ロレンシアはラヴァンドラ商会の商館本部に向かっている。
ラヴァンドラ王妃との取引で、下界に降りている間、商会の全面的な支援を受けられる。資金援助は当然として、旅では馬車や護衛も必要だ。
以前のロレンシアなら己の剣技で、我が身を守れた。しかし、今は違う。
戦う女騎士から身重の妊婦となり、ロレンシアは武器が振るえない身体となった。戦うどころか、旅中の生活では介助者が不可欠だ。
旅の目的を聞かされたヴィクトリカはロレンシアに同伴し、共に皇帝ベルゼフリートの過去を探る。
「あ⋯⋯! そういえば私、そのラヴァンドラ商会で雇われていたわ。グラシエル大宮殿で料理を運ぶ給仕だったの。何も伝えずにいなくなったから、仕事をほっぽり出したと思われてるわ⋯⋯。どうしよう?」
「分かりました。ラヴァンドラ商会に着いたら、私が誤魔化しておきます」
「うん、お願いするわ。でも、その⋯⋯任された仕事を投げ出したみたいで、ちょっと嫌な気分ね」
「お気を付けください。ラヴァンドラ商会は支援を約束してくれましたが、味方ではありません。ヴィクトリカ様の正体を知ったとき、ラヴァンドラ王妃がどう動くか分かりません」
「ラヴァンドラ王妃は信用できない人物なの? お母様に協力してくれているのでしょ?」
「取引の範囲内では協力してくれると思います。それなりの地位にいる宰相派の王妃ですが、人柄までは⋯⋯」
グラシエル大宮殿に貸与してもらった馬車で、ロレンシアとヴィクトリカは夜の帝都を進む。
本来、政府所有の馬車を借用すると費用が発生する。しかし、ロレンシアは皇帝に仕える女仙。特権で費用は免除された。
御者は馬の扱いに慣れているヴィクトリカが務めた。帝都アヴァタールの道は入り組んでいる。ラヴァンドラ商会の本部に着くまで、何度か道端に馬車を停め、通りすがりの商人に道を訊ねた。
「ラヴァンドラ商会? あぁ、本部なら金融街だよ。この道を真っ直ぐ進むと白寿林通りに出る。そのまま北上だ。少し遠回りとなるが、道は分かりやすいし、車道の幅が広い」
メガラニカ帝国の人々はとても親切だった。宮殿の馬車を使っているので、貴族と勘違いされたのもあるだろうが、懇切丁寧に道を教えてくれた。
「ありがとうございます」
「構わないよ。帝都の道は分かりにくいからね」
ヴィクトリカは道を教えてくれた年配の男性に微笑みを返す。相手はアルテナ王国を侵略したメガラニカ帝国の敵国民。お礼を述べたものの、複雑な気持ちだ。
馬車は白寿林通りを軽快に走る。車内のロレンシアは、窓から顔を出さないようにしていた。盛大に行われた戦勝式典のパレード。ロレンシアの素顔は、多くの民衆に見られている。
皇帝の傍らに立ち、尻を撫で回され、巧みな手淫でよがり狂った。押し寄せた民衆にアクメ顔の痴態を晒した。
(この道は昨日も通った。あぁ♥︎ あの絶頂を思い出してしまう♥︎ オマンコを弄られて、パレードの最中に何度も達してしまった快感っ♥︎ 陛下の手マンでアクメに昇った私とセラフィーナ様の淫らなスケベ姿⋯⋯♥︎ ヴィクトリカ様にも見られていたのかも♥︎)
大きく腹を膨らませた赤毛の美女。ロレンシアの容貌は目立つ。
昨日のパレードを見物した者なら、一目でロレンシアの正体に勘付く。髪はフードで覆っている。だが、豊満な乳房と孕み腹の体型は、服で誤魔化せる。
たとえ外見を完璧に偽れたとしても、身体に染み付いた女仙の瘴気はどうしようもなかった。
神官に授けられた祝印で、穢れが溢れ出ないように処置している。しかし、常人と触れあえば、その者を瘴気で傷つけてしまう。
女仙の瘴気は強力な自衛手段だ。だが、祝印を授けてくれた神官に「瘴気で人を殺めてはならない」と強く忠告された。
「ロレンシア、着いたわ。ここがラヴァンドラ商会の商会本部よ。とても豪奢な建物だわ。随分と儲かっているみたい。⋯⋯ロレンシア? 顔が熱っぽいけど大丈夫?」
「大丈夫です。厚着でちょっと暑かっただけですから⋯⋯」
ロレンシアとヴィクトリカは目的地に辿り着いた。数十分で着く道程に一時間以上をかけてしまった。
「ラヴァンドラ商会との話し合いは私がします。ヴィクトリカ様は私の従者として振る舞ってください」
「分かったわ。つまり、主従が逆転しちゃったわけね」
ラヴァンドラ商会の商人とは、事務的なやりとりしか行われなかった。宮廷内の事情に深入りするなと命じられているらしい。
各地にあるラヴァンドラ商会の支部、商会でお金を引き出す方法など、帝国の商慣習を教えてくれた。
給仕の仕事を放り出し、行方知れずとなったヴィッキーの処遇は簡単に片付いた。
下界に降りてロレンシアが困っていたとき、親切にしてくれたのでずっと連れ回し、そのまま従者とした。そう嘘をついたのだ。
「なるほど。さして支障はありません。支部が雇った日雇いならば⋯⋯」
ラヴァンドラ商会の商人は猛烈な違和感を抱いた。ロレンシアとヴィクトリカを見比べる。
二人の美女は押し黙る。商人は交互に疑いの目を向けた。納得していない様子だ。しかし、追求はしなかった。
「ナイトレイ公爵領は、帝都アヴァタールから馬で三日かかります。最短距離を最速で進んだ場合です。天候に左右されますが、一週間と見積もったほうがよろしいでしょう。お一人の体ではないので、けして無理をなさらぬよう」
「ありがとうございます」
「旅で必要なものはこちらで揃えておきます。三日後、グラシエル大宮殿にお届けします。それまでお待ちください」
ロレンシアが目指す場所は宰相ウィルヘルミナの故郷、ナイトレイ公爵領だ。
皇帝の出生を探るのなら、まずは生まれ故郷を調べるべきだ。謎を解き明かす鍵はナイトレイ公爵家にある。事前の下調べでロレンシアは確信していた。
(全てはナイトレイ公爵家が新帝を発見してから始まった。でも、奇妙だったと言われているわ。新帝を見つけるとしたら、それはアレキサンダー公爵家だと思われていた⋯⋯)
死恐帝の災禍が終息した後、救国の英雄アレキサンダーは新帝捜索に注力した。
多大な犠牲を払って死恐帝を鎮めたのだ。災禍を繰り返してはならない。若き英雄は新帝を必死に探した。だが、英雄アレキサンダーは早世してしまう。
英雄アレキサンダーの逝去後、その遺志は娘ヴァルキュリヤに受け継がれた。亡き父と盟友達から託された使命を全うするため、アレキサンダー公爵家の当主となったヴァルキュリヤは新帝捜索に総力を尽くした。
ケーデンバウアー侯爵家などの有力貴族と連帯し、帝国全土の情報を収集。新帝誕生の可能性があると判断したときは、即座に私兵を派遣した。しかし、新帝は見つからなかった。
アレキサンダー公爵家を中心とする大貴族達の新帝捜索は数十年続いた。月日が流れるにつれ、ヴァルキュリヤは自身の皇后即位が難しいと考え始めた。
皇后に相応しい女が生まれていないから新帝が誕生しない。そのような考えを抱くようになったとも囁かれている。
アレキサンダー公爵家の断絶を避けるため、ヴァルキュリヤは新帝捜索と並行して、自分の伴侶を探し始めた。
偉大な英雄アレキサンダーを父に持ち、アマゾネス族の母から生まれたヴァルキュリヤは最強の女戦士だった。より強いアマゾネスの娘を産むため、三人の強い男と子供を作った。
ヴァルキュリヤが産んだ娘達のなかで、英雄アレキサンダーの才能をもっとも色濃く受け継いだのが、現当主レオンハルトである。
祖父と同じレオンハルトの名が与えられ、新帝を庇護する最強の存在になるべく育て上げられた。
新帝を迎える準備は万全となった。しかし、新帝は姿を現さない。「国外で転生したのではないか」「もう破壊者ルティヤの転生体は生まれない」など、根拠のない噂が流れ始めたころ、奇妙な話が貴族の間で出回り始めた。
ナイトレイ公爵家の令嬢ウィルヘルミナに触れたメイドが大怪我をしたというものだ。
あるとき、ウィルヘルミナに仕えるメイドが、髪に付着していた糸クズを払おうとした。すると誤ってメイドの指先は、ウィルヘルミナの首元に触れてしまった。
その瞬間、鋭い痛みが走り、メイドの指が壊死してしまったという。
アレキサンダー公爵家は〈赤子〉の情報を探していた。この噂を重要視しなかった。ウィルヘルミナは上位種のサキュバスと知られていたので、従者の精気を吸い尽くしてしまった事故と考えた。
(真相に勘付いた者達もいた。カティア神官長をはじめとする大神殿の巫女達は、女仙の穢れでメイドが怪我をしたと疑った。そして、ナイトレイ公爵家を調べ始めた⋯⋯)
大神殿の巫女達が本格的に動き出し、隠し通せないと判断したナイトレイ公爵家は新帝を保護していると公表した。
新帝の登場で帝国は動乱期を迎える。
大陸歴八紀六年四月五日、副都ドルドレイで軍事クーデターが勃発する。新帝の保護を掲げた軍人貴族による武力蜂起だった。
後にドルドレイ騒乱と呼ばれる内乱は、士官学校を卒業したばかりの新人将校ユイファンの活躍で鎮圧される。内乱の勝利をもってナイトレイ公爵家は軍人貴族の力を削ぎ落とし、帝国宰相の地位を盤石なものとした。
軍事クーデターに不参加だったアレキサンダー公爵家やケーデンバウアー侯爵家には手を出さなかったが、今日にいたるまで軍務省は大きく弱体化した。
動乱の最中、ナイトレイ公爵家に向けられていた疑惑は、忘れ去られてしまう。
(ナイトレイ公爵家はいつから皇帝を保護していたのか? なぜ保護している事実を秘匿していたのか? どうやってアレキサンダー公爵家や大神殿に先んじて皇帝を見つけたのか? 疑問はたくさんあるわ)
クーデターを起こした軍人達にも正義はあった。
ナイトレイ公爵家が幼い皇帝を拐かし、独裁を目論んでいるのではないかと疑っていた。しかし、ウィルヘルミナに野心はなかった。
ウィルヘルミナが権力欲に溺れた女で、皇帝を利用しているのなら、アレキサンダー公爵家がドルドレイ騒乱に介入し、クーデター派を勝利させていたはずだ。
(ナイトレイ公爵家は⋯⋯、いいえ、ウィルヘルミナは何を隠そうとしていたのだろう⋯⋯? 誰にも知られたくない秘密。本人である皇帝陛下にさえ教えられない過去⋯⋯。でも、それは何なの⋯⋯?)
ラヴァンドラ商会での用事を終わらせたロレンシアは、ヴィクトリカと共に馬車に戻った。
グラシエル大宮殿に直帰せず、夜の帝都を見物する。
御者席にいるヴィクトリカは活気溢れる夜の帝都を眺めている。一方で馬車の中にいるロレンシアは胎児の眠るお腹を撫でながら、窓越しに街の様子を見ていた。
「陛下は十三歳⋯⋯。二年前のドルドレイ騒乱。皇帝に即位したのは八年前⋯⋯」
今代始祖の女仙はウィルヘルミナだ。即位時、皇帝ベルゼフリートはわずか五歳。ウィルヘルミナは十代後半だった。
「⋯⋯ウィルヘルミナが皇帝と出会ったのはいつ?」
ロレンシアは情報を整理し、そして振り返る。
――あるメイドがウィルヘルミナの素肌に触れた。
それが始まりだった。メイドの指先は壊死した。ウィルヘルミナが女仙化している事実、ナイトレイ公爵家が新帝を保護していると判明した。
「指先が壊死するほどの穢れ⋯⋯?」
ここでロレンシアは気付いた。
「触れ続けていたのならまだしも、女仙の瘴気がそこまで強力なはずは⋯⋯」
不老の女仙が背負う呪いの瘴気。
血酒の仙薬を飲み、破壊者ルティヤの器と交わった者は、拭い取れない穢れを身に宿す。
「おかしいわ⋯⋯。グラシエル大宮殿の温室御苑でヴィクトリカ様はセラフィーナ様に触れた。だけど、傷痕が残るダメージは負わなかったわ」
女仙の穢れは、ベルゼフリートとセックスで深まる。魂の交わりは、穢れを濃くする。
深く愛されている現在のウィルヘルミナなら、身体に強い瘴気を宿そうと不自然ではない。しかし、メイドの指が壊死したのは、ベルゼフリートが皇帝に即位する以前の話だ。
「五歳の陛下と既に⋯⋯? いや、いくらサキュバスだってそれはないような気がするのだけど⋯⋯」
時期的に考えて、当時のウィルヘルミナは不老の血酒を飲んで女仙になったばかりだ。なぜ強烈な穢れを身に宿していたのかとロレンシアは熟考する。
幾度も抱かれて、胎児を宿したセラフィーナですら、人体を壊死させる穢れは発していない。しかし、当時五歳の皇帝を保護していたウィルヘルミナは穢れきっていた。
「通常と異なる方法で女仙になった? だから、普通の女仙よりも穢れが濃いのだとすれば⋯⋯」