「悪霊はともかく、レーヴェ家の火事は初耳だわ。大勢が亡くなったの?」
「ああ。レーヴェ家の当主夫妻と使用人が全員死んだ」
「当主の夫妻が亡くなった?」
「建物が全焼したんだ。生き残ったのは一人息子だけさ。古井戸に飛び込んで火の手から逃れた。だが、寒い冬の夜だった。酷い凍傷で手足を切らなきゃ駄目だった」
「凍傷で手足を……」
「両手両足をバッサリだ。無事だったのは胴体だけさ。芋虫みたいな身体さ。レーヴェ村の奴らは『ヴォルフ坊ちゃん』と呼んでる」
(ダミエーラの手紙に書いてあったレーヴェ家のお坊ちゃんだわ。十四歳……いいえ、手紙が書かれたのは四年前だから十八歳に……。私と同い年だわ。可哀そうに。両手両足を失うなんて……)
「俺も商売をしてるからな。ちょっとだけ話したことがある。……悪い御人じゃねえよ」
行商人は付け加えて言った。
「両手両足が不自由で、領主の仕事が務まるの? 大変でしょう」
「細々としたことは村長が代行してる。木炭や岩塩の買い付け交渉で出てくるのは村長だけだ。ヴォルフ坊ちゃんは黒森に囲まれた館で暮らしてる」
「一人では暮らせないでしょう。誰か使用人を雇っているのよね?」
「ああ。メイドが一人いる。顔は見たことがねえ……。あの黒い館は薄気味悪い……。あんな恐ろしい森の中で暮らす神経が分からん」
「…………。商人さんはさっき『ヴォルフ坊ちゃんは悪い御人じゃない』と言ったわ。でも、何か……含むところがあるじゃない?」
「最初はな、俺だってヴォルフ坊ちゃんに同情したさ。十四歳で両手両足の切断だ。家族も死んで、不幸のどん底。金はあっても天涯孤独。他に身寄りもいねえし、レーヴェ家も終わりだと思ったね。……ところが、娘が産まれたんだ」
「娘? レーヴェ家に子供ができたの?」
「そうだ。ヴォルフ坊ちゃんの娘だ。あの身体でどうやって子作りしたのか……。そもそも誰が産んだのかも分からねえ。町の司祭様が死んじまった四年前、レーヴェ家に娘が産まれた。その翌年に二人目の娘が誕生した。赤子を産んだ母親は……? 荘園の奴らも知らねえんだ」
「商人さん、大きな見落としを教えてあげる。お世話をしているメイドがいるわ。ヴォルフ坊ちゃんはメイドと二人で暮らしてた。簡単な消去法よ」
主人と使用人の子供。貴族社会ではよくある話だ。醜聞の括りに入るが、四肢欠損の田舎貴族に嫁ぐ女性はいないかもしれない。だとすれば、レーヴェ家のメイドが世継ぎを産もうとした気持ちもわかる。
「メイドが母親なら出産のとき、赤子を取り上げたのは誰だ?」
「それは……」
深い森の中にある館でメイドは娘を産んだ。それなら御産を誰が助けたのか。カレンティアは言葉に詰まる。
「手足のないヴォルフ坊ちゃんか?」
「待って! きっと産婆は荘園の誰かが……」
「さっきも言ったろ。母親を誰も知らねえ! そもそも荘園の奴らは黒森の館に近づかない。掟があるんだ。足を踏み入れちゃならねえ……。四年前に死んだ司祭様は、禁を破ってレーヴェ家の黒森に入った。そのせいで……狂っちまった……!」
「まさか商人さんは……。発狂した司祭さんを見たの……?」
「ああ。そうだ……。そうなんだよ……。四年前に……俺の馬車で司祭様をレーヴェ村に運んだ。今の嬢ちゃんみたいに……。いいか! 約束しろ! 黒森に入るな!! 何があっても道から出ちゃいけねえ! 悪霊は本当にいるんだよ……! レーヴェ家の土地は呪われてるんだ……!!」
カレンティアは行商人の精神状態を心配した。妄執に取り憑かれている。だが、一つだけ気になった。レーヴェ家の大火事は五年前に起きた。それが本当ならおかしい。
(ダミエーラの手紙は四年前に送られてきた。え? レーヴェ家で大火事が起きた一年後じゃない……! おかしい! それだと時系列が合わないわ。手紙を書いてから、母さんのいるヒースウッド修道院に届くまで一年もかからない。そもそも手紙には四年前の日付が書かれていたわ)
大火事が起きた年を商人が勘違いしている。それだったら辻褄が合う。ベロニカの失踪とも結びつく。
(ダミエーラに招きで母さんはレーヴェ家に逗留していた。でも、大火事に巻き込まれてしまった。……繋がるわ)
カレンティアは商人に確認してみる。
「商人さん……」
「悪いな。嬢ちゃん。喋り過ぎた。俺はもう話したくねえ……」
「最後に一つだけ。レーヴェ家の大火事は四年前じゃない? 五年前じゃなくて」
「なんでだ? 大火事は五年前で確かだ……」
「自信を持って言える? 正確に五年前だと? 本当は四年前だったりしないかしら?」
「断言できるさ。大火事は五年前の初冬に起きた。司祭様が死んだのは四年前だぞ。ヴォルフ坊ちゃんの娘が産まれたのも四年前……。だから、大火事は五年前に起きた」
商人の証言に矛盾はない。司祭が死んだ年、レーヴェ家に娘が誕生した年。その前年にレーヴェ家で大火事が起きた。
(母さんの失踪は四年前……。火事とは結び付かないか……)
カレンティアは灰色の空を見上げた。厳しい冬が訪れようとしている。行商人は荘園に木炭と岩塩を売り付けたら町に帰る。滞在は一泊、天候次第では二泊するかもしれないが、レーヴェ村で越冬するつもりはなさそうだ。
(クロヴィスに手紙を書こう。行商人さんに渡せば帝都に届くはずだわ。心配させたくない。まさかこんな長旅になるなんて……)
右手に握りしめた結婚指輪を握りしめる。母親が大切していた夫婦の指輪。なぜ父親の墓前に埋められていたのだろう。墓所を訪れた不審な妊婦の正体も分っていない。
(ここまでの道中、騎士兜で素顔を隠した妊婦の話は耳にしなかったわ。目立つ姿だもの。誰かに見られていれば、必ず覚えているはずなのに……)
四年前に失踪した母親であるはずがない。だが、墓所で目撃された妊婦が母親だったら、この結婚指輪を嵌めていた理由になる。身籠ってさえいなければ、カレンティアは母親と断定していただろう。
臨月の妊婦だったという証言。
ヒースウッド修道院で隠棲し、四十路を超えていた未亡人が妊娠するなんて考えにくい。何よりも母親は亡くなった父親を愛していた。カレンティアは両親の相思相愛ぶりを知っている。
母親が父親以外の男を愛し、子供を作る姿が想像できない。だから、父親が眠る墓所に現れた妊婦は別人。カレンティアはそう思いたかった。
(母さんがレーヴェ家を訪問したのは四年前……。いったい何が起きたの……。四年前に……)
四年前なら大火事が起きた後だ。当主夫妻が亡くなり、使用人も全員死んでしまった。生き残ったのは手足を失った〈ヴォルフ坊ちゃん〉ただ一人である。
レーヴェ家を訪問した母親は〈ヴォルフ坊ちゃん〉と会っているはずだ。まずは彼から話を聞く必要がある。
そのときカレンティアは恐怖で硬直した。
気付いてしまった。ヒースウッド修道院で見つけた手紙。ダミエーラが母親をレーヴェ家に招いたのは四年前だ。
(五年前の大火事でレーヴェ家の使用人は全員死んだ……? 変だわ。なら、母さんを呼び寄せたダミエーラも死んでるじゃない……!? 手紙は四年前に書かれた! ありえない! 死人のダミエーラが手紙を書いたとでもいうの……!?)
カレンティアは荷物からダミエーラの手紙を引っ張り出した。
文面を最初から読み直す。やはり四年前の日付が書かれていた。だが、当主夫妻は健在で、前年に起きた大火事に一切触れていない。読書家の当主、教育熱心な奥方、剣術や馬術を学ぶ一人息子。手紙の中ではレーヴェ家の幸せな日常が続いている。
(ダミエーラが書いた手紙じゃない……! これは罠よ……!! 誰かが母さんをレーヴェ家に誘き寄せたんだわ!)



