2024年 10月13日 日曜日

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【189話】冥府より招かれし者

NOVEL亡国の女王セラフィーナ【189話】冥府より招かれし者

 中央塔に展開されたピュセルの神域は、帝国元帥レオンハルトの次元操作を完璧に封じ込めた。

 思惑通りに計画は進んでいる。それでもなお、ピュセルは絶体絶命の窮地に立たされていた。

「⋯⋯ッ!!」

 油断をしたつもりはない。最善の回避行動を選択したつもりだった。それでも左腕が一瞬で消し飛んだ。

「痛いわ⋯⋯。泣いちゃいそう⋯⋯!! 弱い者苛めは愉しい?」

 涙とは無縁の魔物だが、相手が強すぎて泣きたくなる。帝国元帥が放った飛翔斬撃の乱舞は、ピュセルの回避能力をもってしても躱しきれなかった。

(間合いを見誤れば即死しかねないわ。さっきのは運に恵まれた)

 急所の頸部けいぶに当らなかったのは単なる偶然だった。

(左腕の傷が再生しない。あれはアレキサンダー公爵家に伝わる不死殺しの刃。あの大剣で斬られた傷は治らない⋯⋯。魔物の私は呪いや術式の永続効果を無効化できるのだけど⋯⋯。まあ、これに関しては仕方ないわ。産後間もない身体だし、副作用みたいなものだわ)

 ピュセルは嬉しそうに切断面を握りつぶした。失った左腕をちっとも惜しんでいない。

(出血は止めたわ。あと三分。何とかなるかしら⋯⋯?)

 レヴェチェリナに約束した足止めの時間はおよそ五分。

 これはピュセルが設定した目標値であり、限界でもあった。

(まだ私の狙いには気付かれてはいないわ)

 五分以上の足止めをした場合、ほぼ確実にレオンハルトは外部の異常に勘付く。

(私は神域内の時間流を圧縮させている。結界内の一分は、外部での十分に相当する。時間流の速度差は約十倍。結界内で私が五分耐えれば、帝国元帥レオンハルト・アレキサンダーの五十分を奪える計算)

 戦いのさじ加減が重要だった。

(たったの五分とはいえ、相手が相手だけに辛いわ)

 あと数分でピュセルを殺せると思わせておけば、レオンハルトは神域結界の破壊を優先しない。

 事実、レオンハルトは相剋相殺そうこくそうさいの封陣を脅威と考えていなかった。

「なぜ傷を治さない? 魔物だろう。不死殺しの刃は生命を削る。だが、魔物は生命核が活動力の根源。肉体には宿るのは魔素のみ。生命核さえ無事であれば、その左腕は治せるはずだ」

「さあ、どうしてかしらね⋯⋯。ちょっと休憩して、楽しくお喋りしてくれるのなら教えてあげてもいいわよ」

 強がりの笑みを崩さないピュセルに、レオンハルトは苛立ちを募らせる。大剣を振りかぶったその瞬間だった。

 強力な空間震動が神域を揺らした。結界外で生じた波動が神域の内部に反響する。

「次元の震動波⋯⋯? 外で誰かが大規模な座標転移を⋯⋯?」

 レオンハルトは姉達を思い浮かべた。しかし、即座に否定する。アレキサンダー公爵家の者であれば、こんな荒っぽく空間をいじくったりはしない。

 宝物庫の仕様を知っているピュセルは、計画がさらなる段階に進んだと察知する。

(狙い通りだわ。宝物庫の扉が開いた⋯⋯!)

 ピュセルとレヴェチェリナが念入りに不信感を植え付けた宝物庫は、護衛部隊を強制転移させたに違いない。

(ふっふふっ⋯⋯。最高の働きをしてくれたわ。宝物庫に皇帝ベルゼフリートが囚われた。あとは大妖女レヴェチェリナとメガラニカ帝国の決着を見届けるだけ。ああぁ⋯⋯! とても愉しくなってきたわ⋯⋯!!)

 ◆ ◆ ◆

 宝物庫の扉は固く閉ざされた。

 皇帝護衛隊は帝嶺宮城ていれいきゅうじょうのどこかに強制転移されてしまったが、一人だけ宝物庫の扉前に戻ってきた人物がいる。

「宝物庫は国家の最高機密とはいえ、記録は残しておいて欲しかったのう。半世紀前に調べておくべきじゃったな⋯⋯。しかし、宝物庫に自我があるのなら、英雄アレキサンダーは扉を開けていなさそうじゃな」

 カティアはすぐさま神術式を発動し、逆戻りに成功した。神官長の卓越した技量を示すものであった。とはいえ、宝物庫はアレキサンダー公爵家の次元操作に対応できる対抗仕様だった。帝国元帥レオンハルトや救国の英雄を連れてきても扉は破れない。

 半世紀前の旧帝都解放戦で英雄アレキサンダーは宝物庫を開けた可能性があった。しかし、宝物庫の力を目のあたりにしたカティアは、開門条件を満たさなければ誰にも開けられないと確信に至る。

「それにしても儂の扱いが酷くはないか? しかし、まいったのう。逆転移に成功したのは儂だけのようじゃな。シャーゼロット達はどこまで飛ばされたのやら⋯⋯」

 閉ざされた宝物庫の扉を調べる。カティアには一切反応を示さず、内部と外部を隔離している。

(宝物庫はメガラニカ帝国の皇帝に忠誠を誓っておるようじゃ。疑心暗鬼に陥っているのは問題じゃが、魔物を引き入れたりはせぬだろう。問題なのは敵がこうなると予想していたかどうかじゃ⋯⋯)

 帝嶺宮城ていれいきゅうじょうを占拠した魔物達は、宝物庫への侵入を試みていた。そのせいで宝物庫の警戒度は極限まで高まり、皇帝の護衛隊すらも脅威認定した。

(宰相閣下とセラフィーナはどうするかのう。宝物庫内に危険がなければ、考えなしに出てきたりはせぬだろう⋯⋯。しかし、儂らが外で待っていると考えて出てくる可能性はある。何かあっては最悪の事態に発展しかねないのう。儂はここで待機すべきじゃな)

 非戦闘員のウィルヘルミナとセラフィーナでは皇帝を守れない。護衛隊と合流するために宝物庫から出たら敵が待ち構えていた。そんな事態だけは避けたかった。

(この撒き散らされた魔霧の瘴気⋯⋯。女仙の肉体から漏れ出す穢れに近いが、魔素が含まれておるのう。皇帝陛下を殺すための妖力が込められておる)

 いずれにせよ、ベルゼフリートを宝物庫から出すわけにはいかなくなった。

「レヴェチェリナは皇帝陛下を殺すつもりじゃな。もはや器を壊しても魔帝は止められぬか。ともかく、魔霧は祓っておかねばな⋯⋯」

 神官長カティアは閉ざされた扉の前で、浄化の神術式を発動する。そのときだった。暗闇から妖邪の化身が現れる。

「さすがは古森の長老⋯⋯♥︎ アレキサンダー公爵家の姉妹達でさえ宝物庫の転移に抗えなかったのにねぇ。でも、当然だわ♥︎ 親が優秀なら子も優れているものよ♥︎」

 大妖女レヴェチェリナは深淵の穢れを従えていた。

「ほう⋯⋯。ずっと隠れているものだとばかり思っておったぞ。探す手間が省けた」

 常人ならば直視しただけで、狂気に陥る瘴毒の極致。触れれば即死は免れないと直感的に分かる。

「会えて嬉しいわ。神官長カティア♥︎」

「元凶の魔女は其方じゃな? 大妖女レヴェチェリナ。なるほどのう。魔物ではあるようじゃ。元々は女仙か。肉体が歪に変質しておるが、それは穢れの瘴気じゃ。女仙でなければ身にまとえぬ」

 神官長の聖眼は大妖女の出自を一目で看破した。

(退魔結界をすり抜けて暗躍していたのは此奴で間違いない。女仙ではあるが、ベルゼフリート陛下の血酒は授かっておらぬ。いつの時代に女仙となったかは気になる。正体は分からぬが、哀帝に仕えたアンネリーではないのう)

 アルテナ王国の王都ムーンホワイトで見つかった残穢の主で間違いない。

「ふふっ⋯⋯。貴方は姉のロゼティアとは似てないわね」

「儂の姉を知っておるのか?」

「ええ。よく知っているわ。殺されかけたもの⋯⋯。そのせいでずっと実体を得られず、アンネリーの首飾りに囚われていたわ。でも、私はこうして身体を取り戻し、この胎に宿願を身籠もったの⋯⋯♥︎」

(宰相閣下とセラフィーナの報告通りじゃな。レヴェチェリナは魔帝の胤で赤子を孕んだ。臨月胎になっておる。産まれ落ちる前に、胎児ごと始末しておかねば危険じゃ⋯⋯)

「ふふっ♥︎ 子宝が妬ましい?」

 全裸のレヴェチェリナはボテ腹を見せつけた。青紫色の艶肌は妊娠の膨らみで張り詰めている。たわわに実った巨大な爆乳からは、湧き出る母乳が滴り落ちた。

「身籠もった体で儂の前に現れるとはのう。恐れを知らぬのか、それとも知恵が足りぬのか。肉片一つ残さず、滅してやろう」

「あぁ、恐い、恐い♥︎ でもね、私に戦うつもりなんてないわ。だって、もう決着はついているもの」

「余裕じゃな?」

「私を殺せやしないわ。神官長の御業は皇帝を護るために使われる⋯⋯そうよねぇ⋯⋯? くふふふっ♥︎ 私の赤ちゃんを害するのは戒律違反よ?」

 レヴェチェリナの孕み腹が力強く胎動した。胎児から発せられた気配にカティアは驚愕する。

「帝気⋯⋯! ありえぬ。魔帝ならまだしも、なぜ其方の胎にいる赤子から⋯⋯?」

「くふふふふ♥︎ 愚問だわ。なぜって⋯⋯そんなのは決まっているでしょう? 今は私の胎に宿った赤子が皇帝だから♥︎」

「業が深いのう。魔帝さえも贄にしよったのか⋯⋯」

「くふっ⋯⋯♥︎ ご明察♥︎ 器はげ替えられるわ。相姦児であれば父親から息子に受け継がれる♥︎ 母子相姦で産まれたベルゼフリートが証明しているわ♥︎」

「おぞましいことを⋯⋯! その胎に宿した赤子は⋯⋯!!」

「ええ、そうよ♥︎ 私のオマンコはアルテナ王国の女王セラフィーナの模倣臓器クローン♥︎ 魔帝の受肉にリュート王子の屍骨を使ったわ♥︎ たとえ中身が違っても肉体的には血の繋がった母親と息子の赤ちゃん♥︎ 立派な母子相姦児よ♥︎」

 破壊者ルティヤの器は一つしか存在できない。ベルゼフリートの肉体から引き抜かれた荒魂は、魔帝に移っているはずだった。しかし、レヴェチェリナの胎に宿る赤子は強い帝気を生じさせている。

 導かれる結論は一つだった。

「父の力は子に⋯⋯! 冥府から真の皇帝が帰還するわ。人の世を終わらせる真なる支配者⋯⋯! くふっ♥︎ ふっふふっ♥︎ ついにこの時が来た♥︎ 会いたいでしょう? だって、貴方も私と同じ――」

「――死者は蘇らぬ」

 カティアの放った攻撃がレヴェチェリナの言葉を遮った。

 無詠唱の神力放出では大した傷は与えられない。だが、皇帝を身籠もったレヴェチェリナに対して、神術式は使えなかった。

 神術師は信仰による能力値の向上効果がある。魔術師にはないメリットだ。しかし、信仰に反する行動を取ったとき、能力が著しく低下するリスクを伴う。

(母胎のレヴェチェリナだけに標的を絞るほかないのう。矛盾しておるが、胎児を直接の攻撃対象には指定できぬ)

 神官長カティアは皇帝に仕える大神殿の巫女。

 信仰の戒律により、皇帝には危害を加えられない。

(奪われた荒魂がレヴェチェリナの胎児に移されているのならば、用済みになった魔帝はどうなったのじゃ? ベルゼフリート陛下の御体を含めれば破壊者の器が三つあることになる⋯⋯)

 この世に皇帝は一人だけ。ベルゼフリートが眠り続けているように、魂を抜かれた魔帝は自我を喪失していた。

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