に止めていた。しかし、ロレンシアの妊娠は、優秀な医女の事前検査でも分からなかった。当人さえ妊娠に気付かなかった。防ぎようのない事故であった。

「私のせいで……。ごめんなさい。ごめんなさい……!」

 セラフィーナは謝るしかなかった。全てはロレンシアを巻き込んでしまった自分の責任だと思った。

 ロレンシアを従者に選んだリンジーも、こんな事態になるとは予想していなかっただろう。

「ハスキーさん。どういたしますか?」

「いっそ、この赤毛の娘は、この場で殺してやったほうが救われるのかもしれません。私も皇帝陛下との子供が流産したらと思うと、恐ろしさで身体がすくみ上がります」

 ハスキーは剣を抜いていた。その場にいる女官のなかで、医女だけが困惑していた。

「ハスキー様! 何をされる気です? 三皇后の許可なく女仙を処分するのは重罪です。死なせてあげるわけにもいかないでしょう。流産したこの娘は私が治療をいたします」

「彼女を殺すために剣を抜いたのではありません。館の外に賊がいます」

 戦闘の気配を感じ取った警務女官達は武器を構えていた。

「皇帝陛下が不在で助かりました。私が選んだ精鋭の侍女3人を護衛としていますし、帝国元帥の部屋にいるのなら心配無用でしょう」

 警務女官は外の異変に気付いた。女官長ハスキーが臨戦態勢となったのを合図に、全員が警戒態勢に入る。

「争っている音は複数。こんな夜中に帝国兵が戦闘訓練をしているとは思えません。それなりに奮闘していますね。けれど、帝国兵は鼠を一匹ほど取り逃がしたようです。こちらに音が近付いてきています」

 ハスキーがこうも安穏としていられるのは、皇帝ベルゼフリートが帝国元帥レオンハルトの側にいるからだ。帝国最強の武人。おそらくは大陸最強のレオンハルトがいるなら、曲者を恐れる必要はない。

「久しぶりの実戦です。腕が鈍ってないと良いのですが、どれだけ歯ごたえのある獲物がくるかにもよりそうです」

 ハスキーは剣を構える。そのとき、窓を突き破って1人の男が部屋に侵入してきた。

 その男の顔を見てロレンシアは驚愕する。ロレンシアがもっとも愛している男。そして今だけは絶対に会いたくない男だった。

「大丈夫か! ロレンシア……!!」

 近衛騎士レンソン。忠誠心溢れる若き王国の青年騎士。ロレンシアの幼馴染みであり、帝国との戦争が始まったとき、夫婦となった男。

 そして、知らず知らずのうちに、ロレンシアに子を与えていた最愛の夫。

「なんと……っ! 女王陛下までこの場にいらっしゃるとは……っ! これは何という幸運! 探す手間が省けたぞ!! 開闢者デウスはアルテナ王国の味方をしてくれている!!」

 近衛騎士レンソンは騎士鎧の外套に付着したガラス片を払い落とす。

 鞘から剣を抜き放ち、帝国の警務女官を威圧する。

 決闘王という異色の経歴を持つハスキーは、臆せず前に進み出た。

 ミニスカのメイド服は、露出が多くてふしだらな印象を抱かせる。けれど、通常のメイド服よりもはるかに動きやすい構造となっており、その生地には特殊な鉱石糸で編まれている。いくつかの加護を施した特別製の防具であった。

「講和条約の翌日に襲撃……。血気盛んな臣下の暴走といったところでしょうか?」

「下がれば手荒な真似はしないぞ。メイド!」

 レンソンは周囲を注意深く観察する。もっとも手強いのはハスキーだとレンソンは確信する。

「なっ! ロレンシア! どうしたんだ!? その血は……ッ!?」

 ロレンシアが股から血を流しているのに気付いた。

「お前ら! ロレンシアに何をしたんだ!?」

 レンソンは激昂する。しかし、同時にその内面では戦士として、現状を冷静に分析していた。この場からセラフィーナとロレンシアを連れ出すのは困難だ。

 しかし、周りに帝国兵の姿はない。絶好の好機。メイド達さえ無力化すれば逃げ出せる。

 剣を向けてきてるのは、講和条約の調印式で喉元に刃を突きつけてきた因縁のメイド。少しは剣に覚えがあるようだが、レンソンは自分が負けるとは微塵も考えない。

(ついているぞ。貴賓館の外は凄腕の帝国兵ばかりだった。先輩達が足止めをしてくれているから、しばらくは猶予がある! この部屋にいるのはメイドだけだ。俺は1人だけど、相手が正規兵じゃないのなら、この人数差でも負けはしない……っ!)

 レンソンは知るよしもなかった。剣を向けているハスキーは無敗の決闘王であり、現役時代において連戦連勝の剣闘士だった女だ。

「他の者は下がりなさい。私の獲物です。手出し無用。ふふっ! 正々堂々と1対1の勝負をしましょう!」

「答えろ! お前ら……ロレンシアに何をした!? 邪魔をするのなら、たとえ相手が女だろうと容赦しないぞ!!」

「私もそうですよ。賊に情けはかけません。そこにいる女王と女騎士は皇帝陛下に捧げられたのです。陛下の女を盗もうとする貴方は小汚い盗人です」

「はっ! 後悔するなよ。今の俺は手加減する余裕がない! メガラニカ帝国の皇帝なんかに奪われて堪るか!! 我が主君と妻を返してもらうぞ!! くらえっ、せっいぁああぁああっ!」

 気合いの雄叫びをあげながら、レンソンは剣を振り下ろす。その刃は何もない空中を切り裂いた。

「——はぁ、遅い」

 残像にすら迫れず、大きな空振りで体勢を崩しかける。だが、レンソンとて鍛え抜かれた騎士だ。利き足を踏み出して、加速した身体を支えようと踏ん張った。

 そのときハスキーは身を屈めて体勢を低くした。レンソンの視界からハスキーが消え失せた。

(——メイドが消えた? どこに!?)

 間合いを一瞬で制圧する技量は、まさしく俊足の早業。その場にいた者は瞬間移動したようにしか見えなかっただろう。

 ——レンソンの両足に向けて、無慈悲な刃が放たれた。


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