客間で待たされている特級冒険者ネクロフェッサーはギルドマスターに助言する。
「事前の打ち合わせだ。おそらく、皇帝陛下は堅苦しい挨拶や社交辞令を省くように言ってくるだろう」
「皇帝陛下らしいな。噂の通りというわけか」
「その通り。だが、皇帝陛下の言葉を真に受けてはならない」
「⋯⋯理由は?」
「今回の交渉、警務女官長ハスキーとアレキサンダー公爵家の護衛が同席する」
「錚々たる面子だ。城を攻め落とせる戦力だな」
「皇帝陛下は無礼講を好むが、取り巻きの従者からは不興を買う」
「それは分かる。我が国で一番高貴なお子様よりも、保護者達のご機嫌のほうが大事だ」
政治を動かす宮廷の中心に、幼帝ベルゼフリートは鎮座している。しかし、メガラニカ帝国の皇帝に実権は与えられていない。
政治を動かすのは取り巻き達だ。現在のメガラニカ帝国は、血酒を賜った不老不病の女仙による賢人統治が成されている。
接待で皇帝を喜ばせても、実権を掌握している宮中の女仙達だ。彼女らの反感を買えば、何ごとも上手く進まない。
「皇帝陛下の前では礼儀礼節を怠るな」
「常識知らず筆頭の特級冒険者に礼儀礼節を説かれなくてもな⋯⋯。冒険者達の不祥事で御国に謝罪行脚してるのは俺だぞ」
「それはご苦労なことだ。悩みがあれば相談に乗るぞ。我々は文字通り、百人力だ」
「言っておくが、御老公の所業が胃痛の三割をしめてるからな?」
「ギルドマスターよ。醜い責任転嫁はよしたまえ。目の前の問題に対処すべきだ」
こいつはどの口で言っているのだ、とギルドマスターは睨み返した。
「まさしく問題児が目の前にいるな」
「⋯⋯⋯⋯。気を引き締めろ。この交渉は冒険者組合の未来、ひいてはメガラニカ帝国で活動する冒険者の命運がかかっている」
「はぁ。裏で話はまとまってたと聞いたが? 三皇后の内諾も得ている。ナイトレイ公爵家とラヴァンドラ伯爵家が認めてくれたんだ。今さら話をひっくり返されるとは思っちゃいない」
ネクロフェッサーの根回しは完璧だ。
評議会と国民議会の双方を掌握している帝国宰相ウィルヘルミナの内諾は、心強い後押しとなった。
政治案件で皇帝ベルゼフリートがごねることはない。
三皇后の言われた通り、奏上された書類に御璽を押す。
「宮廷でもっとも権力を持つ宰相派を押さえられたのは大きい。しかし、廃都ヴィシュテルに自治区を築くための資金提供者は、アルテナ王国の女王セラフィーナしかいないのだ」
「あの女王は軍閥派の傀儡だろ。揉めどころがあるとしたら、復興後の利権くらいさ。このまま旧帝都が廃墟のままじゃ誰にとっても大損。アルテナ王国から復興資金を搾り取るのは決定事項だ。今日の交渉は形式的なもので、そこまで大きな意味があるとは思えな⋯⋯」
ギルドマスターは言葉を止める。
ネクロフェッサーの鋭い眼光が特殊装甲のフェイスマスクから溢れ出ていた。独特の威圧感は、死恐帝の災禍を闘い抜いた古老の迫力があった。
「女王を侮るべきではないぞ。小国であれ、敗国であれ、亡国であれ、一国の主を軽んずるな」
「⋯⋯⋯⋯」
「些細な見くびりであろうと、物事の本質を見誤ったばかりに滅びた者達がどれだけいるか。語り尽くせぬのだ。知っているだろう? 皇帝陛下を幼帝と侮った軍上層部はドルドレイ騒乱で大敗した。冒険者は権力に媚びる必要はない。実力を示せばよい。しかし、権威を相手にはそういう対応はできぬ」
「ああ⋯⋯。悪かった⋯⋯」
「莫大な資本、強大な後ろ盾。この二つがなければ、冒険者組合による自治区など砂上の楼閣、夢物語で終わる」
「俺は荒くれ者の相手しかできないタイプだ。女王との交渉は一任する。自治区創設の発案者は御老公だ。俺がギルドマスターだからといって気兼ねする必要は⋯⋯。こんなこと言わなくても遠慮するような人じゃなかったな。自由にやってくれ」
「自由か。素晴らしい言葉だ」
「冒険者の本懐だろ。自由を勝ち取るために全力を尽くしてくれ」
ギルドマスターは腹を括る。
自由を愛して冒険者となったのだ。故国に対する必要最低限の忠誠心はあるが、不毛な征服戦争に駆り出されたくはない。自治区の構想を実現できれば、メガラニカ帝国の冒険者はもっと自由な生き方ができる。
「皇帝陛下のお出ましだな。⋯⋯女仙から放たれる瘴気がえぐいな」
ギルドマスターとネクロフェッサーは瘴気の強まりを感じ取った。
「護衛の索敵範囲に入った。以後は発言に留意するのだ。アレキサンダー公爵家の姉妹は次元を操る。我々以上の地獄耳だぞ」
皮膚を細い針で刺されるような不快な疼痛。穢れた女仙から発せられる瘴毒が空気を淀ませていた。
女仙の身体に直接触れようものなら細胞が壊死してしまう。神官の護符で瘴気の発露を抑制されているからこの程度で済んでいる。
客間の扉が開き、警務女官長ハスキーが室内の安全を確認する。
数秒後、アレキサンダー公爵家の姉妹に護衛された皇帝ベルゼフリートが入室した。
幼い皇帝の傍らには、純白のドレスで着飾った女王セラフィーナの優艶な姿があった。
戦勝式典のパレードで見世物にされていたころとは、まるで別人だ。外見だけでなく、内面の変化も著しい。
(魔性の情婦⋯⋯。これほどピッタリな表現はないな)
ギルドマスターはセラフィーナと面識がある。つい数ヶ月前、大妖女レヴェチェリナが封じ込められていた翡翠の首飾りに関する調査を依頼された。
(金持ちの世間知らず。それが第一印象だったが、ますます宮廷の色に染まってる。俺の認識が甘かった。御老公の警告通りだ⋯⋯。いいように利用しているつもりが、いつの間にか俺達が手駒になっていた。そんな事態は避けたい)
人間はここまで変われるものなのかと薄ら寒く思った。
(軽んじてはならない。心を許してもいけない⋯⋯か。先代のギルドマスターがよく言ってたな)
冒険者と市民の常識がかけ離れているように、宮中と市井の道徳観は違う。
「やあ。ネクロフェッサー。相変わらずそうだね。活躍はよく聞いてるよ。ギルドマスターさんも⋯⋯即位式とか、何かのパーティーで会ってたかな? ともかくさ、堅苦しい挨拶や社交辞令を省いていいよ。僕はここで口を挟まず見てるからさ」
ソファに腰を下ろしたベルゼフリートは、予想通りの常套文句を言い放った。
◆ ◆ ◆
ギルドマスターとネクロフェッサーは、帝国式の礼儀礼節に則った挨拶をした。アルテナ王国の女王であったセラフィーナは、こういった言葉のやり取りには馴れている。
後宮の愛妾セラフィーナは新たな挑戦を受ける。
実務的な交渉、その相手は百戦錬磨の特級冒険者ネクロフェッサー。敵意を持つ宮中の妃とは違った対応が求められる。
「――冒険者組合からの提案は、この書面にまとめさせていただいた」
大筋の説明を終えると同時に、ネクロフェッサーは提案内容が記された書簡を差し出した。
セラフィーナは直接受け取らず、まずはルアシュタインが手に取った。こういった流れはアルテナ王国でも同じだ。しかし、メガラニカ帝国では防衛的な意味合いも併せ持つ。
「大丈夫です。仕掛けはありません。念のため、皇帝陛下は触れないでください」
「りょーかい」
ベルゼフリートは書簡に興味を示さない。
ギルドマスターの顔を眺めているのは、「どこかで会った気がするけれど、会っていないような気もする。どこで会ったのだろう」と悩んでいるからだった。
公的行事で顔を合わせる機会はあったが、特級冒険者の存在感に埋もれて、ギルドマスターの顔を忘れてしまっていた。
「投資の見返りは経済的な恩恵だけかしら?」
「不老の女仙となられたセラフィーナ様であれば、このリターンの大きさが分かるはず。冒険者組合の利益から一割を半永久的に配当する」
「つまり、利益が上がらない間、半永久的に報酬が得られないわね」
セラフィーナの指摘に対し、ネクロフェッサーは言い返さない。狙いが金銭でないのは分かりきっている。後に続く言葉は予想通りだった。
「けれど、お金はあまり気にしていませんわ」
「我々が望むのは冒険者による自治区。それに付随する免税特権、政治的中立を維持する権利など⋯⋯。セラフィーナ様は何を望まれる?」
「冒険者組合の活動領域にアルテナ王国を含めてほしいわ。人が立ち入っていない秘境、発生した迷宮の探索、それらの活動は全てメガラニカ帝国の領土内に限っているのでしょう? 私の下で働く元冒険者の側女から聞いたわ」
「元冒険者の側女⋯⋯。冒険者組合の稼ぎ頭だったララノア達ですな」
「ええ、ララノア達から聞いたアイディアよ。これを機にアルテナ王国でもご活躍いただきたいの。どうかしら? ネクロフェッサーさん」
「それは難しい問題ですな」
「そう? アルテナ王国の資金で冒険者組合を立て直すのよ。今さら怖じ気づくのは、冒険者らしく見えませんわ。即答していただけるものだとばかり⋯⋯」
「冒険者組合は政治的に中立の組織。活動の幅もそれに沿っております」
「ご安心なさい。アルテナ王国は冒険者の自由を保障いたしますわ」
メガラニカ帝国の冒険者がアルテナ王国で活動する。通常時であれば、さほど問題は起きない。
(ネクロフェッサーの感情変化は読み取れないわ。けれど、ギルドマスターは警戒心を強めている。要求の裏に隠された意図を考えているのでしょうね)
冒険者組合の承諾を取り付けて、上位の冒険者を派遣するのはよくある話だ。特級冒険者は国境を自由に越えている。
「なぜ、セラフィーナ様はそのようなお考えを? ご提案の意図を知りたいものだ」
「アルテナ王国とメガラニカ帝国の交易は盛んになっていますわ。街道の開拓、商人の護衛、仕事は沢山ありますわ。そのついでに王国内で一稼ぎしてほしい。人材を集めるのもいいわね」
セラフィーナの魂胆を隠さない。メガラニカ帝国が中央諸国と緊張関係にある現在、アルテナ王国は侵略の橋頭堡と見做されている。
(そうきたか。冒険者組合は中立だが、帝国の冒険者がアルテナ王国で活動し始めれば、併呑に協力していると思われるだろう。だが、それこそがセラフィーナ女王の狙い⋯⋯。保護国で終わるつもりはなく、メガラニカ帝国に食い込む腹積もり⋯⋯)
アルテナ王国は王家の直轄地と貴族領土で成り立っている。敗戦後は王家と貴族の力が弱まったが、実権は中央に集中していた。占領政策を展開する総督府がアルテナ王国の改革を押し進めているからだ。
(アルテナ王国がメガラニカ帝国に組み込まれたとき、セラフィーナ女王は公爵家と同等の経済力を持つだろう。解体的な併呑ではなく、国体を維持したままであれば、帝国内での力は強まる⋯⋯。皇帝陛下の寵愛を授かる身であれば、なおさら影響力は大きくなる⋯⋯)
ネクロフェッサーは考え抜いた末に結論を出す。実効支配している西側だけなら、セラフィーナの要求を飲み込める。ただし、何があってもヴィクトリカが治める東側には近付くべきではない。
(⋯⋯中央諸国の反帝国感情は強い。東アルテナ王国での活動は政治的なリスクがある)
冒険者の越境が問題視され、戦争のきっかけとされる可能性があった。
「この場でお返事は難しいかしら?」
「いいえ。受けましょうぞ。当該地域の領主が活動を認めてくだされば、願ってもないお話ですな」
領主の公認。メガラニカ帝国の冒険者がアルテナ王国で活動する際、絶対に必要な前提条件だ。
「ふふふふっ。そう。喜ばしいわ。王家の直轄地は私とベルゼフリート陛下が冒険者の活動を許します。諸侯には総督府から働きかけてもらいますわ」
「セラフィーナ様の要求はこれだけですかな? 冒険者組合が受ける融資は巨額。この程度で済むとは思っておりませぬ」
「まるで私の心を見透かしているようですわね。話が早くて助かるわ。もう二つ、お願いを聞いてほしい。帝都の冒険者組合はいずれ移転するのでしょう? だったら、冒険者組合本部の不動産を私が購入しますわ」
「冒険者組合の本部跡地を買い上げると?」
「ええ。土地が欲しい。今後の活動を見据えて、帝都アヴァタールに屋敷を作っておきたいわ。冒険者組合は一等地にある。以前に一度、訪問したから立地は把握していますわ」
「引き渡す時期は、こちらで決めさせていただきたい。旧帝都に本部を移転するのは決定事項ですが、冒険者の拠り所をすぐさま移せるわけではない。その点、ご理解をお願いする」
「急かし立てるつもりはありません。それでよろしいわ」
「三つ目、最後の条件は?」
「旧帝都ヴィシュテルにも拠点を持っておきたいわ。だから、冒険者の自治区内にも私の屋敷を作る。そうですわね⋯⋯。冒険者組合の施設と隣接しているのが望ましい。後ろ盾になるのだから、緊密な関係だと内外に知らしめたいわ」
「あえて確認しますが、自治区はギルドマスターを議長とした冒険者の合議制となる。冒険者以外の者は自治に口出しをさせない」
「⋯⋯⋯⋯」
「ご了解いただけますかな?」
「ええ。もちろんよ。自治区の簒奪や政治干渉は考えていないわ。私ごときの手には余る代物ですもの。自治を認めた証として、愛娘のギーゼラを差し出しているのですから⋯⋯。約束は守りますわ」
「セラフィーナ様のお言葉を信じましょう。⋯⋯握手はできかねますが、冒険者組合はセラフィーナ様が提示した三つの条件を受け入れます」
「とても嬉しいわ。交渉がこうもすんなりと進むなんて。私の出した条件を書面に加えて、後日そちらに返送するわ」
「アルテナ王国内での活動、帝都アヴァタールの本部跡地を移譲、旧帝都ヴィシュテルに御屋敷を置く。全て承知した」
ネクロフェッサーは返答し、ギルドマスターも頷いた。
(なんとか通りましたわね。元より私が優位な交渉ではあったわ。帝都復興の融資を破談させれば私は破滅する。だけど、選択肢の一つにはあった)
受け入れられるギリギリを攻めた。セラフィーナは交渉が思いのままに進んで微笑む。
(熟練冒険者だったララノアに相談したのは正解でしたわ。何ごとも準備が大切ですわね。これで足場の準備は整った。⋯⋯時間をかけて、帝国内に私の基盤を築く。あとは臣下をどう集めるかですわ)
セラフィーナは帝国内での地盤を固めたかった。
(人材が欲しい。できれば、冒険者を家臣に迎えたいけれど、さすがに無理でしょうね)
いつまでもラヴァンドラ伯爵家には頼れない。これから産まれてくる子供の養育権は渡さないつもりだ。セラフィーナは帝国内に自分の勢力を築く必要があった。
(現役の冒険者は無理でも、引退した冒険者を引き込めないかしら? 一級冒険者だったララノアは顔が広いわ。彼女の人脈を最大限に活かせば⋯⋯。手っ取り早いのはテレーズから、何度も提案されてる聖堂会の協力だけど⋯⋯。ちょっと過激な宗教団体と聞いているわ。よく考えたほうがいい)
自分の子供だけではない。黄葉離宮の側女達が産んだ子供を育てる場所が必要だった。
「あっ! 口を挟まないって言ったけど、やっぱ僕からも条件を出していい? ラビュリントスの地下迷宮に行きたい! それとさ、旧帝都ヴィシュテルで見つかった遺物はオークションするんでしょ? 僕も特別枠で参加したい!」
「オークション開催の話はまだ未確定ですが⋯⋯」
「僕は独自ルートから聞いたよ?」
「耳聡いですな。しかし、ベルゼフリート陛下の望みは無理でしょう」
「なぜに!? 僕、皇帝だよ!? あっ! 違った。僕はここにアルテナ王国の王様として臨席してるんだった⋯⋯。とにかく! 僕は偉い王様なんだけども? 冒険者組合に大金を融資する王様だよ? 僕の要望も聞くべきじゃない? いいことあるかもよ?」
「残念ながら、陛下の願いは三皇后でなければ叶えられません」
「冒険者組合が働きかけてくれれば、いけそうな感じしない? 特級冒険者の後押しお願いしたいな」
「地下都市ラビュリントスは観光地です。しかしながら、治安の問題がありますぞ。風紀がよろしくない」
「宮廷だって風紀は乱れまくりだよ。僕にとっては日常茶飯事だ」
「あそこはコロシアムを除けば、帝国最大の賭場でもある」
「そのカジノでお小遣いを増やしたいんだよ! 帝都じゃ、宝クジくらいしか買えないんだ!」
「賭け事ですか? 教育係の女官はもちろん、三皇后のお歴々は良い顔をなさりますまい」
「観光地化された地下迷宮を探索したいの。いいじゃんかー」
「あそこは聖堂会の過激派信者もおりますので、大神殿の許可も得られないでしょう」
「な!? 特級冒険者のくせに正論ばっかり言ってる⋯⋯!」
「心外ですな。我々はいつも人々の平穏を願っておりますが?」
「おっ、おかしいよ! こんな真面なお爺ちゃんじゃなかった! もっとファンキーだったじゃん! 即位式で魔剣を献上した度胸をどこに捨て去った!?」
「それと、旧帝都ヴィシュテルの遺物に陛下が関わるのは、我々も大反対しますぞ。あの土地は大妖女レヴェチェリナが拠点としていた忌み地。どんなものがあるか分かりませぬ」
「それは⋯⋯そうだけどさ⋯⋯。色々なお宝が眠ってるらしいじゃん。僕のお小遣いで買える範囲のモノを物色したいだけ。オークションの出品物は危険物かどうか、ちゃんと鑑定をするんでしょ?」
「大妖女レヴェチェリナを封じ込めたアンネリーの首飾り。ああいった遺物が鑑定をすり抜けた結果、先般の災いを起こしたのですぞ。皇帝陛下の身に危険が生じかねない。おやめください」
「さっきから、ちょっとおかしくない? 僕はアルテナ王国の国王として、ここにいるんだけども?」
「それは便宜上の方便であって、実態ではございませんゆえ」
「うわぁ。ぶっちゃけた。アルテナ国王名義の僕に手紙を出したくせに⋯⋯! やだやだ。これだから政治は汚い」
「皇帝陛下。⋯⋯何とぞ、ご容赦いただきたく存じます」
ネクロフェッサーは平伏した。
「頭を上げなよ。寛大な御心でご容赦してあげる。今のネクロフェッサーは大真面目なビジネスモードってわけね。はい、はい。分かりました。置物の皇帝を無視してセラフィーナと悪巧みを進めてくださいな。⋯⋯僕は部屋の隅っこで不貞腐れてるから。ハスキー、紅茶をもってきて。喉渇いた」
「蜂蜜はどうされます?」
「たっぷりいれて。ミルクはなし。いらない」
「少々お待ちください。すぐご用意いたします」
ハスキーは紅茶の手配を部下に命じた。皇帝の口に入るものは調理担当の女官が用意する。天空城アースガルズから持ち出した携帯式の調理器具で紅茶を淹れる。
いつもならユリアナが毒味を済ませた後、ベルゼフリートのところに回ってくる。
「タイガルラ、念のために貴方も毒味しなさい」
「了解です。そういうわけだからユリアナ、私にも一口飲ませて」
今日はルアシュタインから指示を受けて、タイガルラも紅茶の毒味を行った。
「ちょっと蜂蜜が多すぎてクドい気がする。甘すぎない? この紅茶」
自分達の職務に土足で片足を突っ込まれた気がして、女官達は快く思わない。
「タイガルラ様はご存知ないでしょうが、陛下はこれくらいが好みです。⋯⋯冷めてしまいますので、陛下にお渡しいただけますか?」
紅茶を淹れた女官はニッコリと笑みを作りながらも立腹している。その非難にユリアナも態度で賛同した。調理担当者はベルゼフリートの好みを完璧に把握している。甘党にはこれくらいが丁度いい。
宮廷では見慣れた軍閥派と女官の対立。セラフィーナは同席する女仙達を見渡すが、他に目立つ動きをする者はいない。無関心を装って、ベルゼフリートの護衛と世話に全神経を集中させている。
(ベルゼフリート陛下の言っていた通りですわね。軍閥派と女官は交渉に立ち入ってこない⋯⋯。上から指示が出されているのは間違いなさそうですわ)
セラフィーナはベルゼフリートに視線を送る。
(手助けに感謝いたしますわ。ベルゼフリート陛下)
冒険者組合は雑に振られた皇帝からの頼みを断った。しかし、普段ならお目付役の女仙が止めに入っていたはずだ。
(これで三皇后と女官総長からの指示が出ているのは確定⋯⋯。警務女官長ハスキーは陛下の言葉を遮らなかった。護衛を取り仕切るアレキサンダー公爵家の姉妹達も同じ態度。今なら派閥の隙間で私は自由に動けるわ。アルテナ王国の女王として、メガラニカ帝国の愛妾として⋯⋯)
冒険者を家臣に迎える腹案は、ララノア達の成功があったから思い浮かんだ計画だった。しかし、一級冒険者を側女に引き込めたのは、ベルゼフリートのイレギュラーな動きがあったからだ。
幼帝の秘された過去を曝いてしまった冒険者達。そんな特殊な出来事はまず起こらない。
(やっぱり、アルテナ王国の民から募るしかないわね。リンジーを失ったのは本当に痛いわ。どの貴族を信頼すればいいか、私には分からない。ずっと王政を他人に任せきりにしていた私が悪いのですけれど⋯⋯)
十代、二十代の頃、もっと政治に関わっていればよかったと強く悔いる。しかし、足下の醜悪な政争には無縁であったから、清く優しい国母を演じられた。
今は違う。メガラニカ帝国の陰謀渦巻く宮廷で、強かに生きていく悪女。売国女王の悪名を背負い、後宮で性奉仕に明け暮れる淫女。そして、皇胤の御子を産む母親である。
(来るべき対決に備えて強い手札を揃える。東西に分裂したアルテナ王国は必ず一つになる。そのとき、私はヴィクトリカを打倒しなければならないわ。⋯⋯そのためにも、私や黄葉離宮の側女達が産んだ可愛い子供達を育てる場所を早く作りたいわ)