セラフィーナは一人で夕暮れの白月王城を散策していた。
たとえ城内であっても一国の君主が従者を連れずに出歩くのは好ましくない。しかし、今日だけは一人にしてほしいと臣下に厳命し、ガイゼフやリンジーから逃げ出してきた。
(なにもおかしくなんかありませんわ。この世に生まれてからずっと⋯⋯私はこの箱庭のような王城で生きてきた。けれど⋯⋯)
セラフィーナの価値観は揺らいでいる。この世界は色褪せていた。退屈だった。無性にぶち壊したくなってしまう。
(刺激がない⋯⋯。味付けの薄いスープを飲んでいるような⋯⋯。鬱屈を覚える物足りなさ⋯⋯!)
ここが本当に自分の居場所なのかと疑問を抱く。国家の行く末はガイゼフや家臣団の貴族が話し合って決めている。セラフィーナは清らかな国母という象徴であれば良い。
(私が清らかな国母⋯⋯? 本当に⋯⋯?)
悶々と考え込みながら足を進めていると、いつの間にか庭園の噴水まで来てしまった。近衛騎士団はいつもこの辺りで早朝訓練をしている。
(もうすぐ夜になるわ。足下が見えなくなる前に戻らないと⋯⋯。きっとガイゼフが心配しているわ)
日没が迫っている。いつもならこの辺りで近衛騎士団が鍛錬に励んでいる。しかし、剣を素振りする騎士の姿はなかった。静かな中庭では、風が木々の枝葉を揺らす音だけが聞こえる。
「赤毛⋯⋯。あれはロレンシアかしら⋯⋯?」
鮮やかな紅蓮の髪は遠くからでも引き立って見える。近衛騎士団の美しき女騎士ロレンシアは休職中だった。廊下ですれ違ったヴィクトリカが教えてくれた。
(乳飲み子を抱えていますわ。ロレンシアが母乳をあげているのかしら⋯⋯?)
騎士団に所属している同僚のレンソンと結婚し、ほんの数カ月前に第一子を産んだ。乳児をあやしながら、夫のレンソンが来るのを待っているようだ。
(本当になぜなのかしら? 違和感が拭えないわ。ロレンシアの髪が短いのはいつもどおりなのに⋯⋯)
ロレンシアが女らしく赤髪を伸ばしていたのは幼少期だけだった。近衛騎士団に所属してからは短く切り揃えている。
貴族令嬢のように伸ばすつもりはない。そのように本人がきっぱり宣言していた。剣や弓を使うために、わざわざ長髪を結うのが面倒なのだという。周りは宝の持ち腐れと嘆き、父親も教育を誤ったと愚痴をこぼしていた。
(⋯⋯私ったら、やっぱり変になっていますわ。なぜこんなふしだらな妄想をしてしまうの? 脳裏に浮かぶ⋯⋯! ⋯⋯姿が重なってしまう⋯⋯あの娘は誰なの⋯⋯? ロレンシア? よく似ているけど⋯⋯そんなはずは⋯⋯!)
セラフィーナが妄想する赤毛の妊婦。その顔立ちはロレンシアに瓜二つだった。
(使用人の格好? 着飾った下女⋯⋯? やはりロレンシアにしか見えませんわ。どうして帝国風の衣服を着ているの⋯⋯? そもそも私はなぜ帝国風の服だと分かったのかしら? 帝国には一度だって行ったことがないはずだわ)
ロレンシアとそっくりな妊婦は、紅蓮色の美髪を女らしく背中まで伸ばしている。巨大な超乳を抱え、たっぷりと柔肉の詰まった巨尻、繁殖用の畜獣を想起させる淫靡なボディライン。騎士の剣を捨て、媚びるように男根を握り、頬ずりをしている。
(ありえませんわ。やっぱり疲れているのかしら? 私よりバストサイズが大きくなったロレンシアを妄想するなんて⋯⋯。何を考えているのでしょうね⋯⋯まったく⋯⋯!)
何よりも目を引くのは膨らんだお腹。立派に妊娠した孕み腹は、多胎児が犇めいている。しかし、こんな卑しい淫体になったロレンシアなどありえない。
レンソンの子供を無事に出産したロレンシアは、細身の体型を維持しているのだ。子育てが一段落したら、再び騎士団の職務に復帰したいと望んでいる。
(ロレンシアは王家に忠誠を誓った誇り高き女騎士よ。近衛騎士の象徴たる剣を捨てたりなんかしませんわ⋯⋯)
セラフィーナは淫景を幻視した。フラッシュバックするのは、卑猥に肥えたロレンシアが男根を舐める嬌態。太々しい生殖器の裏筋を舌先で掃除している。恥垢を舐め取り、我慢汁を美味しそうに啜る。
(ありえませんわ。絶対に⋯⋯! あぁっ! 頭がおかしくなりそうだわ⋯⋯! 幻覚が脳に流れ込む⋯⋯!)
女騎士ロレンシアが堕落した卑猥な風貌――膨らんだボテ腹、茶黒に変色した乳輪、子産みに備えて贅肉が付いたデカ尻。真紅の長髪をはためかせながら、男根にしゃぶりつく。
――ん゛ぉおほぉ♥︎ ん゛っ! ん゛! んぅっ⋯⋯! ん゛ぅぅうっ♥︎ んぢゅぅうるぅうゅっ~~♥︎ はふぅっ♥︎ んぢゅっ♥︎ んぢゅっ♥︎ んゅぢゅぅうぅっ~~♥︎
跪いたロレンシアは少年の股間に顔をうずめる。馬の如き巨根が屹立し、亀頭は喉先まで達している。根元まで呑み込み、無毛の玉袋が、ロレンシアの口元に触れている。
(妄想ですわ! ロレンシアは帝国の男に屈したりしないっ⋯⋯!!)
メガラニカ帝国の皇帝に屈服し、望んで性奴隷となった美少女の末路。
(メガラニカ帝国の皇帝が⋯⋯ベルゼフリートがロレンシアを孕ませるなんて⋯⋯起こりえないわ⋯⋯!!)
灰色髪と褐色肌の幼帝ベルゼフリートは、気品ある女騎士を性奴隷に貶めた。けれど、ロレンシアは両眼を潤ませながらフェラチオで精液を頬張る。恋する乙女になっていた。
平和なアルテナ王国でレンソンの子供を産み、母乳を与えているときよりも、ロレンシアは幸せを享受している。
「⋯⋯⋯⋯ッ!」
流れ込む記憶の濁流に耐えきれなくなったセラフィーナは、ドレスの裾を掴み、夜の帳が下りた庭園を駆け出した。ベルゼフリートとロレンシアには一切の接点がない。しかし、セラフィーナの妄想が造りだした幻視は現実感があった。
「はぁはぁはぁ⋯⋯!! はぁはぁっ⋯⋯!!」
真っ暗闇の庭園をセラフィーナは彷徨う。顔見知りの親しい家臣達は、帰ってこない女王を探し回っているだろう。
「はぁはぁ⋯⋯!!」
なぜ逃げているのかも、どこへ行こうとしてるのかも、セラフィーナは分からなかった。
(戻りたくありませんわ。理由は分からないけれど⋯⋯ガイゼフのいる場所には帰れない⋯⋯! 家族ところには帰りたくないっ!!)
中庭の渡り廊下でセラフィーナはヴィクトリカを見かけた。行方知れずの母親を探しているようだ。心配そうな表情を浮かべていた。
(ヴィクトリカも⋯⋯私を探しているのね⋯⋯。ああ、あっちにはリュートも⋯⋯でも、私は⋯⋯!)
後ろめたい感情が湧き起こる。しかし、なぜか血の繋がった愛娘に対する苛立ちも抱いてしまう。息も絶え絶えになりながら、セラフィーナは再び駆け出した。
(知りたいわ⋯⋯! 心が焦げてしまいそうっ⋯⋯! あの子に会いたい⋯⋯! メガラニカ帝国の皇帝にもう一度、お目通りを⋯⋯! あの少年に会えば何かが! 大切な何かを思い出せそうな気がしますわ⋯⋯!!)
セラフィーナは歴代国王に口伝されてきた秘密路を開いた。ベルゼフリートに会いたい一心で貴賓館を駆けていった。
◆ ◆ ◆
皇帝ベルゼフリートの正妻に成り代わった大妖女レヴェチェリナは異変に勘付いた。太陽が沈もうとしている。
「あららァ⋯⋯? もう日暮れ? おかしいわね」
現実世界では〈反魂妖胎の祭礼〉が成され、古い器から魂魄を絞り出している真っ只中だった。
「時間の進みが早すぎるわ。三皇后に気付かれてしまった。ついに干渉し始めたわね」
魔女レヴェチェリナの呪毒は、女王セラフィーナの子宮にかけられていた。幼帝ベルゼフリートとの交わりに合わせて、大妖女の呪詩は言祝がれた。
毒を盛るのなら極上の美酒に。
淫楽に酔い痴れたセラフィーナとベルゼフリートは偽りの世界に囚われる。儀式の邪魔になりえる三皇后を遠ざけ、レヴェチェリナの宿願は目前に迫っていた。しかし、ここに至って障害が立ちはだかった。
「なるほどねェ♥︎ くふ♥︎ 巫女の神術⋯⋯! いつの間にか、皇帝陛下と分断されてしまったわ。魂の深層に至れる術師は少ない。見事な腕前だわ」
貴賓館の廊下が無限に続いている。ベルゼフリートの寝室に辿り着けなくなっていた。
「終わりのない無限廻廊。へえ、そう⋯⋯。私を閉じ込める気かしら? 天空城の隔絶障壁に神官長を閉じ込めた意趣返しね⋯⋯♥︎ 面白いわァ♥︎」
ベルゼフリートを護ろうとする穢れ祓いの力が働いている。器の精神に干渉しなければ不可能だ。こんな芸当ができるのは大神殿の神官長カティアだけである。
「くふふっ⋯⋯! あっははははは⋯⋯!! あ~、もうっ♥︎ いつの時代も大神殿の巫女はしつこいわ⋯⋯♥︎ 私の化粧まで削ぎ落とそうだなんて⋯⋯♥︎ まあァ、素っぴんでも綺麗だからいいけれどォ♥︎」
レヴェチェリナの容貌が窓ガラスに反射している。魔女の本性が曝かれていた。擬態を強引に剥がされ、青紫色の肌が顕在化する。身にまとう正妃の衣服は朽ち果て、一糸まとわぬ淫体を晒した。
「ここは破壊者ルティヤの心象世界。謂わば、魂魄の内側♥︎ アルテナ王国の女王セラフィーナを介して私は侵入を果たしたわ。荒ぶる魂の核に触れてしまったのよ?」
万全の準備をしたうえでの計画実行。レヴェチェリナの表情に焦りの色は浮かばない。揺るぎない勝利を確信していた。
「手遅れよ。皇帝が私を正妻と認めてしまった。古い器はあっけなく壊れる♥︎ そして、破壊者の荒ぶる魂は、魔物の器に転生するの⋯⋯♥︎ 廃都ヴィシュテルで魔帝は降誕するわ♥︎」
心象世界でベルゼフリートがレヴェチェリナと交われば、現実世界の肉体は魂魄を搾られる。次第に衰弱し、新たな器となる魔帝は受肉を果たす。魔物を統べる帝王が大陸に君臨するのだ。
「くふっ⋯⋯♥︎ くふふふっ⋯⋯♥︎ この期に及んで本当に見苦しいわね♥︎」
レヴェチェリナは掌に集めた妖力を拡散させた。廻廊の床から無数に生えてくる巫女の封門を打ち破る。卓越した神術師の聖なる御業。だが、魔女の邪悪な穢れは浄化の護りを粉砕する。
「無駄ァ♥︎ 無駄ァ♥︎ 皇帝の御心は私の虜よ⋯⋯♥︎ 絶対に返してやらないんだから⋯⋯!!」
アルテナ王国の女王セラフィーナは〈反魂妖胎の祭礼〉で重要な役割を果たしてくれた。
セラフィーナの願望が反映された結果、心象世界に白月王城が現れた。リュートの屍骨は現実世界で魔帝の肉体を構築する生命核となっている。
アルテナ王家の愛憎は、ベルゼフリートを絶命に誘う世界を象った。
「哀帝のときは、小賢しいアンネリーに邪魔されてしまった。けれど、今のメガラニカ帝国に皇帝を殺す余力はないわ。そもそも殺処分なんて発想すら思い浮かばないでしょうね⋯⋯♥︎ 貴方達は崖っぷちだもの♥︎ くふふっ⋯⋯♥︎」
祭礼が成される前に、ベルゼフリートを殺めればレヴェチェリナの計画は破綻する。災禍は起こる。だが、魔帝降誕という最悪のシナリオを阻止できる。
「足掻いたところで変わりはしないわ。でも、無駄な時間稼ぎをされると鬱憤がたまってしまう⋯⋯♥︎ ちっ⋯⋯! ああ、もう⋯⋯! 節度のないことねぇ♥︎」
余裕に満ちていた大妖女の表情が崩れる。匂いを嗅ぎつけた。熟れた陰裂から醸し出る猛烈なフェロモン。盛り上がった淫女の臭い。
「まったく本当に⋯⋯! 欲深い乳女⋯⋯!! せっかく辱められる前の! 清い女王に戻してやったのにっ! 満足すべき普通の幸せを与えてあげた恩を仇で返すつもり⋯⋯!?」
心象世界に囚われている魂はベルゼフリートともう一人。祭礼発動の媒介となったセラフィーナだ。
「セラフィーナを使って盗んだ魂を取り戻す気? 高名な三皇后の決断とは思えないわ。くふふっ⋯⋯♥︎ あぁ、なんてみっともない♥︎ ふしだらな愛妾に頼るだなんて⋯⋯!」
偽りの世界ではアルテナ王国の敗戦が回避されている。愛する夫ガイゼフとの平穏な日々を甘受できる。幸せな夫婦生活は変わらず続くのだ。
息子のリュートは帝国軍に処刑されず、愛娘のヴィクトリカと仲違いしない安穏な世界である。気高き女騎士ロレンシアは、幼馴染みのレンソンと結婚し、無事に子供を産み落とす。
壊され、貶められ、辱められた、アルテナ王国の女達は存在しない。
幸福が永久に続く世界。――だというのに、国母と敬われる美貌の女王セラフィーナは、子宮の疼きに誘導され、幼き皇帝ベルゼフリートの部屋を訪れようとする。
「セラフィーナの色欲と執着心を侮っていたわ。だけど、貴方達の敗北は決まっているのよ。魂魄を繋ぐ力がセラフィーナにはないわ⋯⋯! 自分が何者で、何をしようとしているのかすら、分かっていないのだから♥︎」
レヴェチェリナの指摘は正しい。セラフィーナの記憶を封じられ、行動原理は支離滅裂だった。
強烈な愛情はセラフィーナを突き動かした。今日の会談で初めて言葉を交わし、顔見知りになったばかりの幼帝に抱く背徳的な恋心。家族を裏切り、王国の威信を貶める恥じるべき夜這い。セラフィーナは不貞に及ぼうとしていた。