妻が一人で帰ってしまったというのに、戻ってきたルキディスは驚いた様子を見せなかった。
「その……ルキディスさん……! 実はユファさんが……」
カトリーナはユファのことを簡単に説明する。浮気公認の宣言については触れなかった。言えるはずがない。それを口に出したら、家族を裏切って一緒に不倫をしませんかと誘っているようなものだ。
「やっぱり逃げられてしまいましたか……。そんな気はしていました。迷惑をかけてしまって、本当にすみません。カトリーナさん」
「いえ。ユファさんは体調が悪かったみたいですわ」
「さっき廊下ですれ違いましたが、そんな感じはありませんでしたよ。本当に困った奴だ……」
「……でも、お一人で大丈夫かしら?」
「おそらく使用人を呼んでいると思うので、一人で帰らせても大丈夫ですよ。カトリーナさんは最後まで俺がエスコートするので、心配しないでください。この際です。二人でオペラを楽しみましょう」
カトリーナとしては、そうしてもらうほかなかった。ここから一人で帰ろうにも手持ちのお金がない。財布は持ってこなくていいと事前に言われていたので、お金を持ってきていなかったのだ。
「カトリーナさん。お酒は飲めますか?」
ルキディスはカトリーナに高そうな赤ワインのボトルを見せた。
「強くはありませんから、少しだけ頂きますわ」
赤ワインをグラスに注ぐ。その際、ルキディスは魔素の耐性をあげる新薬を混ぜた。カトリーナが薬入りの赤ワインを飲めば、全ての準備が完了する。
「「――乾杯!」」
カトリーナはグラスに注がれた赤ワインを飲み干した。
ルキディスが持ってきた赤ワインは酒精の度数が高いものだった。甘みが強く、飲みやすい高級酒。酔いが回った後に、強い酒だったと分かるタイプの果実酒であった。
ワインに混ぜた薬は無味無臭。薬を盛られたとカトリーナが気づくことはない。
(こうしてると本当に不倫をしちゃってる気分……。夫と息子がいるのに、こんなエッチなドレスを着て、若い男の人と一緒にオペラを鑑賞しちゃってる……。そんな気はないけれどドキドキしてきたわ。胸が高鳴る。何を期待しているのよ。もうっ……! 母親になったとき、私の乙女心なんて死んだと思ってたのに……)
(魔素耐性を上昇させる薬をカトリーナに飲ませた。これで状況は整った。怪しまれてはいない。カトリーナは俺の真意に気付いていないだろうな。あとは犯すだけだが……)
ルキディスは妙なところでカトリーナに温情を示す。
(カトリーナは今日のオペラを楽しみにしていたみたいだ。それを考えると、すぐヤってしまうのは気が引けるな。眷族になれなければ、廃人となって死んでしまう。これが最後のオペラ鑑賞になるかもしれない。劇は佳境だ。なら、もう少し待ってやるとしよう)
最高の席で王立劇場のオペラを鑑賞しているというのに、どちらも舞台に集中していなかった。カトリーナとルキディス、お互いの意図と思惑は異なるものの、双方が強く相手を意識していた。
「カトリーナさん。一つ、聞いてもいいですか?」
「私に? 一体なんでしょう?」
「俺は革命のときの勢いでユファと結婚してしまいました。カトリーナさんはどういう経緯でイマノルさんと結ばれたのですか?」
「え? まあ、ルキディスさんったら。そんなことが気になりますの?」
「こう言ってしまってはイマノルさんに失礼かもしれませんが、若くて美人なカトリーナさんをどうやって射止めたのか、一人の男として気になりますよ」
「私と夫の出会いは面白い話ではありませんわ。一言でいってしまえば、偶然の巡り合わせでしかありませんもの。生家の近くにある工房で、イマノルは鍛冶職人の見習いをしていました。それで出会ったの。最初は恋愛感情なんて欠片もなくて、歳の離れた兄と妹みたいな関係でしたわ」
「ほう。それで?」
「当時の私は、両親に反抗していました。イマノルとの間に子供ができてしまったのは、たぶん……恋心のせいではなくて、親への反抗心からだったと思いますわ。今でこそ笑うしかないけれど、十七歳のときに酒の勢いで息子のジェイクを授かってしまったのよ」
「どちらがプロポーズされたんですか?」
「告白? どっちもしてないわ。お互いに酔っていたから。もし……子供ができなかったら、夫とは一夜限りで終わっていたかもしれないわ。両親が出産に大反対したから、私は意固地になってイマノルと結婚したの。ね? あんまり面白くなかったでしょ?」
「ありがちな話ではありますね」
「ええそうよ。こんなの、ありふれた話ですもの」
子供ができなかったら、別の人生を歩んでいたかもしれない。
カトリーナは心の奥底ではそう思っていた。結婚を後悔してはいない。夫と子供を愛している。しかし、あの夜に子供ができなければ、別な男性と恋に落ち、今とは違う人生を送っていたかもしれない。
(そういえば、あの夜にイマノルと飲んだお酒は赤ワインだった……。今飲んでいる赤ワインと色だけは同じ。あのときはお小遣いの銅貨で買った安酒だったけれど、これは金貨で買うような高級酒に違いないわ。私の人生を決めた十七歳の夜とは正反対。酒にしても、一緒にいる殿方も……)
カトリーナの頬が紅潮している。酔が回って饒舌になっていく。場の雰囲気にも酔わされていた。憧れの王立劇場の個室席で、魅力的な異性を伴ってオペラを鑑賞しているのだ。
日常に退屈していた主婦を舞い上がらせるのには十分なシチュエーションである。
「それなら、俺とカトリーナさんは似た者同士ですね。俺も気付いたら今の妻と出会って、勢いで結婚してしまった」
「てっきり私はユファさんが猛アタックして、ルキディスさんを射止めたものだとばかり思っていましたわ。馴れ初めを聞いてもよろしいかしら?」
「妻が言うには俺が押し倒したそうなんですが、酒を飲みすぎていて、当時のことを覚えてません。酔いつぶれて一人で眠っていたはずなのに、起きたら裸で抱き合ってました。酒は恐ろしい。記憶がなくなるほど泥酔した挙げ句、女性を寝床に連れ込むなんて、するはずがないと思っていたんですけどね」
(なるほど。色々と分かってきましたわ。ユファさんは、酔いつぶれたルキディスさんと既成事実を作ったのね。私には分かるわ。ルキディスさんが連れ込んだのでなくて、自分から寝床に入り込んだ……)
カトリーナは勝手に妄想を広げていった。
(ユファさんの後ろめたそうなあの態度……。何が起こったか、容易に想像できるわ。妻としての自信がないわけね。実力で勝ち取ったわけじゃなければ、ああなってしまうのは、当然といえば当然よ)
ルキディスの作り話をすっかり信じ込んだカトリーナは、内心でユファを見下している。そのとき、ルキディスは偽りの表情を一瞬だけ崩してしまう。
(……いや、いけないな。何をやってるんだ。俺は)
傍らのカトリーナは気付いていないようだった。ルキディスは胸をなで下ろす。
ユファの生まれはサピナ小王国だ。サピナ小王国において獣人の扱いは劣悪であった。
珍しい猫族のユファは王家の所有物だった。何も起こらなければ王族の側室となって、豪勢な暮らしができただろう。しかし、そうはならなかった。
ユファの美貌を妬んだ何者かがユファの食事に毒を盛った。猛毒を飲んでしまったユファは美貌を失った。
辛うじて命は繋いだが、皮膚は膿み、身体はボロボロとなった。体力が衰えた肉体は感染症に罹患し、ユファはゴミとして捨てられた。容姿だけが取り柄だった獣人の踊り子にとって、美貌の喪失は死亡宣告であった。
(くそ……。嫌なことを思い出してしまった……)
過去の事とはいえ、眷族が経験した不幸を思うと気分が悪くなる。
眷族となったことでユファはかつての美貌を取り戻した。容姿だけでなく、内面も底抜けに明るくなった。ユファは人間だったころの出来事を気にしていない。しかし、本人の傷が癒えても、冥王は身内の不幸が許せなかった。
ユファを拾った時、サピナ小王国は一番最初に滅ぼすと決めた。王と貴族は絶対に鏖殺すると創造主に誓って、革命という手段で国ごとを滅ぼしてやった。
「……? ルキディスさん……?」
「んっ……? ああ。すいません。カトリーナさん。酔ってしまって、惚けてたみたいです」
ルキディスは心配そうに覗き込んできたカトリーナに微笑を向けて誤魔化した。何をやっているのだと自分を叱りつける。人妻籠絡の大切な場面で意識が散逸していた。
「くすくすっ! ひょっとして、ルキディスさんはお酒が弱いのかしら?」
「妻との一件があってから、深酒は避けてきました。今回だって妻が同席しているから、我を忘れることはないと思って、ワインを注文していました。ところが、妻には逃げられた。もし俺がカトリーナに“おかしなこと”をしようとしたら、遠慮なく引っ叩いてください」
「あらまあ、ふふふっ! くふふっ! ルキディスさんは冗談がお上手ですわ」
カトリーナの心音が再び高鳴る。ルキディスの方から、そんなことを言ってくるとは思っていなかった。
(やっぱりルキディスさんも私を女性として意識してる。私がルキディスさんを殿方として、見てしまっているように……!)
カトリーナは、自分の秘部がびしょ濡れだとやっと気付いた。魅力的な男にときめいて、発情してしまうのは若い女の性だ。理性で行動は抑制できても、身体に宿ってる本能までは抑えられない。
(やだ……もうっ! 楽しく会話をしているだけなのに、愛液が出てきてる……。下着は履いてるけれど、このパンティは布地が小さすぎるし、薄いから、このままだとパーティードレスに染み出しちゃう……っ!)
純白のドレスはカトリーナの肌に密着している。股座が濡れれば、ドレスの白地に愛液の染みが浮かび上がる。
「ごめんなさい。ちょっとお手洗いに行ってきますわ……」
トイレで心を落ち着けようと立ち上がったはいいものの、トイレの場所をカトリーナは確認していなかった。露出の多いドレスを着ているので、素肌を人目に晒すのが嫌だったのだ。
「場所は分かりますか? 案内しますよ」
ルキディスは〈誘惑の瞳〉を発動させる。
カトリーナが発情しているのは分かりきったことだ。ここ獲物で逃したら、心を持ち直されてしまうかもしれない。今まで様々な手段で感情を揺さぶってきた。カトリーナの内心は熟知しているつもりだ。
(――勝負をかけるのは今、この瞬間だな)
カトリーナは本心から家族を愛している。愛する夫イマノルと息子ジェイクを強く意識している間は、まず間違いなく冥王の誘惑を拒絶する。だから、絶対に精神を立て直す時間は与えない。
冥王は魔物であるが、愛情の強さを知っている。この機会は取り逃がせない。
(瞳術で『高揚感』を昂ぶらせてやる……! 身体が発情しているのなら、脈拍は速まり、血圧も上がっている。酔いの回っているカトリーナなら平衡感覚を失うはずだ! 転べ!)
カトリーナの鮮やかな紫の瞳は、黄金の妖光で輝く魔眼に囚われた。
「――きゃっ!」
「――危ない! カトリーナさんっ!」
足がもつれ、カトリーナは倒れ込みそうになる。
駆け寄ったルキディスはカトリーナを抱きかかえようと腰に手を伸ばす。だが、勢いに負けて支えきれなかったかのように装い、足を絡ませながらカトリーナを押し倒した。
これは事故だ。よって遠慮はしない。服越しでも分かるように股間を密着させる。勃起して硬くなった亀頭をカトリーナの脚に押し当てた。
(え? 私の太腿に当たってるのって……もしかしてルキディスさんのっ……!? うそっ! かっ、硬い……。勃起してる?)
雄の劣情が自分の身体に向けられている。それを知ったカトリーナは拒絶を示さず、むしろ悦んでしまった。
(離れてくれない……。まさか本当に? ルキディスさんは私のことを……?)
カトリーナの割れ目が愛液で満たされていたように、ルキディスも肉欲を陰嚢に溜め込んでいる。カトリーナはルキディスの内心を理解してしまった。
「ご、ごめんなさい! 私ったら転んでしまってっ!」
「いえ、俺も酔ってたみたいです……」
ルキディスの右足はカトリーナの股に挟まり、秘部を圧迫している。雄の肉棒がさらに硬くなっていく。触れている陰茎の形を想像してしまう。カトリーナは絡み合った脚で、ルキディスの発情心が高まっていくのを感じ取っていた。
「…………」
「…………」
ルキディスとカトリーナ。男女の視線が重なり合う。
(綺麗な瞳……。すごく……魅力的……っ! こんな美しい眼で見詰められたら私……!!)
自分を押し倒した黒髪の美青年は息を荒くしている。起き上がろうとはしなかった。
カトリーナも動こうとはせず、身体を触れ合わせている。見つめ合ったまま、絨毯の上で抱き合っていた。
はね除けようとすれば簡単にルキディスをどかせられる。だが、カトリーナは動けなかった。何ら抵抗をせず、陰裂が濡れていく。下腹部の子宮が荒々しく疼いている。
(ダメ……! ルキディスさん……こんなことをしたら私達……お互いに大切な人を裏切ることになってしまうわ!)
ルキディスのほうも猛る男根をあてがったまま、仰向けに倒れたカトリーナを見下ろしていた。
「カトリーナさん……。本当に、お手洗いに行きたかったんですか?」
「……え?」
隠したかった心中の感情を指摘され、カトリーナの目は泳いだ。ルキディスに対し、不純な感情を抱いていなかったのか。否定することが今のカトリーナにはできない。
「本心を聞かせてくれ。俺も、本当のことを伝えたい! たとえ許されないことだとしても、男としてどうしても言いたいんだ……! 俺の本心を知りたくないというのなら何も言いません。このまま起き上がって、オペラを最後まで鑑賞して、カトリーナさんを家に送り届けます」
「ルキディスさん……それは……! 私は……!!」
「教えてください。カトリーナさんは立ち上がりたいですか? それとも、ずっと……、こうしていたいですか……? 俺はずっと触れ合っていたい!」
「あぁ……! ダメよ。それは……ルキディスさんっ……! だって、私達にはお互いに家族が……っ!!」
カトリーナの脳裏に過るのは、夫イマノルと息子ジェイクのことだ。
この状況でルキディスの告白を聞いたら、カトリーナはイマノルの妻ではなくなってしまう。ジェイクの母親であることすらも、子宮から沸き起こった淫乱な女心で掻き消された。
一人の女となったとき、カトリーナはルキディスの誘惑を拒めない。
「――んぁっ♥︎」
人妻の迷いはほんの一瞬だった。
「お願い。聞かせてぇ……! ルキディスさんの本心を……! 私は聞きたいわ……!!」
カトリーナは自らの手をルキディスの背に回してしまう。
己の愚行が家族への裏切りになると分かっていても、カトリーナは昂ぶる想いを止められなかった。
家にいたときのカトリーナは寂しかったのだ。稼ぎの良い夫や愛らしい息子では癒せない心の隙間。それをルキディスは埋めてくれた。
「——好きだ。俺はカトリーナさん好きになってしまった」
ルキディスの告白を聞いて、カトリーナの理性は吹き飛んだ。だが、浮気心に火が付いた人妻は、自分を押し倒している美青年の正体が、恐ろしい魔物の支配者だとは知らない。
「——ルキディスさん♥︎」
カトリーナはゆっくりと股を開いた。夫と子を持つ妻には許されぬ背徳の情愛。左右に広がった両脚は間男の下半身を迎え入れる。
夫と子供を愛していた若妻は、邪まな心を持つ魔物に魅入られ、陰徳の愛情を込めて抱擁する。
カトリーナの身に魔物の愛が注がれようとしていた。



