【235話】対立の王国 西都からの書簡〈前編〉

 総白髪のダリアン・グレイハンク伯爵は、老け顔の冴えない風貌をしていた。

 馬鹿丁寧に整えた毛髪は薄っぺらく、頭皮が透けて見える。政略結婚で身分相応の妻を娶り、息子五人と子宝にも恵まれた。

 狩猟とうそぶきながら、領内の森で愛犬と散策をした後、肉屋で獲物を買って帰るのが日課だった。

 貴族の社交界に顔は出すが、目立つ振る舞いを嫌った。

 野心なき牧歌的な名家の主人。グレイハンク伯爵の生き様はその一言で説明できる。

 総督府がグレイハンク伯爵を執政官に選んだ理由は、戦争に深く関わっておらず、反帝国の思想も抱いていない人物だったからだ。

 簡単に言ってしまえば従順な犬になりえる傀儡貴族を置いておきたかった。

 和議が結ばれた瞬間から、アルテナ王国は主権を回復した扱いになっている。名目上、女王セラフィーナ・アルテナと新国王ベルゼフリート・メガラニカの夫妻が共同君主となった。

 同時に、前夫ガイゼフ・バルカサロの影響力を徹底的に削ぐための措置が行われた。

 バルカサロ王国と関係が深い国内の有力貴族は要職から遠ざけられた。

 また、処刑されたリュート王子と近しかった近衛騎士団の面々も僻地に追いやられるか、閑職を嫌って自ら東アルテナ王国に逃げ去った。つい数ヶ月前まで、行方不明者は東アルテナ王国に亡命したと思われていた。しかし、大妖女レヴェチェリナによって拉致され、妖魔兵の素体に使われていた事実が判明している。

 帝国軍の情報将校ユイファンによる調査では「約七十名の近衛騎士団関係者が行方不明」と報告された。

 調査対象をアルテナ王国の軍全体に広げると、行方不明者はとても追いきれない数になる。反帝国の志を抱き、グウィストン川を渡って東側に逃れた者達が大半であるはずだ。

 魔物に利用された犠牲者はごく少数であると見積もられるが、実際の被害者数は調べようがなかった。

 様々な理由でアルテナ王国の中枢を担ってきた要人は消えた。名目上の主権を取り戻しても、執政官に出来ることは限られている。どのような政策を通すにしろ、メガラニカ帝国が設置した総督府の飼い犬には違いない。

 ところが、メガラニカ帝国の思惑は大きく外れた。

 アルテナ王国の人民からしても、予想外の展開が起きた。

 冴えない見た目のグレイハンク伯爵は、雁字搦がんじがらめの立場で優れた手腕を発揮し始めた。怠惰に耽っていた無能貴族が国難で覚醒した、と周囲を驚嘆させた。

 しかし、一ヶ月も経てば、双方の陣営がグレイハンク伯爵の本性に気づく。そして、違った意味で双方が腹立たしい想いを抱くことになった。

 グレイハンク伯爵は有能な怠け者だった。やればできるが、自分でやる必要がなければ動かない。

 祖国が無様に負けて、主君の女王が辱められ、国土が分断されて、やっと立ち上がった。

 往生際の悪さが抜きん出た国士である。しかも、最初は執政官の職をフォレスター辺境伯に押し付けようと画策していた。それが無理だと悟って、ようやく腹を括り、辣腕を以て国政を取り仕切り始めた。

 グレイハンク伯爵の真価を知っていたのは、長く連れ添った妻や子供達くらいであった。

「――戦争で負けたのなら外交で帝国に勝てばよい」

 敗戦で誇りを失ったアルテナ王国の貴族は、強がりでも「帝国に勝つ」などという妄言は口にしない。しかし、グレイハンク伯爵は軽々と言って見せる。

「メガラニカ帝国の軍勢が駐留しているのだ。占領軍を利用しない手はないだろう。軍備を丸投げして、戦後復興に国力を注ぐのだ。バルカサロ王国や中央諸国を相手にした交易は難しくなった。メガラニカ帝国の人々を新たな顧客にするほかあるまい」

 選べる選択肢は他に存在しない。もはや決断するしかないのだから、迷ったり、苦悩する必要がない分、グレイハンク伯爵は気楽だ。幸いにして、メガラニカ帝国という新市場はバルカサロ王国よりも遥かに大きなマーケットであった。

「⋯⋯とはいえ、限度はある。国内消費分まで輸出してしまったら、私達が餓えて死ぬ。麦や芋は食えるが、金銀は食えん。国内で餓死者が出ては秩序が乱れる。穀物の国外輸出は基本的に抑制する。総督府の了解も取り付けてある。この命令は徹底して守らせるのだ。特に収穫期が終わろうとしている麦だな。一束ひとたばであっても、許しなく国外に持ち出してはならん」

 グレイハンク伯爵は呼びつけた文官に念押しする。

「禁止事項はですね?」

「そうとも。だ。グウィストン川の東側に渡すのはいい。誰がなんと言おうと東側も国内だ」

「詭弁ではありますが⋯⋯。大丈夫でしょうか?」

「何を言う。セラフィーナ女王が東アルテナ王国の存在を認めておられない。それと共同統治者のメガラニカ皇帝もだ。我らが仕える両君主がそのようにお達しを出された」

「東側はヴィクトリカ様が⋯⋯」

「不法占拠されているだけだ。よって、国外輸出にはならん」

「承知いたしました。もはや何も言いません。国家と人民を第一に考えれば伯爵閣下の仰る通りです。東側に住む我らの同胞が飢えて死なぬように、穀物の供給を堅持します」

「よろしい。⋯⋯だが、くれぐれもバルカサロ王国や中央諸国までは流すな。総督府のお目溢めこぼしも限度がある。東側の商業組合にも言い含めておくのだぞ」

「バルカサロ王国から流れてきた難民はどういたします? 北方やグウィストン川の流域は対応に苦慮しているようです」

「受け入れて構わんさ。こちらも生活は苦しいが、総督府に話を通してある」

「人道上の観点から仕方ありませんが、バルカサロ王国は反帝国の思想を強く抱いております。国内に迎え入れれば反乱分子と結託する可能性も⋯⋯」

「ありえない」

「断言されるのですか? 恐れながらグレイハンク伯爵がそう断言なさる根拠は?」

「誰もが君や私のように割り切れていないからだ」

「⋯⋯? は? それはどういう?」

「考えてみたまえ。メガラニカ帝国を憎む人間は、バルカサロ王国も憎んでいるぞ。戦争の発端は彼らだ。しかし、被害を受けたのはアルテナ王国。信頼関係は失われた」

「なるほど⋯⋯。確かに。ヴィクトリカ様もバルカサロ王国や父君のガイゼフ様とは距離を置かれているようですね。帝国が憎くとも、バルカサロ王国とは結託できない」

「それはそれとしてだ。ここで難民を手厚く扱えば、メガラニカ帝国の風評がよくなる。バルカサロ王国の評判を貶める材料になるであろう。難民問題でさらなる支援を引っ張ってこれれば儲けものだ」

「流れてくる難民の数次第では? 食糧問題に飛び火しかねません。受け入れ先の問題もありましょう」

「ちょうどよくアルテナ王国の民を三万人ほどメガラニカ帝国に送り込む。移民団の第一陣は編成が終わった。王都近郊の人口が減った分、丁度よい塩梅あんばいになるだろう。難民達が我が国で暮らしたいというのなら、土地を貸し与えよう」

「分かりました。実は難民関連でもう一つ、グレイハンク伯爵の判断を仰ぎたい件があります。つい先日、グウィストン川でバルカサロ王国の貴族を乗せた船が襲撃を受けて沈没、流れ着いた犠牲者の水死体を埋葬したのですが⋯⋯」

「それで?」

「生存者が二名おりました。意識を失った男と女です。養殖を営んでいた川漁師達が発見し、救助しました。ところが、目覚めた男は女を殺そうとして剣を抜き、止めに入った川漁師が殺害されたのです」

「男は船を襲った盗賊側だったわけか? いや、おかしいな。なぜ女を殺そうとした? 物取り目的なら逃げ出すべきだ。殺意が強すぎる。⋯⋯最初から目的は殺しか?」

「はい。その男は他の川漁師に反撃されて死にました。死に際、『バルカサロ王万歳』と叫んだそうです。⋯⋯使っていた剣は上等なものでした。」

「明らかに盗賊ではないな。女は? 殺されてしまったのか?」

「いえ、川漁師が身を挺して守ったおかげで殺されずに済みました。しかし、衰弱が激しく意識不明の状態です。現在は帝国軍によって保護されています」

「そうか⋯⋯。犠牲になった川漁師への補償をするべきだろう。難民の保護は布告をだしていたからな」

「その必要はありません。帝国軍が補償金を支払ったと報告を受けました」

「ほう?」

「亡くなった川漁師の遺族だけでなく、村全体に対してです」

「本来、帝国軍が動く案件ではない⋯⋯。そもそもグウィストン川の流域は中立地帯だ。帝国軍の活動は制限されている。理由が気になる。帝国軍は男の死体を回収しているか?」

「はい。持ち物も含めて回収されたと聞きました。近くに住む村民は流れ着いた水死体を埋葬していました。ところが、駆け付けた帝国軍は墓を掘り起こし、遺体を全て持ち去ったと報告を受けています」

「何かあるな。私は総督府から何も聞かされていない」

「調べますか?」

「⋯⋯帝国軍に気付かれず、事件に関わった川漁師や村民から話を聞き出せるか? 特に保護された女の年齢や容姿、身に付けていた装飾品についてだ」

「時間はかかりますが、慎重にやってみます」

「帝国軍に嗅ぎつけられるようなら中断していい。敵対行為と勘違いされ、不信感を抱かれたくない。これは状況把握だ」

「委細承知いたしました」

 命令を受けた部下は真剣な表情で頷く。何か大きな事件が起きる前触れだと互いに予感していた。

 帝国軍の兵士が気前良く村民に補償金を払った理由。墓を暴いて遺体を回収した事情。保護されたバルカサロ王国の女はなぜ刺客に襲われたのか。

(補償金は口止め料。墓荒らしは被害者と加害者の正体を知るためか? それとも加害者側が帝国の工作員で隠蔽工作を図ったのか? いや、それは考えにくい。帝国側が関与しているなら、口止めではなく口封じで川漁師や村民を殺すほうが手っ取り早い。⋯⋯となれば、バルカサロ王国の軍か? 嫌な予感がする。こういう直感だけはよく当たる)

 窓辺に立ったグレイハンク伯爵は中庭を見下ろした。

「しばらく一人にさせてほしい。考え事をする。私の妻や家族だろうと入室禁止だ。緊急の要件か、総督府の案件以外は追い返していい」

「分かりました。失礼させていただいます」

 白月王城は大きく様変わりしている。バルカサロ王国と近しい貴族が排除され、官僚もメガラニカ帝国に従う者達が総督府によって選ばれた。

(さて⋯⋯。どこまで私は足掻けるだろうか? 女仙と呼ばれる妃達が去った後、メガラニカ帝国は私を使って間接統治を試みている。東アルテナ王国に対する政治干渉は、女王か、執政官の私を通して行う魂胆だ。おかげで国民の恨みはこちらに寄ってくるが、交渉次第で総督府に要求を通す余地が生まれた。⋯⋯外交の舞台は整った)

 グレイハンク伯爵の机には手紙のたばがある。

 天空城アースガルズの後宮で暮らす女王セラフィーナから送られてきた書簡だ。内容は検閲されているが、グレイハンク伯爵は「盗み見られても、まったくの無問題だ」と鼻で笑う。

(探りたければ探れ。出し抜いてやるが、裏切りはしないぞ。私の潔白を頑張って証明してくれるのだから、総督府のお目付け役には感謝と労いくらい言うべきかな?)

 メガラニカ帝国に逆らう気など毛頭ない。

 国家を存続させるために、全力で尻尾を振り、愛想よく媚びている最中だ。

(セラフィーナ女王とロレンシア嬢が再び妊娠したのは嬉しい展開だ。皇帝の寵姫としてお二人が気に入られている証。送られてくる手紙を読めば、幼帝が淫行に耽っている噂の真実味は増す⋯⋯。酒池肉林の狂宴が日夜開かれているのであろうか?)

 敗戦する以前であったなら、清らかな国母であったセラフィーナの淫姿は想像できなかった。

 大陸全土に知れ渡る美貌の女であったが、国民は無意識にセラフィーナを性的な対象から外していた。二十年以上の間、夫として寄り添ったガイゼフですらも、妻にありのままの肉欲をぶつけられていたかは怪しい。

 当人のセラフィーナでさえ、己の俗悪な劣情を否定し、清廉潔白な見目麗しい女王になりきっていた。息子と娘を産んだことで、その意識は強固なものとなり、戦争が起きなければ汚点のない生涯を送れたはずだ。

 しかし、セラフィーナはベルゼフリートに犯され、奥底に封じられていた淫奔な本性が目覚めた。

 手紙の文中でセラフィーナは本心を明かしている。「自分の女心を初めて自覚しましたわ。敗戦の夜、私は三十六歳の乙女で、肉体的に成熟していても内面は幼稚な無垢。十三歳の幼帝に抱かれて、本物の男を知り、自分が普通の女だと理解させられてしまった。自分が産んだ子供より年下の少年に母性を与えてみたくなり、ついには強い恋心と執着に取り憑かれている⋯⋯。国辱であり、裏切りと背徳に塗れた恋路であったとしても、私は皇帝ベルゼフリート・メガラニカの妻であり続けたい」と生々しく独白していた。

 祖国愛は以前と変わらずにある。

 前夫ガイゼフや娘ヴィクトリカへの家族愛も燻っている。

 無論、処刑された息子リュートの復讐心も忘れられない。

 ――だが、それらの正しい感情を上書きするほどに、セラフィーナはベルゼフリートと強く結ばれてしまった。

(なんたる豹変ぶり。女とは恐ろしいものだ)

 アルテナ王国の女王セラフィーナは恨むべき幼帝ベルゼフリートに魅了され、熟れきった心身を差し出した。

(国民の多くは思うところがあるだろうし、侵略者を憎むヴィクトリカ様の心情も痛いほど分かる。しかしだ。この状況下では、教会が説く清らかな道徳規範は役に立たない)

 一番最初に送られてきた手紙で、グレイハンク伯爵は仕えるセラフィーナの偽りなき本心を知らされた。売国女王を糾弾し、その非行を嗜めるべきなのだろう。しかし、そんな正論は西アルテナ王国の国益に沿わない。

(リュート王子が生きていれば別だった。他の手段も使えた。バルカサロ王国との連帯も⋯⋯)

 教会圏において王族の処刑はありえない蛮行だった。

(帝国軍による迅速な処刑は非情であったが、アルテナ王家の未来を決定づけた。そして、女王が皇帝の胤で孕み、赤子を産んだ時点で手遅れだ。外道を進み続けることで人民に安寧を与えられるのなら⋯⋯役目を果たすほかあるまいよ⋯⋯)

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