――俺の恋は一目惚れで始まった。
最初に会った日のことは今でも覚えている。王都警備兵の同期として、同じ地区に研修派遣されたときだ。
美しい金髪、大きな緑色の目、凛々しい顔立ち。彼女に良いところを見せようとして空回りしてしまい、教官に叱られたのは苦い思い出だ。
あれから2年が過ぎた。まだまだ新人ではあるが、警備兵の仕事には慣れてきた。俺は今年で18歳になる。そして彼女も同じ18歳だ。彼氏がいないことは既に調査済み。
「よし。やるぞ……!」
俺は気合を入れる。彼女を食事に誘って告白をする。計画は完璧だ。今日、この日のために、1ヶ月の準備をしたのだ。
彼女は支部長の部屋で話し込んでいる。
おそらく噂になってる失踪事件の調査報告をしているのだろう。報告が終わって、部屋から出てきたら彼女に話しかけるつもりだ。
早く出てこないかと、そわそわしてしまう。
「――それでは、今までお世話になりました」
彼女が支部長の部屋から出てきた!
どういう訳か今日の彼女は私服だ。警備兵の制服を着ていない。革鎧を着ていないと身体のラインが浮かびあがって、いつもよりも魅力的に見える。一歩一歩、歩く度に胸部に実っている乳房が上下に揺れていた。
「ちょっといいか? 実は――」
「ごめんなさい。急いで帰らないといけないから」
完璧に思えた俺の告白計画は、わずか数秒で頓挫した。
彼女は俺に顔すら向けてくれなかった。俺が硬直していると、早歩きで出ていってしまった。いつもの彼女らしくない。なんだか俺の知っている彼女とは違う気がした。
「はあ……。やれやれ。おい、ジャン。お前は何か聞いてないか? 彼女とは同期だろう?」
呆然と立ち尽くしていると、部屋から出てきた支部長が俺に尋ねてきた。
「何がですか……?」
「何だ……。お前とは親しそうだったのに、何も聞いてないのか。あいつは、警備兵を辞めるそうだ。何があったのかは知らないが、辞表を出してきたよ。少し考えるように言ってやったんだが、聞く耳を持たずだ……」
「辞表!? 支部長! 辞めるってどういうことですか!? なんで……!?」
「それは本人に聞いてくれ。俺だって困ってるんだ。質問しても『一身上の都合』としか言ってこない。しかも、職場や寮にある私物は全部処分してもらってかまわないと言うんだ。一体何があった? ついこの間まで、失踪事件の聞き込みを熱心にやっていたと思ったら、いきなり辞表だ。若い娘の考えは分からんな」
俺はすぐさま駆け出して、出ていった彼女を追いかけた!
警備兵を辞めるなんて絶対にありえない。彼女は騎士になることを夢見ていた。その彼女が警備兵の仕事を放り出すなんて、想像もできなかった。
「――シルヴィア!!」
俺は王都の表通りで『シルヴィア・ローレライ』の後ろ姿を捉えた。彼女の姿を視認して俺は安堵する。
このままだと俺はシルヴィアと一生再会できない気がした。追いつけなかったら、俺の知らない遠くまでシルヴィアが行ってしまう。そんな予感がした。
「待ってくれー! 話をっ! シルヴィアに言っておきたいことがあるんだ!!」
名前を大声で呼んでいるのにシルヴィアは振り返ってくれない。声は聞こえているはずなのに、立ち止まらずに歩き続ける。
シルヴィアは曲がり角の向こうへ消えてしまった。だけど、問題はない。もう追いついた。
「うぁッ!?」
勢い良く曲がり角を曲がったら、通行人にぶつかってしまった。弾き飛ばされた俺は尻もちをついてしまう。
「すまない。警備兵さん。余所見をしていた。大丈夫かい?」
白髪の男性は、俺に手を差し伸べてくれた。
ぶつかったのは俺の方だというのに、文句の一つも言わない。俺は警備兵の制服を着たままであることを思い出して赤面する。
「申し訳ない。こちらこそ不注意でした」
男性の厚意はありがたいが、それよりも俺はシルヴィアの行方が気になった。しかし、シルヴィアの姿は消えていた。
シルヴィアはさっきの曲がり角を曲がったはずなのに、彼女の姿はどこにもない。歩道にいるのは、俺がぶつかった白髪の男性だけだ。
「あれ……?」
「ひょっとして、警備兵さんは誰かを追っていたのかな?」
「その、えっと……、金髪の女の子がこっちに来ませんでしたか?」
「いいや。見ていないね」
「そんな。でもたしかに……。そう……ですか……。すいません。同僚を探していたんですけど、見間違えたのかな。はははは……」
俺は力なく笑う。確かに彼女がこの通りを歩いていたはずなのに見失ってしまった。
「それじゃ、俺はもう行くよ。お仕事ご苦労様。俺は警備兵を応援しているよ。ただし、曲がり角では走らず、前をちゃんと向いておくように」
白髪の男性は悪戯っ子のように笑った。俺は頭を軽く下げて、ぶつかってしまった事を詫びる。
俺は再び走り出した。シルヴィアは、まだこの近くにいるはずだ。根気よく探せばきっと見つかるに違いない。俺は夜の王都を駆け回った。しかし、シルヴィアを見つけることはできなかった。
次の日も、その次の日も、彼女を探し続けた。でも、シルヴィア・ローレライはどこにもいなかった。
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冥王は己の姿を、自由自在に変化させることができる。生まれながらに体得しているスキル〈変幻変貌〉の能力だ。
あまりに巨大であったり、逆に小さすぎたり、複雑な構造物に化けることはできない。だが、外見や服装を変えることは簡単だった。会ったことのある人間そっくりに化けることだって可能だ。
「――あの警備兵の男、何だったんだろうな?」
ルキディスは、白髪の男性から、黒髪の青年の姿に変わる。
「口調で怪しまれた可能性があるな……。シルヴィアが職場でどんなふうに振る舞っていたか俺は知らないからな。上司は気にしていなかったが、同期とはタメ口で話していたのか?」
〈変幻変貌〉で姿形や声は完璧に真似できる。けれど、人格や仕草など、細かな内面までは再現できない。
ルキディスは、シルヴィア・ローレライに化けて辞表を出してきた。これで彼女が失踪しても、職場の人間は捜索したりはしないだろう。
シルヴィアが携帯していた警備兵の身分証で、彼女が所属している警備兵団の支部、そして署名から筆跡を知ることができた。あの辞表を偽物が書いたと見破れるのは肉親くらいだろう。当面はこれで大丈夫だ。しかし、万全ということにはならない。
辞職があまりに急であるし、支部長の執務室がどこにあるかなど、奇妙な質問をしてしまっている。姿や声がシルヴィアそのものだったから疑われなかったが、不自然さを感じ取っていた者はいたはずだ。
職場や寮にある私物を全部処分していいと言ってしまったが、普通は考えられないことだ。
そしてシルヴィアに家族であるとか、親しい人間がいると、これまたややこしいことになる。
家に軟禁しているシルヴィアから、家族構成や交流関係を聞き出す必要があった。情報を聞きだしたら、彼女の姿に化けて、なるべく自然な形で彼女を社会から抹消しなければならない。
娼婦であれば、失踪は不自然と思われない。しかし、昨日まで真面目に警備兵をしていた女性が消えれば、それは確実に事件があると推認されてしまう。
シルヴィアに手を出してしまったが、娼婦と違って細心の注意を払わなければならない。何か1つでもミスがあれば、ルキディス達の悪事に気付かれてしまう。
「あの警備兵は、怪しんでいる感じじゃなかったニャ。あれはシルヴィアに何か用があっただけのような気がするニャ」
「あの男が恋人とかだったら面倒だな。交際している女がいきなり仕事を辞めて、どこかに消えたとなったら騒がれてしまう。シルヴィアから情報を聞き出さないといけない」
ルキディスとユファは帰宅を急いだ。すでにシェリオンが尋問の用意を整えているはずだ。