【雑記】ポーランドからは逃げられない&夏目漱石の話

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 IPアドレスをブラックリストいれましたが、どうもダメっぽいですね。しかし、一体何なんだろうか。このアクセスは⋯⋯? と首を傾げるこの頃です。

 どうにもならないし、何もしなければ実害はなさそうだから無視を決め込みます。

ロボット学者はなぜ小説を書くのか

 先日開かれたシンポジウム「ロボット学者はなぜ小説を書くのか?――漱石アンドロイドと人間学としてのロボット研究」に行ってきました。13時から17時とめっちゃ長かったです。学生四割、その他六割って感じでしたかね。年齢層を見るに。

 始めて二松学舎大学に行きましたが、靖国神社の近くにあるんですね。受験生向けの案内もあったりと日本の大学って感じがしましたねぇ。

 そういうわけで、撮影はしてきました。特別教授の夏目漱石てんてーです。遠目から見ると確かに人に見えます。近くまで行くとさすがに作り物感がありますけどもね。手を振ると反応してくれたり、高性能です。

 さて、シンポジウムの主題ですが、実は申込時に勘違いをしていました。「ロボット学者はなぜ小説を書くのか」を「ロボットはなぜ小説を書くのか」だと思っていたんです。あちゃーって感じでしたが、まあロボット学者が小説を書く理由は拝聴しようと思ったら「ロボット学者の多くが小説を書くわけじゃない。一部の人だけですねぇ」と主題を笑いながら否定されてしまい、こっちも笑うしかなかったです。

 ただ文系の教授・研究者でさえ、自分で小説を書くわけじゃないそうです。そりゃそうだ。映画評論家が映画監督でないのと同じ。(どっかの「進撃の巨人」であったけども)

 シンポジウムの内容そのものは興味深かったし、時間を無駄にした気はしませんでした。

ロリータ 「不道徳」と「共感」

 一番面白かったのは加藤隆文教授の「不道徳」と「共感」に関する箇所ですかね。「ロリータ」という小児性愛者が主人公の古典小説を取り上げて、「人間的には不道徳な主人公だが類い希な文才を持ち、読者はいつの間にかこの小児性愛者に共感を抱いている」と指摘していました。まあ、確かにそれはそう。

 一人称視点の小説だと「主人公=読者」の図式が強くなるのは分かっていました。たとえば主人公が苦戦すると読者は不機嫌になり、主人公の敵が痛めつけられると喜ぶ。そこで問題になるのが主人公の道徳性。書き手の文章力やキャラの魅力次第ではありますが、読者はある程度の不道徳を容認しがち。小児性愛者だったり、不貞していたり、実は殺人者だったり。

 ただ限度はあると思っていて。殺人者でも「俺は子どもと女は殺さない殺し屋だ(キリッ」みたいな理由付けがなく、「アヒャヒャヒャ! 全員殺すぅ!!」みたいなのはダメでしょうね。共感する人はいるにはいるでしょうが脱落者も多いかと。

文学作品であるために

 今後の創作活動で役立ちそうだと思ったのが「認識的要素(F)」と「情緒的要素(f)」。夏目漱石の文学論です。このあたりは参考に文学的なエッチ作品を書いてみたいものです。特に情緒的要素が苦手であるため、読者の心を掴むのができない⋯⋯。このあたりが自分が作りたいから作るという読者を置いてけぼりの我が出ているのかもしれません。

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