【71話】胎に宿りし赤子たち(♥︎)

 両目から涙を流し、ヴィクトリカは温室御苑の遊歩道を駆けていく。嗚咽を必死にこらえる。だが、沸き起こる慟哭どうこくは抑えきれない。

 気丈なヴィクトリカの精神を掻き乱す負の感情。実母セラフィーナに対する強い生理的嫌悪感を覚えた。

(お母様は⋯⋯完全に狂ってしまった⋯⋯。どうしてなの⋯⋯なんで? なんであんな男に⋯⋯! 気持ち悪い⋯⋯っ!)

 セラフィーナと別れてから、ほんの半年しか経ってない。心優しい母親で、清純だった女王だったセラフィーナの姿は、ヴィクトリカの記憶に色濃く残っていた。

 たとえ、陵辱を受けて不義の子を宿そうとも、母親の心はけして変わらない。変わるはずがない。ヴィクトリカは肉親を信じていた。

(お母様があんな醜悪なケダモノに身を堕とすなんて⋯⋯っ! 穢らわしい! 怖気が走る⋯⋯っ!)

 昔の母親は戻ってこないとヴィクトリカは気付いてしまった。たとえ皇帝から引き離しても元通りにはならない。救いようがないのだと理解させられた。

 ——母親は父親を裏切っている。ヴィクトリカはそう確信した。

 敗戦後、帝国に連れ去られた母がどんな目に遭ったかは分からない。だが、幼い皇帝と不義の享楽に耽っていたのは事実だ。皇帝の情婦に墜ちた淫女を女王とは認められない。

 皇帝ベルゼフリートは兄であるリュートを、セラフィーナにとっては息子を殺した男だ。自分の息子を殺した皇帝とのセックスを楽しみ、子供まで孕んでいる。どんなに薄汚い言葉を使っても、これほどの裏切りは言い表せない。

 ヴィクトリカは女王を敬愛していた。母親として、君主として、人として敬っていたのだ。

 将来は母親のようなお淑やかな女性なりたいとヴィクトリカは切望していた。そのために努力をしているつもりだった。

 ——今夜、ヴィクトリカが抱いていた国母の偶像は粉々に打ち砕かれた。

(全部! 全て帝国が悪い! お兄様を殺した皇帝のせいで⋯⋯! あの色魔の皇帝が私の国を、私のお母様を、私の親友をメチャクチャにした⋯⋯!! お父様にだけは秘密にしないと⋯⋯。堕落したお母様を見せたら、きっとお父様の心は壊れてしまう⋯⋯!)

 ヴィクトリカはバルカサロ王国に逃れた父王ガイゼフの案じた。追い詰められ、衰弱している父親のことを考えると胸が痛くなる。同時に沸々と帝国への怒りが湧き起こる。

(許せない! 絶対に許してなるものか⋯⋯!! 償わせてやるんだからっ⋯⋯!!)

 強い殺意を抱いた。ヴィクトリカは可憐な笑顔が似合う美少女だが、今だけは鬼の形相だった。憎悪を燃え上がらせ、苛立ちを噛み締め、拳を握りしめる。

 怒気に身を任せて、温室御苑の樹木に暴力という形で鬱憤を叩きつけた。

 ——その軽率な行動がヴィクトリカの命取りとなった。

 ヴィクトリカの異能は隠密である。大陸で比類する者がいないほどの隠密スキル。神族の御業を擦り抜け、賢者の叡智を翻弄する伝説級の加護だ。だが、その効果は隠密を意識している間だけ発動する。

「⋯⋯⋯⋯っ!」

 寡黙な警務女官は、敵の気配を感知した。

 皇帝の淫行を静かに見守っていたが、その最中だろうと護衛の女官は警戒心を緩めていない。温室御苑の内部に何者かが潜んでいると気づいた。出入り口は同僚が封鎖しているので、侵入してきたとは考えにくい。

 ——索敵術式を潜り抜けた者がいる?

 女官登用の選抜試験を突破し、厳しい訓練を積んだ警務女官は精鋭中の精鋭だ。「気のせいかもしれない」などと判断を誤りはしない。

 疑念は一秒と経たず確信に転ずる。

 潜んでいるのが何者であれ、皇帝に近づけさせるべきではない。何としてでも排除する。だが、その役目を負うのは自分でなくともよい。

 ——索敵を潜り抜けるほどの手練れ。私の手には負えない可能性もある。

 そうなれば取るべき選択肢は一つ。警笛を鳴らして応援を呼べばいい。温室御苑の外には警務女官長ハスキーがいる。

 寡黙な警務女官は即座に正しい判断を選択した。

「大丈夫。きっとお客様だよ」

 寡黙な警務女官の行動を押し止めたのは、護衛対象のベルゼフリートだった。

 先ほどまでセックスをしていたので全裸のままだ。セラフィーナとロレンシアには聞こえないように小声で命令を下す。

「さっきロレンシアから聞いたんだ。温室御苑にヴィクトリカ王女が隠れてるそうだよ」

「⋯⋯⋯⋯?」

「あっ! これはセラフィーナには悟られないようにね。ロレンシアが告げ口したってばれちゃうからさ」

 寡黙な女官は首を傾げて困惑する。ヴィクトリカ王女が潜んでいるなど信じがたい与太話だ。冗談にしか聞こえなかった。だが、それよりも問題なのは皇帝が妙な命令をしてくることだ。

 迷いは一瞬だった。曲者を見逃すなど論外。考えるべきは安全。優先すべきは一にも二も皇帝の安全なのだ。

 皇帝の命令など無視して、警笛を鳴らすべきだと判断した。反感を買ったとしてもかまわない。皇帝の安全が全てに優先される。

 一方、ベルゼフリートも最適解の行動を取った。最善手であり、同時に最終手段を実行した。

「ちょっ! まって! お願い! ちょっとだけ見逃してよっ! あ〜、もう、融通が利かないんだからっ!」

「⋯⋯ふぇっ!?」

 ——唇を重ねて、熱烈な口吸いを敢行する。

 その瞬間、寡黙な警務女官の思考回路は大爆発した。その隙を逃さず、ベルゼフリートは警笛を奪い取った。

 普段は冷静沈着な彼女でも、この弱点だけは克服できない。接吻をされると感情が激しく揺さぶられる。顔が真っ赤となり、時には興奮で鼻血が噴き出す。

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯♥︎」

 頭に血が上って、ふらふらと身体が揺れる。日頃、抑圧している気持ちの昂ぶりが抑えきれない。

「セラフィーナ。ちょっとトイレに行ってくる! ロレンシアとそこで待ってて!」

「陛下っ⋯⋯? ああぁ、もう⋯⋯。もっとセックスをしたかったのに⋯⋯。今夜はこれで終わりなのでしょうか⋯⋯?」

 チェアベッドに横たわって休んでいたセラフィーナは、膣口から漏れ出す精液を指先で絡め取る。

(もっと好かれるように振る舞わないといけませんわ⋯⋯。メガラニカ帝国の皇帝をこの身体で籠絡するのは前提条件。宮廷で誰よりも愛される女になれなければ⋯⋯。皇后にだって勝たなければいけないわ。そう⋯⋯、あのサキュバスから寵愛を簒奪してみせる)

 もっと深い関係になるのをセラフィーナは熱望していた。不義の関係を楽しみ、淫蕩になりつつある自分を否定はしない。だが、アルテナ王国を守るという大義は見失っていなかった。

「それにしても全裸で走っていくなんて。トイレに行くなら、ちゃんとお召し物を着てから行けばよろしいのに⋯⋯」

 名残惜しむセラフィーナを置き去りにして、ベルゼフリートは一人で走っていった。

 セラフィーは暢気な態度だったが、ロレンシアは違った。職務を忘れてしまった寡黙な警務女官に話しかける。

「ねえ。そこのメイドさん。早く陛下を追いかけたら? 一人で行ってしまったけど、貴方が護衛なんじゃないの?」

「⋯⋯⋯⋯はぅ♥︎」

「ちょっと聞こえてる? 貴方の護衛すべき主君がもうあんなに遠くまで行ってるけどいいの?」

 騎士だったロレンシアは、要人護衛の心得がある。護衛対象の単独行動は御法度。大失態だ。弁解の余地もない。

「⋯⋯⋯⋯っ!?」

 放心状態の寡黙な警務女官は、やっと正気を取り戻した。慌ててベルゼフリートを追いかけていった。

「あ、走っていた⋯⋯。初めてあのメイドの声を聞いた気がする」

 凄まじい速度なので、きっとすぐ追いつけるはずだ。皇帝の護衛を一任されるだけあって、ハスキーには及ばないまでも警務女官の上澄みではあるらしい。

「ロレンシア、体調は大丈夫かしら? さっきはごめんなさい」

「私は平気です。セラフィーナ様。それに、とても気持ち良くなれました」

「明日からのこと、よろしくお願いするわ。身重の体で大変だと思うけれど、ロレンシアにしかお願いできません。メガラニカ帝国を巡り、皇帝の過去にまつわる情報を探ってください」

「はい。セラフィーナ様。何も問題はありません。明日から帝国領内で皇帝陛下の過去を辿ります。妊婦の身体では不便もあるかと思いますが、ラヴァンドラ王妃の支援があれば、差し障りないかと⋯⋯」

「ラヴァンドラ王妃が率いるラヴァンドラ商会は、帝都最大の財閥と聞いていますわ。今夜は嬉しい誤算もあったわ。ヴィクトリカと合流して、二人で探りをかけなさい。私の娘はきっと役に立つわ」

「はい。王女殿下にもご協力していただきます。全てはアルテナ王国のために⋯⋯」

 赤毛の美女は大きく膨らんだボテ腹を撫でる。この身体では日常生活を送るのでギリギリだ。だが、情報を集めるだけなら十分。もはや自分がアルテナ王国の騎士として働くことはない。

(全ては愛しのベルゼフリート陛下のために⋯⋯。ごめんなさい。セラフィーナ様。私はベルゼフリート陛下を愛してしまったの。だから、ご寵愛をいただくためにだけ働きますわ。それだけが私の生きる悦び⋯⋯♥︎)

 ロレンシアは皇帝の女になる覚悟を決めた。もはや過去に一欠片の未練すらなかった。愛し合った元夫のレンソンでさえ、切り捨てた過去の一つだ。

 無論、主君だったセラフィーナ女王やヴィクトリカ王女も同じ。しかし、懸念事項はあった。

「セラフィーナ様。ラヴァンドラ王妃との取引で、赤子を差し出す約束をされていましたが⋯⋯、本当にその条件でよろしかったのでしょうか?」

 内密の取引とはいえ、王妃との取引は反故にできない。傀儡のアルテナ王を仕立てたい軍務省にとって、赤子を取られるのは都合の悪い契約だ。

 赤子の養育権を失うのは、セラフィーナにとってもリスクがある。

「ふふふふっ。まったく構いませんわ。一人くらいなら子宝に恵まれないラヴァンドラ王妃へ差し上げましょう。私の子供である以前に、皇帝の御子なのだから雑には扱えませんわ。利用価値がなくなろうと、大切に育ててくれるでしょう」

「利用価値がないとは⋯⋯? どういうことですか? セラフィーナ様」

「子供を産んだ経験があるから、分かることもあるのですよ。私のお腹に宿っている命は一つだけではないの。リュートやヴィクトリカを産んだときと違う。胎動の感覚で分かったわ。赤ちゃんが二人いるって⋯⋯」

「まさかラヴァンドラ王妃には⋯⋯!」

「何一つとして約束は破っていないわ。私は『お腹の子供』をあげると言ったのですもの。全員をあげるとも、一人目をあげるとも言っていないわ。ラヴァンドラ王妃には双子の二人目を差し出します。これで万事問題ありませんわ」

 セラフィーナは悪女らしく静かに笑った。母体だからこそ、そして経産婦であるがゆえに双胎に気付いた。

 重要なのは最初に生まれてくる一人目だけ。二人目の子供は王家においてはスペアとしかならない。

 幼児を傀儡の王とする場合でも同じだ。傀儡だからこそ、形式には拘る必要がある。二人目は一人目が死ぬか廃嫡するまで、使えないカードだ。

「皇帝の子胤は本当に強いわ。時期から逆算すると私が身籠もったのは講和条約を結んだ夜かしら? おそらく初めて交わったときに、この子達を宿した。最初の一発で二人も宿してしまうなんて⋯⋯。きっと誰にとっても予想外でしょうね。ガイゼフとは十年以上も連れ添って、二人しかできなかったというのに⋯⋯。やっぱりセックスの相性がいいのかしら?」

 不敵に笑うセラフィーナは、人が変わったようだった。妊娠中は精神が不安定になりがちだが、それとはまた別の変化に思えた。

 ロレンシアはセラフィーナの新たな本質を垣間見たような気がして寒気を感じた。

 思い返せば自分をショゴス族の苗床として、女官総長ヴァネッサに差し出したのは、紛れもなくセラフィーナ本人。他に選択肢がなかったとはいえ、唯一の家臣を生け贄にした女なのだ。

 陰謀渦巻く宮廷での生き方を学び、セラフィーナの道徳心は徐々に壊れていく。


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