2024年 10月13日 日曜日

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〈魔法と奇跡のミスティリオン ~最強を喰らう最弱の聖導士~〉【3話】祓魔の奇跡

短編小説魔法と奇跡のミスティリオン〈魔法と奇跡のミスティリオン ~最強を喰らう最弱の聖導士~〉...

  シオンが騎士達の鍛錬場に到着したとき、騒ぎを聞きつけた大勢の野次馬が集まっていた。

「通してくれ。そこを退いてくれ! 関係者以外は鍛錬場から出て行ってくれ。見世物じゃないんだぞ」

 レイナードが声を荒げて、人混みを掻き分ける。その後ろをシオンは付いていった。

「あの人はいつから浮いてる?」

 事細かな説明は不要だった。変事は一目瞭然。レイナードの言うとおり、言葉よりも見た方が状況把握は早かった。

 魔法でなければ起きえぬ超常現象がそこにはあった。

「あの騎士は大地に嫌われ、空に好かれている。しかし、居心地は良くなさそうだ。どう見てもあれは悪しき魔法だな。風が吹き荒れてる。単純な浮遊魔法じゃなさそうだ」

 騎士鎧を着込んだ新兵が浮遊している。風に弄ばれて身体がクルクルと回転運動していた。

 意識を失っているらしい。叫び声は聞こえない。あれだけ振り回されれば気絶するのも無理はない。

「俺が正門の立哨りっしょうを終えて、新兵の朝練を見に来たら空で溺れてた。ギブソン! 来い! こっちだ! エドがああなった時、お前が模擬戦もぎせんの相手だったんだろ」

「エド? ギブソン? 俺の知らない名前だ」

「そりゃそうだ。鎧の重さも知らないくらいのヒヨッコさ。訓練を始めて二週間」

  幼少期からジェルジオ伯爵城で暮らすシオンは、城内で暮らす使用人や騎士団の面子とは知り合いだった。名前すら聞いた覚えのない相手は新入りだけだ。

「はっ! はい! 自分がギブソンであります。司祭様!!」

 聖職者のローブを着ているシオンに片膝を着く。子供であることに驚いているようだったが、真っ白なローブと教会の経典を抱えていれば、どんな相手だろうと司祭に見えてしまうのだろう。

「悪いね。ギブソン。俺は見習いだ。お前と同じでヒヨッコさ」

「え?」

「まあヒヨコ同士仲良くしよう。まずは情報共有だ。常識的に考えればヒヨコが空を飛ぶなんてありえない。エドが地上を嫌ってばたいてしまった理由に心当たりは?」

「えっと⋯⋯! その⋯⋯あの⋯⋯!!」

 緊張しているギブソンは言葉に詰まる。

「よし。質問を変えようか。普段と変わったことはあった? 何でもいいよ。たとえば朝食で変なキノコを食べたとか、妙ちくりんな呪い言葉をつぶやいていたとか、大地の悪口を言い始めたとか、お空を口説き始めたとか、似合わないを身に付け始めただとか。どうだろう?」

「あっ! そういえば! 自分と模擬戦もぎせんを始める前! 浮かび始める直前に首輪が光ってました」

 シオンは空を見上げる。エドの首元で魔力を放出している首輪を睨んだ。

「原因はそれで決まりだ。しかも、あれは犬用の首輪だよ。趣味が最悪だ。ちなみに出所を知っているかな? ジェルジオ伯爵家はあんな支給品を配ってない。どこぞの商人から個人的に買ったはずだ。犬の首輪に魔法をかけるような奴。売主には最初から悪意が会ったに違いない」

「さあ。そこまでは……」

「そう。ありがとう。ギブソン」

 レイナードが割り込むように訊ねる。

「首輪が原因だって? ちっ! 悪い魔法がかけられてるんだな。くそ。あれを外せばいいわけか」

「そうだよ、レイナード。だけど、犬が自分で首輪を外せると思う? うわっ! こりゃ不味いぜ。腕の関節がヘンテコな方向に曲がり始めたぞ」

 空中で乱舞するエドの四肢は、遠心力で折れてしまった。

「シオン。頼む。エドの首や背骨が折り曲がる前にどうにかしてくれ」

「分かってるよ。悪さをしてるのは風の精霊シルフかな? 俺の見立てじゃ、単なる浮遊魔法ではない。それとも⋯⋯。んー。ルフォン先生や御嬢様なら一目でどの階位魔法に属すか分かるだろうけど⋯⋯」

「難しそうか?」

 レイナードは不安げな表情を作った。もしシオンの手に置けなければ、隣町にいるルフォン先生を連れ戻す必要がある。

 どんなに急いでも一日はかかる。回転の速度は増している。エドの四肢が先に遠心力で引き千切れてしまうだろう。

「心配しなさんな。多分、大丈夫だ。聖職者のサクラメントは、小難しい魔法原理を素っ飛ばせる。聖女様の奇跡を信じろ。細かい理屈はどうでもいいのさ。でも、あの高さから落下したら死にかねない。重力は無慈悲だ。丈夫な布が欲しい。衝撃を和らげる毛布とか用意してる?」

「野外天幕のフライシートがある。それで受け止める。力仕事は俺らに任せてくれ」

「じゃあ、さっそく始めよう。気をつけてくれ。エドが真下に落ちるとは限らない。風が荒ぶってる」

「分かった。受け止めは動ける部下を使う。おい! 新兵! これからエドを地上に降ろす。お前達は集まった見物人達を下がらせるんだ」

 レイナードの号令が鍛錬場に響いた。要するに新兵も邪魔だから下がってろということだ。慌てた様子で新兵達は野次馬を誘導する。

 この騒ぎにちっとも動じない先輩の騎士達は、野営時に雨除けで使うフライシートを広げた。普段の重装備は外している。

 浮遊乱舞するエドの動きに合わせて、シートを広げたまま、いつでも駆け出せる体勢だった。

 準備が整ったのを見届けたシオンは祈り始める。

「――我が祈りは折れぬ剣」

 教会の経典を開いたシオンは聖句をそらんじる。

「――我が信仰は砕けぬ盾」

 空中に浮かんだエドの身体が急停止する。まるで見えない十字架に張り付けられたように四肢が引き伸ばされた。

「――我が救済は断ち切れぬ鎖」

 突風が吹き荒れている。首輪に宿る悪しき魔法はシオンに牙を向けた。

「――汝の憐れな魂を救い上げよう」

 たじろぐことなく、シオンは祈祷の言葉を続ける。

「――汝の罪科を天秤に乗せよう」

 首輪に込められた魔力が抜けていく。

「――汝の贖罪を笏杖しゃくじょうで仰ごう」

 荒ぶる風は聖言に抗えなかった。

「――人の子らよ、願い望み、救いを求めよ」

 首輪に亀裂がはしった。その光景を目にした群衆達がざわめき始める。

「――欲する者のみに私は奇跡を与える」

 空を見上げた聖職者は、人間をもてあそぶ悪しき魔法を信仰で打ち砕いた。

「――悔い改めよ。祝福の刻は到来した」

 首輪は砕け散った。浮遊していた新兵の身体が重力に従って自由落下する。待機していた騎士は上手い具合にフライシートで受け止めた。

 意識を失ったエドは血の泡を吹いている。

 幸いにも呼吸はあった。手足が滅茶苦茶な方向に折れていたものの、頸椎けいついや背骨は無事だった。

 ◆ ◆ ◆

「酷い怪我だ。死にはしないだろうけど、やっぱりルフォン先生を呼び戻すべきだ。自然治癒の範囲で収まるものじゃない。首は魔力による火傷だ。跡が残るだろうな。腐食してる」

 シオンはエドの首に触れる。黒い痣ができていた。魔力で皮膚が焦げて壊死を起こしている。

「浅いな。腐ったのは表皮だけだ。頸動脈けいどうみゃくまでは達してない」

 気の利く騎士が包帯と薬草を持ってきてくれた。

「ありがとう。傷の消毒は俺がやるよ。エドの身体に触れないほうがいい。祓い消した魔法の余韻よいんが残ってるかもしれない」

 血が混じったよだれを拭き取り、焦げた首周りに応急処置を施した。

「営舎に運ぶ。エドの身体に触れると不味いのか?」

 レイナードは確認する。

「直接触れなきゃ大丈夫。厚手の手袋を外さないようにしておけばいい。念のためさ。何の魔法がかかってたのか俺には分からないんだ。三十分くらいかな。アルバァンダート先生ならそう言うだろうさ」

「首輪の破片はどうする? 鍛錬場に飛び散ってしまった。回収すべきか?」

「俺が集めるよ。でも、探すのを手伝ってほしい。もちろん、触るのは僕だけだ。魔法は必ず痕跡を残す。鑑定してもらえば、どんな魔法が悪さをしていたか分か⋯⋯おや? おお、良かった。エドの意識が戻ったよ。やあ、お元気かい? 気分はよろしくないだろうけどね」

 真っ青な顔でガタガタと唇を震わせるエドはシオンの手を握った。

「し、しさいさま⋯⋯! あぁ⋯⋯! ごめぇ⋯⋯あぁ⋯⋯!!」

「俺は読師見習いのシオン。視界がぼやけてるのかな? お髭を生やしたアルバァンダート先生に見えた? 新入りさんじゃ、俺を知らないかな? まあいいさ。悪い魔法は消えた。折り曲がった腕や足はルフォン先生が綺麗に治療してくれる。俺じゃ治療魔法が使えないから、首元の消毒だけしておくよ」

「あ、ありが⋯⋯どぉ⋯⋯ご⋯⋯」

「感謝は聖女様に捧げるといい。俺は祈りを捧げただけさ。命を救われた恩を返したいのなら、ジェルジオ伯爵家に忠義で返すこと。高い勉強代だったが学ぶことは多かったろ。さあ、行った、行った!」

 鍛錬場の騒ぎは文字通り一件落着した。シオンの不埒な素行を知らない新入り達は、幼年の聖職者に崇敬の眼差しを向けている。「悪魔祓いだ!」「奇跡で呪いを打ち砕いた!」と興奮気味にささやいている。

「人助けの賞賛はいい気分になれる。眠気が吹き飛んだよ」

「やれやれ。エドの事情聴取とお説教は治療が終わってからだな。えらい騒ぎを起こしやがって⋯⋯。ともかく助かった。ありがとう、シオン。間抜けな殉職者を出さずに済んだ」

 レイナードは張り詰めていた緊張を緩めた。暴漢やモンスターが相手であれば、騎士の武力でねじ伏せられる。だが、魔法相手にはお手上げだった。

「先々月も似たような騒動で、城下街に俺とアルバァンダート先生が呼び出された。どころか、哀れな若者がいたよ。レイナード、可哀想な新兵を締めあげても意味なんかないよ。『身体を軽くする魔法の首輪』どうせそんな売り文句に踊らされて怪しい売人から買ったんだろうさ」

「可哀想なもんか。騎士見習いのくせに訓練で楽をしようとしたせいだ」

「よくある話だろ」

「いいや、腐った根性を叩き直す。訓練を疎かにする奴は実戦で使い物にならん」

「あんだけ痛い目を見たんだ。もう魔法なんかりだろうさ」

「それにしてもすごいもんだな。魔法を打ち消す聖職者の奇跡ってのは⋯⋯」

「祈るだけさ。原理上、信仰魔法は誰にだってできる。真摯な気持ちさえあれば」

「朝の礼拝を邪魔して悪かった。夜に酒場で奢ってやるよ」

「酒場か⋯⋯。アイリスとは顔を合わせたくないんだよなぁ」

「御嬢様に知られたんだったか?」

「それはお前のせいだ」

「十二歳のガキンチョが色恋じゃ、経験豊富で随分とませてるな。相手を選ばず、手を出しすぎだ」

「人妻と年下には手を出してない。聖女様に誓った」

「聖女様は遊び人がお好きなようだ。男の趣味は悪い。女好きのシオンに恩寵を授けるなんて。まったく笑っちまうよ」

「首輪にかけられた魔法がもっと強力だったら、俺の手には負えなかったよ」

 人類魔法体系には位階がある。

 第一魔法から第九魔法までの九段階。第一魔法を修めなければ第二魔法は修得できない。つまり、次の位階に進むには、下位の魔法をマスターする必要があった。

 第九魔法を極めた者は、人類の全魔法が使える。

 唯一の例外は第零魔法である。魔法を打ち消す魔法。魔力を使わず、信仰心のみで発動する教会の秘蹟。求められる資質は真摯な祈り。大魔法使いであっても信仰心に欠けている者は、第零魔法を発動できない。

 その特異性ゆえに、第零魔法を認めない魔法使いも多かった。強い祈りさえあれば発動できる。定型の起動呪文を必要とせず、法定式が存在せず、魔力源もいらない。

 聖女が滅焉の忌名を持つ由来だ。教会が語る伝説によれば暴虐なドラゴンの大魔法を聖女はことごとぎ払ったとされている。

 魔法はより強い魔法に負ける。それが魔法法則の基本であるが、第零魔法だけは当てはまらない。

 猛烈な信仰心は魔法を打ち砕く。

 シオンのような魔力無しの弱者が使える唯一の神秘は、魔法を打ち消す祈りだ。教会の聖職者は暴走した魔法を無効化する専門家スペシャリストだった。信仰心の強いシオンは、聖女の恩寵ゆえか、おおよその魔法を祈りで消し飛ばせる。

「おっと。さっそく首輪の断片を見つけたぞ。ん? これは⋯⋯?」

 シオンは足下に転がっていた首輪の一部を拾い上げる。

「どうしたんだ? シオン」

「ちょっとこれを見てくれ。首輪に描かれていた紋章みたいだ」

「焦げ臭いな」

「前の騒動でも見かけた。これ。ドラゴンのマークだ」

 シオンは地面で燻っていた破片を拾い上げた。焼失が著しいものの、辛うじて漆黒竜のシンボルが確認できる。創設期の教会を脅かしてきた不倶戴天の怨敵、竜大帝ドラゴンロードを讃える紋章だった。

「嫌な感じだ。城下街で悪さをした魔法の剣⋯⋯。柄に同じマークが彫ってあった」

「もしかしてドラゴンロードの竜紋じゃないか? 何だって錆び付いた伝説の悪竜が?」

 レイナードでもこれが悪しき象徴だとは分かった。反教会の魔法使い、魔法至上主義者が好んで使うマークでもある。

「さあね。でも、アルバァンダート先生が帰ってくれば、何か分かるかもしれない。ご学友のところに出かけたのは、これの出所を調べるのが目的だったはずだ。最近、この手の事件は沢山起きている」

「そうか。なら、アルバァンダート先生の帰りを待つとしよう。それとだ。首輪の回収が終わったら鍛錬場をお祓いしてくれるか?」

「鍛錬場のお祓い? 意味ないと思うぞ?」

 力のある聖職者であれば聖域結界を結び、邪悪な魔法を寄せ付けない領域を創生できる。しかし、第零魔法のサクラメントしか使えないシオンには不可能な芸当だ。

 そもそも魔法がかけられていたのは、首輪であって鍛錬場という場所ではない。祈りを捧げることはできるが、単なる気休めでしかないと説明する。それでもレイナードは騎士達が見ている前で、お祓いをしてほしいと頼んできた。

「形だけでもやってくれ。聖職者が浄めてくれれば騎士達が安心するからな」

「聖女様の恩寵が欲しいなら、朝の礼拝を欠かさずすればいいのに⋯⋯」

 シオンには特別な才能が何一つない。シャーロットような魔法の才能、レイナードのような剣技の才能、若人わこうどが望む力を世界は与えてくれなかった。

 無才の少年はひたすらに祈り続けた。聖女の恩寵は信仰心さえあれば、万民に等しく与えられる。

 悪しき魔法を祓えるのは聖女の力を借りているのであって、シオン自身の力ではない。強い想いさえあれば、誰でもシオンと同じ祓魔ふつまのサクラメントができるはずだった。

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