2024年 10月13日 日曜日

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【161話】帝都での用事

NOVEL亡国の女王セラフィーナ【161話】帝都での用事

 帝都アヴァタールの冒険者組合を訪れたセラフィーナは応接室に案内された。朝方で人通りはまばらだった。

 冒険者は夜遅くまで酒場で飲んでいることが多いという。午前中の冒険者組合は人が少ない。それでも念のために、人目をはばかり、建物の裏口から通してもらった。

 セラフィーナの美貌と黄金髪は衆目を集めてしまう。戦勝式典のパレードで面貌は割れている。女王から愛妾に堕ちた美女。帝国の華々しい勝利を喧伝する象徴であった。

(帽子とフェイスベールで顔を隠しているけれど、室内では脱ぎたいわ。ちょっと暑い。汗ばんでしまうわ)

 つばの広い貴婦人用の帽子で目元を隠し、漆黒のフェイスベールで顔の半分を覆っている。

 暖かな毛皮のコートを着込み、豊満な乳房と巨尻を包み隠す。着膨れしてしまうが、淫猥な生肌を露出させるわけにもいかず、セラフィーナは我慢を強いられた。

(はぁ。乳房の谷間が蒸れてしまうわ。夏場よりも重ね着する冬場のほうが辛いかも⋯⋯。アルテナ王国の冬はもっと穏やかな寒さですわ)

 メガラニカ帝国の冬期は、北部の寒冷地を中心に厳しい寒さが襲いかかる。外は凍える極寒。一方で暖炉の暖気が籠もる冒険者組合の応接室は、少し暑いくらいだった。

 毛皮の上着は脱いでしまいたい。しかし、帝都では目立つ格好を避けるようにと軍務省から命じられた。

 タイガルラが用意してくれたセラフィーナの服には、強力な防御術式が施されている。しかも、シャーゼロットから釣り餌にされていると意味深な警告されていた。

「捜し物はシーラッハ男爵家が手放した〈翡翠の首飾り〉ですか⋯⋯?」

 ギルドマスターは渡された写し絵を眺める。

 グラシエル大宮殿の絵画に描かれていた哀帝の寵姫アンネリーが身に着けていた〈翡翠の首飾り〉を拡大させたものだった。

「シーラッハ男爵家は八年か九年ほど前、帝都の商人に売り払ったと言っていますわ。私はどうしてもその首飾りがほしいのです。今の持ち主を探し出してくれれば報酬は惜しみませんわ」

 机に積み上げられた金貨の山。目も眩む大金だがこれは依頼の着手金に過ぎず、成功報酬は三倍の額だった。

「これではお金が足りないのかしら?」

「いいえ、違いますよ。⋯⋯依頼を冒険者組合で引き受ける際には審査が必要です」

「審査が必要? 絶対にしなければならないのですか?」

「ええ。絶対に必要です」

「⋯⋯えっと、これは軍務省からのですわ。私の個人的な依頼ではありません」

「はい。重々、承知しております。軍務省のですね。しかし、冒険者組合が定めたギルドコードには従ってもらいます」

 セラフィーナはきょとんとした顔でギルドマスターを見詰める。フェイスベールのせいで相手に表情は見えていないだろうが、仕草で感情は伝わっているはずだった。

「そういうものなのですか⋯⋯?」

「ええ。そういうものです」

 セラフィーナに悪意はなかった。世間知らずの王族は何も知らないのだ。セラフィーナは冒険者組合の仕組みや理念、立場を完全には理解できていなかった。

(アルテナ王国の都にも冒険者組合があったけれど⋯⋯)

 アルテナ王国には冒険者がほとんどいなかった。王都ムーホワイトや地方都市にいくつかの連絡支部が点在していたが、本部は置かれていない。

「⋯⋯どうすればよろしいの? 審査について教えてくださる?」

 セラフィーナが実際に利用するのは初めてだった。

「――情報を開示していただけますか? 探している〈翡翠の首飾り〉はどういう代物です? 単なる宝飾品? それともアーティファクト? 紋章が刻まれていますね。これは何らかの術式ですか? 呪いなどの危険性は? シーラッハ男爵家が手放した理由は何です?」

「捲し立てられても、すぐには答えられませんわ」

「分かっていることを全て教えてくれなければ、冒険者に依頼は出せません」

 ギルドマスターのいぶかしむ態度。メガラニカ帝国に対する不信感は露骨だった。〈翡翠の首飾り〉が欲しいだけなら、宝飾職人に依頼をすれば似たような代物が作れる。

 これだけの大金を費やして探す理由が必ずある。

「⋯⋯絶対に話さなければならないのですか?」

「冒険者組合の役割は、持ち込まれた依頼の適格性審査。先程のお話を聞いた限りでは、大金を費やしてまで、〈翡翠の首飾り〉を見つけ出す価値はないと思われますね。――となれば特別な事情があるのでは?」

 ギルドマスターはセラフィーナが引き連れてきた従者達、元一級冒険者のパーティーに視線を送った。

 大金を叩きつけられようと隠し事があるなら引き受けない。ギルドマスターの意思は固かった。

「セラフィーナ様。私からよろしいでしょうか?」

「ララノア⋯⋯。そうですわね。私は冒険者組合の事情に明るくありません。貴方のほうが詳しいでしょう。お願いしますわ」

 このままで事態が進展しないと感じたララノアは、セラフィーナの許しを得て前に進み出る。

「おや、何処の何方かと思えば、寿引退で帝都の冒険者組合を脱退されたララノアじゃないか」

「そう皮肉を言わずにお願いします。持ち主を見つけ出してくれれば良いのです。シーラッハ男爵家から〈翡翠の首飾り〉を買った商人を教えてくれるだけでも、成功報酬の半額を支払う条件です。冒険者は喜ぶと思いますよ?」

「⋯⋯ララノア。帝都の一級冒険者だったお前が言うのか?」

 冒険者組合の考え方を知らないはずがない。ギルドマスターはララノアに皮肉めいた笑みを飛ばす。

とは立場が違いますからね。今の私は宮仕えの側女です。私達の膨らんだお腹を見て分かるでしょう」

 かつて腕を鳴らしたベテランの女冒険者パーティーのメンバーは全員が身籠もっていた。

「あーわかった、わかった。よく存じているとも。ギルド名義で安産祈願の帯祝いを送ってやったのを忘れたか?」

「そういえばそうでした。意外に冒険者組合も律儀ですね」

「特にララノアは長年に渡って冒険者組合に貢献してくれたからな。退職金とでも思ってくれ。まさかこんな形で引退するとは思わなかった。恋愛や結婚に興味がないものだとばかり。そのつもりだったのなら、もっと早くに言ってくれ。稼ぎ頭が⋯⋯」

「酷い言い草ですね。狙ってたわけではありません。皇帝陛下が望まれたのです。私に怨み節をぶつけられても困りますよ」

 孕み胎は皇帝とまぐわった証。帝都の冒険者組合に現われたララノア達は、武骨な女冒険者から後宮ハーレムの美女に変じていた。

「国家の権威で冒険者組合がへりくだると思うなよ。こっちは御国のお偉いさんに何度も煮え湯を飲まされてる。一級冒険者を五人も奪われ、問題児の特級冒険者に煩わせられ⋯⋯はぁ⋯⋯。まじで大変なんだよ⋯⋯!」

「苦労してるみたいですね。ご愁傷様」

「ともかく、もう厄介ごとはもう沢山だ! 大金に釣られてほいほい引き受けるはずないだろ? 帝国宰相の署名があっても審査なしで依頼は受けない。まずは裏を話せ。何かあるんだろ!? 怪しすぎる依頼だぞ!」

 一〇〇年以上の間、メガラニカ帝国で冒険者だったララノアはギルドマスターの人柄をよく知っている。旧知の間柄だからこそ、本音を聞かせろと求められた。

「どうしたらいいのかしら? 貴方はどう思う? ララノア?」

「セラフィーナ様、こうなってしまったらは話すしかありません。彼は幼少期から筋金入りの頑固者でした。ですが、口の固い男だと保証します」

「そう⋯⋯でも⋯⋯」

「ギルドマスターは冒険者のまとめ役。信頼できる相手です」

「仕方ありません。分かりましたわ。ある程度の事情はララノアから説明してください」

 全てを事細かに話すつもりはなかった。の情報開示。ベルゼフリートの過去は特秘。機密中の機密。皇帝の出生に関わる忌まわしき秘密は守られなければならない。

「――という次第です。説明をまとめると、シーラッハ男爵家が所有していた〈翡翠の首飾り〉は哀帝に災禍を起こさせた寵姫アンネリーの遺品かもしれません」

 ララノアの説明を聞き終えたギルドマスターは難しい顔付きで唸る。

「ふぅむ。⋯⋯もはや呪物じゃないか? それは? 死恐帝を弑逆した大逆犯もよく似た首飾りを持っていたんだろ」

「軍務省は偶然と考えていません。だから、こうして探しているのよ。とても危険なものかもしれない」

「分かっているのはシーラッハ男爵家が帝都の商人に売っただけか。手がかりは少ない⋯⋯。だが、どうだろうな。これだけのいわく付き。首飾りの所有者は全員が不幸になってそうだ。持ち主を転々としていれば噂くらいにはなってるかもしれない」

「現在も帝都にあるかは分かりません。ただ、もし実物を発見しても処理は帝国軍に任せたほうがいいかと⋯⋯」

「分かった。物探しが得意な冒険者に声を掛けてみよう。依頼の性質上、呪物に詳しい奴が良さそうだ。所有者や実物を発見したらグラシエル大宮殿に連絡しよう」

 ギルドマスターは横目とセラフィーナの反応を覗う。名乗りはしていないし、口元をフェイスベールで隠している。だが、正体は察しがつく。わざわざ素顔を隠す理由がある人物。

(セラフィーナ・アルテナだよな? 去年の戦勝式典パレードで陛下の隣に立たされていた金髪の美女に間違いない⋯⋯。腹はヘコんじゃいるが⋯⋯なぜ今回の件で女王が出てくる?)

 ギルドマスターは渡された写し絵に描かれた〈翡翠の首飾り〉をもう一度よく見てみる。

 寵姫アンネリーが身に着けていた愛用のアクセサリー。アルテナ王家との関わりはないかと熟考する。

(今は愛妾だとしてもだ。軍務省が使い走りで女王セラフィーナを表に出すか⋯⋯? いや、もう考えたくないな。やめだ。考えてもろくなことになりやしない)

 なぜセラフィーナが出てくるのかは謎だった。しかし、宮廷の面倒ごとにうんざりしていたギルドマスターは深追いしない。

「ところで依頼主の名前はララノアでいいのか? それとも、こちらの貴夫人の御名を?」 

「軍務省の依頼だけど、私の名前を使ってくれる? 内密に進めてほしいの」

「分かったよ。依頼主はララノアにしておく。やれやれ。皇帝陛下にお仕えする女仙ララノアっと⋯⋯お前さんも偉くなったもんだ⋯⋯」

「偉くなりましたからね。日雇い冒険者と違って今は公職の側女です」

「ああそうかい。書類は整ったぞ。女仙様」

「嫌味な言い方ですね」

「着手金の返金は一切なし。ギルドとして全力は尽くすが見つかるか分からない。同意いただけたものと見做すからな」

 内密を条件に事情を説明してもらったが、まだ隠し事があるとギルドマスターは勘付いていた。しかし、それも深追いはしない。

 冒険者組合は中立勢力とされているが、メガラニカ帝国では国家の力が圧倒的に強い。

 アガンタ大陸の東方諸国であれば、教会と同程度の独立性を堅持できるが、メガラニカ帝国は中央集権国家の体制が完成している。

 民衆も国軍や警吏が出動してくれないときの便利屋程度にしか見ていないのだ。遺物で潤う迷宮の近隣を除けば、日雇い労働者的な側面が強かった。

 ◇ ◇ ◇

 肌寒さを覚えたベルゼフリートは寝台ベッド同衾どうきんしている女仙に抱きつく。柔らかな肉付きを想定していた。ふくよかなで温厚な牝牛の弾力であるはずだった。

(⋯⋯あれ? この揉み心地はセラフィーナじゃない⋯⋯?)

 肌触りは百獣の王を想わせる筋肉質な硬さ。柔軟性こそあるが、弛まぬ生肌の質感。鋭利な刃を弾く、鍛え抜かれた金剛の筋肉。強靱な張りを感じさせる。

(腹筋がバキバキに割れてる。護衛の誰かだ。ハスキーでもなさそう⋯⋯)

 被っている毛布から頭を出して、一緒に寝ている女仙が誰なのかを確認しようとは思わない。

(――柑橘系の香りがする)

 香水の匂い、乳房の大きさ、肌の質感、微かに聞こえる吐息の音。女仙の全員を把握していないベルゼフリートでも親しい相手は顔を見ずとも触れ合えば分かる。

「シャーゼロットじゃん。⋯⋯僕と朝寝坊なんかしちゃっていいのかな。皇帝護衛の任を命じられてなかった?」

「私の担当は夜番。プライベートな時間を陛下とともに過ごすのは問題なかろう?」

「う~ん。そうなのかなぁ?」

 ベルゼフリートは芋虫のよって身体を這わせて、埋もれていた頭を枕まで登らせる。

「優しい陛下はきっと許してくれる。そうだろう?」

「それもそうだね。うん。細かいことは気にしなくていいや。でもさ、帝国元帥がムッとしちゃうよ? あとハスキーもずっと我慢してるから、どうなっちゃうかなー」

「警務女官長も腹を下したような顰め顔で私を見ていた。なあに、恋敵からの妬みは心地好いものだ」

「ハスキーもいなくなってる。今は休憩時間かな? それとも仮眠?」

「さっきまでここにいた。御株を奪われてしょげているのだろう。陛下の隣で眠る私を羨ましそうに見ていた。皇帝護衛の任務を軍閥派に取られたくらいで情けない」

「意地悪は良くないよ。僕の女官をいびるのは禁止だからね?」

「いびっているつもりはないのだがな。母親は違えど、帝国元帥とハスキーは同じ父親を持つ娘らしい」

「ハスキーはレオンハルトと違って女の子に妬かないけど、仕事を取られるのは嫌がるからねえ」

「放っておけばいい。そもそも陛下は女官を甘やかしすぎだ」

「そういうシャーゼロットは母親似。すっごく大胆不敵だし⋯⋯ちょっとだけ強引だよね」

「強引なのはお嫌いかな?」

「ううん。好き。アレキサンダー公爵家の家風っぽいと思うよ」

「家風か⋯⋯。確かにそうかもしれない。さすがは皇帝陛下だ。アレキサンダー公爵家の女がどういう生き物かよく分かってらっしゃる。私が母親似なのも事実だ」

「あ⋯⋯! そういうことじゃ⋯⋯な⋯⋯」

 ベルゼフリートは自身の失言を理解した。何かを喋ろうとして、口が固まってしまう。

「新年のアレキサンダー公爵家訪問で、陛下は母上と親密になられたようだ。私の抱き心地は母上よりも、ヴァルキュリヤ・アレキサンダーより上か、ぜひ教えていただきたい」

「あはっははは⋯⋯。なんのこと?」

「惚けるのがお上手だ」

「レギンフォードにも問い詰められたけど、ヴァルキュリヤとは何もなかったよ。いくら僕でもさ⋯⋯ね? 普通に考えてさ、義理の母親とヤるわけないじゃん」

「むしろ義母は好みなのでは?」

「そ、そんなことはないよ。露天風呂で身体を洗いあった程度だもん」

 ねっとりと肢体を絡ませ、疑いの眼差しを向けるシャーゼロットの態度。誤魔化してはいるが、ベルゼフリートは視線を宙に泳がせている。

「まあよいさ。寝床でする話ではない。そのあたりの追及はレギンフォードに一任している」

(えぇ⋯⋯。レギンフォードにまた取り調べられるの⋯⋯? まいったなぁ⋯⋯。僕だって欲望に負けてヤったわけじゃないのに)

 帝国宰相ウィルヘルミナに口止めされている以上、傀儡の皇帝ベルゼフリートは七姉妹の実母ヴァルキュリヤと密通した事実を話せない。しかし、根掘り葉掘り追及されれば、いつかはぽろりと真相をこぼしてしまいそうだった。

(――そもそも子供が産まれたら絶対にバレる気がする。いつまでも誤魔化せやしないよ)

 次にウィルヘルミナと会ったとき、もう限界だから暴露してしまいたいと相談する。そんな決意を固めたベルゼフリートだったが、思わず溜息を吐いてしまった。

(そういえばウィルヘルミナは議会のお仕事が忙しいのかな。⋯⋯レオンハルトは見送りをしてくれたし、カティアだって僕の様子を覗きにきてくれたのに)

 帝国宰相ウィルヘルミナは仮寓帝殿となったグラシエル大宮殿を訪れていない。国民議会で公務をこなす拠点は、議事堂に隣接する公邸で十分と判断したからだ。

 ベルゼフリートは何度もウィルヘルミナの訪問予定がないか女官に確認させていた。

「もうちょっと寝る。眠たい⋯⋯」

 ベルゼフリートは毛布を被ってしまった。シャーゼロットは朝食のお伺いをたてようと近づいてきた庶務女官を退かせる。不健康な生活サイクルに懸念を顕わしながらも庶務女官は引き下がった。

「女官達は下がれ。時間の流れを停滞させる」

 シャーゼロットは次元操作の異能スキルで時間流を淀ませる。空間が球形に歪んでいく。寝台ベッドの周囲は時間の流れが穏やかになる。

(ここでなら六時間眠っても、外界では二時間しか経っていない。周囲に大きな影響を与えずに済むのは三分の一が限界か⋯⋯)

 現実世界に時間の流れが緩やかな次元を投影させる高等技術。シャーゼロットの次元操作は卓越している。しかし、極みには達していない。

 帝国元帥レオンハルトは時間をほぼ停止させる。出来の良すぎる妹が生まれてから、力量差は分からされてきた。

 長女が天才と持て囃されたのは、真の天才だった四女が産まれるまでの数年間だけ。

 かつてのシャーゼロットは自分が持ち得なかった最強の力を妬んだ。しかし、今はそんな気持ちが沸き起こらない。

 皮肉なものだった。才能溢れるレオンハルトは軍務省の統帥本部で仕事に忙殺されている。

(陛下の子を産めることに比べれば、家督や軍務省の地位などくだらない。母上もみっともない真似をする。まあ、好きになされればよい。誰の指図かは知らないが些事だ。私は自分の強き子を産めればいい。そう⋯⋯一個大隊くらい産ませてくれれば⋯⋯♥︎)

 ふて寝する幼い皇帝の頬を撫でる。寝込みを襲ったりはしない。優しく、丹念に、心から、主君を愛でる。

「どうぞゆるりとお休みください。皇帝陛下」

 ◇ ◇ ◇

 冒険者組合での用事を済ませたセラフィーナは、ラヴァンドラ伯爵邸を訪問していた。

 昨年の末、ベルゼフリートの間に産まれた娘、ギーゼラはラヴァンドラ伯爵家に預けられている。女仙の穢れを宿すセラフィーナは愛娘に触れられないが、健やかに成長している姿を確認したかった。

(冒険者が有益な情報を掴んでくれるといいけれど⋯⋯)

 〈翡翠の首飾り〉を探す依頼は受理されたが、ララノアの提案で使える手段は全て使うことにした。

「ルイスとアリスティーネの二人には盗品窟の商人を当たらせています。盗品を取引する闇市ですが、表では出てこない貴重な品が出回ったりします」

「盗品ですか⋯⋯、まあ、仕方ありませんわ。最優先すべきは〈翡翠の首飾り〉の発見。軍務省はとやかく言わないでしょう」

すねきずを持つ者達ですが、正規の方法では得られない情報も聞き出せます。もちろん、こちらの情報は渡しません。貴族の好事家が探している体裁で偽ります」

「テレーズとエルフィンは別のところに行くと言っていましたわね?」

「はい。聖堂会の人脈を利用します。過激派の皇帝崇拝勢力ですので、女仙となったテレーズが頼めば信者が無償で動いてくれるでしょう⋯⋯。ただ、テレーズが事情を喋りすぎてしまうかもしれないので、口止め役にエルフィンを同行させました」

「何度か耳にしたけれど、聖堂会は危険な団体なの⋯⋯?」

「五百年前に死恐帝を暗殺した反動で生まれた宗教勢力です。皇帝陛下を批判した共和主義者を私刑リンチにかけたり、まあいろいろとやり過ぎるんです⋯⋯。皇帝制度の改革を主張した著名な法学者が講演先のケーデンバウアー侯爵領で刺されて、聖堂教会が襲撃を計画したとされています。襲撃事件以来、公安総局の監視団体です」

「そう。⋯⋯だとしてもララノア達が冒険者だった頃に築いたツテを使っていいと軍務省から許可が出ていますわ」

 セラフィーナはラヴァンドラ伯爵家の応接間で待たされている。付き添いはララノアとタイガルラだけだ。

「――ところで、その方々はどうするのです? タイガルラさん」

 冒険者組合の訪問時、不意に姿を消したタイガルラはセラフィーナを狙っていた刺客を捕まえた。どういう原理かは不明だが、小さな硝子瓶に数人の男が閉じ込められている。

「軍務省で背後関係を吐かせたら司法神殿に引き渡します。この四人組は東アルテナ王国かバルカサロ王国の諜報員です。素人の尾行ではありませんでした」

 アルテナ王国の西側半分は、メガラニカ帝国の支配領域となっている。併合宣言こそされていないが、閉ざされていた国境は開かれ、国境のイヒリム要塞は交易拠点としての再整備が始まった。

「人の往来が盛んになれば、東側の諜報員も入り込んできます。反帝国勢力の東アルテナ王国でセラフィーナ殿は憎悪されていますからね」

 まさしく釣り餌だった。軍務省の参謀本部はセラフィーナが帝都アヴァタールに外出する情報を意図的に流出させた。

 ――売国妃セラフィーナの死を望む者は少なくない。

 アルテナ王家の正統な血筋を引く女王セラフィーナが、皇帝ベルゼフリートの子を産む。中央諸国の権力者達からすれば、メガラニカ帝国の勢力を増長させかねない事態だ。

 アルテナ王国を足場に大陸中央へ進出しようとする動き。破壊帝の時代に苦難を味わった諸外国は、メガラニカ帝国の復権を強く恐れていた。

「陛下と私の娘達がそんなに恐ろしいのかしら? くふふふっ♥︎」

 幼い皇帝との不徳な愛欲に溺れて、道を踏み外した悪女は嗤った。以前の生活に不満を抱いていたわけではなかったし、ガイゼフと過ごした幸せな家族の時間は今でも胸に刻まれている。

 ――しかし、ベルゼフリートはセラフィーナの心を奪い尽くした。母親である前に淫らな女だと気付かされた。優れた雄と交尾を欲する雌。子供を産まされて、その想いはさらに強まった。

「失礼いたします。愛妾セラフィーナ様。御令嬢のギーゼラ様をお連れいたしました」

 赤児を抱いた乳母が応接間に入ってきた。昨年の末月、旧臣が勢揃いした玉座の間で産んだ三つ子の姉妹。セラフィーナとベルゼフリートの血が混ざった愛しの娘。ラヴァンドラ王妃との取り決めで養育はラヴァンドラ伯爵家に一任していた。

「くふふっ♥︎ 可愛い赤ちゃん。まん丸顔ですわ。私と陛下が愛し合った証⋯⋯♥︎ 健やかに成長しているようで安心いたしましたわ」

 女仙は瘴気のせいで、我が子にすら触れられない。生後三ヶ月のギーゼラは愛情を向けてくる母親をじっと見詰める。

 純粋無垢の穢れなき眼の幼児。セラフィーナはベルゼフリートと交わった初夜を追懐してしまう。敗戦を受け入れた夜、淫香が充満する夫婦の寝室で激しく陵辱レイプされた。

 巨大な男根で熟したオマンコを穿たれ、幼帝の胤で女王の膣内は満ちた。悦楽の極致に導かれ、肉体の奥底に秘められていた女のさがが目覚めた。

(昔は考えられなかったわ。アルテナ王家の女王である私がこんなに卑しく、淫らな女だったなんて⋯⋯♥︎)

 当時はまだ祖国を蹂躙した帝国を憎悪していた。

 敗軍を率いて隣国へと逃れた夫ガイゼフに助けを求めて叫んだ。帝国軍に包囲された王都ムーンホワイトから逃がした娘ヴィクトリカの無事を泣きながら祈った。そして、帝国軍に処刑されたリュートを偲んで慟哭した。

(けれど、私は皇帝の御子を⋯⋯愛してしまった少年の⋯⋯ベルゼの子供を産んでしまった)

 約二十年の間、共に歩んだガイゼフとの夫婦生活。幸福の全てに思えた家族との日々。たった一年でセラフィーナは捨て去った。今まで大切にしてきた人々に裏切り者だと罵られても、ベルゼフリートに寝取られたいと望まずにはいられなかった。

(私がこの子を授かったのは女仙となった最初の夜。私の肉体は望んでしまった⋯⋯。きっと私の魂はもう堕ちていたのだわ)

 征服者の少年に辱められ、次第に本心から愛してしまった。祖国よりも、家族よりも、何よりも、幼き皇帝の愛が欲しい。皇帝を囲う後宮の美女を妬み、醜悪な嫉妬心を燃え上がらせた。生まれて初めての破滅的な恋愛。

 セラフィーナが己の本心を強く自覚し始めたのは、ベルゼフリートの忌まわしき出生の真実を知ってからだった。

「我が子に触れられないのが残念でなりませんわ」

 まだ言葉を知らぬつぶらな瞳の乳児。目の前にいる美しい女性が母親だとは分かっていない。成長したギーゼラはセラフィーナと同じ金絹の長髪がよく似合う美少女となるだろう。

「ロレンシアが産んだ男児はどうしているのかしら? ラヴァンドラ伯爵家に預けられていると聞いていますわ」

 ショゴス族による肉体改造で苗床胎となったロレンシアが産んだ十二番目の子供ジゼル・フォレスター。生まれた子供達の中で唯一、ショゴス族の遺伝子が混ざっていない純粋なヒュマ族だった。

「ジゼル様もお元気です。ただ生後一ヶ月未満ですので、女仙の方々と面会するのは難しいと伯爵家の医術師が申しております」

 ロレンシアが胎孕たいよう廟堂びょうどうで初産を遂げたのは今年の二月五日。まだ一ヶ月と経っていなかった。

「陛下と同じ褐色の肌と聞いたから、一目だけでも見たかった。でも、医術師がそう言っているのなら仕方ありませんわ」

 ジゼルにも役割はある。ロレンシアはフォレスター辺境伯の令嬢だ。領地はメガラニカ帝国とアルテナ王国の国境にある。両国を繋ぐ重要な地域だ。

 ラヴァンドラ伯爵家はジゼルをフォレスター辺境伯家の次期当主に据えようとしていた。

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