アストレティアの進言に対し、カティアは明瞭な返答を渋った。退室させた後、一人で考えを巡らせる。
長老派には王妃が四人、公妃五人がいる。四人の王妃は表向き同格だが、年長者のアストレティアは重鎮の扱いだ。
合議制の長老派では、妃位の低い公妃であろうと意見の拾い上げが行われる。全体の意見を汲み上げ、総合的な意思決定を行う。それが長老派の特徴だった。
長老派ではアストレティアと同意見の妃が多数を占めていた。しかしながら、派閥の長は慎重な判断を求められる。
大神殿には女仙を処断する権限がある。
大逆罪は女仙だろうと極刑。女仙を殺せる絶大な司法大権。強大な権力には、巨大な責任が付随する。宮廷闘争で司法権の濫用は許されない。
その意識がカティアの行動を縛っていた。
「権限を持たぬ一人の愛妾に、ここまで宮廷が荒立つとはのう。予想外の出来事ばかり起こるものじゃ⋯⋯」
カティアは昨日の一件を思い起こす。
仮面舞踏会が閉幕を迎えた最中、セラフィーナは三皇后の面前で、挑発的なセックスアピールを敢行した。
幼帝の傍らで尻を振り、乳房を擦り寄せ、濃厚な接吻を観客に見せつけた。皇帝を我が物とした無遠慮な振る舞いだ。
セラフィーナは皇帝と手をつなぎ、天空城アースガルズに帰還した。
グラシエル大宮殿の大広間には貴族と将校が集まっていた。彼らはセラフィーナの大胆不敵な挑発行動を目撃した。事件の噂は帝都中に広がっただろう。
「よもや、よもやじゃな。子を孕んで、心変わりしたかのう。あの女王」
カティアの手元には〈朱燕の乙女貝〉があった。
アルテナ王家に伝わる秘宝。歴史を辿れば、元々はメガラニカ帝国が保有していた儀式用のアーティファクトだ。
カティアの出産祝いで大神殿に寄進され、数百年ぶりに戻ってきた。その見返りに、カティアは女官総長ヴァネッサの要請を受け入れた。
「女神だけが使えるアーティファクト〈朱燕の乙女貝〉。本来は大神殿の巫女を守る宝具⋯⋯。これをセラフィーナ女王に使わせるのも一興じゃのう」
〈朱燕の乙女貝〉には特殊な能力が秘められている。女神が聖なる儀式を執り行うことで、再生不可能の処女膜を治せるのだ。
余談であるが、サキュバス族の王妃が濫用したとの記録が残っている。
栄大帝時代の王妃で、処女セックスが大好きだったという。公文書館の蔵書資料によると、その王妃は栄大帝に三百十八回以上の純潔を捧げた。
(もはや純潔と呼べる代物ではないのう⋯⋯)
処女喪失に付き合い続けた栄大帝も物好きだと言えよう。
無論、それは例外的な運用だ。非処女の失われた純潔を復活させる秘宝。このアーティファクトは複数の使い道があった。
たとえば病気や怪我などで、生殖能力を失ってしまった女の子宮を癒やせる。これが正当な使用用途で、本来の使い方だ。
また、処女の純潔を守る祝福能力を備えている。乙女に聖なる護りを付与できる。
乙女の聖加護を授かると、処女膜が破れなくなる。処女性を護る究極の加護。純潔を散らす唯一の方法は、乙女が愛する男に抱かれること。
便宜上は巫女を守るための聖加護。しかし、実際は皇帝への忠愛を確かめる手段だった。
皇帝の陰茎で処女膜を破れなければ、その女は不忠者だ。皇帝以外の異性に恋する女を後宮には置けない。愛情を証明する道具だったと文献には記述されている。
「セラフィーナ女王に選択を迫るのなら、〈朱燕の乙女貝〉は最適な道具じゃな。産道を塞いでしまうから、最愛の男が陛下でなければ、出産時は帝王切開しなければならんがのう⋯⋯」
〈朱燕の乙女貝〉は一石二鳥の結果を与えてくれる。もしもセラフィーナの本心がガイゼフにあるのなら、加護で強化された処女膜は破れない。
ベルゼフリートとの肉体関係に終止符が打たれる。少なくとも二回目の妊娠は不可能だ。
(しかし、もしも⋯⋯)
その反対に乙女の護りが破られたのなら、セラフィーナの恋心は、ベルゼフリートに移り変わったと証明される。
ベルゼフリートを最愛の夫と受け入れた。その事実を突きつけ、正式にガイゼフと離婚させる。セラフィーナが言い訳をしようと、乙女の聖加護を破られた時点で本心は明らかだ。
ちょうどその時、入室を求めるノックが鳴った。カティアが入るように命じる。扉を開けた皇后直属の側女は、意外な報せを持ってきた。
「失礼します。神官長猊下。陛下がご来訪なされます。先ほど、帝城ペンタグラムを出発したと通達がございました」
「ほう⋯⋯。陛下をお招きしたが、こんなに早く来てくださるとは思わなかったのう」
カティアは後回しされようと立腹しない。苛立っていたウィルヘルミナ、殺気立つレオンハルト元帥。その両者よりも、のんびり屋の自分を優先してくれたのは驚きだった。
「陛下はお食事を取られていないので、神官長猊下には準備をしてほしいと⋯⋯」
「食事じゃと? 陛下の料理を用意するのは女官の仕事であろう? 儂らが手作りの茶菓子をあげるだけで、女官どもは小煩く文句を垂れるくせに⋯⋯。一体全体、どういう風の吹きましじゃ?」
「説明が不足しておりました。陛下は神官長猊下の母乳を所望しておられます」
「あぁ。儂の母乳か。なるほどのう」
出産したばかりのカティアの乳房は、母乳を蓄えていた。産まれた男児は〈暁森の一族〉に預けた。我が子に飲ませるはずの乳汁は、使い道をなくしていた。
「嬉しいのう。乳房が張っていて辛かったのじゃ。陛下に絞っていただけるのなら、至上の悦びじゃな」
爆乳のウィルヘルミナやセラフィーナに比べれば、カティアの乳房は控えめだ。しかし、少女の矮躯に見合う適切なサイズの美乳は、清らかな雰囲気がある。
カティアは試しに乳房を軽く揉んでみた。
薄ピンク色の乳首から母乳が滲み出る。甘い乳汁がブラジャーに染みを作った。
◇ ◇ ◇
「母乳ってどうして甘いのかな? 牛乳はそんなに甘くないのに。カティアのオッパイミルクはすっごく美味しいよ。次は右側のオッパイを吸わせて。朝ご飯を食べてないから、いっぱい飲みたい!」
執務室のソファーベッドに押し倒されたカティアは、愛するベルゼフリートの前髪を撫でた。乳首にしゃぶりつき、乳腺から湧き出す甘い汁を吸う。
「真っ先に儂を訪れた理由は、母乳を飲むためじゃとばかり思って追ったが⋯⋯」
「相談事ならまずはカティアだもん」
密談を交わすため、人払いは済ませてあった。神官長の執務室にいる警務女官はユリアナだけとなっている。ハスキーは不満げだったが、問答無用で追い出された。
「信じられぬ話じゃな。儂を揶揄っていると思いたいのう⋯⋯」
カティアは目撃者のユリアナに確認を取る。沈黙を誓う女官は語らない。しかし、表情で全てを肯定した。
「嘘偽りない事実だよ。僕はヴィクトリカとセックスしちゃったんだ。すごい王女様だよね。母親を助けようとグラシエル大宮殿に侵入したのかな?」
「アストレティアが〈変装看破の神術式〉を床に刻み込んでおったはずなのじゃな」
ベルゼフリートは包み隠さず打ち明けた。セラフィーナとの取引内容も教える。本当の家族を探していると本音をつぶやいた。
「ロレンシアを外出させた狙いはそれであったか。陛下は悪知恵を覚えたのう。儂は悲しいぞ?」
「もしカティアが僕の過去を知っているなら、回りくどい真似をしなくても済むんだけどね。ネルティから聞いたよ。昔、カティアが僕の出自を調べてたって。どうだったの?」
ベルゼフリートは探りを入れてみる。カティアがまとめた報告書は、最高レベルの機密を意味する諡号文書に指定され、公文書館で保管されている。機密指定は解除されない。
ベルゼフリートが崩御するまで、公文書館の奥底で眠り続ける。
「はて、どうじゃったかな?」
「カティアが教えてくれるなら、僕はすっごく嬉しいな」
「そんな顔されても儂からは何も言えぬ。知っている事実は色々とあるがのう⋯⋯。陛下が過去と向き合おうとするのは良い傾向じゃ。ウィルヘルミナ宰相と話し合うべきじゃのう」
「⋯⋯ウィルヘルミナは何も教えてくれないよ。何かを隠してる。僕を子供扱いしてるんだ」
「かっかかかか! 実際、陛下は子供じゃぞ?」
「そういう意味じゃない。過保護なんだ⋯⋯。ウィルヘルミナは万全の権力基盤を築いてるんだから、ちょっとくらいの不都合は揉み消せる。教えてくれれば良いのに⋯⋯」
「私利私欲で動いておらぬ。秘密を守ろうとしているのは、他ならぬ陛下のためじゃ。滅私奉公は忠臣の鑑。されど、あれはちょいと追い込み過ぎじゃがな」
「カティアは知ってるんだ。ねえ。教えてよー?」
訳知り顔のカティアは、鷹揚に首を振った。容姿は可憐な少女であったが、悠久の年月を生きた大長老の表情だった。
「儂は仁義を重んじる性格じゃ。陛下の望みといえど口外せぬと決めた。レオンハルト元帥は何やら画策しておるが無駄じゃよ。⋯⋯真実を知れば、皇后は必ず口を噤む」
カティアはベルゼフリートの記憶を封じている。
全ては幼い皇帝の精神を按じてのことだった。無遠慮に出自を調べ上げてしまった詫びでもある。
「儂から助言があるとすれば、そうじゃな。誰が悪いと言う話ではないのだ。全ては過ぎ去ったのじゃ。⋯⋯儂らの勝手な言い分かもしれぬがのう」
「どういうこと? ナイトレイ公爵家にとって都合が悪い?」
「儂は長い時間を生きておる。陛下の数十倍、数百倍の時間を生きた。多くの幸福を得た。一方で多くを失った。しかし、我が身が不幸とは思わぬ。長生きしたおかげで、儂は陛下と出会えたのじゃ」
「良さげな話で誤魔化さないでよ。僕が聞きたいのはそういう話じゃないんだけど?」
「誤魔化しておらんよ。今を生きている者は、過去に立ち戻れぬ。儂は陛下に未来を見てほしい。そう強く願っておるのじゃ」
「うーん⋯⋯。なんか納得できない」
釈然としないベルゼフリートは、少し拗ねた。だが、母乳を吸うのはやめなかった。むくれ顔でハイエルフの美味な乳汁を味わう。
「教えてくれないならもういい。セックスしよ? カティアのオッパイを吸ってたら、ムラムラしてきた。ちょっとだけでいいから⋯⋯」
乳房を揉んでいたベルゼフリートは上目遣いで、カティアにセックスを求めた。勃起した陰茎を押し当てられ、服越しに腰を振る。
普段なら神官服を抜いで、そのままセックスを始める。だが、カティアは盛るベルゼフリートを押し止めた。
「残念じゃが、出産してから日が浅い。陛下に見苦しい下半身を見られたくないのう」
カティアは男児を出産した。ハイエルフ族は長命種ゆえに生殖能力が低い。産後の肥立ちにも時間がかかっていた。
「そっか⋯⋯。まだ本調子じゃないんだね。お腹が膨らんでる?」
「見栄えの良い腹ではないのう。萎んだ肉袋じゃな。初産のときもそうじゃった。元通りになるまで時間がかかりそうじゃ」
「皇后の政務がなければ産休で休んでいるはずだもんね。無理はさせないよ。また今度セックスしよう」
「そうしてくれるとありがたいのう。その代わり、母乳はいくらでも搾り取ってくれて構わぬ」
「本当は赤ちゃんのためのミルクだけど、カティアがそういうなら独占しちゃおうかな。この前、産んだのは男の子だよね。どこかの豪族の養子になったんだっけ?」
「うむ。暁森の族長に恩義があってな。男児が産まれたら養子にすると約束していた。奴は信頼の置ける男じゃ。子宝に恵まれておらなかったから、奥方も大喜びしていたと聞いた。きっと立派に育ててくれるじゃろう」
「そっか⋯⋯。いつかカティアの子供達に会いたいな。最初に産んだ女の子はどうしてる?」
「地上の大神殿におるぞ。巫女となった。エルフ族の成長はヒュマ族に比べてやや遅いのじゃが、戦勝式典に顔を出したユイファン少将の娘と同じくらいには育っておったぞ。父親似の悪戯好きじゃから、世話係が困っておるそうな。元気が有り余っているようじゃ」
「悪戯好きは、本当の両親に会えないから寂しいのかもよ?」
「⋯⋯盲点じゃったな。不自由なく生活していると思い込んでおったが、確かにそうかもしれぬ。顔くらい見せてやらんとな」
「僕も一緒に行く。声をかけてね。父親が僕だって教えてあげるんだ。自分の両親がどんな人なのか、全く分からないなんて可哀想だ」
「そうじゃな。親らしいことをしてやらなければのう」
「弟が生まれて、お姉ちゃんになったのも教えてあげよう。血の繋がった家族は、離ればなれだろうとお互いを知っているべきだ」
「家族か。そうじゃのう」
「カティアの家族は?」
「姉が一人おった。もう亡くなった」
「そっか⋯⋯。寂しいね。家族がいないと⋯⋯」
「陛下も寂しかったのかのう?」
「昔はね。ウィルヘルミナとネルティはいたけど、他は知らない人ばっかり。今みたいに慣れてなかったから⋯⋯」
カティアは乳房に沈める幼き主君を優しく宥めた。暗褐色の肌には傷一つない。この少年が肉体労働と無縁だと一目で分かる。だが、ナイトレイ公爵家に保護される以前、ごく普通の平民だった。
豊かに見えるメガラニカ帝国だが、帝都アヴァタールの近郊だから発展しているに過ぎない。
復興期の帝国では、貧しい生活を強いられる農民が地方に多くいる。貧農は栄大帝の時代を夢想する。
宰相ガルネットの統治時代、メガラニカ帝国は飢餓と戦禍から無縁だった。おとぎ話のような善政が行われていた。
宮廷で豪奢な生活をしているベルゼフリートは幼少期、貧相な生活を送っていた。本当の家族から栄大帝とガルネットの逸話を聞き、飢えと無縁の生活に憧れていた平凡な少年であった。
――ある出来事が起こるまでは。