【197話】反魂聖胎の祭礼〈前編〉

 葬礼の詩歌が止む。カティアは先帝の入滅を見届けた。

 両膝を床について、死者の冥福を祈った。

「一足遅かったのう。レオンハルト元帥」

 大剣を構えたレオンハルトが宝物庫前の広間に現われた。聖焔で浄められた大妖女の遺灰を睨みつける。

「レヴェチェリナを倒したのか?」

「手助けを借りてのう。こちらは片付いた」

 帝嶺宮城ていれいきゅうじょうを覆い尽くした瘴園〈妖胎伏魔殿〉は崩壊し、夜明けの陽射しが廃都ヴィシュテルを照らしていた。不可侵領域の境界も崩れ去った。

 帝国軍、魔狩人、冒険者の混成部隊は攻勢に転じた。レオンハルトが加勢するまでもなく、レヴェチェリナが招集した魔物達は駆逐される。

 厄介な転移能力を持つ〈影の魔物〉だけはレオンハルトが直接始末するつもりだったが、ルアシュタインとレギンフォードによって葬られていた。

(最前線で戦っているのはケーデンバウアー侯爵家の精鋭騎士団と特級冒険者。魔狩人もそれなりの水準だ。魔物達の勢いが失われた今、私が出張る必要はないだろう。しかし⋯⋯)

 不可侵領域が解除された瞬間、特級冒険者ネクロフェッサーは手勢を引き連れて、廃都ヴィシュテルの城下街に踏み入った。

 メガラニカ帝国にたった二人しかいない特級冒険者の片割れ。「星詠の大聖」と呼ばれるネクロフェッサーは、最古参の冒険者であり、陰鬱な死恐帝の時代に誕生した英雄だった。

(奴は規則を無視する傾向がある。メガラニカ帝国の事情を知りすぎている。これは帝嶺宮城ていれいきゅうじょうに近づけさせたくない)

 ネクロフェッサーの功績は認めるが同時に問題児だった。貴重な情報を持ち帰ってきてくれる一方で、厄介事も持ち込んでくる。配下の天文監察補助隊ネクロ・アストロモア帝嶺宮城ていれいきゅうじょうの外郭に到達していた。

「他は大丈夫そうかのう?」

「敵は総崩れだ。連中に徒党を組む脳ミソはない。中核となっていた魔物が消えれば、こうなるのは分かりきっていた」

「これで此度こたびの問題は解決じゃ。全て綺麗さっぱり禍根は消えた。ただ⋯⋯儂としては其方の祖父に恨み言と文句を言いたいところじゃ⋯⋯。しかし、それはやめておこう」

「なぜ葬礼の詩歌を詠った? 貴公のせいで肝が冷えたぞ」

 ピュセルを始末したレオンハルトが帝嶺宮城ていれいきゅうじょうの全次元域にかけたとき、ちょうどカティアが詠い始めた葬礼の詩歌を傍受してしまった。

「破壊帝と死恐帝を冥府に送ったのじゃよ。大神殿の巫女は皇帝陛下を慰霊するのが務め。何もおかしくはあるまい」

「⋯⋯⋯⋯」

「現われた時の焦った顔色を見るに、ベルゼフリート陛下に何かあったと勘違いしたようじゃな」

「違う。貴公がボケたのかと思った」

「失礼な奴じゃ。まだまだ儂は若いぞ。ぴちぴちの若娘じゃ」

 外見年齢でいうのならカティアの言葉は正しい。しかし、実年齢を知っているレオンハルトは老人の妄言を無視する。

「ベルゼフリート陛下は宝物庫にいるのだな」

「宝物庫の中は安全じゃ。元凶のレヴェチェリナは死んだ。今ごろは意識を取り戻されておるじゃろう。ああ、よせ、よせ! 無理に開けようとしてはならんぞ!」

「気に食わない宝物庫だ。私でも破れそうにない。古代ドワーフの小細工が施されてある。ちょっと待て⋯⋯! 陛下が宝物庫にいると言ったが他の護衛はどうした? 姉上達は⋯⋯? 全員が外にいるではないか⋯⋯! 何をやっている! ハスキーまで宝物庫の外にいるではないか!?」

 レオンハルトの感知は帝嶺宮城ていれいきゅうじょうの全域を掌握した。敵の妨害が消えたことで、味方の配置がおかしいと気付いた。

 ベルゼフリートの側にいるべき護衛戦力が引き剥がされている。

「あぁ、それはのう⋯⋯。言いにくいのじゃが⋯⋯ちょいと色々あってばらけてしまったのじゃよ。陛下と一緒にいるのは、宰相閣下とセラフィーナだけじゃな」

「二人だけ? なぜそんなことになっている! 色々あったで済む問題か! 危険だ! 貴公ともあろう者が何をしていたのだ! 姉上達もだ! 信頼して陛下を預けたのに⋯⋯!!」

「そう耳元で怒鳴るな。聞こえておる。宝物庫は安全じゃよ。何度も言わせるでない。なにせ儂らを危険人物扱いして、門前払いしたのじゃからな。さてと。ここからが最後の大仕事じゃな。頭の硬い門番を説得せねばなるまい」

「説得? 宝物庫に門番がいるのか?」

「ふむ。どうやら心配性の元帥閣下には始めから事情を説明したほうがよさそうじゃ」

 宝物庫の仕様を知らないレオンハルトに、カティアは懇切丁寧に人工精霊が宿っていることを説明した。

「ベルゼフリート陛下の意識が戻れば、ウィルヘルミナ宰相とセラフィーナは儂らがレヴェチェリナを倒したと気付くはずじゃ。しかし、外に出るべきかは迷うじゃろうな。敵の残党が待ち構えているかもしれん。出てきても大丈夫だと伝えなければ、ずっと宝物庫に篭城するじゃろう」

「よし。話は分かった。貴公は下がっていろ。なんとかして私が宝物庫の扉をぶち破る⋯⋯!」

「待て! やめい! やめぬか!」

 レオンハルトはカティアの制止を振り払った。

「警告! 警告!! 警告!! 即刻!! 即刻! 退去セヨ!! 帝国元帥ニ命ズ! 宝物庫ハ閉門デアル!!」

 帝国元帥の物騒な言動を感知した宝物庫は、高らかに警告音を鳴らした。

「私に命令を下せる御方は皇帝陛下のみだ。壊されたくなければ、私を宝物庫に入れろ」

「我ニ命令ヲ下す御方ハ皇帝陛下ノミ。即刻、立チ去レ!」

 宝物庫の人工精霊はレオンハルトが他の者達と別格だと理解していた。低俗な言い争いこそするが、強制排除の転移術式は発動しない。侵入を阻むのが精一杯で、帝嶺宮城ていれいきゅうじょうのどこかにレオンハルトを飛ばすことはできなかった。

「其方は何を聞いておったのじゃ!? 説明したはずじゃ! ただでさえ、宝物庫は儂らを警戒しておるのだぞ。ややこしくなるじゃろう!! 引っ込んでおれ。儂に任せるのじゃ。元帥!」

 カティアがレオンハルトの名を叫んだ。その名を聞いた宝物庫は苦い記憶を思い出してしまった。

「レオンハルト! レオンハルト・アレキサンダー公爵! 知ッテイルゾ!! 大公爵家ノ当主!」

「ドワーフ製のポンコツ人工精霊がなぜ私の名を――」

「マタ来タノカ! 盗人メ! 大嘘ツキ! 薄汚イ泥棒メ!!」

 狂ったように宝物庫は罵倒を繰り返した。

「は? どっ、どろぼう!? アレキサンダー公爵家が? 侮辱もいいところだ! 聞き捨てならん! メガラニカ帝国のために身命を賭して戦ってきた我が一族を泥棒だと! なんたる侮辱だ!!」

「レオンハルト・アレキサンダー! 先帝陛下ヲ騙シタ二枚舌ノ賊臣ダ! 奪ッタ御物ヲ返セ!! 返セ! 返セ!! 返セ!! 戦イガ終ワッテモ返シニ来ナカッタ!!」

 激昂状態の宝物庫は一方的に怒鳴りつける。宝物庫はレオンハルトを祖父と同一視していた。

 レオンハルトが額に青筋を立てて言い返そうとする。その寸前、ある記憶が脳裏をよぎり、口元が引きつった。アレキサンダー公爵家の本邸にある武具を思い出して、レオンハルトは感情が凍り付いた。

 宝物庫の指摘するアレキサンダー公爵家の窃盗行為に心当たりがあった。

 半世紀前に祖父が廃都ヴィシュテルから武具を持ち帰ってきた。詳しい経緯は不明とされているが、アレキサンダー公爵家は国宝の武具を大量に保管していた。

「カティア神官長⋯⋯。知っていたら教えてほしい」

 背中に冷たい汗が流れた。

「生憎じゃが儂は何も知らぬぞ。無関係じゃ。だが、質問は聞いておこう。なんじゃ?」

「私の祖父は半世紀前、帝嶺宮城ていれいきゅうじょうの宝物庫から何かを盗んだか?」

 宝物庫の開門条件はメガラニカ帝国の皇帝が帝国宰相か女官総長を伴っていること。いかに救国の英雄であろうと、条件を無視して強引に侵入したとは考えにくい。

(先代の女官総長アトラクが死後もミーシャ陛下にお仕えしていたのなら⋯⋯)

 前々から疑惑はあった。半世紀前に起きた廃都ヴィシュテルの戦いで救国の英雄アレキサンダーには特別な加護が働いていた。

「其方の祖父が宝物庫に入った可能性は大いにあるぞ。どうやって扉を開いたのかは知らぬ。儂にすら何も言わず、逝ってしまった。その様子を見るに何か心当たりがあるようじゃな?」

「いいやッ! 知らん! 私だって祖父がやったことは知るか!」

 激昂した帝国元帥は宝物庫を思いっきり殴りつけた。ますます不信感を強めた宝物庫は口を閉ざした。

 帝嶺宮城ていれいきゅうじょうの下層に飛ばされていた姉達とハスキーが戻ってきても、逆ギレ状態のレオンハルトは壁を殴り続けていた。

 ◆ ◆ ◆

 ベルゼフリートは自分が非現実の世界に迷い込んでいると気付いた。貧相な森番の家を窓から覗く。人里離れた丘上に建てられた一軒家だ。

 四人の家族が仲良く団欒だんらんしている。父親、母親、娘、息子。ベルゼフリートは猛烈な愛執が沸き起こった。

(僕と色黒の肌だ⋯⋯! 髪も灰色⋯⋯!!)

 体格がしっかりとした父親の黒肌と灰色髪に視線が釘付けになる。森林資源を管理する森番は、生活費分の狩猟が許されている。一家を支える稼ぎ頭は、気難しそうな顔付きだった。自分も成長すればあれくらいの背恰好せかっこうになれるだろうか。

(奥さんは金髪だ。ちょっとだけ、セラフィーナみたいな雰囲気の人だ)

 二人の子供に微笑みを向ける森番の妻は、金色髪の美人であった。容姿の特徴、膨よかな乳房、腰の括れでセラフィーナを連想してしまう。だが、瓜二つとまでは言えない。

(セラフィーナのほうが圧倒的に美人ではあるかな)

 宮廷暮らしで美女に見慣れたベルゼフリートすら、セラフィーナの飛び抜けた容貌と美体は認めている。上級淫魔のウィルヘルミナでなければ対抗できない相手だ。森番の奥方と由緒正しきアルテナ王家の女王、比べるべくもない。

(あれが僕の母親ママ⋯⋯)

 ベルゼフリートがセラフィーナと森番の妻を重ねてしまった理由は、母の愛情を感じたからだ。家の外は寒風が吹き荒む。窓の向こう側は暖かい。結露で窓ガラスが濡れていた。

 あちら側は家族愛で満ちた優しい世界だった。

 森番の仲睦まじい夫妻には子供が二人いる。娘と息子。年長の姉は母親似だった。甘えん坊の弟はベルゼフリートにそっくりだった。

(僕とそっくりだ)

 もう一人の自分と出会った気がした。

「――君が僕の父親パパなの?」

 シーラッハ男爵領で起きた事件の真相は知っている。ウィルヘルミナが隠してくれていた忌まわしい過去をベルゼフリートは受け止めた。森番の家族に降りかかった悲劇。母子が交わり、近親相姦で産まれ堕ちた子供。

 ベルゼフリートはジッと見つめる。窓越しに、血の繋がった実父と目線が合った。その途端、家族が仲良く笑い合っていた居間で大嵐が起きる。食器や家具が滅茶苦茶に飛び跳ねる。

 森番の家族は引き剥がされないように、それぞれを抱きしめた。しかし、妻や子供達を守るように覆い被さっていた父親が、暴風に掴まれて虚空に消えた。

 次に襲われたのは姉だった。どこからともなく剣が現われて、身体を串刺しにした。剣の柄にはナイトレイ公爵家の紋章が刻まれていた。血塗れの姉は奈落の底に飲み込まれた。

 残されたのは母親と幼い息子だけ。傷だらけの母親は意識を失いかけていた。荒れ狂う暴風に衣服を剥ぎ取られ、母子は裸で抱き合っている。幼く可愛かった少年は、弱っていく母親を見て泣きじゃくり、次第に怪物へと変貌していった。

(あぁ、これは幻覚? それとも記憶の走馬灯⋯⋯?)

 ベルゼフリートは自分の股間が膨らんでいく。非現実的な世界だったが生理機能は働いていた。傷付いて死にそうな母親を助けたい一心で、怪物になった少年が男性器を突き上げている。幼い少年は黒蠅の怪物に姿を変えた。

 犯された母親は四肢をピクピクと震わせる。息子のオチンポで穿たれているとも知らず、仰け反ってビクンッと硬直した。

 膣内射精で溢れ出た白濁液が垂れる。膣襞がうねり悶える。快楽が共鳴する。精子が卵子と結びついているのが伝わってきた。

 母親の胎が水風船のように膨れ上がった。外から禁断の母子セックスを視姦していたベルゼフリートは、気付くと母親の胎内に囚われていた。

(僕はお腹の中にいる。胎児だったころはこんな狭い場所に入ってたんだ)

 突然の胎内回帰だったが戸惑いは少なかった。母子が交わり始めたとき、こうなる予感があった。

(羊水で満ちているのに苦しくない。臍の緒で繋がってるから?)

 居心地はとても良かった。ちょっと窮屈だが安心できる。ずっと母胎の揺籃ようらんで眠っていたい。そんな気持ちが芽生えた。

(なんだろう? 羊水の波が荒立ってる。 大きな翼が羽ばたく音がするような⋯⋯。大きな鳥? 何かが近付いてきてる?)

 正体はすぐ分かった。蝙蝠こうもりの黒翼を広げた美しい淫魔がベルゼフリートを引っ張り出してくれた。臍帯が引き千切れた。

(まさに夢って感じだ。展開に連続性がまったくない)

 お腹の胎児を攫われたが、正気を失った母親と息子はセックスに夢中で、淫魔に興味を示していなかった。拉致されたベルゼフリートに目を向けず、次の子作りを再開していた。

(そういえば僕には弟妹がいるんだっけ⋯⋯。機会があれば会ってみようかな)

 母親の腹部はもう膨れ上がっている。新たな胎児が宿っていた。力尽きるまで弟妹を産み続ける。そんな気がした。

「ウィルヘルミナだよね? これって、また精神の心象世界なの?」

 ベルゼフリートは同じような心象世界をレヴェチェリナの妖術で体験済みだった。前回のようにウィルヘルミナが助けに来てくれたと安心した。ところが、胎内から助け出してくれた淫魔は返事をしてくれない。

「うぁっ! 痛っ!」

 痛みはなかったが、つい口からこぼれてしまった。先ほどまでベルゼフリートを抱えていたウィルヘルミナの姿はない。どこかに落下したベルゼフリートを周囲を見渡す。羽ばたきの音は消えた。温もりだけが残っている。

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