闇樹館の応接間は気品に満ちていた。貴族にありがちな富を誇る家具は置いていない。荘園を保有する裕福な准男爵家だが、帝都の華やかな大貴族と比べれば貧乏な田舎者だ。見栄を張るつもりはないのだろう。だが、領主の威厳は必要だ。
教養を匂わせる蔵書が本棚に並んでいる。一番目立つのは壁に埋め込まれた絵画だ。レーヴェ家の荘園が描かれている。黄金色に輝くリンゴが実り、人々が笑顔で宴会を催していた。
(……町の人間からは恐れられていても、荘園で暮らす人達はレーヴェ家を慕っていたわ。応接間にこの絵が飾られているんだもの。良好な関係を築いているんだわ)
カレンティアが絵画に見とれていると、リリトゥナは嬉し気に説明を始める。
「とても素晴らしい絵でしょう。この絵は初代様の時代に描かれたものです。レーヴェ家は黒森の女神を保護し、この地に楽園を築こうとされたのです」
「黒森の女神ですか?」
「荘園の村人から聞いていませんか。精霊や妖精と呼ぶ者達もいますね。ご老人達の世代は、今でも女神と呼んでくださいますが、教会は異教の神を嫌うでしょう? だから、呼び名も気を遣うのです。忌々しいですわ。……あっ、ごめんなさい。カレンティアさんは外の方でしたわね」
「お気になさらず。そこまで宗教に熱心じゃないです」
「それは良かった。腰に下げている長剣……。教会の紋章があるので、てっきり教会の聖徒だとばかり……」
「これは……その……。母方の実家から持ち出した剣です。聖騎士の剣だから、本当は冒険者が振るうようなものじゃないですよね」
「カレンティアさんはヴォルフ坊ちゃんにご挨拶されたいのですよね?」
「はい。それと、母親のこともお聞きしたいわ。行方知れずになった私の母親は、レーヴェ家を訪ねるつもりだったみたいです」
「ヴォルフ坊ちゃんとお会いするなら、その聖剣をお預かりいたします。不愉快とは存じますが、五年前にあのようなことが起きてしまいました。どうかご理解ください」
リリトゥナはカレンティアに聖剣を渡すように求めた。話の流れはおかしくない。
外からやってきた人間が武装しているのだ。レーヴェ家は野盗に襲われて大勢が殺された。五年前の惨劇は、隣町の有力者が企んだ悪事と思われている。
(ここで渡さなかったら警戒される……か……。上手い言い訳も見つからないわ。それに、幼い娘達がいて、リリトゥナさんは身重の妊婦……。レーヴェ家の若君は四肢欠損の不具を患った身……)
館内で凶器を携帯したがるほうが怪しい。
「お預けしますわ。母親から受け継いだ大切な聖剣です。扱いには気を付けてください」
「承知いたしました。娘達の手が届かないところに保管いたします。……ヴォルフ坊ちゃんを連れてまいりますわ」
リリトゥナは聖剣を受け取る。その両手は漆黒色のロンググローブで覆われていた。
「リリトゥナさんはいつも手袋をしているのですか?」
「はい。水仕事以外ではそうですね。両手にも火傷があります。気になりますか? ご覧になられますか?」
そんな刺々しい言われ方をされて、「はい。見たいです」と言うのは常識を弁えぬ変人だ。カレンティアは首を横に振った。
「いえ……。失礼な質問でした。ごめんなさい」
カレンティアが確認したかったのは、リリトゥナの左手だ。声以外は母親とそっくりの体型。左手の薬指を見れば確信を持てる。およそ三十年も結婚指輪を嵌めていた母親の指には、跡が残っているはずだ。
(別人だわ。髪の色も違う。母さんはプラチナブロンド色。リリトゥナさんは黒髪……。だけど、見えているのは地毛? 騎士兜の着鬘だったら……)
リリトゥナの後ろ姿は、母親と瓜二つだ。一つだけ違うのは、真っ黒な後ろ髪だけ。歩き方もそっくりだった。
「リリトゥナさん……っ!」
応接間から出ていくリリトゥナを呼び止める。
「つい最近、遠くに出かけたことはありませんか?」
「遠くに? いいえ。そんなのありえませんわ。私はヴォルフ坊ちゃんのお世話をしなければなりませんし、娘達も小さいのですよ? この五年間、レーヴェ家の領地から離れたことは一度もないですわ」
◆ ◆ ◆
応接間の扉が静かに閉まった。
廊下で立ち尽くす妊婦メイドは、懐かしい聖剣を抱きしめてしまった。伯爵令嬢が実家の宝物庫から盗んだ騎士剣。夫の遺志を受け継いだ娘に託した愛剣。
――ベロニカの半生が聖剣には宿っている。
「…………」
どれほどの時間、聖剣を抱いていただろう。
胸が締め付けられる。結婚指輪を夫の墓前に供えたときもそうだった。しかし、最後には決断した。己の半生に別れを告げる。
「お母様? それともママ?」
子供部屋から出てきたダザリーヌが問いかけた。聖剣を抱擁したまま、突っ立っていたメイドを心配している。
「ダザリーヌ。この剣を森に捨ててきなさい。できますね?」
メイドは今の自分が何者かを明らかにせず、ダザリーヌに伯爵家の聖剣を押し付ける。長剣を抱えた重みでダザリーヌがよろけた。
「分かった。言われた通りにする。捨ててくるね」
「森の奥深く……。見つからないくらい遠くへ……。お願いしますね」
「うん……!」
ダザリーヌが聖剣を持って元気よく駆けていった。
姉が黒森に出ていくところを妹のアヴェロアナは、子供部屋の窓から覗き見ていた。三歳児の両目から涙がポロポロと流れ零れていく。悔悟と悲哀の露で、プラチナブロンドの艶髪が湿っていた。



