2025年 1月23日 木曜日

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【100話】真相

「——幼子まで処刑する必要があるのですか?」

 ウィルヘルミナは騎士団の外衣を羽織はおる。

 猛暑日だというのに肌寒さを感じていた。

(気分が優れないわ⋯⋯。何なのでしょう? 嫌な気配をずっと感じます)

 昼夜の寒暖差で疲労しているのかもしれない。ウィルヘルミナ以外の騎士団員も奇妙な怖気を感じているようだった。

(罪人の処断。憂鬱ですね。騎士団の仕事ではありますが⋯⋯)

 公爵家の次期当主ウィルヘルミナは古き伝統に習い、ナイトレイ公爵家の私設騎士団と行動を共にしている。

 普段の職務は領内の見回り。今回のような罪人狩りは初めてだった。相手が極悪非道の凶悪犯であれば、後ろめたい気持ちにはならなかった。

(名誉ある仕事とは呼べないわ⋯⋯)

 ナイトレイ公爵家の騎士達は、領境に設置された関所の野営地で一夜を明かした。捕らえた母親とその息子は、関所の地下牢獄に収監している。

「今回の処刑⋯⋯。気が進まないわ」

「領主殺しは大罪。司法神官が族滅の判決を言い渡したのです。帝国の律法を守ってこそ、良き貴族です」

「良き貴族⋯⋯」

「法を軽んじてはなりません。ウィルヘルミナ様」

 騎士団の実務を担う副団長は諫言する。けれど、ウィルヘルミナは気乗りがしない。

 若い娘が騎士に斬殺された光景を見てから、寒気が止まらなかった。この手の汚れ仕事は向いていないのだとウィルヘルミナは自分に言い聞かせた。

「爺やはいつもそれですね。貴族の矜持だとか、伝統だとか、慣習だとか⋯⋯」

「不肖の身ながら、ウィルヘルミナ様の指南役でありますゆえ」

「はぁ。もう⋯⋯分かりました。それで、判決を言い渡した司法神官はいつ到着するのです?」

「隣領の裁判が長引いているため、処刑の見届け人はウィルヘルミナ様にお任せしたいとのことです」

「⋯⋯まさか来ないつもりですか? 族滅の判決を言い渡した当人が?」

「司法神官は多忙なのでしょう。ウィルヘルミナ様宛の委任状が届きました」

「見届け人は私? はあ⋯⋯。そんな。仕事の押し付けではありませんか」

「検屍のため、罪人の死体は保管しておくようにと⋯⋯」

「まったく⋯⋯! 確かに私はシーラッハ男爵家の出自ですけど、殺された大叔父とは関わりがないのに⋯⋯」

「三度はお会いしているはずです」

「三度も? まったく覚えていません」

「直近ですとシーラッハ男爵は騎士団長の着任式に参列されていました」

「あら、そうなのですか。それなら記憶から消したのでしょうね。殺されたのはご愁傷様だと思うけれど⋯⋯。だからといって、私が仇討ちする理由になります?」

「仇討ちではありません。法の執行です」

「私、堅苦しい話は大嫌いです。⋯⋯政治とか面倒くさい」

「ウィルヘルミナ様⋯⋯! 言葉が過ぎますぞ!!」

「仕方ないでしょ? 私が期待されている役割は新帝の即位後、後宮に入内する。それだけのはずよ。そうでなければ、淫らなサキュバスなんかを公爵家の跡継ぎに指名しないわ。重苦しい貴族の責務を押し付けられては困るのよね」

「ウィルヘルミナ様は由緒正しきナイトレイ公爵家の当主となられるのですよ。自覚をお持ちください! 公爵家の未来はウィルヘルミナ様に託されておるのですぞ!」

「責任の次は、当主の自覚? 笑ってしまうわ。そんなものが必要だったの? 私はお飾りなのだから、美しく着飾ってればいいでしょう?」

「誰が何と言おうと、ウィルヘルミナ様は爵位を継がれるのです。政は貴族の責務! 民を導く者の責任を果たさねばなりませぬぞ!」

「薄汚い政治になんて興味ないわ。サキュバスの私に政治手腕を期待するほうがどうかしてる。間違っています」

 ウィルヘルミナはせせら笑った。今からわずか一年後、帝国宰相に即位し、新帝を支える女傑の繕わぬ素顔だった。

「ナイトレイ公爵家は始皇帝の代から帝国にお仕えしてきた歴史ある大貴族なのです」

「⋯⋯古いだけでパッとしない大貴族とも言われてるわ。大いに賛同するわ」

「ウィルヘルミナ様⋯⋯!」

「怒らないでほしいわ。実際、その通りだと思うのだけど?」

「ナイトレイ公爵家は貴き家柄! 王妃は内定しているのです。ウィルヘルミナ様が皇后となられることも十分にありえます」

「ない! ありえない! 絶対にありえません!!」

「ウィルヘルミナ様、貴族たるもの淑女でなければなりません!」

「ええ。レディとして振る舞うわ。王妃になったら必要最低限の義務は果たしますとも。だけど、皇后なんて嫌に決まってるじゃない。やりたくもないわ」

「皇后に相応しい家柄の妃は限られておりますぞ」

「そうかしら? 帝国軍元帥はアレキサンダー公爵家。大神殿の神官長は大巫女のカティア猊下で決まり。席は二つ埋まっているわ」

「残された一席。帝国宰相の席があります」

「宰相は帝都の貴族がやってくれるでしょ。田舎貴族より適任」

「帝都の貴族? まさかラヴァンドラ伯爵家ですか? あそこは成り上がりの新興貴族ですぞ!」

「爺やは古いわ。成り上がりだから? それが何? 歴史しかない古臭い大貴族よりは面白そうよ。やらせてみましょうよ。きっと国を富ませてくれるわ。伝統に縋り付いて、片田舎で気取っている大貴族なんか誰も歓迎しないわ」

「ウィルヘルミナ様! ご自分の家門と領地を蔑まれるのはおよしください!」

「説教はたくさんだわ。いきなり帝国宰相になったところで、何が出来ると思うわけ? 死恐帝の死後から五〇〇年の間、三皇后は空位だった。評議会は解散状態。新帝が即位された後も、メガラニカ帝国を導くのは国民議会よ。今と変わらないわ。何一つとしてね」

 当時はそう思われていた。皇帝の即位に伴い、三皇后が現われようと三頭政治の体制には戻らない。

 大宰相ガルネットが手腕を振るった栄大帝の時代とは違う。今のメガラニカ帝国を主導しているのは、選挙で選ばれた国民議会だ。

「無理に政治を動かせば軍部が黙っていない。新帝が現われて、評議会が設立されようと、国政に変化は起きないわ。国民議会と貴族軍人の連立を崩せない限り⋯⋯。帝国の政治は停滞を続けるのよ」

 行政の実権は国民議会が握っている。妃達による評議会は権威付け程度の機関だ。既存の政治体制をひっくり返す方法は存在しない。不可能だ。

 ——だが、帝国宰相となったウィルヘルミナはその不可能を成し遂げる。

「ナイトレイ公爵家は過去に皇后を輩出した一門です。公爵はウィルヘルミナ様が帝国宰相となられる未来を望んでおられますぞ」

「過去に皇后を排出って、哀帝時代のでしょ? 嫉妬で皇帝の寵姫をいびってた性悪な女だわ。任期を全うした聖大帝や栄大帝の皇后なら、胸を張れたかもしれないけど⋯⋯。過ちを正せなかった皇后に無価値よ」

「哀帝には精神的な問題がありました。当時の皇后だけに責任があったとは⋯⋯」

「いくら公爵家の面子があるからって、その発言は不敬だと思うわ。哀帝の祟りは本当に穏やかだった。そう聞いているわ。死恐帝の災禍で出た甚大な被害を見れば、哀帝の慈悲深い人柄が分かる。愚かな皇后が地位に固執して国を傾けた。そうでしょ?」

「⋯⋯確かに失言でありました」

「私に比べれば爺やの失言は可愛いものでしょ。ともかく私は皇后になりたくないわ。遊び相手でいいじゃない。後腐れありませんからね。気が楽だわ。小難しい政治を考えながら、宮廷で窮屈な暮らしなんて最悪。皇帝陛下とセックス三昧の爛れた宮廷生活を送れれば最高♥︎ サキュバスの私は十分幸せです♥」

 ウィルヘルミナは自分の尻尾にハート形のアクセサリーを付ける。

「あのですなぁ。ウィルヘルミナ様⋯⋯。公爵家の行く末が掛かっておるのですぞ?」

 副団長は呆れ顔だ。公爵家の養子となったウィルヘルミナを手塩にかけて育てたのは、この老騎士だった。

 老齢の現当主はもう子供が望めない。そこで分家筋のシーラッハ男爵家が持て余していた幼児のウィルヘルミナを引き取った。新帝に嫁がせる美妃とするため、淫魔族の美少女に英才教育を施した。

 公爵家の老騎士は妻とともにウィルヘルミナを淑女に育てようと努めた。けれど、種族の特性は教育で直せなかった。

(地頭は賢いのだが、やはりサキュバス族ではな⋯⋯。淫蕩の性には抗えぬか)

 近頃のウィルヘルミナは反抗期だ。品性を疑う卑猥なアクセサリーは捨ててくれと頼んでいるが、両耳には男根を模したイヤリングが付いている。性的シンボルのアクセサリーで着飾るのにご執心だった。

「良いデザインでしょう。淫魔娼婦街で人気のイヤリングです」

「はぁ⋯⋯」

 昔は素直で良い子だったのにと言いかける。

「最近の爺やは溜息が多くなりましたね。そろそろ後進に道を譲っては? ストレスで禿げ上がった爺やを見るのは辛くなってきました」

「隠遁ですか。ウィルヘルミナ様が立派な当主となられた暁にはそうするつもりですとも⋯⋯。それと薄毛は以前からです」

「そろそろ行きましょう。気乗りはしませんが⋯⋯、仕事をしましょう」

 ウィルヘルミナは天幕を出る。象徴的な騎士団長に、剣を振るう腕力はない。騎士の衣装を着ているが、腰に剣は下げない。鎧のデザインは胸の谷間が蒸れるので、露出を増やしてほしいと鍛冶屋に命じ、特注品を造らせた。

 ご自慢の巨乳を見せびらかし、ウィルヘルミナは野営地を進む。サキュバス族の豊満なエロボディは同性をも虜とする。普段ならこぞって騎士団の面々が挨拶に来る。しかし、今日は事情が違った。

「おや? 何事でしょうか?」

 何やら騎士達がざわついている。ウィルヘルミナは鼻先に寄ってきた小蠅を叩き落とす。

「蝿? 蟲でしょうか⋯⋯?」

 一帯に不快な羽音が響いていた。

「ウィルヘルミナ様はここでお待ちください。私が確かめて参ります。おい! 貴様ら、これは何の騒ぎだ? 誰か説明しろ!」

 副団長の老騎士は人集りを退かして、騒ぎの中心に向かう。蝿の発生源もそこで間違いなかった。

「爺や⋯⋯? 何なの? これは?」

「ウィルヘルミナ様。近寄ってはなりません。何が起こった? 説明できる者はいないのか!? この死体は何だ?」

 ウィルヘルミナは顔を背ける。地面に腐った死体が転がっていた。

 皮膚が黒く変色し、液状化している部位もある。風向きが変わり、強い屍臭が嗅覚を襲った。

「分かりません。副団長殿。⋯⋯気付いたときはこうなってました」

 死んでいたのは罪人の娘を斬り殺した騎士だった。

 具合が悪いと、野営地に着いてから天幕で休んでいたという。今朝方、姿が見えなくなったので、探してみたところ、野営地の外れで腐乱死体となっていた。

「最後に見たのはいつだ?」

「⋯⋯昨日の夕方です。衰弱していたので、自分が水を飲ませました」

「一日と経たずにこれか? おかしい。死体の腐敗が早すぎる⋯⋯。すさまじい数の蝿だな。くそっ! 生木を燃やせ。煙で燻し、害虫を追い払うのだ。自然死ではないだろう。あとで神官に死因を調べてもらう。現場を保存するのだ。死体には触れるな。伝染病の可能性も考えねばならん」

「爺や⋯⋯。異様だわ。たった一晩でこんな死に方はしない」

「我らで調べます。ウィルヘルミナ様は天幕にお戻りください」

 腐乱の速度が著しい。考えられるのは呪術、もしくは疫病だ。

 ウィルヘルミナは蝿が集る騎士の骸を見下ろす。死体を見るのは、初めてではない。しかし、見知った人間が死んでしまったショックは大きい。

 変死した団員と親しくはなかった。だが、顔を知っている騎士団の同胞だ。己の臣下だと認識していた。一昨日まで元気に剣の素振りをしていた青年が、たった一夜で不気味な死を遂げた。

 騎士達は生木を燃やし始める。白煙で集まってきた蝿を追い払おうとする。けれど、蝿の大軍は消えてくれなかった。数は膨れ上がっていく。どうしようもないので、対処に困った騎士達は遺体に土をかけて隠した。

 ——後日、大神殿の巫女アマンダはこの話を聞き、烈帝の故事を思い出した。三代目のメガラニカ皇帝・烈帝は、権力闘争に明け暮れる妃達の暴虐に堪えきれず、憤死したと伝えられている。

 烈帝の魂は激しい怒りで祟りに転じ、〈ザレフォースの災禍〉を引き起こした。炎の大嵐は約二〇〇年間、国々を燃やした。

 災禍には必ず前触れがある。烈帝が体調を崩し、亡くなる数週間前、女仙が突如発火し、焼死する変事が起こっていた。

 騎士の腐乱死体は災禍の前触れだった。

 詳しく死体を調べなかったのは大きな間違いだ。群がる蝿は屍臭に寄せられて集まってきたのではない。屍から発生していたのだ。

 ――ナイトレイ騎士団の面々は前兆に気づかなかった。

 凶蟲は地面の下に埋められた死体を喰らう。

 湧き出した黒蝿は地中で息を潜めた。転生体の崩壊は間近に迫っている。破壊者ルティヤの悪しき下僕は、災厄の顕現に備えた。


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