礼拝堂での祈祷を終えたシオン。その背後にはピッタリとレヴィアが引っ付いている。
レヴィアが食客待遇で迎えられてから、二人が一緒にいるのはよく見られる光景だった。小身と少年と長身の大女。まるで子犬の散歩をする巨人であった。
「アルヴァンダートさんは礼拝に来ないのですね」
「先生はジェルジオ伯爵家の顧問官だ。聖導師以外の仕事が沢山ある。それに、朝の礼拝は俺が好きでやってることだ。別に聖職者の義務ってわけでもないしな」
「シオンは教会の教えを信じているのですか?」
「大聖女様の言葉を信仰しているよ。人類に魔法を授けてくれた救世主だ。でも、魔法が世界に広まったせいで、人助け以外に魔法が使われ始めた。悪意ある魔法を止めるために、大聖女様は奇跡も授けてくれた」
「シオンは信仰の奇跡で、多くの魔法を祓ってきたと聞きました」
「伯爵様とアルバァンダート先生は、天涯孤独の俺を引き取ってくれた。その恩を返したい。俺みたいな無能力者でも、信仰さえあれば人々の役に立てる。素晴らしいことじゃないか」
「そうですね。素晴らしいこと⋯⋯。そう思いたいものです」
「レヴィアは⋯⋯。あんまり教会が好きじゃなかったりする? まあ、魔法使いからすれば口煩い存在だ。監視されたり、説教されたり、悪者扱いされたりするもんな。⋯⋯苦手意識を持たれるのは分からなくもないぜ」
ジェルジオ伯爵城の廊下を歩くシオンが向う先は、魔法医ルフォンの診療所だった。
(日程的に会えるのは今日が最後なんだよなぁ)
治療魔法を必要とする重篤患者が入院する医療機関。現在、入院している患者は、魔女ロザリー・クロスだけだ。
魔法具の密売だけでなく、国家転覆の重大事件に関与しているロザリーは監視下に置かれた。聖導師アルバァンダートが病室に魔法禁止領域を構築し、昼夜交代で騎士団の精鋭が見張っている。
「なぁ。あの魔法精霊ってレヴィアが呼び出したんだよな?」
診療所の周囲を六大精霊が浮遊している。第三魔法の精霊術式で召喚された使役魔達だ。
(やべえ魔力だ⋯⋯。魔力無しの俺ですら分かる。ここまで離れてるってのによ。皮膚にビリビリ来るぜ。上級精霊ってヤツ? 騎士達が噂してたが、人語まで話せるらしい。⋯⋯ってことは知性があるんだよな。レヴィアの専門は召喚師か?)
魔導師のルフォンも精霊召喚は行えるが、レヴィアが呼び出した六大精霊は、とてつもないオーラを放っている。真なる魔法使いの底知れぬ実力。防衛戦力にしては過剰だった。
「はい。あれらは私の使役魔です。ロザリー・クロスの脱走防止と外部からの侵入者を防ぐように命じています。十分な魔力を与えましたから一ヵ月は持続するでしう」
「魔法で呼び出された精霊は何度か見てるけど⋯⋯。なんか⋯⋯サイズからして⋯⋯普通よりデカいよな⋯⋯?」
「領主殿からの強い要望がありました。万全を期しています。ロザリー・クロス程度の魔法使いであれば無力化できます」
(頭が空っぽじゃなければ、あんな化物精霊に戦いを挑む魔法使いはいねえよ⋯⋯)
「侵入者が現れたとしても、あの精霊達を倒すのはそれなりに骨が折れるでしょう」
「そ、そっか。アレを見て、倒そうだなんて発想は絶対に湧かないけど⋯⋯」
魔力を持たぬシオンでも一目で分かる。一流の魔法使いであればこそ、精霊に宿った空前絶後の魔力に圧倒されてしまう。格の違いを思い知らされる。しかし、レヴィアはポツリと口にする。
「アルバァンダートさんほどの聖導師なら倒せます。実際、彼が病室に敷いた魔法禁止領域は卓越しておりました」
驚いたシオンは立ち止まってしまった。
「アルバァンダート先生は凄い人だけど⋯⋯。え? そこまで凄いのか? あの大精霊を消す? いくら先生でも⋯⋯」
「可能です。私はそう判断します」
第七魔法を修めたレヴィアは、一握りの天才だけが至れる魔法使いの極意者。長命のエルフ族といえども、そう簡単には辿り着けない高みだ。
(本気っぽい口調だ。煽ててるわけじゃない)
聖導師アルバァンダートは、真なる魔法使いが召喚した強大な精霊を倒せる。レヴィアの見立てに謙譲は含まれていない。客観的な事実として断言した。
「⋯⋯⋯⋯。もしかしてアルバァンダート先生ってレヴィアよりも強い?」
「私がこれまでの人生で会った中では、五指に入ると思います。あれほどの聖導師を臣下に持つジェルジオ伯爵家は、特別な家柄なのですか?」
レヴィアはシオンの質問に答えず、質問の上書きで誤魔化した。
「はぐらかしただろ?」
「私。戦うのは好きじゃありませんから」
「そう。ならいいよ。レヴィアの質問に答える。ジェルジオ伯爵家はシュトラル帝国の建国期から続く名家だ。アルバァンダート先生は先代からずっと仕えている。いや、先々代だったかな?」
「伯爵家に仕える前は、何をなさっていたのです?」
「元々は帝都で宗学を研究してたらしい。都会の喧噪を嫌って、辺境のジェルジオ伯爵領に逃げてきたんだってさ」
「アルバァンダートさんのご年齢は?」
「さあね。かなりいってるはずだぜ。なんせ、伯爵様が子供のとき、アルバァンダート先生はもう白髪頭の爺さんだったらしい。老け顔だったとか言ってるけど、今はたぶん七十歳か八十歳くらい」
「領主殿の年齢を考えると百歳を超えている計算になりますね」
「さすがに百歳は超えてないでしょ。若い頃から老け顔なんだろ」
その昔、養父が語ってくれた来歴はとても平凡なものに聞こえた。
宗学研究にのめり込み、帝都カリスラの騒がしさに嫌気を覚えて、静かな辺境に逃れた老境の学者。知恵者のアルバァンダートに誰もが敬意を払っている。絶大な魔法力を誇るレヴィアでさえ、アルバァンダートを高く評価した。
(アルバァンダート先生って滅茶苦茶すごい人? いや、すごい人なのは分かってた。でも、俺が考えている以上に⋯⋯。帝国全土で有名だったりするのかな? 俺が世間知らずなだけ? 教会の偉い人が訪ねてきたりしてたっけ)
教会の枢機卿が訪ねてきたこともあった。ジェルジオ伯爵に表敬訪問するという体裁を装っていたが、実際はアルバァンダートが目当てだった。帝都の偉そうな貴族が押しかけてきたこともあったと聞いている。
遺跡の石棺で眠っていたレヴィアも謎な人物だ。しかし、ごく当たり前に接していた養父アルバァンダートも、ありふれた人物ではなさそうだった。
(よく分からねえ。帝都に盗まれた国家機密とやらを報告する件だって、なんでアルバァンダート先生に頼まないんだ? 領地で一番強いケイティさんを選ぶのは分かる。実家のグランメニル家が帝都にあるし、うってつけだ。聖導師なら俺よりも適任なのはアルバァンダート先生だろ⋯⋯?)
噴出する疑問を解消する答えは誰も与えてくれない。
(俺と一緒じゃなきゃ嫌だってレヴィアがごねたから? いや、アルヴァンダート先生がいるなら、レヴィアは不要だろ。訳分からんな。うーん。考えても仕方ないか⋯⋯)
シオンは警備する騎士の許しを得て、魔女ロザリー・クロスを軟禁している病室の扉を開けた。聖導師アルバァンダートが施した魔法禁止領域の聖陣が天井で回転している。
天辺の聖陣はいかなる魔法も禁じる聖職者の秘儀とされる。強大な魔力を誇るレヴィアが領域内に侵入したことで、神聖文字の輝きが増光し、聖陣の回転が加速した。
「ロザリー。お前の判決が決定したぞ」
シオンはアルヴァンダートから預かった判決書を取り出した。丸めた羊皮紙にはジェルジオ伯爵領で悪さをしたロザリーに対する判決文が綴られている。
◆ ◆ ◆
ロザリーは病室に入ってきたシオンの顔を直視できなかった。
魔法薬〈媚愛の恍惚薬〉で正気を失っていたという言い訳は立つ。しかし、調合と用途の間違いをレヴィアとルフォンの両名から指摘された。
結局のところ因果応報。処女を奪った少年に恨みは抱いていない。そもそも奪ったのではなく、無理やり奪わせたのだ。淫欲で正気を失っていても、セックス中の記憶はしっかり残っていた。
「おーい。ちゃんと判決文、聞いてる? 伯爵様の温情溢れる判決だってのにさぁ」
「え⋯⋯?」
「処罰は五年間の社会奉仕活動。期間中は魔法医ルフォン・シュタイナーの指示に従うこと、以上!」
「たったそれだけ⋯⋯?」
「おいおい。ルフォン先生の下働きだぜ? 甘く見るなよ。あの婆さんはめっちゃ恐いし、厳しい。覚悟しておけ。逃げたくても逃げられねぇんだ」
「そうじゃなくて⋯⋯普通は⋯⋯」
「まさか死刑になるとでも思ってたのか。そんなわけねえじゃん」
シュトラル帝国で貴族以外が魔法を学ぶのは大罪だ。厳しい処分を下す領地では極刑もありえる。しかも、ロザリーは反政府勢力の構成員だった。
「魔導具で死者は出てないからな。それでも死にかけた被害者はいる。社会奉仕活動で償えとさ。ちなみに俺に対する性加害は判決に考慮されてないらしい。⋯⋯なぜか俺がルフォン先生から説教された」
「社会奉仕活動って⋯⋯?」
「魔法医の助手。ルフォン先生とはもう顔を会わせてるだろ。俺が帝都に行くから、アルヴァンダート先生の手伝いもあるだろうぜ。礼拝堂の掃除はよろしくな」
「それだけ⋯⋯? たったそれだけでいいの?」
「罪が帳消しってわけじゃないぜ。五年は短くない。ロザリーには魔法の才能がある。生来の才能をちゃんと活かした方がいいだろ」
「待った! 今、なんて言ったの? 魔法の才能を活かす?」
「ん? 分からないのか? ルフォン先生は一流の魔法医だ。近くで働いていれば学びは多いと思うぜ。シャーロットお嬢様の家庭教師だってやってたんだ。中途半端な知識で怪我人を量産されたら、たまったもんじゃない。頑張って修練してくれよ」
「そんなの許されるはずがないでしょ? ありえない。帝国で貴族以外の人間に魔法を教えるのは⋯⋯」
「ロザリーは助手。ルフォン先生は何も教えない。勝手にロザリーが好き勝手に学べばいい。もし間違ったことをすれば、ルフォン先生が正してくれる⋯⋯かもな」
「そんなの詭弁だわ。魔法を教えてるのと同じじゃない!」
「才能があるってルフォン先生が認めた。誰も損はしないだろ。シュトラル帝国の法律は『帝国の許可なく、高度な魔法教育を施すな』だ。平民が魔法を使うなとは書いちゃいないし、助手にするなとも書いてないぜ」
シオンが使う祓魔の奇跡は、第零魔法と定義されている。厳密にいえば貴族ではなく、魔力すら持たない者でも最下級の魔法が使える。
魔法は人類社会の根幹を成している。平民の魔法使用を禁じていると誤解されがちだが、条文の法意は「高度な魔法教育を施すな」である。
「私が魔法を⋯⋯学べる⋯⋯」
「被害者には謝罪しとけよ。新人騎士のエドは両手両足が複雑骨折の大怪我を負った。あとは剣に振り回された城下町の若者だな。あっちは軽傷だったから良かったけど⋯⋯。社会奉仕活動にはロザリーが売り捌いた魔導具の回収も含まれてる。頑張れよ」
「どうしてそこまでしてくれるの⋯⋯?」
「各種事情を考慮して、伯爵様と顧問官のアルヴァンダート先生が決めた」
「⋯⋯⋯⋯」
「俺らにできる最大限の慈愛さ。機会は与えられるべきだ。正しい手段でな。一方で神秘結社ドラゴノイドは魔法の知識をばら撒いてる。ロザリーみたいに非貴族で魔法の才能を持つ者達にとっては救世主だろうな。まぁ、実際、掲げてる目的は正しい気がする。⋯⋯だが、手段を間違ってる」
「シュトラル帝国が時代遅れの貴族特権を続けているせいだわ。元凶は今の歪な制度のせいよ。魔法は⋯⋯大聖女が与えてくれた魔法は人類に等しく授けられた力でしょ?」
「魔法教育を貴族に限定したことで、帝国内の治安は維持されている。犯罪者が魔法を使えば、とんでもない被害を出せるからな。合理性はあるぜ」
「私を諭してるつもり? まるで聖職者の説教だわ」
「おかげさまで見習いから昇格した。今は読師だ。俺の初仕事は魔女ロザリーに判決書を届けることさ。だが、判決を受け入れない。その選択肢もあるぜ」
「判決を拒絶? そんなの⋯⋯できるっていうの?」
「ああ。この温情溢れる処分が不服だとか、社会奉仕期間中に脱走しようとしたら教会に引き渡す。どっちがいいかは自分で決めてくれ」
「考えるまでもないでしょ」
「だよな。教会の処罰は甘くない。二度と魔法を使えなくする。そういう刑罰もあるらしい」
「⋯⋯まだ私に聞きたいことがあるんじゃないの?」
「聞きたいこと? データクリスタルの件か? どこで誰に渡されたか忘れちまったんだろ。しかも、神秘結社ドラゴノイドに関する肝心の記憶は、忘却魔法で消されたときてる。アルヴァンダート先生やルフォン先生でお手上げなら、俺にはなーんにもできねえ」
ロザリーは神秘結社ドラゴノイドに関する記憶が抜け落ちていた。
(記憶消去⋯⋯。脳が焼き切れる寸前だったらしい。末端の構成員は捨て駒か⋯⋯。正義の組織とは言えねえよな)
魔法を教わった人物の容姿や名前が思い出せなくなっている。原因は背中に彫られていた竜紋の刺青。裏切り防止の呪詛は、発動時に対象の記憶を抹消していた。
(祓魔の奇跡は魔法効果を消滅させる。だが、起きた結果を巻き戻すことはできない。魔法で壊れたものは壊れたままだ。状態異常を治しても傷痕や後遺症は残る)
シオンは竜紋の刺青にかけられていた呪詛を消し去った。しかし、ロザリーの失われた記憶は元通りには治せない。
記憶を取り戻す魔法は存在するが、ルフォンとレヴィアは揃って反対した。記憶操作の魔法は精神異常を起こす。副作用で廃人になることもあるそうだ。
(記憶がなくなったのは、むしろ良かったかもな。魔導具の密売程度の罪なら伯爵様の裁量で罰せられる。だが、国家機密を流出させて、外国勢力と通謀は⋯⋯。とても庇いきれない。下手すればジェルジオ伯爵家が潰されちまう)
外患誘致による国家転覆。文句の付け所がない大犯罪。
(アルヴァンダート先生の推測通りなら、ロザリーは国家転覆の計画は知らされていない下っ端。帝都カリスラでド派手な破壊活動をする前で良かったよな。本当さ)
法定刑は主犯共犯を問わず極刑。シュトラル帝国で最も重い罪。ただし、罰せられるのは未遂の場合だけだ。
内乱を完遂すれば、大犯罪者は一転して革命の英雄となる。旧権力者は罪人として粛清、反逆を企てた者は最高権力を握る。
内乱罪。それはもっとも犯罪らしくない犯罪。
「そっちの話じゃなくて。私の身体について⋯⋯。生理が遅れてるっていうか、来そうにない。妊娠してるみたい」
「⋯⋯⋯⋯」
「〈媚愛の恍惚薬〉を摂取した状態でヤらかしたわけだから、まず間違いなく⋯⋯。どうする? 嫌なら堕ろすわよ? 私はどっちでも――」
法治国家における大罪が内乱であるなら、教会における最大の大罪は中絶だ。無垢な赤子の魂を殺した者は例外なく破門。そして終身刑が言い渡される。
「――ダメだ!」
「⋯⋯そんなに私との子供が欲しいの?」
「中絶は大きな罪だ。ロザリーには悪いけど、産んでもらうしかない。責任は取るっていうか⋯⋯そもそも⋯⋯こういう台詞を言うのは最悪の男だけど、ロザリーが孕んだのは完全な事故で、俺のせいじゃなくね?」
「産むのはいいとして、まともな母親なんかできないんだけど? シオンだってまだガキンチョなわけで⋯⋯。子育て、どうすんのよ?」
それまで一言も話さなかったレヴィアが前に進み出る。
「シオンの子を引き取ります。ぜひとも私に子供をくだ⋯⋯お任せください。たっぷり愛情を込めて養育いたします」
「え? このエルフの人、何なの⋯⋯? 急に⋯⋯。こわ⋯⋯」
「ちょいストーカー気質のすごい魔法使いだ。ちなみに子供が産まれたら、伯爵様と奥方様が引き取るってさ。孤児だった俺と同じでアルヴァンダート先生が面倒を見てくれるよ。乳母はアイリスがやるってさ。話し合いの結論だ」
「ちょっと待ってください。そんな話、私は聞いていませんが?」
「今まで言ってなかったからな」
「その話し合いは⋯⋯? いつ?」
「ただならぬ気配を感じ取って、レヴィアは会議のメンバーから外されたよ。言いにくいんだが、レヴィアには小児性愛者の嫌疑がかかってる」
「え? なぜですか? 私はシオンにそういう⋯⋯。イヤらしいことはしていません! シオンも知っているはず! 私の心は清純です!」
「手を出してこない。⋯⋯だからこそ、本物っぽいってさ」
「そんな! そんなの絶対におかしいです!! ショタ喰いのアイリスさんが乳母で、私が性犯罪者呼ばわりですか!?」
「⋯⋯まあ、よくよく考えるとアイリスも倫理的にはアウトだよな。道徳的にも」
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