翌日の早朝、カレンティアは奪われた聖剣を探していた。ヴォルフガングから過去の真相を聞き出し、リリトゥナが黒森に棲みつく異形の存在であると理解した。
女神、精霊、悪霊、魔物。リリトゥナ=キスキルをどのように評価するかは立場次第だ。四年前にレーヴェ家を嗅ぎまわって殺された隣町の司祭からすれば恐ろしい化け物。しかし、レーヴェ家にとっては守り神である。
ヴォルフガングの四肢を喰ったリリトゥナは、女の身体に取り憑く能力を得た。今はカレンティアの肉体に封じ込めているが、他にも憑依先がある。ダミエーラとベロニカである。
時間が経てばリリトゥナは憑依先を乗り換えて、カレンティアの抹殺を図る。その前に逃げてほしいとヴォルフガングに懇願された。
屋敷内で聖剣は見つからなかった。黒森のどこかに隠されてしまった可能性が高い。しかし、黒森はリリトゥナの縄張りだ。足を踏み入れれば、再び肉体を奪われかねない。
(荘園に戻って村長の家で飼われている馬を盗む……。相当な無茶になるけど……冒険者の私だったら隣町まで逃げられるわ)
北方の厳しい冬が始まってしまった。
積雪が山峡の細道を埋め尽くしている。だが、雪崩が起きるほどではない。上位ランクの冒険者であるカレンティアなら悪路を踏破し、隣町に逃げることは可能だ。
逃げるなら今すぐにだ。迷っている時間はない。
(聖剣を取り戻す余裕はなさそうだわ……。時間が足りない……。でも……母さんを置いては……)
ずっと探し続けた母親と再会した。
四年もの間、行方知れずだった母親は妹を産んでいた。新しい男との恋に溺れ、身も心も寝取られてしまった熟母。変わり果てた母とどう向き合うべきか。カレンティアは苦悩する。
(私も妊娠しているかもしれない)
愛する婚約者を裏切り、ヴォルフガングのオチンポに媚びてしまった自分を恥じる。
憑依洗脳の状態から脱した後、言い逃れのできない浮気を一度だけしてしまった。子宮の奥底に種を植え付けられた。その瞬間だけは間違いなく、帝都に残したクロヴィスへの愛が上書きされた。
「――お姉ちゃん」
闇樹館の玄関を出たカレンティアを呼び止める。待ち構えていたアヴェロアナの御髪が冬風で舞う。プラチナブロンドの美髪に目を奪われた。血の繋がりを強烈に意識させてくる。
異父妹アヴェロアナ。母親が父親以外と愛し合って産まれた娘。しかし、カレンティアと違って浮気ではない。死別して十五年以上もの歳月が過ぎた。娘も成人し、立派に独り立ちしている。
ヒースウッド修道院で祈りを捧げる寂しい生活。それが母親の幸せだろうか。レーヴェ家で新しい人生を始める。その選択を咎める権利が、娘のカレンティアにあるとは言えない。
「その剣……!いったいどこで……!?」
驚愕したカレンティアは口を開けた。
アヴェロアナは聖剣を抱きかかえている。小さな三歳児には重たい。鞘先を地面につけていた。引きずるようにして持ってきたようだ。雪に残った足跡は黒森から続いている。
カレンティアは聖剣を受け取る。
この剣を装備していれば、リリトゥナの憑依を防げる。
聖剣から伝わってくる恩寵に安堵感を覚える。その一方で、この聖剣を返してくれたアヴェロアナの狙いが分からなかった。
(いいえ、そうじゃないわ。これを仕組んだのは……)
三歳児の幼女は母親に従っただけだった。アヴェロアナは雪が降り積もった玄関先を駆けていき、母親の身体に抱きついた。両手を広げて臨月のボテ腹に張り付いている。
冬霞に煙る寒空の下、漆黒の騎士兜を頭部に装着した母親が佇んでいた。
「黒森に捨てられていた滅魔の聖剣を持ってきてもらったわ。貴方が闇樹館を訪れた初日、ダザリーヌが捨てに行ったのをアヴェロアナが見ていたのよ」
懐かしい母親の声だった。リリトゥナの支配は受けていない。カレンティアには分かった。聞きなれた声色には、もう一人の娘を按じる母親の愛情が宿っている。
「母さん……」
「カレンティアはこんな私をまだ母と呼んでくれるのね」
妊婦仕様のメイド服を着た母親はもう一人の娘と向かう。結婚指輪を外した左手で、レーヴェ家の娘を撫でている。
大きく目立つボテ腹に宿す胎児は、ヴォルフガングと愛し合った証。カレンティアの知らぬ四年間で、どれだけの種を注がれたのだろう。四十路の半ばに差し掛かった美熟母は二人目の受胎を遂げた。
「ヴォルフ坊ちゃん……。いいえ、レーヴェ家の当主から真相を聞いたわ。五年前にレーヴェ家で起きたことも……。四年前に母さんが行方知れずになった後の話も……。だけど、私は母さんを助けにきたの! リリトゥナに操られて、レーヴェ家の子供を産まされたんでしょ? 無理やり、メイドに仕立て上げられて……!!」
「私はヴォルフ坊ちゃんをお慕いしているわ」
「母さんは洗脳されてるっ……!」
「聞いてちょうだい。カレンティア……。私は貴方が思っているような女じゃないのよ。理想の母親を……ずっと演じてただけ……。ヴォルフ坊ちゃんとは相思相愛よ。アヴェロアナを産んだのは私がそうしたかったから。……可愛い妹でしょう」
「ここでその娘と……。レーヴェ家で暮らし続けるつもり?」
「ええ。ここが私の新しい故郷。愛する家族だわ。もちろん、カレンティアだって大切な娘よ。十五年前に死んでしまった夫も愛していたわ。何ものにも代えられない存在だった」
母親はかつての夫を過去形で語る。
「……そんなに……レーヴェ家の当主を愛してしまったの……?」
「ええ。ふしだらな母と罵ってくれていいわ。ヴォルフ坊ちゃんは四年前に私を帰そうとしてくれた。でも、私はここに留まると決めたわ。これはあの人に返して」
親指で弾き飛ばされた結婚指輪が秀麗な放物線を描き、カレンティアの足元に落ちた。
「父さんの墓前に結婚指輪を埋めたのは……やっぱり母さんだったのね……」
雪に埋もれた結婚指輪をカレンティアは悲しげに拾い上げる。
「ええ。今の私が身に着けているのは罪深いわ……。自分の身体を埋める代わりに、結婚指輪を捨ててきたの。私はいつだってドジだわ。……そのせいでカレンティアは私がレーヴェ家にいると分かったのでしょう」
「レーヴェ家は四年前に隣町の司祭を殺しているわ」
「もちろん、知っているわ。五年前に隣町の司祭はレーヴェ家の人々を殺したわ。因果応報よ。ヴォルフ坊ちゃんにあんな仕打ちをした奴に同情なんかできないわ」
「レーヴェ家が飼ってるリリトゥナは異形の存在よ。人間に災いをもたらす……。顔無しの……無貌を見たわ……。あの怪物は邪神よ!」
「黒森の主はヴォルフ坊ちゃんを愛しているわ。守ろうとしているだけ。私達は異教の女神と共存し、辺境で平穏に暮らしているのよ。レーヴェ家は悪じゃないわ。……カレンティアは帝都に帰りなさい。聖剣と指輪を持って、私達の前からいなくなってほしい」
「私の言葉はもう届かないの……? 母さんっ……!!」
「ヴォルフ坊ちゃんのお世話をすること。それが私の幸せ。邪魔をしないでほしいわ。それに私の身体は今や異形よ……」
騎士兜を外した母親は、首無しの身体を娘に見せつけた。切断された頸部の断面で、黒い影が渦巻いている。
「なんでそんな身体に……? なぜ頭部を失ってしまったの!?」
「あら……。そうだったの……。ヴォルフ坊ちゃんは全てを説明してくださらなかったのね」
「やっぱり……。奪われた自分の首を取り戻せば母さんは……。レーヴェ家から逃れられる。そうなんでしょ?」
「捧げた首を取り戻そうだなんて思わないわ。私は自分の意思で三年前に捧げたの……! 取り戻す……。いくらカレンティアでも、それだけは絶対に許さないわ……!!」
荒々しい口調だった。豹変した母親の怒気にカレンティアは愕然としている。
「え? え……? 母さん……?」
「カレンティア……! 貴方は帝都に帰りなさい。封じ込めたリリトゥナが出てくる前に……。黒森の主が戻ってきたら、きっとカレンティアは殺されてしまうわ。私とヴォルフ坊ちゃんの善意を無駄にしないで……。お願いよ」
母親の痛々しい懇願。心の移ろいは明らかだ。カレンティアは見ていられなかった。新たな家族を築いた母親にとって、亡夫との間に儲けた娘は邪魔者だ。
カレンティアが帝都に逃げ帰れば全てが終わってしまう。失踪した母親は世間から忘れ去られる。レーヴェ家で起きた出来事をカレンティアが話さない限り、誰も傷つかない。
(私が秘密を守れば誰も傷つかない。でも、それでいいの? 私が帝都の冒険者組合や帝国軍に通報すれば……)
表沙汰になれば異形の存在と結びついたレーヴェ家は、取り潰されるだろう。しかし、それで得をするのは隣町だ。荘園の人々は生活基盤を失い、路頭に迷う。
そこに正義はあるのかと思い悩む。人間には誰しも後ろめたい秘密がある。カレンティアにも婚約者のクロヴィスに話せない背徳的秘密を抱え込んでいた。
(昨夜の過ちは……。クロヴィスに言えないわ……)
カレンティアは己の淫欲に駆られて、四肢欠損の不具者を逆レイプした。
クロヴィスとのセックスに今まで不満はなかった。けれども、ヴォルフガングとの肉体相性は最高だった。背徳の拒否感を塗り潰し、子宮が亀頭に吸い付いた。胎が精子を飲む干す快感に酔った。
母親を寝取ったオチンポの強さは、一生涯忘れられないだろう。
(母さんが愛した二人目の男……。すごく嫌なのにっ……)
涙ぐんだカレンティアは、母親が捨てた結婚指輪を強く握りしめる。
(レーヴェ家に残る選択をした母さんの意思を尊重するなら……)
首無しの異形者になろうとも、母親の人格は変わっていない。心を寝取られた以外は、カレンティアが知っている母親だ。異父妹を抱き寄せる愛母に、かつての面影を重ねてしまう。
(え? 待って? アヴェロアナは……)
初めて見たときから、母親と酷似した幼女だと思った。
血がつながった親子なのだから、そっくりな容姿は当然だ。しかし、あまりにも似ている。父親からの遺伝は薄く、母親の血が濃い。顔立ちだけは間違いなくそうだ。成長したアヴェロアナは、きっと母親を複製したような美女になる。
「まさか……? ありえないわ……。でも……。うそ……」
その可能性に思い至る。レーヴェ家の荘園ではリンゴが栽培されている。その栽培方法をヴォルフガングは教えてくれた。優れたリンゴの形質を維持するための方法。交配し続けても、中味の劣化を防ぐ古来からの手段。それは接木である。
――接木で増やせば完璧な複製だ。大本になったオリジナルの穂木が子供を産み続ける。身体を乗り換えながら……。
母親の貌は消えた。ばっさりと首を刎ねられている。その代わりに、三歳児の幼女は母親と瓜二つの貌がある。それは母親の頭部がどこにあるのかの答えだ。



