——4月5日、セラフィーナは査問会に召喚された。
会場は帝城ペンタグラム郊外にある議事堂の小法廷。従者のロレンシアは同伴を願い出た。しかし、許可されず、控え室で待機が命じられた。
査問会の主題は、講和条約締結後、アルテナ王国の近衛騎士団が武装蜂起した責任を追及するものであった。
皇帝ベルゼフリートの滞在施設であった貴賓館および占領軍の本部があった総督府の襲撃。既に国主たるセラフィーナ女王は、メガラニカ帝国に謝罪するとともに、近衛騎士団に解散を命じていた。
査問会の主審に宰相派のラヴァンドラ王妃が就き、4人いる副審は全員が妃の地位を持たぬ側女だった。4人の内訳は、神殿から派遣された司法神官が3人、宰相府所属の行政官が1人であった。
現在、セラフィーナの身分は愛妾。その地位保障は軍務省の元帥府が負っていた。査問会は軍事法廷を模倣する形が取られた。
正式な軍事法廷と異なるのは、裁かれる軍人の上官が審議に参加せず、宰相府の王妃が主審となっていることである。
「やれやれ。さながら軍法会議だ。宰相閣下のお怒りは相当だ」
「あの……」
専門的な法知識を知らず、帝国の制度を何ら理解していないセラフィーナは不安を感じていた。至極真っ当な反応だ。
「ああ、失礼。私は参謀本部所属のユイファン・ドラクロワ。まったくそうは見えないと思うが、こんな私でも階級は少将なんだ。ヘルガ・ケーデンバウアー妃殿下から貴女の弁護を押しつけ……いや、任された」
ユイファンは少将だと名乗った。長い黒髪の美女なのだが、気怠そうな雰囲気で、見た目に気を使っていないらしい。寝癖が酷かった。
(てっきりヘルガ王妃が来ると思ったのに。失礼かもしれないけどユイファン少将、この人で本当に大丈夫なのかしら……?)
ロレンシアからケーデンバウアー侯爵家の美談を聞いたセラフィーナはもう一度、ヘルガ王妃と話し合いたいと考えていた。
アルテナ王国の行く末を考えれば、帝国軍の穏健派と関係を深めておきたかった。
「心配はいらない。今の貴女は皇帝陛下の愛妾だ。宰相閣下だろうと、好き勝手にはできないさ」
「ユイファン少将……。私が心配しているのは祖国の安全ですわ。もし今回の査問会で講和が破棄される事態に陥ったら……!」
「そのために私がいる。この場で講和条約を破棄するとまではいかないにしても、宰相府の大多数は主戦派で戦争継続を求めていた。セラフィーナ女王を使って、どうにか膠着状態を打破したいのだろうね。苦労の末に戦争をやっと終わらせた軍部としては、本当に困ったものだよ」
長い黒髪が乱れるのを気にせず、ユイファンはくしゃくしゃと頭を掻く。美女なのは客観的な事実。しかし、身嗜みがなってない。元来の性格そうなのか、隙だらけの女性だった。
主審を務めるラヴァンドラ王妃は対照的な女性だった。若かりし頃のリンジーを彷彿とさせる理詰めの性格。査問会の最中、淡々と事実を指摘し、アルテナ王国の責任を追求してきた。
「今回の一件に関し、バルカサロ王国の工作員が扇動したとの情報が軍務省から報告されています。事実に相違ありませんか。ユイファン少将?」
「残念ながら、あくまで疑惑です。物証は何一つありませんよ」
「ユイファン少将。報告書には第三国の関与が濃厚であるとあります。バルカサロ王国が暗躍し、講和条約を破棄させるため、近衛騎士団の暴挙を煽ったと見るのが妥当でしょう」
「妥当であるのと、それが事実を証明できるかは別です。ラヴァンドラ妃殿下」
「そうですか。ならば、事実に目を向けましょう。バルカサロ王国はセラフィーナ女王の息女ヴィクトリカを拐取し、アルテナ王国軍を不当に抑留している。この件に関し、セラフィーナ女王は国主として、行動を起こされるべきではないのですか?」
「ラヴァンドラ妃殿下。失礼ながら事実を見るというより、争点を逸らしているように思えますが?」
「私は貴女には聞いておりません。ユイファン少将。アルテナ王国の女王に確認しているのです」
セラフィーナは唾を飲み込む。詰問される立場となったのは初めてだ。緊張で冷たい汗が滲み出る。
「アルテナ王国に何を求めているのですか……? 王都ムーンホワイトは帝国軍に占領され、我が身もこのような立場にあります。何をされよと言うのですか?」
「ほほう。もはや女王の責務を果たせる立場にない。そう言われるのですか? ならばいっそ、ベルゼフリート陛下にアルテナ王国の統治権を禅譲されてはいかがか?」
「アルテナ王国を解体しろと仰るの……? 講和条約にそんな項目はございません。王都ムーンホワイトの統治権は貴国に委ねております。それ以上の要求は不当です。応じられませんわ」
「不当な要求でしょうか? 次のアルテナ王は、現国王であるセラフィーナが産む皇帝陛下の御子です。いずれ皇帝陛下の血を引く御子が王位を継ぐのです。メガラニカ帝国に吸収される運命なのですから、早い段階で統治権を手放すのが最良でしょう」
「庶子に王位相続権は認められておりませんわ。長子のリュートが亡き今、アルテナ王国の王位継承者第一は、我が娘ヴィクトリカにあります。アルテナ王家の嫡子は、私が伴侶と認めたガイゼフ王との間に産まれた子女だけなのですわ!」
「貴女が皇帝陛下との婚儀を拒絶している現状はそうでしょう。しかし、今後はどうなるか分かりません。たとえばヴィクトリカ王女が亡くなれば、どうでしょうか?」
(帝国はリュートを殺すだけでは飽き足らず、ヴィクトリカまで奪おうというの……っ! でも、ヴィクトリカはバルカサロ王国の庇護下にあるわ。いくら帝国軍ども手出しはできないはず……)
愛娘の死をちらつかせるラヴァンドラ。揺さぶりに過ぎないとセラフィーナは自身を落ち着かせる。
「次に、セラフィーナ女王が解散を命じた近衛騎士団についてお聞きます。暴挙に参加した者の中で、数人の生存者がいましたね?」
セラフィーナは話題が変わって困惑した。ユイファンは不穏な気配を感じ取っていた。
「いくつか、気になる証言がありました。彼らは暴挙に際し、機会があったのなら、畏れ多くも皇帝陛下を害する大逆の計画であったと……」
ユイファンは即座に言葉を挟んだ。
「ラヴァンドラ妃殿下! 大逆罪は帝国内において未遂であっても、計画の段階で死罪が適用される大罪です。しかし、その司法判断は司法府が預かるところ。正式な法廷ではないこの場で、論じるのが適切でしょうか?」
「ユイファン少将、貴女は帝国軍人ですね。陛下から寵愛をいただく愛妾の身。その貴女が大逆犯をかばいだてするのですか?」
セラフィーナはユイファンが自身と同じ、愛妾の地位にいると知って驚いた。
(この方も、私と同じ愛妾⋯⋯?)
軍閥派の王妃は唯一、主席宮廷魔術師ヘルガ・ケーデンバウアー上級大将のみ。ならば、ユイファン少将は公妃にあるのだと思い込んでいた。
「私が指摘は、手続きの著しい不正についてです。大逆犯を擁護するものではありません」
「この査問会が不当であると、ユイファン少将は言われるのか? それこそ我々への敬意に欠けている。責任の所在を明らかとするための査問会です」
「責任の所在ですか? 司法神官の副審にお聞きするが、嫌疑があるのなら裁判所で罪を問うべきでは? 近衛騎士団とセラフィーナ女王はまったくの無関係。女王を糾問するのは、どのような法理に基づいているのですか?」
気怠げだった美女は覚醒し、猛攻を開始した。饒舌かつ雄弁にラヴァンドラ王妃の矛盾を指摘する。
「糾問とは大袈裟な物言いをされる。私は事実確認をしているだけです。そもそもセラフィーナ女王はアルテナ王国の国主。けして、無関係ではないしょう。責任の一端は統治者に帰属します」
「いいえ、ラヴァンドラ妃殿下は無関係と知っているはずです。なぜなら、此度の近衛騎士団による暴挙について、妃殿下は先ほどバルカサロ王国の暗躍であると断言していたではありませんか」
ラヴァンドラは沈黙する。宰相派の妃として、ウィルヘルミナの意向には忠実でなければならない。それは宮廷で生きる王妃の立場である。しかし、セラフィーナに罪を着せるのは、理屈に合わないとラヴァンドラは分かっていた。
ユイファンはセラフィーナの弁護を続ける。
「バルカサロ王国の暗躍を指摘しながら、ラヴァンドラ妃殿下は利用されただけのアルテナ王国に責任を求めている。この矛盾を認めるのなら、この査問会は不当と言うべきです」
誤りを指摘されたとき、ラヴァンドラ王妃は逆上や取り繕いする女性ではなかった。正しい指摘なら己の過ちを改める実直な人物であった。
ラヴァンドラが口を噤み、守勢に入ったのは副審を務める司法神官達への配意だ。宰相府は強大な権力者であるからこそ、守るべき法規がある。その監督者は法の番人たる神官達であった。
「終了の時刻です。本日の査問会は閉会とします」
結局、初回の査問会は結論が出ないまま、終了となった。審議は継続するとだけ述べ、ラヴァンドラ王妃は閉会を宣言した。
セラフィーナは宰相派の望む結論が出るまで、この査問会を続けるつもりなのかと危惧を抱いた。