【182話】東の女王は苛立つ

 ヴィクトリカは母親譲りの黄金髪を人差し指で絡め取る。

「はぁ⋯⋯。とっても不快な心地だわ」

 強いストレスを感じているせいか、あるいは妊娠による変調であるのか、抜け毛に悩まされていた。

(お腹が張って痛い⋯⋯。胎動もますます強くなってきた。出産予定日が近づいてきている⋯⋯)

 日に日に大きく膨らんでいく腹部を見ていると、幼帝に孕まされた母親と親友の淫姿を思い起こしてしまう。

 ヴィクトリカは変わり果てた二人の淫態を意識の片隅に押し込む。女王たる自分が考えるべきは、東アルテナ王国が立ち向かうべき問題についてだった。

「魔狩人と冒険者ギルドは国家間の争いでは中立を保つはずでしょう? なぜ今の時期はメガラニカ帝国に干渉するなと言ってきたのかしら」

 分断国家となったアルテナ王国。軍事境界線のグウィストン川の東西で分かれ、血の繋がった実の母娘、セラフィーナとヴィクトリカが対立する事態に陥った。

 ヴィクトリカが治める東アルテナ王国は、バルカサロ王国やルテオン聖教国といった反帝国の旗を掲げる中央諸国の庇護下にある。

 増長するメガラニカ帝国を抑え込む最前線というわけだ。嫌味な言い方をすれば、大国の衝突を防止する緩衝地帯である。

 昨年の末、白月王城で講和条約が結ばれた。しかし、両陣営の緊張関係は緩んでいない。

「メガラニカ帝国が軍を動かしているのは奇妙だわ⋯⋯。なぜこの時期に? 講和を結んだばかりなのよ? 軍事演習だとしたら諸外国への挑発だわ。意図が読めない。何を考えているの⋯⋯」

 ヴィクトリカの本拠はヒュバルト伯爵の居城だった。敗戦直後の混乱期、アルテナ王国からの独立を企てた東部の裏切り者達は粛清された。

 反帝国でありながら、同時にアルテナ王家にも弓を引いた売国奴の根城だった。首謀者のヒュバルト伯爵は帝国軍によって謀殺された。生き残った親類縁者も報復を恐れて外国に亡命している。

 東アルテナ王国の女王に即位したヴィクトリカは、持ち主不在のヒュバルト伯爵の城を接収した。メガラニカ帝国に反抗する意思を持つ有志を集め、再統一に向けた戦力を蓄えている。

「帝国の都で騒動が起きたようです。動員の規模は分かっておりません」

 上級女官リンジーは白湯を差し出した。自殺を装って白月王城から脱出し、現在はヴィクトリカに仕えている。

 リンジーは長年にわたってセラフィーナに尽くしてきた忠臣だった。しかし、メガラニカ帝国に屈した主君を見限り、娘のヴィクトリカに忠義を誓い直した。

「暴動⋯⋯? それとも災害? メガラニカ帝国で何が起きたか知りたいわ」

「詳しい情報は伝わってきませんが、空を飛ぶ城が西岸地域に移動したという話です。不確定な情報ばかり流れてきますが、どうやら魔狩人や冒険者ギルドは事情を知っているようですね」

「魔狩人と冒険者は中立のくせに、お節介な警告をしてきたわ。まったく⋯⋯何なのよ⋯⋯」

「魔物関連の出来事という噂は掴んでいます。あくまで伝聞に過ぎませんが、大きな混乱と被害があったのは確かでしょう」

「天空城アースガルズは皇帝ベルゼフリートの住処よ。私はこの目でアレを見てきた。帝都アヴァタールから離れる必要があったんだわ」

 ヴィクトリカは帝国本土を潜入した際、帝都アヴァタールを訪れた。メガラニカ帝国の強大な国力が目に焼き付いている。

「女王陛下。今は力を蓄えるときです。行動を起こす時ではありません。無謀な蜂起は犠牲を生むだけです。今はご辛抱ください」

「ええ⋯⋯。そんなのは分かっているわ。私はこんな身体で自由に動けない。それに、こんなだらしないお腹を誰かに見られたくもないわ」

 安楽椅子に腰掛けたヴィクトリカの腹部は大きく盛り上がっている。丸みを帯びた身重の母胎だった。

(私はもうじき、子供を産み⋯⋯母親になってしまう⋯⋯。王家の女であるこの私が⋯⋯! 祖国を侵略し、お兄様を殺した皇帝の子胤で⋯⋯! 本当に腹立たしい! 最悪だわ⋯⋯!)

 臨月を迎えたボテ腹は、シルクで編まれた妊婦服の光沢がよく栄える。黄金髪の艶は磨きがかかり、控え目だった乳房は成長を続けていた。

 肉体は少女から大人の美女へ。そして母親に変じる。

「どれだけ時間がかかろうと諦めない。絶対に祖国を取り戻すわ⋯⋯。私はアルテナ王国の裏切り者を許さない。殺されたお兄様の無念を晴らす⋯⋯。そのためなら憎きメガラニカ皇帝の子供だって産んでやるわ」

「心中お察しいたします。しかし、皇帝の子は我らに選択肢を与えてくれるでしょう。メガラニカ帝国側の思惑を上回る必要はありますが⋯⋯」

「メガラニカ帝国はアルテナ王国の全領土を欲しているわ。王家の血筋を塗り潰そうとしているのよ⋯⋯。だから、お兄様を処刑し、女達は孕ませた」

 出産予定日は間近に迫っていた。ヴィクトリカが孕んだのは一年前の八月十五日、メガラニカ帝国の戦勝式典が執り行われた日の夜だった。

 実の母親であるセラフィーナと親友のロレンシア卑しい淫婦に仕立てた幼帝は、ヴィクトリカの処女を奪った。たった一夜の恥辱で身籠もってしまった。

「ルテオン聖教国は産まれた子供を引き取ると申し出ています」

「売り渡すかは取引次第だわ。メガラニカ皇帝の子供で、アルテナ王家とバルカサロ王国の血筋を引いている。利用価値が高いわ。渡すにしても高値でふっかけないとね」

「はい。それでよろしいかと思います」

 堕胎の選択肢はなかった。開闢教は堕胎を禁じている。アルテナ王家が教会の庇護を受け、敬虔な信徒だと明言している異常、教義に反する行為は自らの首を絞める。

 ベルゼフリートが気紛れで孕ませた落胤。ありとあらゆる使い道が考えられる。当然、メガラニカ帝国側もヴィクトリカが産んだ子供を利用しようとしてくるはずだった。

「アルテナ王国は真っ二つになってしまったわ。国力は単純に半分⋯⋯というわけではないのよね」

「残念ながら肥沃な穀物地帯の大半は王都近郊に集中しています。王家の直轄地を除けば、特に大きな収穫高を誇るのはフォレスター辺境伯の領土ですが⋯⋯それもあちら側です」

 リンジーは部屋の壁に吊された地図を指差した。

(フォレスター辺境伯家。今の当主はロレンシアの父君⋯⋯。愛娘の豹変をどう受け止めているのかしら⋯⋯?)

 紅毛の一族として知られるフォレスター辺境伯家はアルテナ王家の重臣。メガラニカ帝国の支配に組み込まれても、見せかけの恭順しか示していなかった。

「フォレスター辺境伯はご病気なのよね? セラフィーナが白月王城で子を産み落としたとき、呼ばれていながら王都には来なかったわ」

「はい。持病を理由に領地から出てきていません。メガラニカ帝国からの要求をのらりくらりと躱しています」

「帝国に逆らわないまでも、恭順はしたくない。そういうことだわ」

「しかし、時間稼ぎはいつか限界がきます。ご存知だとは思いますがフォレスター辺境伯の娘であるロレンシアは⋯⋯」

「ええ。ロレンシアはメガラニカ皇帝の子を孕んでいたわ。それだけじゃないわ。身体は醜く改造されてしまった。心が堕落し、アルテナ王家に仕える騎士ではなくなったわ」

「申し訳ございません。セラフィーナ様をお守りするため、私がロレンシアを従者としてメガラニカ帝国に送り出しました。失策であったようです」

「リンジーを責めたりはしないわ。元々ロレンシアは私の身代わりをしてくれた。私を逃すために⋯⋯」

 ロレンシアの心と身体に起きた変化は、ヴィクトリカの目に焼き付いている。肥大化した乳房、多胎児を収める巨大な孕み腹、出産に備えて蓄えられた尻肉の脂肪。なによりも恐ろしかったのは、ロレンシアが祖国を滅ぼした淫帝の虜になっていたことだ。

「ああなってしまったら、もう正気には戻れないわ」

 ヴィクトリカには理解できなかった。不本意な形で子供を宿してしまったが、ベルゼフリートに対する嫌悪は高まるばかりだった。

 なぜロレンシアは心変わりしてしまったのか。母親のセラフィーナにしても同じ疑問を抱いていた。アルテナ王国を導くべき女王と女騎士が揃いも揃って堕落した。

(メガラニカ帝国の後宮は、女を堕落させる淫獄に違いないわ⋯⋯)

 もしロレンシアが身代わりにならなければ、ヴィクトリカが後宮に入内させられていた。だが、そうなるべきだったのかもしれない。女王セラフィーナが不義姦通の末、皇帝ベルゼフリートの子を公開出産する。そのような国家的な恥辱は受けずに済んだはずだ。

「ヴィクトリカ様?」

「アルテナ王国の西側は蝕まれていくわ。たぶん⋯⋯ロレンシアの産んだ子供がフォレスター辺境伯家を乗っ取る。帝国はそのつもりに決まっているわ」

 沈痛な面持ちのヴィクトリカは、両眼のまぶたをゆっくりと閉じた。身代わりになって、自分を逃がしてくれた忠臣の女騎士ロレンシア。気高く、凜々しい親友だった。だが、再会したとき、ロレンシアは皇帝の性奴隷に墜ちていた。

(哀れなロレンシア⋯⋯。あんな痴態を見せつけられたら、憎しみより、同情が勝ってしまうわ)

 異常に肥大化した超乳と巨尻。水風船のように膨らんだ子宮は、肉奴隷の繁殖母体。子産みだけに特化した淫女ロレンシアは、怨讐を向けるべきメガラニカ皇帝の虜になっていた。

(私は理解したくもない。あんなクソガキに身を捧げるなんて⋯⋯!)

 ヴィクトリカは憤る。心変わりしたロレンシアが踏み躙ったのは、かつて恋仲だった青年騎士レンソンの想いだけではない。帝国軍に処刑されたリュート王子は、近衛騎士団の紅一点だったロレンシアに淡い恋心を抱いていた。

「はぁ⋯⋯。報われないことばっかり⋯⋯。この世のあらゆる不幸を煮詰めている気分になる。たまには良い話も聞きたいわ。ねえ、リンジー。帝国軍に囚われていた近衛騎士達はグウィストン川を渡った?」

「吉報は届いていません。白月王城の牢獄から集団脱走後、その消息は不明です」

「そう⋯⋯」

「帝国軍が捜索していたようですが、捕まったという話は聞きません」

「レンソンには会いたいわ。近衛騎士団は忠義の騎士よ。きっと私に仕えてくれるはず⋯⋯」

「捕らえられていた近衛騎士団の何人かは、大きな傷を負っていました。剣を握れる身体ではありません。特にレンソンは⋯⋯」

「知っているわ。でも、メガラニカ帝国を倒すには、裏切らない忠実な臣下が必要でしょ⋯⋯。復讐を支えてくれる人が欲しいの」

「恐れながら女王陛下。大義を見失ってはなりません」

「リンジーの言う大義は?」

「勝ち取るべきはアルテナ王国の主権です」

「⋯⋯⋯⋯」

「分断された祖国を統一し、中央諸国にアルテナ王国の主権を認めさせなければ、代理戦争の道具とされます。勃興ぼっこうしたメガラニカ帝国は大陸中央へと触手を伸ばしていくことでしょう」

「もちろん。そんなのは分かっているわ。一国の君主たるもの、私情に囚われてはいけない⋯⋯。何度も聞かされたわ」

「私怨でアルテナ王国を差配するのであれば、メガラニカ皇帝に屈したセラフィーナ様のほうが利口と言わざるを得ません」

「嫌な言い方だわ。耳障りな諫言⋯⋯。もっとちょっと気遣ってほしいわ。よりにもよってあの女を引き合いに出すなんて⋯⋯! どういうつもり?」

「セラフィーナ様の振る舞いは、けして褒められるものではありません。不義と裏切り、悪行の極みです。これまで築き上げた国母の偶像を貶めました。しかし、皇帝の愛妾に徹し、尻尾を振り続けることで、アルテナ王国を存続させようとしている。そのように解釈している民もおりましょう」

「ふんっ⋯⋯。あの淫母に考えなんてないわ。恥知らずなだけよ」

「ですが、メガラニカ帝国との戦争は終わりました。終戦に安堵する民は多いのです」

「王都を占領した帝国軍はリュートお兄様を殺した。けして許さないわ。侵略者の子供を産んで、アルテナ王国の国政を滅茶苦茶にしたお母様も⋯⋯!」

「セラフィーナ様が産んだ三姉妹は、今や西アルテナ王国の王女です。まだ幼い赤子ですが、いずれヴィクトリカ様の政敵になるでしょう。長女のセラフリートは王都で教育を受けていると耳にします」

「セラフリートなんかに、アルテナ王国の王位を明け渡したりはしないわ⋯⋯!!」

「ヴィクトリカ様からすれば、異父妹にあたります。セラフィーナ様の腹から生まれた以上、アルテナ王家の子供ではあります」

「アルテナ王家の子供じゃないわ。卑しいメガラニカ皇帝の子供よ⋯⋯! 罪深い不義密通で産まれた穢れた赤子! 両親の罪科で夭逝ようせいしてくれないかしら⋯⋯!」

「女王陛下のお怒りはごもっともですが⋯⋯」

「道徳的な説教はやめてよね。そんなのは分かってる。はぁ⋯⋯。呪詛を吐き出してると⋯⋯本当に自分が嫌になる⋯⋯。産まれてきた子供に恨みをぶつけるべきではないのでしょうけど⋯⋯でも⋯⋯」

 ヴィクトリカは己の腹部を撫でた。自分自身も憎き皇帝の赤子を胎内で育ているのだ。

「セラフィーナ様が皇帝との肉体関係を維持し続けるのなら、さらに子供が増えるかもしれません。三つ子の娘が亡くなっても代わりは作れてしまいます」

 リンジーの予測は正鵠を射ている。男児の出産を強く願うセラフィーナは再び懐胎を遂げた。

 前夫のガイゼフとは二十年に及ぶ結婚生活で、一男一女の二人を産んだ。若くして夫婦となり、心から愛し合って子供を儲けた。

 メガラニカ帝国との戦争に敗れなければ、平穏な一生を送れたことだろう。だが、三十路を過ぎてから、女王は本物の性交セックスを知ってしまった。

「すでに異父妹が三人もいるのよ。今さら何人増えようと同じだわ」

「ガイゼフ様は⋯⋯」

「しばらくの間、お父様には辺境で療養してもらう。敗戦の責を問う声は強い。それに、バルカサロ王国への不信感だって大きくなっている。とてもじゃないけど、表舞台には出せないわ。逆効果にしかならない」

「それがよろしいでしょう。求心力は現女王であらせられるヴィクトリカ様にあります」

 ガイゼフに対する評価は、醜悪な転身を遂げた売国女王セラフィーナに匹敵する酷さだった。アルテナ王国を戦争に巻き込んだ挙げ句、大敗北を喫した王婿は民からの信頼を失った。

 セラフィーナがベルゼフリートの子供を産んでしまったのは決定的な出来事になった。

 二十年近く連れ添った妻を略奪され、前代未聞の公開出産が白月王城で催された。女王が三つ子の娘を股穴から産み落としたとき、アルテナ王国の矜持は砕け散った。

「たった一年で⋯⋯。どうしてこうなってしまったのかしら⋯⋯?」

 ヴィクトリカは窓から西の空に眺めた。同胎の異父妹、三人の妹達を退けなければ祖国は取り戻せない。

(今もとロレンシアは、褐色肌の幼い皇帝に抱かれているのかしら⋯⋯。胤を求めて、あの太い陰茎に媚びを⋯⋯。なぜなの? 辱めの苦しみに堪えきれなかったの⋯⋯?)

 ヴィクトリカは下唇を噛み締める。

 皇帝の肉棒で処女膜を突き破られた夜、女の喜悦を味わったのは事実だった。だが、子宮に射精された屈辱的憎悪は一生涯忘れない。相反する感情にヴィクトリカは苛まれていた。

(お腹の子供を産んだあと、私はもっと苦しむことになる。それでも、私は耐え忍ぶわ。私こそがアルテナ王国の民を導く真なる女王なのだから⋯⋯)

 敬愛していた母親への失望。頼りにしていた父親に対する落胆。そして、全てを奪い去った幼帝への怨讐がヴィクトリカの内心で渦巻いていた。

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