レーヴェ家に怯えていた行商人の言葉を思い出す。「ヴォルフ坊ちゃんは悪い御人じゃない」と言っていた。あれは単なるお世辞ではなかったようだ。
「カレンティアさんは、ここに来ることは誰かに伝えてきた? 心配してる人がいるんじゃない。さっきの話を聞いている限りだと、まるで飛び出すように旅をしてきたみたいだ」
「手紙を行商人に預けました。帝都の婚約者宛てに。彼は心配してるかもしれませんが大丈夫です」
「そうかな?」
「これでも上級ランクの冒険者です。私の強さは婚約者が一番よく分かってます」
「ここから帝都までは遠い。手紙が届かないかもしれないよ。母君を心配する気持ちは分かる。でも、見知らぬ土地で冬を越すのは……良い考えとは思えない。一度、帝都に戻って春になってから来ればいい」
「えっと……。心配してくださってるのは嬉しいです。でも、もう行商人は町に戻ってしまって……。移動手段がありませんわ」
「荘園にレーヴェ家の馬がある。村長に預けてあるんだ。まだ雪は積もっていない。馬に乗れば行商人を追いかけられる。だから――」
(まさか……。私を追い出したい? 母さんを探されたくないから? やっぱりレーヴェ家は母さんの失踪に絡んでいる。そうに違いないわ。何かある。レーヴェ家の若君は私に嘘を……。何かを誤魔化してるわ……)
逃げ帰るつもりはない。
四年前に失踪した母親はレーヴェ家の荘園を訪問している。父親の墓前に結婚指輪を置いていったのはリリトゥナに違いない。何よりも確信しているのは、ヴォルフガングの歯切れの悪い態度だ。
(――母さんを知っている。ヴォルフガングさんは会ったことがあるんだわ)
ベロニカは闇樹館を訪問しなかった。ヴォルフガングとリリトゥナはそう語る。だが、真実なのかは疑わしい。
「おやおや……。困りましたわね。雪が降ってきました。これから吹雪そうですわ。この悪天候ではとても町には戻れない。遭難の危険がありますわ」
見計らったタイミングで黒森に雪嵐が到来した。強風で運ばれた粉雪が窓にあたる。
「急に降ってきましたね。さっきまでは晴れてたのに……」
先ほどまでは雲一つない快晴だった。空模様は急変し、太陽が雪雲に覆われた。
「カレンティアさん、天候が回復するまで、闇樹館に留まられたほうがよろしいかと……」
リリトゥナの申し出はヴォルフガングと正反対だ。それはそれで怪しさが滲んている。しかし、母親のことを探れるかもしれない。
「よろしいのですか?」
「ええ。お客様用の部屋がありますわ。ヴォルフ坊ちゃんの心配も最もですが、この季節に準備もせず強行軍は危険。北方の冬を侮ると命を落としますわ。隣町どころか、荘園に帰るのだって難しいでしょう。ふふふっ……。闇樹館なら安全ですわ」
リリトゥナは人肌に冷ましたお茶を持ち上げる。ヴォルフガングの口元に近づけ、余計なことを喋らせないようにしていた。
「恐縮です。ご厚意に甘えさせていただきます」
「御客人は滅多に来ません。カレンティアさんを歓迎いたしますわ。ご自分の家だと思って寛いでくださいませ」
「ご厄介になる分は働かせてください。リリトゥナさんは身重ですし、色々とお困りでしょう?」
「ええ、そうですわね。たしかに……。困っていたところでしたの。そろそろお腹の子が産まれる。カレンティアさんに手伝ってもらえるなら、とっても心強いですわ」
「娘さんが二人おられますよね? 以前は誰かが出産の手助けを? 荘園の方を呼んでいたのではありませんか」
「いいえ。今まではタイミングが悪く、一人で産んでおりましたわ。でも、腹を痛めている傍らで、ずっとヴォルフ坊ちゃんが励ましてくださいました。優しい言葉を耳元で囁いてくれますのよ……♥︎」
リリトゥナは喜色満面のご様子だ。紅茶を飲むヴォルフガングは照れ顔で顔を真っ赤にしている。主人と家臣、主従関係で結ばれた男女は、正式な結婚を遂げられない。けれども、深く愛し合っていた。
母親の失踪事件と絡んでいなければ、カレンティアはレーヴェ家のカップルを応援していただろう。
カレンティアも身分差の恋愛結婚で生まれた身だ。伯爵家の令嬢だった母親が冒険者と駆け落ちしなければ、カレンティアはこの世に生を受けていない。
(子供……。子供か……。私も帝都に帰ったら、ちゃんと考えよう。クロヴィスと結婚して……家庭を築く……。子育てはきっと大変だわ。だって、私の子供だもの……。母さんだってすごく苦労したはずよ……)
恋仲の男と交わした言葉を反芻する。
(セックスしてるとき、言ってくれれば怒らなかったのに……)
無断で膣内射精をしていたクロヴィスに怒ってしまったが、懐妊したら踏ん切りはついたかもしれない。公私のパートナーと幸せを築く。心の奥底では、クロヴィスの花嫁になることを強く望んでいた。
(どうしちゃったんだろ。私らしくもないわ。もしかすると私……。リリトゥナさんが羨ましいのかしら?)
応接間の窓から見える景色は、雪で装飾されていった。
本格的な冬が訪れた。帝国北方で暮らす人々は、暖房を完備した家に籠り、雪解けの季節を待ちわびる。
「見て! 見て! アヴェロアナちゃん! 大きな氷柱! あっちから持ってきたの! 剣みたいでしょ! クリスタルレイピア!」
風雪を物ともせず、元気いっぱいの幼女が庭で騒いでる。紫紺の長髪には枯葉が引っ付いていた。
「ダザリーヌお姉ちゃん。振り回したら危ないわ。こっちに向けないで……。怖い」
「ごめん! ごめん! でも、綺麗でしょ。アヴェロアナちゃんも持ってみて!」
「つっ、つめたい!」
氷の冷気に驚いた妹は、姉が持ってきた氷柱を落としてしまった。粉々に砕け散った氷塊を見て笑い声をあげている。
「当たり前でしょ。あはははは。氷は雪よりよも冷たいんだよ」
「え……。そうなの……?」
「うーん。たぶん! だって、雪のほうが冷たくないし、すぐ溶けるから!」
レーヴェ家の姉妹は仲良く遊んでいる。だが、その様子を応接間から見ていた両親は苦笑いしていた。
「まったくもう。ダザリーヌったら……。いつも適当なことを妹に吹き込むんだから……」
「雪と氷のどっちが冷たいかはさておき、家の中に連れ戻そう。寒くないんだろうね。子供部屋で遊んでいるものだとばかり……。いつの間に外に出て行ったんだい? あんな薄着で……。寒くないのかな」
「申し訳ありません。ヴォルフ坊ちゃん。私のせいですわ。部屋で騒ぐなと叱ったから……」



