【236話】対立の王国 西都からの書簡〈後編〉

 グレイハンク伯爵が険しい面持ちで見つめる視線の先には、中庭の芝生を這っている乳幼児がいた。

(女王はたった一度の出産で子供を三人も産んでしまった。一人は白月王城に残されたが、残りの二人は帝国本土で養育されていると聞く。これでは王朝が刷新されたも同然だ。外で遊び回る乳飲み子は皇帝の胤で、産まれてきたのだから⋯⋯)

 アルテナ王家を象徴する黄金髪の女児は、乳母を追いかけて匍匐ほふく前進ぜんしんしている。

 まだ言葉も話せぬ未熟な赤子であるが、母親似の美貌はしっかりと受け継がれていた。御髪の癖毛は父親からの遺伝で間違いない。

 その昔、幼い頃のリュートとヴィクトリカが遊び回っていた庭園で、セラフリートは無邪気に戯れている。

(王女殿下は健やかに育っている。もう生後七ヵ月か⋯⋯。子供の成長は早い)

 重武装の帝国軍が周囲を取り囲み、物々しい警備を敷いている。その中にはドワーフ族の屈強な兵士がいた。

 セラフリートは顎髭が気になる様子で、強面のドワーフ兵を追いかけ始めた。

(右往左往する総督府の帝国軍人。くっくくく! 見ているだけなら微笑ましい光景だ。おっと。まずい。護衛が睨んできたな)

 グレイハンク伯爵が窓越しに眺めていることに、警護の軍人達は気づいていた。

(危うい出生の王女⋯⋯。それこそ国家の恥辱を証明する赤子だ。しかし、帝国側からすれば大切な皇女。これから先、セラフリート殿下のお守りは大変であろう。暗殺の危険は十分にある。それでもセラフリート殿下を白月王城で養育すると決めた理由は、あの御方を将来の女王にするためだ)

 白月王城で育てられているセラフリートは、アルテナ王国の女王が産んだ嫡子だ。この事実は誰にも否定できない。

 王座の間で女王セラフィーナは三つ子を産んだ。

 王家に仕える文武百官の臣下団は出産の立会人となり、セラフィーナの恥穴から産まれ出た瞬間を見届けている。グレイハンク伯爵も生き証人の一人にされた。皇帝ベルゼフリートの不徳極まる簒奪婚を教会も認めざる得なかった。

 敗戦責任があるとはいえ、前夫ガイゼフは不憫な立場に貶められた。孕み腹のセラフィーナが王都ムーンホワイト帰還した日、ガイゼフの夫婦関係は完全に終わってしまったのだ。

(不敬を承知で申し上げれば、あの王女をどう使うかでアルテナ王国の未来が変わる。売国女王と罵られるセラフィーナ様では国家統合の象徴にはなりえない。もちろん、帝国の犬に成り下がった私でも無理だ。⋯⋯しかし、必ず時が来る。いずれはセラフリート殿下に権力を移管し、東西の統一に備えなければ⋯⋯)

 押し黙るグレイハンク伯爵は、女王セラフィーナの手紙を読み直す。

(東側の国民⋯⋯。ヴィクトリカ様とは戦いたくない。セラフィーナ様は覚悟を決められているが、できる限り手は尽くすとして⋯⋯、今は当面の課題を考えなくては⋯⋯)

 分断国家に陥ったアルテナ王国は混乱の真っ只中にある。それを何とかまとめ上げるのが執政官の責務だ。

(帝国本土の動向は常に把握したい。メガラニカ帝国の宮廷を牛耳る三派閥、そして我が国には馴染みのない議会制の大国家⋯⋯。評議会と国民議会について、おそらく正しく理解できていない。皇帝の地位や権限も謎だ。実権はないというが⋯⋯。影響力はどのくらいあるのだろう)

 王政と封建領主で説明可能なアルテナ王国とは、国家体制が大きく異なっている。

(そもそも共和主義を排斥しておきながら、国民議会の議員が選挙で選ばれるのは矛盾していないか⋯⋯? まったくもって不可思議な政治体制だ。近い内に私もメガラニカ帝国を訪れて、自分の目と耳で情報を仕入れておきたい。⋯⋯いや、その前に、帝国の歴史をよく知る専門家を顧問で雇いたいところだ。引退した帝国の冒険者あたりに声をかけてみるか)

 後宮暮らしのセラフィーナが送ってくる手紙は貴重な情報源だ。執政官に対する指示と要望のほかにも、帝国内で起きた事件を報じる新聞記事の切り抜きや、後宮で流れた噂なども綴られている。

(伝聞だけでは限界がある。本当は数週間でも帝国本土に行ければな)

 書き手はセラフィーナとなっているが、実際にはロレンシアも筆者になっているようだった。

(はぁ。手が足りんな。⋯⋯フォレスター辺境伯もそろそろ仮病を治して、領地から出てきてもらいたいものだ。娘のロレンシア嬢に説得の手紙でも送ってもらうのはどうだ?)

 長年王家に仕えてきたフォレスター辺境伯は、病気療養を理由に一度も公の場に姿を表していない。

 総督府からは無闇に刺激するなと忠告されたが、北方の大貴族が反旗を翻す事態だけは未然に防ぎたい。

(娘を使うのはやめておこう。むしろ逆効果になるやもしれん。どちらに転ぶか⋯⋯。フォレスター辺境伯は帝国で誕生した初孫の顔を見る気はないだろうか? 私だったら見てみたいものだ。ふむ⋯⋯。少しばかり意地悪が過ぎるか。息子しかいない私だから言える台詞だな)

 戦争で勝つ方法は知らない。だが、外交でならメガラニカ帝国とも対等に渡り合える。

 相手が優秀有能な三皇后だからこそ、話し合いで解決を図れる。

(ウィルヘルミナ・ナイトレイから見限られないように用心しよう。セラフィーナ女王によれば、帝国宰相が三皇后の筆頭であり、メガラニカ帝国で最も強大な権力を握っている正妃だという。しかし、よりにもよって淫魔が最高権力者とは⋯⋯。種族差別をする気はないが、サキュバスは保守的な教会派閥と絶望的に相性が悪い。それと、今は⋯⋯東アルテナ王国のヴィクトリカ様よりも⋯⋯バルカサロ王国が気になる⋯⋯)

 グレイハンク伯爵は筆を手に取る。

 眉間に皺を寄せて、女王セラフィーナ宛の書簡を執筆する。

(王女殿下の近況も伝えておこう)

 序文はセラフリートの近況を伝えることにした。

 白月王城の柔らかな芝生に寝転び、世話役と戯れている愛らしい女児は、父母の特徴が表れ始めていると綴った。

 この一文を読んだセラフィーナは母親として喜び、溺愛するベルゼフリートに我が子の成長を語らうはずだ。

 親馬鹿の君主をお世辞で喜ばせつつ、西アルテナ王国に与えられた課題の進捗も報告する。

 移民団第一陣の編成が完了し、総督府の許可が降り次第、旧帝都ヴィシュテルに出立できること。そしてもう一つ、前夫ガイゼフの出身国であるバルカサロ王国で起きている騒乱の影響。北方から流れてくる難民は、今も増え続けている。

 大規模な地方反乱と噂されているが、まったく外部に情報が漏れてこない。しかし、真に恐ろしい点は逃げてきたバルカサロ王国の難民達ですら、一体何が原因で誰と誰が争っているのか理解できていないことだ。

(私の手紙で気づいてくれるだろうか? 回りくどすぎる比喩になるが、女王様の教養と閃きに賭けてみよう。以前のセラフィーナ様ではとても期待できなかった。しかし、私が文を交わしている御方はまるで別人。宮廷暮らしの愛妾となられた御方であれば、この表現で察してくれる。⋯⋯真意を悟れなければそれまでだ)

 無理な願いなのは百も承知だった。しかし、手紙を検閲している帝国側の人間にはまだ気づかれたくない。

(私が帝国本土の情報を欲しているように、セラフィーナ様も外の情報を欲している。後宮の閉じられた世界では情報は淀む。だからこそ、私がこの書簡に隠した情報は高い価値を有する⋯⋯! 愛妾の地位で終わらぬために、どうかお役立てください。貴方様の私欲と背徳が国益に適うのなら、私は喜んで手を貸しましょうぞ⋯⋯!)

 後宮の愛妾セラフィーナだけに意図が伝われば、この情報は大きな武器になる。

(中央諸国の人間はまだ気づいていない。鎖国政策で国外情勢に疎いメガラニカ帝国の人間は、なおさら無理だろう。⋯⋯しかし、私には分かる。グウィストン川流域の領地を持つ私は、バルカサロ王国の内情に常日頃から注意を向けていた)

 グレイハンク伯爵の考察は逃げてきた難民の証言とも一致する。

(バルカサロ王国で地方反乱は起きていない。王族同士が争っている。バルカサロ王国の国軍が機能不全に陥った原因は、指揮系統が乱れているせいだ)

 グレイハンク伯爵は文章に情報を散りばめる。それとなく答えが導かれるように、薄っすらとした推理推測のか細い線を仕込む。

(国軍の兵士は誰に従えばいいのか分からず、国政は混沌の極地にある。ご自慢の軍師団は動かぬくせに、徹底した情報封鎖を敷いているのが証拠だ。⋯⋯彼らは重要な秘密を必死に隠している。そこから導かれる答えは一つだ)

 雑記と報告の入り混じった玉石混交の文節から、セラフィーナが真意を拾ってくれることを祈った。

 ◆ ◆ ◆

 後宮のセラフィーナ宛に送られた書簡は、まず最初に女官の検査を受ける。魔術式や神術式がありふれた世界では、紙束スクロールも危険物となりえる。何の仕掛けもなく、紙の素材に問題がなければ、記された内容の検閲へ移る。しかし、特別な場合を除き、女官に内容検閲の権限は与えられていない。

 セラフィーナは軍閥派所属の愛妾である。文書の内容を検める権限は軍務省が握っている。セラフィーナの素行を監督する役目は、参謀本部の将校達であった。だが、他にも文書を盗み見る手段はあった。

 正妻特権を有する三皇后は、皇帝ベルゼフリートに関する情報を全て閲覧できる。

 グレイハンク伯爵が送った書簡はセラフィーナ宛となっているが、実際は国王夫妻への報告書だ。アルテナ王国の国王を兼任するベルゼフリートに関連する書状と見做される。

 に基づき、後宮に到着した書簡の写しを作らせ、いち早く内容を読み解いた人物がいた。

 彼女はグレイハンク伯爵が巧妙に隠した文中の真意を見逃さなかった。

「――ああ。そうでしたか」

 メガラニカ帝国の人間は国外情勢に疎い。その先入観は誤っている。一般市民に限ればその通りであるが、国政を預かる帝国宰相は商会を通して、国外の情報に触れていた。

「これは嬉しい吉報です」

 脳内で推論は組み立てていた。しかし、確かめる方法が存在せず、確固たる証拠も得られなかった。あくまでも可能性の一つとして考慮に入れていた。

 つい先日、水面下で接触してきた教会関係者は、バルカサロ王国で起きている騒乱に頭が回っておらず、かま掛けは肩透かしに終わった。次は貢がれてくる元聖女で試そうと思っていた矢先、グレイハンク伯爵の書簡が送られてきた。

「優秀ですね。グレイハンク伯爵は⋯⋯。後任の人選を誤ったとローデリカが悔いていましたが、そんなことはなかった。貴方が薦めた執政官は役に立ってくれましたよ。しばらくは任せてもいいでしょう」

 書簡の内容が心底嬉しかった。グレイハンク伯爵がメッセージを伝えたい相手はセラフィーナである。難しい暗号文などは使えない。それとなく結論を誘導するヒントを取り留めもない雑文に隠すだけで精一杯だ。

「セラフィーナに情報を伝えず、一人で抱え込んでいればこうはならなかったでしょう。グレイハンク伯爵⋯⋯。実に惜しい愚行です。自分の知恵を安売りしてしまった」

 さぞかし苦労して文章を作り込んだのだろうと、グレイハンク伯爵の努力を嘲り笑う。狭量な君主を支える臣下の苦しみに深く同情する。

 こんな子供騙しが通じるのは、浅学な女官や妃くらいだ。宰相府最高の頭脳に小細工は通じない。

ようですね」

 死んでいなかったとしても、何らかの理由で軟禁や幽閉、あるいは病床に伏して動けない。

 国家崩壊の危難に陥っても王権を振るえない状況にある。たとえ命はあろうと、この大混乱を収集できないのなら、君主が死んだのと同義だ。

「血を血で洗う跡目争い⋯⋯。国軍は中立を維持し、王族の殺し合いは激化している。私の読みとも符合する」

 まだ憶測の段階である。しかし、確度は高くなった。

 帝国軍の諜報部を動かし、早急に裏取りを進めるべきだと判断する。

「情報将校のユイファンは産休で療養中でしたね。それならば脳筋の軍閥派はまだこの事態に気付いていない。今夜のうちに先手を打っておきますか」

 帝国宰相ウィルヘルミナ・ナイトレイは、すぐさま三頭会議の開催を要請した。

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