帝都アヴァタールの退魔結界は崩壊した。
破魔石に施された結界術式が再起動するまでの猶予は約半日。しかし、神官長カティアが天空城アースガルズの隔絶結界に囚われた現状、破魔石の起動にはさらなる時間がかかる。
(――ここまではレヴェチェリナの計画通りだ)
牛頭鬼の魔物キュレイは当初の命令に従い、帝国宰相ウィルヘルミナがいる国民議会議事堂を襲撃。さらに帝都全域に妖魔兵を降下させていた。
放たれた妖魔兵に命じた作戦は一つ。
――徹底的な殺戮と破壊。
退魔結界が復活するまでの間、混乱を拡大させるため、妖魔兵を暴れさせ続ける。
(壇上の議長席に座るサキュバス。乳房のデカいあの若女が帝国宰相で間違いない⋯⋯。レヴェチェリナにもっと正確な情報を寄越せと言ってしまったが、確かに見れば分かるな)
桃色髪のサキュバスは逃げる素振りを見せない。しかし、混乱で判断能力を失っているようにも見えなかった。
(あれがメガラニカ帝国を支配している女か⋯⋯。度胸は認めてやろう)
まるで襲撃を予期していたとでも言わんばかりの冷静さ。
「眼前に恐るべき魔物が現われたにも関わらず余裕の態度か? 気に食わないな。長く続きすぎた平穏が危機感を腐らせる。死の恐怖を忘れてしまったようだな」
キュレイは大斧を振るう。巻き上がった旋風が椅子を吹き飛ばす。
轟音と悲鳴、混迷を極めた議事堂で、キュレイは魔物の本懐を発揮しようとする。
「私よりもほかの議員を優先で構いません。議員の安全を確保した後、衛士も運んでしまってください。邪魔にしかなりません。私の書状を持たせた大神殿の巫女はそのまま外へ逃がしてください」
ウィルヘルミナは匣に命じる。
サキュバスの両翼を広げているが飛び去ろうとはしなかった。逃げずに指示を出し続ける。
上位種の魔物が眼前で暴れている。しかし、その程度で帝国宰相は動揺しない。
もっと恐ろしい惨状を過去のウィルヘルミナは目撃していた。
破壊者ルティヤの転生体が起こす災厄。ナイトレイ公爵家の騎士団を壊滅させた黒蝿の帝王。
真の恐怖を味わった者からすれば、牛頭鬼のキュレイは暴れ牛と大差がなかった。強大な力を有する魔物ではある。しかし、対処方法はいくらでもある。
(何かと会話をしている? 通信用のアイテムか⋯⋯? 護衛らしき取り巻きは大勢いるが、明らかに弱い。格下どもだ。レヴェチェリナの買いかぶりだったか? 貴様の読みは外れたな。帝国宰相は楽に殺せそうだぞ)
キュレイは大斧を振り下ろす。
「――その澄まし顔。崩してやろう」
両腕の怪力から生じる烈風の斬撃は、ウィルヘルミナの身体を両断できる威力だった。しかし、それは直撃した場合の話である。
「外れましたが?」
「馬鹿な。ありえない⋯⋯」
正確に壇上のウィルヘルミナを狙った攻撃は的外れの方向に逸れた。衝撃波が鳴り響き、壁面に巨大な傷が出来上がる。
(攻撃を逸らされたな。アーティファクトを発動させる時間は与えなかったはず⋯⋯。どういうことだ? 合点がいかない。ウィルヘルミナに戦闘能力はないと聞いていたが⋯⋯。影武者か?)
キュレイはさらなる異変に気付いた。
「は? なんだ? 人間どもは⋯⋯どこだ⋯⋯? 消えた⋯⋯?」
魔物が暴れる議事堂から逃げだそうと出口に殺到していた人間達が消えていた。
廊下からも人間の気配が失せている。
ほんの数秒でパニックになっていた数百の人間達が忽然といなくなった。
(人間達がいない⋯⋯? 何だ? どういうことだ?)
異様な雰囲気に悪寒を覚える。気付けば議事堂は無人だった。静まりかえっている。
「混乱しているようですね」
キュレイの他にいるのは壇上のウィルヘルミナだけ。帝国宰相を護ろうとしていた護衛達の姿も消えている。
「他の人間をどこへ隠した? 貴様は帝国宰相ウィルヘルミナ本人なのか?」
「少し静かにしていただきたい。貴方が壊した歴史的建造物の修繕費がどれだけ高く付くか⋯⋯。頭を悩ませています。はぁ。困りました。帝都全域の被害を鑑みれば、補整予算を組まなければなりませんね」
ウィルヘルミナはキュレイの質問には答えない。しかし、返事をせずともキュレイは答えが分かった。
(間違いなく本人だ。影武者などではなく、このサキュバス女が帝国宰相ウィルヘルミナ⋯⋯! しかし、分からん。どこに人間を隠した⋯⋯?)
「人間の言葉を扱う知能⋯⋯。貴方は上位種の魔物ですね。疑念と疑惑。状況を観察し、探っている。振る舞いからは高度な知性を感じ取れます」
(不気味な女だ。私を前にしてこの余裕は何だ? 私に殺されない絶対の自信が滲み出ている。⋯⋯あの匣は自衛の武装か?)
まるで内心を透かすかのようなウィルヘルミナの指摘。キュレイは言い表せぬ脅威を感じ取った。
「聞いていた話と違う。貴方はそんな間抜け面をしています。教えてくれませんか? 仲間の魔物は廃都ヴィシュテルにいるのですか? 人間の協力者はいますか? 退魔結界の破壊方法は誰に教えてもらったのですか?」
「嗤わせてくれるな。人間! この私が素直に教えてやると思うのか?」
「ここは帝都アヴァタール。我ら人間の支配領域です。大陸の僻地に隠れ潜んでいれば長生きできるものを⋯⋯。しかし、愚挙の理由に興味があります。可能であれば、生け捕りが望ましい。ヘルガ王妃に拷問させましょう」
ウィルヘルミナは小さな匣を壇上から放り投げた。
(アーティファクト!? 巨大な魔力を発している⋯⋯。何らかの魔術具か⋯⋯!!)
宮廷魔術師ヘルガが開発した携帯型の試作コンテナ。空間を折り畳み、重量と質量が無視できる保管庫を実現した。しかし、実用化に失敗した欠陥品だった。
匣の内部は高温高圧。食料品は燃え滓となってしまった。仕方なく武具などの鉄製不燃物を入れたところ、金属が融解し、蒸発してしまう有様だった。
常識的に考えれば、生物を運ぶには不適切だと分かる。
生きた人間を詰められる匣ではなかった。しかし、この世には常識外の怪物染みた人間が存在する。
「――魔物に拷問は無意味。時間の無駄。ヘルガ妃殿下のオモチャにはなるかもしれないけど、危険だからしっかり殺しておくわ。宰相閣下」
開門した匣からアマゾネス族の美女が現われる。屈曲した次元を正し、縮小されていた空間を元通りに直す。
寝起きでボサボサのブロンド髪を掻き回した。
「次元操作の異能⋯⋯! アマゾネス族の帝国兵⋯⋯!! なるほど、なるほど! 通りで私の攻撃が当たらぬはずだ。貴様が帝国宰相の護衛だな! くっくくく! アレキサンダー公爵家の人間だな?」
キュレイは警戒心を強める。現われたのはアレキサンダー公爵家の七姉妹。次元操作の異能が発現する血統者。メガラニカ帝国が誇る最高戦力の一人だった。
「まあ、ね。一番上のお姉ちゃんからは公爵家の面汚しって言われてる。んぅ⋯⋯ふはぁふぁ⋯⋯、まあ、ろくにお家や軍務省の仕事をしてない私が悪いんだけど⋯⋯」
気怠そうな美女は匣を摘まみ上げる。
「それにしても、これ、寝心地が良くなかった。蒸し暑かったし⋯⋯ふにゃあぁ⋯⋯。ふぁ~。欠伸が止まらない。改善の余地しかないってヘルガ妃殿下に言おう」
耐熱鋼鉄を蒸発させる高温高圧の異空間。そんな環境で惰眠を貪ったアマゾネスの美女は欠伸を連発する。
「私はブライアローズ・アレキサンダー。えーと。帝国軍での階級は確か⋯⋯えーと⋯⋯何だっけ⋯⋯? 忘れちゃった⋯⋯」
(この女⋯⋯。私を嘗めきっているな。議事堂の人間を隠したのもこいつの力で間違いなさそうだ)
「まあいいか。休職中だからもう私の席なんてもうなさそうだし⋯⋯そもそも魔物が相手だから名乗る必要もないや⋯⋯」
ウィルヘルミナの姿が消えていた。
議事堂にいた人間達を避難させたのはブライアローズで間違いない。しかし、いかなる手段を用いたのかがキュレイには分からなかった。
(ブライアローズ・アレキサンダー。レヴェチェリナの情報によれば公爵家の六女だったな。帝国宰相の護衛はマルファムを殺した七女キャルルの可能性が高かいと聞かされていたが⋯⋯)
アマゾネス族らしい体格に恵まれた背恰好。眠そうな両目は少し垂れている。
服装は帝国軍の制服だったが、上着のボタンが全て外れていた。
七姉妹随一の豊満な乳房を支えるブラジャーが見えている。生真面目な姉達に見つかれば、だらしがないときつく叱られるだろう。
「帝国が誇る最高戦力の一角⋯⋯! 面白い獲物だ! どれほどのものか、実力を確かめさせてもらおう」
キュレイは廃都ヴィシュテルを出立したとき、レヴェチェリナからアレキサンダー公爵家の情報を聞かされていた。
◇ ◇ ◇
――帝国宰相の護衛が七女のキャルルなら運が良いわ。七姉妹のなかでもっとも次元操作の精度が低い。むしろ注意すべきは精霊術のほうかしら?
――私をマルファムと一緒にするな。人間相手に遅れはとらない。
――そう片意地を張らない方がいいわよ? 敵の情報は必ず役立つわ♥︎ キャルルの精霊術は広範囲を破壊しかねない。市街地では使えない技のほうが多いの。きっと逃げやすくなるわ。民間人を盾にするのがおすすめ。
――なら、聞くだけ聞いてやる。六女のブライアローズが出てきた場合は?
――可能性はすごく低い。ブライアローズは休職中。この数年間、軍の任務を一度もこなせず、自室で引きこもり状態。でも、もしブライアローズが護衛であったのなら、キュレイに覚悟を決めてもらうわ。
――覚悟だと? 強いのか?
――帝国元帥レオンハルトが当主の座を蹴って家出したとき、次期当主の有力候補にあげられたのは二人。長女のシャーゼロット、そしてもう一人は六女のブライアローズ。アレキサンダー公爵家は実力主義。その意味は分かるわよね?
◇ ◇ ◇
キュレイは大斧の斬風で単調な攻撃を繰り返す。ブライアローズの力を推し量るためだった。しかし、全ての攻撃が逸らされる。
「ふあぁ⋯⋯ぁ⋯⋯あぅ~⋯⋯。なんか瞼が痒い」
「はぁっ! ぬぅぅうんッ!!」
人体を細切れに刻む烈風の必殺斬撃がまったく通じない。だが、ここまでは想定の範囲内だった。
(レヴェチェリナに警告されたものの、ブライアローズからは覇気の欠片も感じられない。何なんだ、この人間は? 天生の異能に溺れる愚鈍な女か? 反撃の気配がない)
「めっちゃ眠いわ⋯⋯。寝起きは身体が怠くて動きたくないのに⋯⋯。どうしよ。ちょっと頭が痛いかも⋯⋯」
(人間どもを隠したのはブライアローズの能力で間違いない。次元操作による空間転移? アレキサンダー公爵家の異能を使えば大半のことはできるだろう。しかし、あれだけ大勢の人間を一瞬で移動できるか⋯⋯?)
ブライアローズの能力は未知だ。次元操作といっても戦い方は様々だと聞かされていた。それに加えて、七女のキャルルが精霊召喚の異能を持っているように、複数の異能力を使う場合もある。
(ブライアローズは七女のキャルルと父親が同じ。おそらく精霊術の才能も持っている⋯⋯!)
大斧を構えるキュレイに対して、ブライアローズは丸腰だった。
「単なる斬撃では押し切れないか⋯⋯。その呆けた面構えは気に入らないが、久しぶりに少しは楽しめそうな獲物だ」
キュレイの行動には時間制限がある。退魔結界が復活するまでに撤退しなけば、結界内に閉じ込められてしまう。
「はぁ⋯⋯。元気いいね。お前⋯⋯。ねえ、知ってる? 人生で一番大切なのは睡眠。一日に十八時間は眠らないと私は身体が怠くなるの。この苦痛が分かるかなぁ?」
「分かるわけないだろう」
「はぁ⋯⋯。だからさ、魔物退治なんかさっさと終わらせて二度寝したい」
「お望みなら永眠させてやる。だが、その前に一つ教えろ。帝国宰相ウィルヘルミナをどこに隠した? 他の人間達もだ。貴様の仕業だろう? 私はそいつらを殺さねばならん」
キュレイはブライアローズの瞳を覗き込む。美しい青眼に問いの答えを求める。だが、魂を見抜くとき、キュレイ自身の異能も曝かれる。
「へえ。お前の眼、特殊だね。瞳術かな? そういえば質問するとき、宰相閣下や私をチラチラ見てたわ。お喋りが好きなタイプに見えない。質問のタイミングもちょっとおかしかった」
「ほう? 察しがいいな。⋯⋯⋯見た目に反して、頭は回るようだ」
「宰相閣下にもわざわざ本人かどうかを確認してた。ああ、分かった。質問の答えを見抜く能力?」
図星だった。牛頭鬼の赤瞳は人間の魂魄を見透かす。単純な質問をすれば魂は答えてしまう。
「気付いたところで対処法はないぞ。私の瞳術は魂魄に問いかける。人間の精神構造は単純だ。問いを投げれば、私には答えが分かる」
「尋問で役立つ便利な能力⋯⋯。だけどさ、最前線に出張る奴が使う能力じゃないでしょ。それ」
ブライアローズはあからさまにキュレイを見下していた。
「こんな帝都のド真ん中まで来ちゃってさ⋯⋯。もしかして仲間から嫌われてる?」
「言ってろ。私は貴様の能力を把握した。生物の魂を見れば本質が分かる。異能とは魂魄に刻まれた術式効果だ」
「――それで?」
「魂の観測によって私は異能を見抜く。私に時間を与えすぎたな」
「へえ⋯⋯。ああ、そう。⋯⋯私の能力を知ってどうするの? それも意味ないでしょ。アレキサンダー公爵家の異能を知らないほうが、この国では珍しいわ」
「苛立たしい女だ。⋯⋯侮りは捨てろ」
「いや、お前、見るからに弱そうだし⋯⋯」
「⋯⋯私が言ってるのは貴様が秘匿しているもう一つの力だ。ブライアローズ・アレキサンダーは精霊結界を使う。父親の血統だな」
「したり顔で何を言うかと思えば⋯⋯。失笑ものだ。使う機会がないだけで隠してないわ。それも私の出自を知ってれば分かるでしょ」
「ならば、言い当ててやろう。〈夢の世界〉。貴様の想像が実現する夢幻空間。そこに非戦闘員を避難させた。弱者を守るのに便利な力だな。私に殺させないためだろう? 一日の大半を睡眠に費やすのは対価か?」
「へえ⋯⋯。便利な瞳術。でも、全てを理解できてるわけじゃないみたい。寝るのは単なる趣味。対価とか代償とか、そういう意味合いはないわ」
「強がるな。おおよその能力は理解できてしまったぞ。夢の世界に誘う異能。脅威ではある。しかし、複雑な発動条件があるに違いない」
「⋯⋯? 発動条件⋯⋯?」
「とぼけるな。そうでなければ私を既に取り込んでいるはずだ。人間達を避難させたが、私には使えない理由がある」
「魔物のくせに理屈屋。私の能力をそうやって探ってるわけ?」
「当たり前だ。私は敵を軽んじない。発動条件を満たしていないから、私を異界領域に放り込めない。当たっているはずだ。そもそも魔物は睡眠を不要としている。まさかとは思うが、魔物の私は対象外か?」
「はぁ⋯⋯。説明するのが面倒。私の異能に条件なんてないわ。馬鹿な魔物だ。小難しいことを気にしちゃってさ」
「⋯⋯何だと?」
「想像力の欠如。ここが現実に見える? でも、本当にそれは真実? 私がそう見せているからに過ぎないとしたら?」
「そんな予兆はなかった⋯⋯。ありえない」
「私の霊障夢幻結界は想像を具現化させる。夢の世界では、私の想像が全てに優先される」
「⋯⋯⋯⋯っ!」
「お前の便利な眼は節穴だ。――ここが現実となぜ信じられる? 本質が何も見えちゃいないわ」
ブライアローズの姿が空間に溶け、消えていった。
それだけではない。キュレイが放った斬撃で傷付いた議事堂の壁が溶け始めていた。
まるで熱した砂糖菓子のように、周囲の光景が泥々に崩壊する。世界から現実感が失われていった。
「私が認識した瞬間から――」
夢の世界にブライアローズの声が響いた。
キュレイは大きな勘違いをしていた。ブライアローズが匣から現われた瞬間、帝国宰相ウィルヘルミナの姿は消えた。しかし、キュレイも現実世界からいなくなっていたのだ。
「――矮小な魔物は悪夢の獄に囚われている」
ブライアローズの霊障夢幻結界は、魔物だろうと取り込める。そして、夢の世界は現実を模倣できる。
そう見せたいと夢の支配者が望めば夢は変容する。
「くそ⋯⋯! ふざけた力だ⋯⋯!!」
夢の世界に堕とされたキュレイの肉体が鋭利な爪で切り裂かれる。悪夢では怪物が放牧されていた。悪夢の支配者は侵入者を八つ裂きにする。
――悪夢の亡羊。
ブライアローズは通常の精霊を召喚できない。彼女が呼び出せるのは守護霊の羊達。しかし、その見た目は、おぞましい異形の夢羊である。
「抵抗したって無駄。私の羊ちゃんは不死身だもん。ご自慢の瞳で、私の魂を見てるから異能の効果が分かるんでしょ?」
「くぅっ⋯⋯!! くそっ!!」
生命核の破壊を免れたが深傷を負わされた。肉体に宿る魔素を消費して抉られた傷口を塞ぐ。
「私の〈夢の世界〉は夢幻の異界領域。非戦闘員を守る能力であり、自分より弱い相手を嬲り殺す能力でもある。私の本質が理解できた? それじゃあ、ちゃんと現実も見ようね」
ブライアローズは冷酷に言い放つ。
キュレイは最上級の戦闘能力を有する魔物だった。しかし、アレキサンダー公爵家が生み出した最高傑作の一人は冷笑する。
「悪夢の亡羊は絶対に倒せない。夢の世界に堕ちたお前は、現実世界の私に攻撃できない。――要するに詰み」
そんなはずはない。キュレイは瞳術で悪夢の化物羊を睨んだ。しかし、魂の反響は残酷な真実を告げる。
(夢の中ではブライアローズの精霊を殺せない⋯⋯!?)
ブライアローズの言葉には一切の偽りがなかった。
「――お前の悪夢は永遠に覚めない」
悪夢の亡羊は不死身。悪夢の支配者を倒す方法が存在しない。
(ちっ! 魔物の私から見てもあの羊は正真正銘の怪物だな。アレキサンダー公爵家の七姉妹! 聞きしに勝る理不尽な力だ⋯⋯!)
ブライアローズの夢幻に囚われた者は、現実世界に干渉できなくなる。偽物の世界から脱出できない限り、夢の支配者に危害を加えるにはできない。
(さて、この窮地をどう切り抜けるか⋯⋯?)
無敵に近い能力だった。強力な異能を誇るブライアローズがすぐにキュレイを殺さなかった理由はたった一つ。起きたばかりで眠気が残っていた。
――ただ、それだけであった。