ケーデンバウアー侯爵家は優れた魔術師を輩出してきた一門である。
特に先代当主は〈護国の英雄〉として名高い。空位の五百年を支え続けた先代ケーデンバウアー侯爵は、棄て去った都を監視するための駐屯基地を建造した。
さらに死恐帝の災禍を封じ込めるため、帝都を取り囲む形で機雷を布陣。地脈炉を組み込んだ増殖性の空域機雷は、五百年経った今も機能している。
自律型ゴーレムは地脈からマナを吸い上げ、無数の機雷を散布し続ける。幾層もの機雷原を構築し、災禍で呼び起こされた屍者の軍勢を封じ込めようとした。だが、被害は食い止められなかった。灰色の濃霧とともに現れた屍者達は、メガラニカ帝国を蹂躙した。
「へぇ。あれがヴィシュテル⋯⋯。不気味な感じだ」
皇帝ベルゼフリートの来訪を知らされたのは、ケーデンバウアー侯爵家に仕える重臣のみだった。帝国軍に護送された旅船は、魔都ヴィシュテルと対峙する帝国軍の駐屯地に着港した。
「陛下。お身体の調子はいかがです?」
ハスキーは身を屈めて、ベルゼフリートに上着を羽織らせる。季節は四月の上旬、雪解けの季節であったが、空には暗雲が立ちこめている。風は肌寒かった。
「大丈夫だよ。思ったよりも暖かい。ナイトレイ公爵領の冬季に比べれば、これくらいは小春日和かな」
「何かあればお申し付けください。元凶に近づけばお身体に不調が生じるかもしれないと神官達は言っておりました」
ミニスカメイド服を着ていないハスキーがベルゼフリートに寄り添う。武装しているが、身辺警護は軍務省の最精鋭に委ねている。
(事前に人払いをして正解でした。灰色髪で褐色肌の少年が、大人数の女仙を連れ立っていたら、正体が一目瞭然です)
ハスキーは周囲を見渡す。事前に知らされた者達以外は近づいてきていない。だが、駐屯地には許可が与えられた魔狩人や冒険者も滞在している。
(アレキサンダー公爵家の女達は目立ち過ぎる⋯⋯。この体格と背丈はアマゾネス族の平均を上回っています)
アレキサンダー公爵家の長女シャーゼロット、次女ルアシュタイン、三女レギンフォード。いわゆる長女組の三人はいずれも警務女官長ハスキーを凌駕する傑物達だ。その大柄な体格は目についた。
(別の意味で目立っているお二人もいるけれど⋯⋯)
ハスキーは非礼にならぬよう、チラリと視線を向ける。艶美を極限まで高めた魅惑の肉体で、もっとも視線を集めるのは大きく突き出た爆乳だ。筋骨隆々な体躯とは正反対の肉体美は、皇帝の伽役に相応しい。
(むう⋯⋯。胸は大きいほうが良い言われていますが⋯⋯。あのサイズはちょっと遠慮したいです。パイズリに不自由しない私くらいの大きさが丁度良い。あの二人の爆乳は重さで動きを阻害しそうです)
毛皮のコートに身を包んでも、ウィルヘルミナとセラフィーナの乳房は大きく膨らんでしまう。非戦闘員の美女二人を連れての護衛任務はリスクが高い。しかし、楔となる伽役は常にベルゼフリートの近くにいなければならなかった。
「こう言っちゃ悪いけど、ウィルヘルミナとセラフィーナは場違いって感じだね」
「ははは⋯⋯。たしかにそうですね。しかし、そういう言い方はよろしくないかと思いますよ?」
「だね。くすくすっ⋯⋯!」
ベルゼフリートは無邪気に笑う。一方のハスキーは乾いた苦笑いを返した。
(宰相閣下とセラフィーナさんはどこからどう見ても、戦う人間の肉付きではありませんからね⋯⋯)
豊満な爆乳、細まった腹回り、美脚に実った巨尻。若々しいサキュバス族の美女だけでも色香に酔わされてしまう。だが、さらに黄金の絹髪が靡く熟れた麗人がいるのだ。
二人の格好がもっと破廉恥で、振る舞いに気品が備わっていなければ、軍施設で男漁りにきた高級娼婦と見間違えていたことだろう。
「ねえ、あれさ。セラフィーナをいびってるわけじゃないよね?」
「宰相閣下がそんな意地悪をなさると陛下は思いますか?」
「思わないよ。やるにしても僕の前ではやらない」
「セラフィーナさんは温室育ち王族でした。アルテナ王国の女王様にどれだけの生活能力があるでしょうね?」
「うーん。甘やかされて育った僕と同じくらいかな?」
「その通りです。陛下のお世話は責任をもって私がいたします。伽役の宰相閣下とセラフィーナさんも今回の任務では従者の一人です。従者の世話をする従者は連れてきておりません」
形式的な団長とはいえ、ウィルヘルミナは実家で騎士団を率いていた。剣技は素人に毛が生えた程度だが、野営の経験はそれなりにある。問題となるのは、王城で甘やかされて育ったセラフィーナだ。
「不自由はあまりかけたくないし、早めに済ませたいね。セラフィーナは大食漢だから食糧問題が深刻化するかもよ?」
「たしかにその通りです。⋯⋯元帥閣下が本気を出すので、すぐに終わるでしょう。きっと三日もあれば帰れるでしょう」
ハスキーの発言には表裏があった。帝国元帥レオンハルト・アレキサンダーであれば敵を掃討できると信じている。ただ、もしも帝国最強の戦力が敗北したときは、速やかに天空城アースガルズに敗走すると決めている。
(そんな未来⋯⋯。考えたくはありません)
本来であれば女官総長ヴァネッサが任務に同伴すべきところを、警務女官長ハスキーが選ばれた。今ごろ、西岸部に移動した天空城アースガルズでは準備が進められているはずだ。絶対にそうなってほしくないが、三皇后はその可能性も考慮していた。
(事実、過去に哀帝が自死している。寵姫アンネリーとの心中とされていたけれど、歴史の真相は⋯⋯)
国史によれば晩年の哀帝は精神を病んでおり、女仙達は権力争いが激しかったという。そうした要因の積み重ねとされてきたが、レヴェチェリナの暗躍があったのではないか。寵姫アンネリーの首飾りについては引き続き調査が進められている。
「ん? どうしたんだろ? レオンハルトとシャーゼロットがこっちを見てるよ?」
「軍務省の方々は作戦会議中ですが⋯⋯、私と陛下を見ていますね」
ベルゼフリートとハスキーは、アレキサンダー公爵家の姉妹達から向けられる視線に気付いた。
「どうやら私と陛下の談笑が妬ましいようです。もっとイチャついてアマゾネス族の醜い嫉妬心を煽ってみますか?」
「そうやっておちょくるんだから。アレキサンダー公爵家を怒らせたら恐いもん。やらない」
「おや? 陛下の指先が冷えていますね。私のオッパイで暖めましょう」
「も~。ハスキーはそういうことしてるから軍務省と仲が悪いんだよ? ⋯⋯オッパイは揉んじゃうけどね」
「さすがは陛下⋯⋯♥︎ 小腹が空いているのなら母乳も出ますよ」
周囲が真面目な会話をしている最中、ベルゼフリートは前屈みになったハスキーの乳房を揉みしだく。柔らかく暖かいオッパイの弾力を指先で堪能し、乳首に口を近づけていった。
◆ ◆ ◆
過去の皇帝達と比べれば、ベルゼフリートは恵まれていた。忌まわしい出来事でこの世に生を受けたが、信頼できる女仙が揃っている。五百年以上に及んだ災禍を終わらせた先人達は、次代のために環境を整えた。
功労者の一人である神官長カティアは、再びメガラニカ帝国を救うため、魔都ヴィシュテルに挑む。だが、今回の仲間は前回よりも大所帯だ。
「ふむふむ。陰部からの出血や体調不良はどうじゃ?」
カティアは医術師として、妊娠中のセラフィーナを問診する。ベルゼフリートの精子でセラフィーナが懐妊するのは二度目。ガイゼフとの夫婦時代を含めれば四度目の妊娠となる。
「ほんの少し熱っぽかったり、食欲不振だった日はありましたわ。軽い風邪みたいな不調でしたけれど⋯⋯」
「孕んだのは帝都アヴァタールの魔物が押し寄せた三月二十三日で間違いないのう。前回の妊娠で悪阻の症状は?」
「⋯⋯去年は⋯⋯妊娠が分かってから二ヶ月後でしたわ。とても症状が重たくて⋯⋯でも、あれは三つ子を妊娠していたからですわ。それに⋯⋯心の在り方も⋯⋯あのときと今ではまったく違いますわ」
セラフィーナは幸せそうに笑う。
「今、私の胎内にいる稚児は、私が望んで孕んだのですわ⋯⋯♥︎」
「妊娠願望⋯⋯。その欲を魔物どもに利用されたようじゃなぁ⋯⋯。アルテナ王国との戦争時はおとなしくしておったのが不自然じゃったが⋯⋯。敵は仕掛けてくるタイミングを見計らっておったのじゃろう」
「まさか⋯⋯。敵は私の子宮を再び利用して⋯⋯陛下を妖術で害するのでしょうか?」
「安心せい。それはまずなかろう。もう一度、妖術を発動させたら、儂がすかさず術式を逆転させ、魔帝とやらの破壊者ルティヤの魂を引き抜く。其方の身体はもう使われぬだろう⋯⋯。篭城している敵が固く閉ざした城門を自らから開くようなものじゃからな」
「お腹にいる胎児の健康状態は問題ないのですね⋯⋯?」
「まだ妊娠初期じゃ。なんとも言えんが、腹を冷まさぬようにな。さて、次はこっちじゃな」
カティアは次にウィルヘルミナの下腹に触れた。
「触診するのならせめて一声かけていただけません? たとえ同性であろうと、同格の皇后であったとしても、私の身体に許しなく触れられるのは、ベルゼフリート陛下のみです」
「宰相閣下は小煩いのう。苛立ちは妊娠の初期症状じゃが、まだ分からぬな。⋯⋯しかし、避妊せずにし続ければ孕むぞ。ほぼ確実に」
「今回の任務が国家の命運を左右します。陛下は避妊を好まれていません。魂を引き留める強い楔になるためであれば、妊娠してしまってもいい。そうは思いませんか?」
「言いたいことは分かる。しかし⋯⋯。よもや妊婦を連れて再びヴィシュテルに攻め込む日が来るとはのう⋯⋯。深い穢れを身に宿している儂らじゃ。この駐屯地に長居はできぬぞ」
「分かっています。女仙の瘴気で駐屯地を汚染してしまっては、今後の計画に支障が出ます。必要な物資を受け取ったら、すぐに出発しましょう」
ウィルヘルミナは魔都ヴィシュテルを鋭い目付きで見据えた。灰色の濃霧が立ちこめている。死恐帝の災禍では屍者を呼び起こした不吉な魔霧。魔物の暗躍に加えて、すでに黒蝿の発生という前兆は各地で起きていた。
◆ ◆ ◆
完全武装を整えたレオンハルトは姉達に指示を与える。実力で当主の座を勝ち取ったが、姉達を部下として扱うのは未だに気不味い。しかし、仲の良い下の妹達を連れてくるわけにもいかない。帝都アヴァタールや国境の防衛戦力を低下させれば、敵国の蠢動を誘発する。
実力を考えれば姉達のほうが強い。唯一の例外である六女のブライアローズは、コンディションが整っていれば長女シャーゼロットに匹敵する。しかし、一日の大半を眠って過ごすうえに、夢遊病の気質を患っている。こういった重要任務の適性はなかった。
「陛下にはカティア神官長が付いている。いざとなれば陛下を連れて、一人でも逃げ切れる実力者だ。特級冒険者ネクロフェッサーが持ち帰った情報に寄れば、魔物達は帝嶺宮城の周囲を警戒している。事前の計画通り、まずは私が単独で進入し、敵を殺していく」
シンプルな作戦だった。まずはレヴェチェリナが再構築した不可侵領域結界をベルゼフリートの力で破壊する。レオンハルトが単独先行し、帝嶺宮城の敵を掃討する。
(陛下の安全が確保されているのなら、帝嶺宮城ごと消し飛ばしてしまってもいい)
戦闘の余波でベルゼフリートに危害が及ぶ状況では、レオンハルトが本気で戦えない。
「元帥閣下の作戦に不備はなかろうよ。しかし、敵側の想定はどうなっている? 連中に勝つ気があるのなら、対策を講じているはず⋯⋯。何匹か要注意の魔物はいるが、所詮は有象無象の集まり⋯⋯。ブライアローズやキャルルの報告通りであれば、はっきり言って奴らは弱い。力でねじ伏せるのは簡単だ」
シャーゼロットの意見に妹達は同意する。
現時点で負ける要素はない。しかし、それならば敵側が見せる不気味な余裕は何なのかと勘ぐってしまう。逃げるわけでも、焦るわけでもなく、不敵に魔都ヴィシュテルで待ち構えているのだ。
長女の疑念に対する解答を、妹達は持ち合わせていない。数秒の沈黙後、黒眼鏡を外した次女が提案する。
「私達に共通する弱点はベルゼフリート陛下です。皇帝が亡くなれば、血酒を賜った女仙の寿命は尽きてしまう。敵にとっての唯一無二の勝算⋯⋯。であれば、全力で護衛するのが私達の務めでしょう。神官長猊下の実力は承知していますが、皇帝の敵を討ち滅ぼすのはアレキサンダー公爵家の使命です」
次女のルアシュタインは、次元操作の異能を広域で発動できる。索敵に優れ、遠方の敵を捻じ切るような攻撃を得意とする。ただし、発動条件として両眼を閉じて、視界を塞ぐ必要があった。
「ルアシュタインお姉様は私と組みましょう。私は次元操作を多用すると身体の動きが制限されてしまう。異能で戦うより、自分の槍を使ったほうが応戦は楽だわ」
三女のレギンフォードは次元操作を発動している間、身体動作が鈍くなる。出力と効率は安定しているが、戦闘は槍術を好んだ。
「決まりだな。前衛はレギンフォード。後衛はルアシュタイン。私は神官長猊下と共に皇帝陛下の御側に付く。一番重要なのは皇帝陛下だが、宰相閣下やセラフィーナの安全にも気をつけねばなるまい。メイドのほうは自力でなんとかしてもらおう。警務女官長なのだからな。これで良いか。元帥閣下?」
「それで問題ない。警務女官長ハスキーはそれなりに動ける女だぞ。姉上」
レオンハルトはハスキーの実力を高く評価している。一方でシャーゼロットは肯定的な評価を与えていない。
「陛下が懐いているとは耳している。口も達者で、闘技場の人気者だったとか⋯⋯。しかし、遊興の剣奴を私は好いていないのだよ。軟派な態度は気に入らん」
ハスキーが警務女官長に就任した時、余興でレオンハルトとの三本試合が行われ、一勝を譲った件を快く思っていなかった。異母姉妹の好みで手加減したのは明らかだった。
「姉上。そういう偏見は職業差別に⋯⋯」
「あのメイド。陛下にオッパイを揉ませてるぞ。何をやってるのやら⋯⋯」
「姉上⋯⋯。前言は撤回する。ちょっと殴ってくる」
「了解だ。元帥閣下。物資の受け取りは私達で済ませておく」
額に筋を立てたレオンハルトは駆けていった。