査問会の終了後、セラフィーナは黄葉離宮にユイファンを招いた。
ユイファン・ドラクロワの容姿は二十代前半。彼女も女仙化してから身体の成長が止まり、年齢を気にしなくなったという。
「宰相派は強大な権力を持っている。しかし、権力者に実力を伴っているかは別なんだ。戦争継続を訴えてきた主戦派は、少数派たる軍務省が提示した講和条約を受け入れた。実際に戦場で戦っているのは軍務省だ。声は大きいけど、あちらに軍権はないのさ」
ユイファンはセラフィーナに帝国の内情を説明する。
「今回の査問会は宰相派の嫌がらせみたいなものだ。のらりくらりと図太く躱していけばいい。ラヴァンドラ王妃はけして良識派と呼べる人物ではない。だけど、それなりに風聞を気にするタイプと聞く」
ユイファンは差し出された紅茶に角砂糖を大量投下する。常識外の量を溶け込ませ、甘党のセラフィーナさえも顔を引きつらせた。
「私は甘党でね。心配は無用だよ。私たち女仙は不老不病だ。私が女仙でなかったのなら、三十路を越える前に身体を壊していただろうね。皇帝陛下に感謝だ」
カップに口を付ける。ユイファンが飲む液体は、砂糖の入った紅茶というより、紅茶が溶けた砂糖汁だ。甘いものが好きなんてレベルではなかった。
「ユイファンさんは私と同じ愛妾なのですか?」
「今のところ、愛妾は私とセラフィーナ女王だけだ。貴女は私と違って王妃となる可能性がある御方だ。勅命の執行力は未だに有効。婚儀を受け入れれば、反発はあろうと王妃となれるはず」
「今のところ、そのつもりはありませんわ」
「それなら、今後の心変わりに期待するとしようかな」
「こういうことをお聞きするのは、失礼にあたるのかもしれませんが、ユイファンさんはどのような経緯で愛妾となられたのですか?」
「私が愛妾となっている理由? うーん。一言で説明するのなら偶然によるものかな」
「偶然でなれるものなのですか……?」
「私は領地を持たない貴族の一人娘でね。それも困窮した挙げ句、財を成した商人に身売りした名ばかり貴族の出身だった。父は裕福な商人、母は貧乏貴族。由緒ある家柄ではなかった」
平民ではないが、真の帝国貴族とも呼べない。中途半端なドラクロア家の娘として生まれたユイファンは、帝国軍の士官学校に入学させられたという。
入学時の成績は最下位に近く、入学試験に通ったのは、父親が持参した寄付金のおかげだった。
在学時の成績は褒められたものではなかった。当人にやる気がなかったのが主な原因だ。しかし、仮に本気で取り組んでいたとしても落第寸前の成績だったろうと、ユイファンは士官学校時代を振り返る。
「軍は性に合わなくてね。しかし、どういうわけか、士官学校を卒業した後、武功を挙げて、愛妾となった。そのときに准将まで昇進した気がする……。昇進なんて望んでいなかったのだけどね。少将となったのはつい最近だ」
ユイファンはどのような武勲を立てたか説明しなかった。最近の出来事で、武功を挙げる機会があったとするなら、それは間違いなくアルテナ王国との戦争だ。
「私の長所は少ない。顔立ちが整っているのが唯一の長所だった。だけどね、美女ばかりが住む天空城アースガルズでは、何ら自慢にならない。その点、セラフィーナ女王様は素晴らしい。異性の視線を釘付けにする見目麗しいお身体だ。家柄だって、文句の付けようがない真の王族。私の如き凡庸な女には愛妾程度がふさわしい」
「⋯⋯私の容姿は生まれつきです。家柄にしてもそうです」
「まあ、普通はそうでしょうね」
「ユイファンさんは偶然と言われましたが、少将の地位をご自身の実力で得たのです。それに対して私は……、いつだって与えられるばかり⋯⋯。自慢できるようなことは、一つとしてありませんわ」
与えられ続けた結果、全てを奪われた。それが今のセラフィーナだった。
「私はアルテナ王国の平和を願っています。今の私が守るべきものは祖国だけですわ」
「軍務省と利害が一致しているよ。メガラニカ帝国の戦争継続能力は限界に達しつつある。民力休養の時期だ。アルテナ王国との和平は維持したい」
「軍務省ならアルテナ王国の存続を保障してくれるでしょうか?」
「緩衝国としての役割を期待している。この時期にバルカサロ王国との全面戦争は避けたい。アルテナ王国を併合すれば、バルカサロ王国との国境線で軍事衝突が起こる。そうなれば……」
「また、戦争が始まってしまう……」
「その通り。泥沼の戦争。終わりのない復讐合戦だ」
セラフィーナは苦悩する。ユイファンの言葉が事実であれば、むしろアルテナ王国が形勢逆転を狙える好機だ。
(再び戦争となれば沢山の人達が死んでしまう。けれど、バルカサロ王国を引き込んで、メガラニカ帝国を国土から追い払えば……)
アルテナ王国とバルカサロ王国の同盟軍が勝利し、メガラニカ帝国にセラフィーナ女王の身柄引き渡しを要求する。夢物語に近いが、セラフィーナが自由になる数少ない道だ。
敗戦責任を負ったセラフィーナ女王とガイゼフ王は表舞台から消え去り、娘のヴィクトリカ王女に王位を譲る。
(メガラニカ帝国は本土を主戦場にはしたくないはず。敗色濃厚となれば、私を手放してくれるのではないかしら?)
戦争を誘発する。それは最悪の考えだ。以前のセラフィーナであれば、自己嫌悪に陥り、忌避したであろう選択肢。しかし、追い詰められたセラフィーナは、無自覚ではあるものの君主の冷酷さを備えつつあった。
あえて戦争を煽るのも手段の一つだとセラフィーナは思い至る。ここで重要となるのは、戦争を起こしたとき、メガラニカ帝国に勝てるのかだ。
(帝国軍はバルカサロ王国との全面戦争は避けようとしている。けれど……勝てないとまでは思っていないのかしら? そうだとしたら……。いっ、痛……っ!)
熟考をしていたセラフィーナは下腹部を擦る。
「ッ⋯⋯! んぅ⋯⋯!」
天空城アースガルズに移住してから悩まされている子宮の鈍痛。セラフィーナは普段の生理痛と異なる独特な痛痒に悩まされていた。
「大丈夫かい……? お腹が痛むのかな?」
「月事の先触れですわ。ご心配には及びません。住む環境が大きく変わったせいか、身体の調子が乱れているようですわ」
子宮から生じる痛みは、セラフィーナを安堵させた。生理が訪れるのなら、まだベルゼフリートの子を宿していない証だ。
(昨晩も下着に経血が付いていましたわ。沢山の子胤を注がれてしまったけれど、私はまだ妊娠していない。創造主様は私の願いを叶えてくださっているのかもしれないわ。このまま妊娠しなければ……)
当人の期待に反し、セラフィーナはベルゼフリートの子供を妊娠していた。
生理痛に似た鈍痛の正体は、受精卵が子宮内膜に着床した際の痛み。膣部からの出血もは着床出血であり、一番最初に現れた懐胎の兆しだった。