アルテナ王国の近衛騎士団による無謀な蜂起は鎮圧された。
帝国元帥レオンハルトを暗殺するため、総督府へ向かった14人の青年騎士は、剣を抜くことすらなく即死した。
セラフィーナ女王を救出しようと貴賓館に向かった者達も倒された。警備に当たっていた帝国軍の兵士は、皇帝の玉体を守るために選抜された精鋭部隊。2人の負傷者を出したものの、それ以外の損害はない。
貴賓館の内部に侵入できたのは、窓を突き破ったレンソンのみだった。妻のロレンシアがあげた悲痛な叫びを聞きつけ、無我夢中で突入する。
そのレンソンが見たものは、セラフィーナ女王に抱えられたロレンシアの姿だった。
レンソンは助けると心に決めていた2人を早々に発見した。運に恵まれたとレンソンは思った。
室内にいるのは女官だけだ。帝国軍の姿はない。しかし、むしろ帝国軍がいてくれたほうが、レンソンにとっては幸いだった。
帝国兵には慈悲がある。だが、女官は非情だ。
「手加減した一撃すらも躱せないとは……。これでは戦いになりません」
女官長ハスキーの剣から放たれた斬撃は、レンソンの両膝を切断した。溢れ出る血飛沫を見て、レンソンは自分の両足が切り落とされたと分かった。
「あっ……あし……おれの……あし……、あし、あし、あしがぁ……あしが……あぎゃぁああああああああああああああぁぁぁ!」
不様で滑稽な悲鳴だった。
女官達は顔を顰める。レンソンを嘲笑する者はいない。痛みに喘ぐ彼の叫びが五月蠅くて不快だった。
けしてレンソンが弱いわけではないのだ。近衛騎士団で鍛錬を重ねてきた。幼馴染みのロレンシアは、レンソンの努力をよく知っている。セラフィーナも近衛騎士団の苛酷な稽古を何度か見学していた。
——しかし、凡人の力はハスキーの実力に遠く及ばない。
「だまれ。やかましい……っ!」
倒れ伏したレンソンを蹴り上げる。両断された左右の足を床に残して、レンソンの上半身だけが壁に激突した。
「やめて……ッ! お願いだからやめて! もう勝負はついたでしょ! それ以上やったらレンソンが死んでしまう!」
ロレンシアが叫んだ。別れを告げていてもレンソンが最愛の夫であった事実に変わりはない。このまま嬲られれば、レンソンは確実に失血死する。
仙薬の血酒を飲み、女仙となったロレンシアは、宿していた子供を流産してしまった。その悲しみに浸る間すら与えられない。
女陰からの流血で股は真っ赤に染まっている。子宮に残留する激痛のせいで、レンソンに駆け寄れなかった。
深く傷つけられたレンソンとロレンシア。見ていられなくなったセラフィーナ女王は、堪らずハスキーの前に立ち塞がった。
「どうか御慈悲をください!! 近衛騎士のご無礼は必ずお詫びいたしますわ! ですから、何とぞこの青年の命はお助けください……!!」
「呆れ果ててしまいます。夜伽を満足にできない女のくせに、要求だけは一人前なのですね。しかし、ご安心ください。こんな男、殺す価値すらありません。処断は軍務省に任せます」
ハスキーは痛みで気絶してしまったレンソンに近付いていく。
「かつての私はメガラニカ帝国のコロシアムで、決闘王と呼ばれた剣闘士でした。勝利者に純潔を捧げると誓っていました。結局、現役時代の私に勝利する対戦者は現れず、処女は皇帝陛下に捧げたのですが……」
ハスキーは靴底でレンソンの股間を踏みつけた。狙いを外さないように踵の中心を睾丸に定める。
「戦いを挑んでくる男は数多くいました。その中には勝てる見込みもないのに、まぐれを期待して挑んでくる者もいた」
近衛騎士の標準装備は急所を守るため、下着の布に股間を守る加護が施されている。しかし、簡易な防御で、決闘王ハスキーの踏み付けを防ぐのは不可能だ。
「ちょ、ちょっと! な……なにをやる気なの……!? やめてっ……!」
勘付いたロレンシアは叫ぶ。それは懇願に近かった。それをされたときの痛みをロレンシアは知らない。女性のロレンシアは産まれたときから、それが無いからだ。
「半端な覚悟で私に挑む愚か者を少なくするにはどうすればいいか⋯⋯。降伏した人間を殺すことはルール違反となってしまう。そこで私は閃きました。敗北した男の睾丸を踏み潰してやれば、本気の男だけが挑戦するのではないかと」
決闘王ハスキーに敗北した男は睾丸を潰され、去勢されてしまう。
ハスキーに敗北し、不能者となった哀れな男は続出した。
父と兄はあまりにも惨いとハスキーを戒めた。決闘王ハスキーは誰もが認める絶世の美女だった。しかし、そんな行為を2年も続けたせいで、最後は挑戦者が現れなくなった。
そういう性癖なのだと勘違いされ、ハスキーを娶ろうとする男いなくなってしまった。
「ふふっ……! こうして負け犬の去勢をやるのは久しぶりです」
ハスキーは利き足に力を入れて踏み込む。
ぐぎィっっ!! ピチュッ……!と気色悪い生々しい破裂音が鳴った。
男性器が踏み潰されたレンソンだったがショック死は免れた。両足を失った痛みで大量のアドレナリンが分泌され、痛覚が麻痺していたおかげだ。睾丸を入念に踏み付ける。男性器そのものが壊死するように根元から磨り潰した。
「酷い……酷すぎる……ッ! なんで……そこまでするのよ……!」
立ち上がれないロレンシアは、涙を流しながらレンソンに這い寄る。
「その男を助けたいのなら、直に触れないほうがいいですよ。今のロレンシアさんは女仙。子宮に宿っていた我が子ですら異物として流産したのですから、想像がつきませんか?」
「え……?」
「女仙の身体は瘴気をまとう。私達の身体は、他の人間にとって有害です。見えない裂傷を与え、寿命を吸い取ってしまう。ロレンシアさんは女仙化したばかりなので、そこまで顕著には現れていませんが、弱っている人間に止めを刺してしまいますよ?」
女仙が他の人間に害を与えるというのなら、セラフィーナは夫と再び触れ合うことはできない。
第一王子のリュートが殺された今、アルテナ王国の王位継承者はヴィクトリカ王女だけだ。
メガラニカ帝国を追い払って、セラフィーナ女王とガイゼフ王が再会したとき、真っ先にしなければならないのは、やはり子作りだ。後継者が多すぎれば、跡継ぎで揉める。しかし、世継ぎがヴィクトリカ王女だけでは不安が残る。
「セラフィーナ女王には言い忘れていました。例外は皇帝陛下と女仙、もしくは皇帝陛下の子胤によって宿った胎児のみです。我が子にしても出産を終えたら、触れ合えなくなります。それほど、私達の身体は穢れているのです」
衝撃の事実を聞かされ、セラフィーナは青ざめる。湯浴みのときも、わざわざ帝国の女官が手伝った理由は、そこにあったと気付かされた。
もうセラフィーナの子宮はベルゼフリート専用の孕み袋とされていたのである。
「やっと帝国兵が来てくれましたね。そこの侵入者は死にかけです。殺してもいいですし、情報を吐かせるために生かしてあげても構いません。足を切ったのでどこにも逃げられないでしょう。軟弱なので尋問すれば、素直に情報を吐いてくれるかと」
「賊の侵入を許したのは申し訳なかった。しかし……これは……まさか……。やったのか?」
駆け付けた帝国兵たちも、現場を見て顔を真っ青にしていた。
「もちろん」
ハスキーのハイヒールに血液が付着している。そして、よく見れば侵入者の股間からは血が滴り、陥没が見受けられた。
さらに視線を移すと、泣きじゃくるロレンシアの股すらも鮮血で染まっている。
「まさか……女官長殿はここで何を……? 女性の叫び声もさきほど聞こえましたが、まさか貴方は……!?」
こちらは流産による出血だが、ナッツクラッカーの異名は有名だ。帝国兵は味方であるはずのハスキーに向かって、嫌悪感を露わにした。
「誤解です。ロレンシアさんのほうは違います。いくら私でも女子にはやりません」
女官長ハスキーは不敵に笑う。こうした振る舞いのせいで、ハスキーの性癖は歪んでいると誤認されがちだ。
「私のせいで女の子になってしまった男子は、これまでに何人かいたのですけどね」
それはハスキーなりの軽いジョークである。しかし、駆け付けた帝国兵の中に笑う者は一人もいなかった。